第18話 奇縁③

「ひのでさんこそ私とおしゃべりしてていいの? 大事な話っぽかったよね」

「さすがに先約優先。それに、なに言ってんのかイマイチはっきりしなくて」


 ひのでさんが肩をすくめながら言う。


「必要ないお金が手元にあるんだけど、必要がないだけでとても大切なものだからどう扱うべきかわからない……みたいな。意味わかる?」

「友達のひのでさんがわかんないのに他人の私がわかったら怖いよ」

「だよねえ。そのくせ、口に出したら考えまとまってきたって自己完結。礼だけ言ってすぐ切りやがった」

「なんか独特~」


 必要ないって思えるほど手元にお金があったことがないから全然共感できない。お金はどれだけあってもいい。


「ま、大事なのは困ったとき最初に浮かんだ顔がわたしってことかな。思ったより気を許されてるっぽい」


 その友達の話をしている間、結構わかりやすく表情が緩んでいる。最初見たときは綺麗だと思った顔が、今に限ってはかわいく見えた。

 ひのでさんは、人生を自由に楽しんでいる人なんだろうな。仕事とか、恋愛とか、趣味とか。私もそうなる予定だったのに、全然うまくいってない。――高校の終わりまでは、かなり順調なつもりでいたんだけど。


「ここでかのちゃんにクイズ」

「急」

「他人に気を許してもらうため、わたしが心がけていることはなんでしょうか」

「えー? 身だしなみとか」

「外れ。解答権はあと二つ」

「ヒントヒント。ヒントください」

「自力解答以外は認めません。あと3、2、1……」

「タイムアップもあるんだ」

「はい、終了っと」


 考える間もなく終わった。だけど冷静になってみれば、ちょっと時間をもらえたくらいで解けるわけない。私は他の人に心を許してもらっていると感じたことが少ないし、しかもその少ない中の一人とは気まずい距離感になっている。ここでぱっと答えが浮かぶようなら、そもそもひのでさんと知り合うことがなかった。


「結構単純よ。大前提に置いてる人が多いから目立たないだけっていう。学校のペーパーテストなんかで、わざわざ全問答えを解答用紙に記入しろなんて但し書きしないのと一緒」

「他人に気を許してもらう努力をしましょうってこと?」

「大枠ではね。――自分が先に警戒解いて、相手に心を開くこと。これだけ」

「……難しいよね?」

「意識と訓練でどうとでも。生まれつきそういう精神性のコミュニケーション巧者もいるけど」


 そう言われてみれば、視力のことで一気に壁がなくなったっけ。あのとき私が気を許したから、ひなとも心を開いてくれたのかな。


「思い当たりのある顔だ」

「うん、かなり」

「意外と入り口は広いもんだよ。問題はむしろその後、関係性の拗れが無数に枝分かれしていく方にある。頭の回るやつならボードゲームの定石みたいなパターン暗記で色々やり過ごすんだろうけど、悲しいかな、そんなおつむの持ち主は希少も希少。結局のとこ、世間一般に叫ばれるコミュ力ってのはどんだけアドリブが上手いかなんだろうな。その場に応じた正解を嗅ぎ分ける嗅覚っていうの?」

「のうみそがぱんくしています」

「簡単。かのちゃんは大外れのカード切ったから今しなしなに萎れちゃってるの」

「名誉棄損。名誉棄損です。心のもろい部分をいきなり叩かないで」


大外れなんて言われたって、なんか大丈夫そうだと思ったから当時の私は色々踏み切ったわけで。ひなと関連の勘をそこまでほとんど外してこなかったからこそ、なんか大丈夫そうだと思ってしまったわけで。私の鼻が鈍かったと言われればおしまいな話だけど、それじゃあ全然納得できない。

 学校で仲良くしても良くて、家に帰ってからだらだら通話しても良くて、休みの日に二人きりで遊びに行っても良くて、家族のいない相手の家にお邪魔しても良くて、手とか腕とかを触ったり掴んだり握ったりしても良くて。けど、唇がちょっとでもくっついたら耐えられない。……そんなことある? 全然そんなことないと思ってる私がみんなとずれてるだけ?


「そうは言っても、久々の再会を控えてる以上はあれこれ色々練っておかないと。次やることが成功するかはともかく、前と同じ失敗を繰り返さないことはマストでしょうよ。穴をつぶせばつぶすほどそれは成功確率の方にフィードバックされるし、なにが良くなかったかを裏返せばイコールでなにをすればいいかにつながるかもしれないし。フィーリング重視で踏み外したなら、今度は理詰め。策を弄せ。創意工夫を怠るな」

「……むぅ」


 色々痛い。耳とか頭とか。つい昨日、無策で突撃しちゃったし、そのせいでどう接していいかもわからなかった。結果として前より引いた感じになっちゃって、溝を余計に深くしたような気もする。

 言いたいことが言えてない。聞きたいことも聞けてない。やりたいこと、なかったわけじゃないはずなのに。


「否定しないんだ。その子に会いに来たこと」

「だから、それは、もぉ~……」

「いい反応するなー。今日わたしに会ったのだって、これを本命にすることで次の行動をついで扱いするための保険でしょ。無意識かもだけど」

「……会いたかったのは本当だし」

「その子に?」

「ひのでさんに!」

「からかわれ慣れてない子をあれこれいじり倒すの、世界で一番の娯楽かもしれない」


 目の前ににやにやした悪い大人がいる。警察とか呼んじゃおうかな。

 久しぶりに声を張ったせいで顔が熱い。飲み物の入ったグラスを触った後の手でほっぺたを冷やして、頭をしゃっきりさせた。


「謝りたいの? 謝らせたいの? 仲直りしたいの? それとも、文句を言いたいの?」


 そのどれでもあるようで、だけどそのどれでもないようで。正解が一つじゃないことに、私はずっと悩まされてる。考え込むのは苦手なのに、考えなしで失敗したトラウマを今までずっと引きずっている。


「…………変な話なんだけどね」


 すごろくで何マス戻るを引くような話だから、あまり言いたくない。でも、考えれば考えるほどこれしかないような気がして……。


「……ただ会いたいからって理由じゃ、ダメだと思う? 会って話したい。シンプルすぎかな」

「わ~、乙女」

「真剣なのに、結構……」

「中身がないから当然進展もゼロなのはちょい問題だけど、心持ちが定まっただけ良しとする見方もあるでしょう。退路を断つって意味じゃあね」


 両手の人差し指でバッテンを作ったひのでさんが、それを控えめに口許に持っていく。どういうジェスチャー?


「当人の間でだけ通用する空気感みたいなのもあるだろうし、ああしろこうしろどう話せって具合のアドバイスはできないけど、姿勢は大事にした方が吉。話がしたくてやってきましたよーってスタンスは言葉なり態度なりでちゃんと表明したいね。そうすれば相手側も乗っかりやすいだろうし」

「うん」


 高い天井を見上げる。大きなプロペラがゆっくり回転しながら、室内の空気をかき混ぜている。そういえば似たようなのがあのファミレスにもあったっけ。ここのと比べるとさすがに安っぽいけど。

 話し込んでいる間に、少し人が増えた。がらんとしていた近くの席にお客さんが座り始めて、自然と声のボリュームが落ちる。溶けた氷がそこにからんと音を立てて、水面が少し波立った。


「いい加減、真面目じゃない話しよっか。ずっと肩に力入れっぱなしってわけにもいかない」


 だるんと脱力して、ひのでさんが頬杖をつく。うん、賛成。中身のある話は誰とでもできるけど、中身がなくてどうでもいい話ができるのは近しい相手だけだと思うから。


「じゃあねー、じゃんけんで後出ししたとき、それを相手に納得させる言い訳考えよ。二人で」

「いいけど……、また今日も妙なお題思いつくもんだね。あっためてた?」

「じゃんけんで勝って損することないし、後出しなら負けることもないじゃん?」

「こういうのこそ、どっかの理屈屋に解答を任せたいもんだけど」


 ひのでさんが独り言をつぶやく。だけど私が欲しいのは誰かが作った完璧じゃなくて、この場で考え出したヘンテコな答えだったりするんだ。

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