§ 第22話 §



 朱と紺が混じり合う時刻。来賓者達が続々と会場入りする。

 そこから少し離れた場所にある王族の待合室。そこで、リカルディはそわそわと、落ち着きの無い様子で、ソファに座っていた。

 支度は終わったのだから早く彼女を迎えに行きたかったのだが、母親から、女性の準備を急かすな! とお叱りを受け、大人しく先に待合室に来た。

 その様子に王妃は呆れて、兄王子達は面白そうに弟を見ている。

 王族と共に会場入りする聖女もまたこの場に居て、女神に認められた恋人達が揃うのを、彼女自身もおすましの仮面の下で今か今かと待っていた。

 そんな恋人達を愛でる聖女の気持ちを知らない王妃は、貴方はもっと聖女に感謝なさい! と手に持っている扇子でリカルディを叩いてしまいたかった。

 もちろんリカルディは聖女に礼を述べていたのだが、王妃からすれば、簡素過ぎるという事らしい。

 賓客である聖女を放置するわけはないので、兄王子達も含めそつなく聖女と会話を繰り広げている。

 ただ、当事者だけが、気もそぞろな返事を行っているだけだ。

 それが王妃には大層失礼に見えるらしい。聖女はそんな様子を内心ニコニコと見ているとは思いもよらずに。

 そろそろ本気で叩いてもいいかしら? と思ったところで最後の二人がやってきた。

 陛下と子爵令嬢が到着なされました。そう扉付きの者が声をかけて開けるのと同時に王と女性の会話が聞こえてくる。

 どうやら一緒に来たらしい。と、みんなの視線が扉に向かう。

 そこには、新しい家族となる人物を迎える暖かい眼差しがあった。たった一人以外は。


「……父上? どういうことですか?」


 先程までそわそわしていて、どこか子供の様だった表情のリカルディはそこにはいなかった。

 真顔で、いや、睨み付けるように、父親の隣に立つ女性を見ている。


「どうしたのだ、リカルディ」


 王が尋ねる。だが、その質問は、この部屋に居た者達の方がしたかった質問だろう。


「……何故、その女性がここにいるのです?」


 ここにきて、リカルディは初めて、自分がとんでもない勘違いをしていたのではないか、と気付いた。

 それでも、まだ、可能性はあった。

 彼女は、妹なのだから。家族として呼ばれている可能性がある、と。


「もちろん、お前の婚約者だからだ」


 だが、その小さな可能性はあっさりと否定された。

 ざらりとした感覚が体の中を巡るようだった。


「何故、そうなるのです?」


 訳が分からない。リカルディは本気でそう言いたい。

 

「どうした? 不服なのか? 彼女は呪われたお前のために、頑張ってくれただろう? お前を厭うことなく、呪いを解こうとしたではないか」

「私を救ったのは彼女ではありません。彼女の姉です!」

「姉? 姉は駄目だ」

「は?」

「姉は身持ちが悪い。そのような者を王族に迎え入れるわけにはいかない」


 父親の言葉にリカルディは血が沸騰するかのような、感覚を味わった。

 短慮を起こしそうな己をなんとか抑え、頭を横に振った。

 違う、と。


「その事で彼女が責められるのならば、その責任は私にあります」


 彼女がそのように言われるのは、自分がそうしてしまったからだ。

 静かに息を吐いて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「彼女のためにも、私が娶るのは、彼女であって、その妹ではありません」

「……其方の気持ちは分かった」


 リカルディの様子に、彼の意志を認めた。

 たとえ欺されているのだと言っても今の様子では信じないだろう、と。


「だが、その娘はすでに結婚して居るぞ」

「……は?」


 ほんの一時しか一緒にいなかった息子とは違い、姉の家族が認めたのだ。そして、殿下に迷惑はかけたく有りません、と姉の父親である当主が処置を願ったのだ。

 目を点にしているリカルディに、王は少しばかり可哀想に息子を見つめた。


「失礼。お二人の会話に入るのは大変無礼ではございますが、少し宜しいでしょうか、陛下」

「ああ、なんだ」


 人事を主に担当する文官で本来ならば宴の時のここに来るような者ではない。

 だが、今日は必要だろうと分かっていた。だからすぐに許可を出す。


「リカルディ殿下にお渡ししたい物がございます」

「私に?」

「はい。殿下が口にするその彼女ではありますが、手切れ金を受け取って、あっさりと城から立ち去りましたよ」


 これがその書類です。

 そう言って、彼が差し出したのは、金額とスノウリリーのサインが入っている部分を切り取ったものだ。

 その書類を見つめて、リカルディの手に力が入ったのかぐしゃりと、紙が曲がる。


「……何故、その女のです?」

「何?」

「私に婚約者を宛がうとして、何故、その女なのです?」


 このサインが本物かどうか、正直言えばリカルディには分からない。

 サインが本物でも、渡された金が本当に手切れ金だったかも分からない。

 だからもう、それは良い。

 リカルディとしては気に入らないのが、姉の代わりにとあてがわれたのが妹、ホーリーだった事だ。


「彼女の能力が素晴らしいからだ。確かに聖女には及ばなかったが、もう少し鍛錬すれば、やがてその道も開けるだろう。それに、容姿も良い。其方と隣にいても釣り合う。違うか?」

「……母上、聖水は使わなかったのですか?」


 途中から聞く気にもならず、王妃に確認を取る。


「いいえ。もちろん、飲んで頂きました」


 夫と息子の空気に戸惑いながら、王妃は答える。

 二人の会話で分かった事は、リカルディの思い人と結婚をさせると思っていた事がどうやら違ったという事だ。


「父上。私はスノウリリー以外を妻に娶るつもりはありません」

「リカルディ! いい加減にしろ! 其方はただの貴族ではなく、王族なのだぞ!」

「陛下!」


 賓客がいるにも関わらずこんな事になるなんて。

 王妃は落ち着いて欲しくて呼びかける。

 そして、王の隣に居た彼女も、そっと王の腕に手を添えた。


「陛下、落ち着いてください。きっとお姉様、いえ、あの人が殿下に何か言ったのですわ」


 ホーリーは声を荒立てる王に声をかけてから一歩前に出る。


「リカルディ殿下。もしかしたら、あの人からわたくしの悪い噂を色々聞いているかもしれません。ですが、それは全て嘘です。わたくしは」

「嘘? 今まさに、言葉に、妙な魔力を乗せて私に話しかけているのに?」


 苛立ちながらリカルディは返す。しかしホーリーは不思議そうに首を傾げた。


「何を言っているのですか?」

「何を、だと? 白々しい」

「そう言われても……。ああ、先程、殿下は聖水と口にしてましたね。お姉様、いえ、あの人はまた、わたくしが魅了の魔法を使って人々を良いように操っていると口にしたのですね。わたくし、魅了の魔法なんて使っていませんわ。神官様達にも何度も確かめて頂いて、その上でその力は無いと保証して頂いています。……でもお姉様は信じてくれません、いつもわたくしが魅了の魔法を使っていると言って、わたくしを悪者にしようとするのです」


 悲しげな表情でホーリーが俯けば、周りは同情したように、表情を曇らせる。リカルディと聖女以外は。


「……ああ、なるほど……。貴方には随分とやんちゃな光の上位精霊がついているのですね」


 聖女の言葉にリカルディは視線だけを向ける。


「で、あればこの国で主に使われている聖水では効かないのでは? この国で一番大きな神殿は、光の精霊でしたよね? そこで確認をとったのであれば、同質のものですから、反発も起こりませんし、精霊との相性も考えても、神官では判別できないのではありませんか?」

「……お待ちください。聖女様まで、わたくしが魅了の魔法を使っているというのですか!?」

「いいえ。貴方自身は使っていないのでしょう。でも、貴方の事が大好きな光の精霊が、勝手にやっているのですよ。もっとも、本当にそれに気付いていなかったかどうかでいえば、疑問ですが」


 少なくとも、自分にとって都合が良すぎる展開が続くことに何かしら気付いているはずだ。

 ホーリーは青ざめて、小さく頭を横に振る。まるで私は知らないと言うように。


「酷いです。どうしてわたくしを悪者にするのですか……」


 ぽろぽろと涙を零す彼女に慌てふためく男性陣を見て、王妃はなるほど、とどこか納得もしていた。

 この場にいる者達ならば、女の涙など笑いながら見てられるだけの胆力を持つ。

 本来ならば、あのような「綺麗な涙」などに騙される面々ではない。


「スノウリリーはどこです」


 目の前で繰り広げられるやりとりが段々三文芝居に見えてきたリカルディは、己の目的だけを見据える事にした。


「それを聞いてどうする」

「もちろん連れて帰ります。私の妻は彼女だけなので」

「ならぬと言ったはずだ」

「父上」

「聖女の言うとおり、彼女に魅了の力があるのならば、それらは封じねばならないだろう。だが、これだけ強力な光の資質を持つ者だ。王族に取り入れるという判断は変わらぬ」

「……」


 魅了にかかっているかもしれない。それが分かって居て、その上でそう答えるのか。

 保留するのでもなく、それでも、私にあの女と結婚しろという。


「其方は王族だ。分かって居るだろう? その我が儘は認められん。飲み込め」


 その言葉が、リカルディの中にあった最後の「想い」を消した。 


「飲めません」

「リカルディ!」


 王が声を張り上げる。

 重苦しい空気が部屋を満たす。

 従わないというのなら、無理矢理にでも従わせる。

 王の醸し出す空気に騎士達も、緊張が走る。

 そして、それが分かった上で、リカルディは、冷たい眼差しで王を見ていた。

 最早その目に家族に対する情は見当たらない。

 

「北だそうですよ」


 聖女の声がその空気を引き裂いた。

 視線を集めながら彼女はただ一人、リカルディだけを見つめて言葉を紡ぐ。


「印を追ってください」


 聖女が右手をかかげると桃色の光が翼のような矢印のような形になり、飛んでいく。

 リカルディはそれを追って走り、窓へと向かう。

 窓を開き、そして、空へと飛び出した。

 その行為に悲鳴の様な声が上がったが、彼の背に衣服を突き破りながらドラゴンの翼が現れて、夜風を孕みながら羽ばたいていく姿に誰もが言葉を失った。

 沈黙が流れた。何がどうなっているのか、と窓を見つめている者達に聖女の声がかかる。


「それではわたくし共も失礼いたします」

「っ!? 待たれよ聖女殿」

「お待ちください聖女様」


 慌てて引き止めようとする声には見向きもせず扉へと向かう聖女。


「どうして……? 呪いを解いたのではなかったのですか?」


 王妃の疑問には足を止めて聖女は振り返った。


「いいえ。リカルディ殿下のあの姿は呪いではなかったのですよ。王妃様」

「では一体?」

「あれは、同化です」

「どうか?」

「はい。黒竜は人になりたがっていたみたいです。それであの様な形になっていたので、女神様の御力で人として生活出来る様に整えただけなのです」

「何故ですか! 払い落とせば良かったのに! 何故!」

「何故と問われても……。あの様に全身が同化してしまってはわたくしにはどうにもできません。先程も言いましたが、あれは呪いではなく同化なのですから」


 言葉の印象から、引きはがせるものではない、と受け止めた王妃は、嫌な予感を感じながらさらに問う。


「……では、左腕だけであれば……?」

「その場合は左腕を切り落とせば可能性はありましたが……」


 そんな、と崩れ落ちる王妃を聖女は眺めた。

 何をそんなにショックを受けているのか聖女にはよく分からない。

 左腕だけであれば、と言う言葉から、第一段階はそうだったのだろう、と辺りを付けた。

 その後、王に向き直る。


「女神様が応援したかったのは、王子とお姉様の方との恋路だったようですよ」

「そんなまさか」

「そんなあり得ません!」


 王よりもホーリーの方が強く否定する。

 彼女としては当然だろう。女神が認めた恋人達は王子と、ずっと見下してきた姉だというのだから。


「このような形になってわたくし共も残念です」


 そう告げて聖女は退出する。

 王族達は動けず、騒動に関わっていない者達が聖女の突然の帰還宣言に慌てふためいて、引き止めようとするが、聖女としては聞き入れる事は出来ない。

 愛を司る女神の愛は恋愛だけではない。家族愛もある。

 もちろん、為政者としての下す判断に関しては、ある程度理解もしている。だが、今回は納得出来る範囲を超えていたのだろう。

 使節団が全員揃うと聖女を基準に、転移をもって全員を帰国させるという力業に等しい奇跡をおこすのだから、女神はよほど腹を立てたのだろう。


 愛の女神の怒りを買ったあの国がどうなるのか。

 周りの国がどう判断するのか。

 あの国全体に厳しい試練が待っているのは間違いないだろう。





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