§ 第6話 §


 太陽の光が降り注ぐ中にリカルディは居た。

 広い庭園に用意されている休憩のためのベンチに座り、雲一つ無い青空を仰ぎ見ている。


「リカルディ?」


 小さいながらも、驚きが混じった声で呼ばれて顔を向ける。

 人の気配には気付いていた。それも複数名。

 足音を消すでも、気配を消すでもなかったから、注意はしていなかった。

 そんな自分に気付いて、リカルディは、頭が回っていないのだな、と思い至った。


「……お久しぶりです。兄上」

「ああ、久しいな」


 そこに居たのはすぐ上の兄と側近や護衛達だ。

 護衛の騎士達はリカルディを見た時から警戒と緊張しているのが窺える。


「外に出ても大丈夫なのか?」


 護衛騎士とは違い、兄の方は様子を窺いながらも近づいてくる。

 リカルディの左腕は反応しない。

 リカルディの心は、朝のやりとりの方が精神的に負荷が大きかったのか、今は有る意味凪いでいる。


「ええ、まぁ。掃除の邪魔と追い出されました」


 飾らない言葉に兄の方は瞬きを行い、別の意味を探そうとして、他に意味がなさそうな気配を弟から受けとる。


「……そうか。それはなんというか、凄いな」

「ええ、まぁ……」


 王族相手に何を。と言いたいのだろう。だが、彼女の言い分も分かる。


「今、あそこは一人で行うしかありませんから、私が居ては確かに邪魔なのでしょう」


 掃除をしなくても良い。と言えば、ダリーの飼い主として、不衛生なところで寝かせたく有りません。と返された。

 ダリーが最優先なのか! と言いたいが言えない。言っても肯定しか返ってこないだろうから。


「……マントか」

「……ええ。これだけで、気持ち的には随分と楽になりました」


 左腕だけが太く歪になるシルエットもマントのおかげで、左肩が上がるのは当然だという意識になる。

 何倍にも太い腕も、マントに包まれていて分かりづらい。


「……そうか、それは良かった」


 そう口にしていいか、躊躇いが生まれたが、部屋に引きこもっているよりもずっと良いだろうと兄は口にした。

 兄の言葉に、もしかしたら、癇癪を起こすのではと、周りには思われたが、周りの警戒を余所に、リカルディは少し複雑そうな顔をし、マントの上から左手の手首を押さえる。


「それで兄上は私に用があったのでは?」


 でなければ、ここまでやってくる事はないはずだ。

 腫れ物扱いの自分がいる場所には。


「ああ……。お前の婚約の事だが……。あちらが婚約を解消したい、と」

「……私自身はとっくに終わった関係だと思ってましたよ。私自身もう、彼女とは一緒にやっていけるとは思えません。政略結婚なので、個人の感情など二の次でしょうが、父上の許可が下りるのなら、私からも婚約解消を願います」


 ここまで意見を聞きに来るという事は、ほぼ許可は下りるのだろう。

 それを理解しながら、リカルディも答える。

 未練は欠片も無かった。


「分かった父上にはそう伝えよう」


 兄の言葉にリカルディは頷く。


「……リカルディ。お前はこれからどうするんだ?」


 躊躇いののち、尋ねる兄に、弟は「さぁ? 分かりません」と答えた。

 兄が何を言いたいのか、どう答えて欲しいのか分かって居る。

 だが、彼はそれを認めたくなかった。


「戻ります」


 一言そう告げて、リカルディは立ち去っていった。

 その背中を見送りながら、兄は、未だ弟には踏ん切りが付かないのだな、と思案した。

 分からないでも無い。

 元の姿に戻るためには、一度全ての呪いを受けなくてはいけないのだから。


「……すぐには答えを出せないのは当然だ」


 彼はぽつりと呟いた。

 兄の中ではいつの間にか、呪いを全て受け入れて初めて、呪いを解けるという事にすり替わっていた。その事に、兄は気付いていない。


「それでも少しでも外に出る勇気が出来たのなら、お前ならきっと……」


 勝手な期待を今はもう姿の見えない弟に背負わせる。


(それにしても肩マントか。それだけでリカルディが外に出られるようになったのなら、星聖国の聖女の元に行く時も姿をある程度隠せば大丈夫か?)


「……今、リカルディの侍女は誰が行っているのだ?」

「レクチェ子爵家の令嬢です」


 従僕が答える。担当地区が違うため、会うことは中々無いだろうが、同じ王子付きとして、名前などは知らされている


「レクチェ子爵令嬢か……確か光の属性持ちだったな。一時期、聖女になれるのではと名を馳せた人物か。なるほど、防御魔法が得意だから無事だった訳か……」


 兄の呟きに誰も是とも否とも答えられない。

 レクチェ子爵家令嬢。それ以外の情報を何も持っていないからだ。

 それが、長女なのか、次女なのか、も。実際にそんな能力があるのかもどうかも。





 リカルディが部屋に戻るとスノウリリーはお茶の準備を始め、リカルディが席に着くと、そっと音も無く紅茶が置かれる。


 ……おかしい。数年前まで、跡継ぎとして勉強していたのに、なんでこんな侍女の能力が高いんだ?

 お茶を飲みながらリカルディは目の前にいる女性について考えを巡らせる。


「……殿下。お願いがあるのです」

「願い?」

「はい」


 すっと左側に立つスノウリリーに、リカルディは気を張り巡らせる。

 今までだったら、嫌悪とか、左腕の暴走とかで緊張していたが、今朝から違う緊張がリカルディを襲う。


「本来、勤務時間に私事を行う事はよろしくないことは存じ上げています。ですが、この離れにはわたくししかおりません。わたくしの休憩時間はほぼなく、ダリーを愛でる時間が退勤以降の時間となってしまい、それは殿下にとってもわたくしにとっても大変外聞の悪い事です」

「待て! 愛でるって何をするつもりだ!?」

「それはもちろん撫でたり手入れをする事では? 本当は愛でつつ、ダリーと遊びたいのですが」

「個別の生命体じゃないからな!?」

「存じ上げてます。ですからそれは無理だとわたくしも諦めております」

「……嫌だ、と言ったらどうするんだ?」

「……愛でられる時間に、せいいっぱい愛でようと思います」

「愛でるのを許可しないと言ったら?」

「ダリーはわたくしの物なので、それについては拒否させていただきます」


 きっぱりと言い切ったスノウリリーにルカルディは、安易に上げると口にした自分を罵りたくなった。


「そうか……。好きにし……。いや、ダリーが雄という事をきちんと理解しているのなら、好きにしろ」

「かしこまりました」


 スノウリリーは静かに頭を下げる。



 翌日。



「スノウリリー嬢!? マニキュアは女性のお洒落ではないか!?」

「色は寒色系なので、問題ないかと」

「大あり! 大ありだ! 問題ないとか全然ないから!」


 ぎゃあぎゃあと、二人しか離宮にはいないため、王子や令嬢らしくも無く声を張り上げる二人。

 何も知らなければ、楽しそうな会話にも聞こえるかもしれない。


「いっそ魔力暴走を起こせダリー!!」


 左腕が魔力暴走を起こせば、ダリーなりの「嫌だ」という意思表示だ! とスノウリリーを良い任せられるだろう。

 だが、左腕はあれから一度も魔力を暴走させない。


「まぁ、ダリーはいい子ね」


 スノウリリーは褒めて、そして、その指先に口付ける。


「!?」


 声もなく驚いたのはリカルディだけで、スノウリリーはあくまで飼い主がペットに愛情を示す行動の一つを取ったに過ぎず、スノウリリーには照れも動揺も一切ない。

 上機嫌で爪の手入れをしているだけだ。


 何故、私だけが動揺しなくてはならない!


 リカルディは今までの令嬢達との違いに髪をかき上げてため息をつく。

 こんな呪われた腕を楽しそうに手入れをする令嬢にリカルディは不思議な感覚が時折よぎる。

 スノウリリーの顔に右手をそっと近づける。

 触れる直前、スノウリリーは体事、リカルディの右手から逃げた。


「…………」

「糸くずでも付いてましたか?」


 彼女は頭や肩、顔をささっと汚れを落とすように払う。


「あ、ああ……」


 リカルディは頷く。

 避けられた……わけじゃ、ないよな?

 右手を肘掛けに戻しつつ、ちらりと盗み見る。

 呪われた左手に触れる事を厭わないのだ。

 人間の手である右手で触れる事を厭うはずがない。

 そんな当然の思考を、リカルディは、まるで自己暗示のようだ、と思った。





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