§ 第7話 §

 スノウリリーが王城にやってきて、一月が経った。

 魔力暴走に巻き込まれてあっさりと死ぬだろうと思われたスノウリリーは今日も王子を部屋から追い出して掃除をしている。

 いや、今ではリカルディが自主的に外に散歩に出ている。


「リカルディ」


 呼びかけられて、リカルディは振り返る。

 内心機嫌の悪い彼とは違い、声をかけた兄は、何が嬉しいのか、満面の笑みだ。リカルディはイラッときたが、一先ず、挨拶を交わす。


「最近は毎日外に出ているようだな」

「……ええ、まぁ……」


 兄の言葉にリカルディは言葉を濁す。

 本人的にはたとえ、ぱっと見た限り、異形と化した腕が見えないからといって、外出したいわけではない。

 ただ、外出しなくてはならない理由があるだけだ。

 そう。例えば。


「外に出る用事がないのであれば、ダリーを可愛く着飾らせても問題無いですね」


 と、嬉しそうにリボンやらフリルやらを見せる女官から逃げるためとか……。

 ちなみに今日はラメ入りのマニキュアを塗られる所を、外に出るから、と、手入れだけを行って貰った。


「……兄上」

「なんだ?」

「ドラゴンの爪って、硬いですよね?」

「ああ」


 何故今更そんな事を? と思いつつ同意する。


「爪ヤスリで削れるものですかね?」

「いや、それは無理だろう」

「ですよね……」


 普通に考えれば、爪ヤスリの方が負ける。負けるはずなのだ。

 リカルディはそっと、マントの下に隠された己の左手の爪を触る。

 全てを切り裂くはずのドラゴンの爪は、綺麗な曲線を描いていて、その鋭さは欠片もない。少し力を入れれば、肌を割くはずなのに、人間のような爪痕が少し残るのみ。

 おかしい、明らかにおかしい。

 そもそも、と、リカルディはここ数日のことを思い出す。

 何度思い出しても、彼が魔力を暴走させたのは、スノウリリーがこの左腕に『ダリー』と名付ける前だ。


(まさか、個別の意志などはないが、この左腕はスノウリリー嬢に名付けられた状態? 冗談だろ? 確かにこの左腕はドラゴンの腕だと思っていたが、本当に魔物扱いなのか!?)


 ここ数日浮かんでは否定してきた疑問がまた浮かぶ。


「リカルディ……。覚悟はまだ決まらないか?」


 一体何の覚悟だろうか? そう言いかけて、立ち上がる。


「……兄上なら、覚悟が出来ますか?」


 逆に問い返す。答えは沈黙だった。


「失礼します」

「待て。リカルディ! 君の気持ちも分かるがっ! リカルディ!」


 兄の声を背中に聞きながらリカルディは部屋へと戻ると、室内を掃除していたスノウリリーに一言声をかける。


「風呂の用意を頼む」

「畏まりました。すぐに準備をします」


 それから風呂の準備が出来たと報告を受け、風呂場に移動し、体を洗う。湯船に浸かりしばらくした頃、スノウリリーが入って来て、左腕の手入れを始めた。

 入ってくる事は分かって居たのだろう。リカルディの大事な所はタオルで隠されている。

 浴槽の外に出された左腕を上機嫌で洗うスノウリリー。

 

「今日も綺麗になったわ、ダリー」


 そう言って彼女はペットにそうするように、黒い鱗のある指に口付ける。

 それらの一連の行動を見ていたリカルディは、己の右手をスノウリリーの頬に伸ばす。

 だが、それは避けられる。

 何度もそうされてきた。

 初めはたまたまだと思ったが続けば避けられている事は分かる。

 

「……何故避ける」

「殿下こそ、何故、触ろうとするのです?」

「触ってはいけないのか?」

「当然ではありませんか。わたくしは殿下の婚約者でもないのですよ?」


 当然と言えば当然のセリフだ。

 スノウリリーの言葉は間違っていない。

 だが、リカルディには納得出来ない。


「左腕は自分から頬を寄せているのに、右腕は駄目なのか!?」

「当然です。ダリーはわたくしの物ですが、その右腕は、殿下のものであり、殿下の婚約者の物でしょう?」


 ダリーに向ける暖かな眼差しも、愛しいという眼差しもない。冷たく突き放す瞳。

 婚約者という言葉に、女性の悲鳴が蘇る。

 自分を化け物と罵った声と瞳が、脳裏に浮かぶ。

 だが、それはスノウリリーには重ならない。

 ただただ、興味が無いという瞳が向けられるだけ。

 悔しかった。


 俺は! ドラゴンの腕以下か!


 怒りに似た感情が沸き起こり、リカルディは感情的に動いた。


「!?」


 それは、スノウリリーには追えない動きだっただろう。

 リカルディは正真正銘のドラゴンスレイヤーだ。

 武術にも魔法にも長けている男である。

 その男が本気で動けば、多少魔法に心得がある程度の令嬢の目に追えるわけがない。

 気付けば、何故か目の前にリカルディの顔らしきものがあって、唇が何かに当たっていた。

 え? と、瞬きを一つした所で、ぬるりと、唇を割って、何かが入ってくる。

 それが何か理解する前に、スノウリリーは突き飛ばし、転がるように床に尻餅をつく。

 尻を打ち付けた衝撃は確かに痛いはずなのに、スノウリリーはその時ばかりは気にならなかった。むしろ、両手で押さえる口元に感じた感覚以外、今は何もかもが蚊帳の外だ。

 何をされた?

 何を何を何を……。

 その答えは一つしか浮かばないのに、それを必死で否定するかのように、疑問ばかりを浮かべてしまう。


「へぇ……」


 そんな時、暢気で、どこか感心した声が聞こえて、スノウリリーは顔を上げてしまった。

 彼はぺろり、と出したくない答えを示すように、己の唇を舐め、愉快げに告げる。


「顔、真っ赤」

「っっっっダリー!!」


 分かって居た事を、告げられたくないことを告げられて、スノウリリーは、思わずその名を呼んだ。

 同時にリカルディの左腕の魔力が吹き荒れる。

 浴槽や浴室に傷が入り、水を送り出す設備もすっぱりと切れ、間欠泉のようにお湯が天井へと向けて放たれ、ぶつかって戻ってくる。


「あつあつあつあつ!」


 そう言いながら、リカルディはお湯を出す魔導具から魔石を外し、間欠泉を止め、振り返る。

 大惨事。

 そうとしか言いようのない荒れた風呂場。

 そこにスノウリリーの姿はない。

 リカルディの左腕が魔力暴走を起こしている間に逃げ出したのだろう。


「はぁ……」


 この姿になって、逃げられる事は多々あったが、これは違う。

 この左腕のせいではなく、自分自身の行いのせいだ。

 何をやっているのだろう。

 そう思うと同時に、仕方がないではないか。とも思った。

 自分には笑顔の一つも向けてくれないのだから。

 そう己の本心を聞き取って、リカルディは苦笑する。


「ガキか、俺は……」


 公人としての仮面は剥がれ掛かっていたが、ついに今日、私人としての感情が前面に出てしまった。


 仕方ない。そう仕方がないのだ。

 魔物と化した左腕には、頬ずりしたり、甘えたり、キスした、笑顔を向けたりするのに、こちらには、スンッとした無表情のみ。

 隣に美味しそうな料理があったら味見したくなるのと同じだ。

 一度や二度なら我慢出来るだろう。それが毎日では難しい。

 そして、リカルディにはしっかりと左腕の感覚はあるのだ。

 所有権はスノウリリーに移っていると本人は言うが、リカルディ本人からすれば、その左腕も自分なのである。

 左腕のせいで、自分自身全てを拒絶されるのも辛かったが、左腕だけを愛されるのも辛い。

 そして左腕のせいで、自分の全てを拒絶した面々に対しては、複雑で、許せる気もしなかったし、家族でないのならかかわりたくも無いいう思いが今は強い。

 だが、左腕だけ愛されて、他の全ての自分を拒絶された場合は、「なんでだよ!?」と怒りの方が強い。

 スノウリリーは自身の美貌はどうでも良いと言った風情だが、彼女も貴族らしく、それなりに整っている。かわいい系ではなく、美人系だろう。そして、普段は見せない笑顔というのは、特大の威力を見せる。

 もはや魅せると言っても良い。

 塩対応ばかりされていたのだ。たまには甘い対応を求めて何が悪い。

 そう開き直ったところで、流石に無理矢理キスは不味かっただろうか、と、軽く反省もした。

 だが、何かが吹っ切れたのも事実だ。

 こちらを見あげた時の真っ赤な顔を思い出す。

 ゾクゾクと湧き上がる感覚は劣情に近い。

 

「ああ……本当に俺は、ガキだな」


 彼女の笑った顔が見たかったはずなのに、赤く熟れた顔を見て、泣かせたいという思いの方が勝る。

 そして、己の左腕を見る。


「本当に魔物として使役されてんじゃねーよ……」


 そう口にしたところで左腕からの反応は何一つない。

 だが、あのタイミングで魔力を放つという事はそういう事だろう。

 

「だがなぁ、ダリー。お前は俺の左腕でもあるんだ。嫌でも協力してもらうぜ」

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