§ 第15話 §


 夜明け前から出発した二人は、太陽が中天から傾き始めた頃、目的地に着いた。

 ここで、黒竜とどれほど激しい戦闘があったのかは、周辺の地形を見れば分かる。

 少し前から、余波を受けたと思われる場所を二人は通ってきたが、ここは明らかに違った。

 どれほど激しい戦いだったのか、痕跡だけ見ても、スノウリリーは恐怖を覚えるほどだ。


「……スノウリリー嬢。君はここで待っててくれ」

「え?」

「ここから先は俺一人で行く。呪いが分散されると面倒だからね」


 そう言って笑うリカルディの視線の先には、黒い霧という形でその場で漂う黒竜の呪いがあった。

 スノウリリーは、付いて行こうとしたが、その意志を読み取り、振り向いたリカルディの真剣な顔を見て、歩みを止めた。

 これ以上は迷惑にしかならないだろう。


「……殿下、右手を貸してくださいませんか?」

「……右手?」


 反射的に出しかけていた左手を止め、不思議そうにリカルディは聞き返した。


「はい。右手です」


 珍しいと思いながら右手を差し出すと、スノウリリーは、髪を留めていた、紐を外し、リカルディの手の平に置き、そして、その手ごと握り込む。


「どうぞ、ご武運を」

「……まさか、こっちにそれをしてもらえるとは思わなかったな……」

「……いくら私でも、そのようなからかい方はしません」


 左手に行ったからといって、からかっているとは思わなかった。しかしそれ以上は何も言わなかった。スノウリリーが浮かべる不安の表情に気付いたからだ。


「では、行ってくる」


 彼女が心配する事ないように、リカルディは、髪紐を握り絞め、自信に満ちあふれた笑顔を向け、足を踏み出す。

 

 少しずつ遠のく背中をスノウリリーは見つめる。

 神に祈るべきか、それともダリーに願うべきか。

 

 ただ無事に帰ってきて欲しい。


 たとえ、姿がもっと異形の者になったとしても、リカルディがリカルディとして帰ってきて欲しい。


 そう祈るように、リカルディの後ろ姿を見続ける。

 やがて、呪いの元に辿り着き、彼がその呪いを受け入れ始めるのを、ただ見守る。

 見守る事しか出来ないからか、やがて不安も大きくなり、リカルディの姿が黒い霧に包まれていくのに対し、スノウリリーはただ、祈り続けることしか出来なかった。



 バサリ。



 大きな羽音が聞こえて、スノウリリーは慌てて顔を上げた。

 ここは魔物が出る地域でもある。

 戦闘があったここは開けていて、蹲り祈り続ける自分は、空から見れば丸見えの餌だろう。

 己を叱責しながら見あげたそこに居たのは、魔人と呼称するにふさわしい存在となった、リカルディだった。


「……殿下?」


 黒い翼と尻尾。対となった角。

 目も片方は白目ではなく、黒となっていて、金の虹彩を放っている。

 左腕だけでなく、あちらこちらに黒い鱗が見える。

 それでも、その顔は確かにリカルディだった。


「殿下……」


 上空からこちらを見ているリカルディにスノウリリーは声をかけた。

 彼はにこりと無邪気な子供のような笑顔をみせ、スノウリリーの前に降り立つ。

 ご無事でしたか。とスノウリリーが告げる前に彼が口を開いた。


「ニンゲンのメス。ワタシとオナジ。カゾクにステラレタ、メス。すのーりりー」


 舌足らずな子供のようにしゃべる彼に立ち上がりかけていたスノウリリーの動きが止まる。

 そんなスノウリリーに気付いているのか、彼はスノウリリーの前にしゃがんだ。


「イッショ。イッショ。ナカマ。ダカラ」


 スノウリリーの肩に彼の手が置かれ、そして、びりりっと何かが切り裂かれる音と、肌に風が当たる。


「ワタシとカゾクにナル。ワタシのコ、ウム」


 訳がわからぬまま、どさりと、地面に押し倒され、スノウリリーは、自分に覆い被さるように居る彼を見た。

 青空を背景に、にこやかにリカルディの姿をした彼は笑う。


「……ダリー?」


 そう声をかければ、リカルディの姿をした彼はとても嬉しそうに笑った。


「そう、ダリー。すのーりりーがツケタ、ワタシのナマエ。カゾクのアカシ」

「待って、ダリー」

「ダイジョウブ。ニンゲンのハンショクホウホウ、シラベタ。ヒトカスレバ、ニンゲン、ドラゴンのコ、ウメル。カゾク、ナル」


 スノウリリーは己を犯そうとする彼を見あげる。

 歳を取ったドラゴンには人語をしゃべるものも居るという。

 そして、確かに、ドラゴンと人との間に子供が出来るという『伝説』の類いはある。

 

「マズ、ハジメテ、コワガル、ダカラ、『脱力』させる」


 一部理解出来ない、いや、聞き取れない言葉があったとスノウリリーが思った時、体に異変が起きた。

 全身から力が抜け、指一本動かす事もままならない。

 麻痺ではない。感覚はあるのに、体が自由に動かない。疲れ果てて、倒れた後のような、そんな感じだった。


「ツギ、メスのカラダ、サワッテ『発情』サセル」


 また、知らない言語が出てきた。

 そう思った時には己の体に異変が起きている。

 その手際の良さに、スノウリリーは、内心苦笑する。

 黒竜がこの山に住み着いた目的。それが人との繁殖だったのだろうと、理解できた。


「……ねぇ、ダリー……」


 こんな外で、婚約者でもない男、しかも、異形の存在に抱かれる。

 これ以上無いほどの傷物令嬢の出来上がりだと思いながらもスノウリリーは己の上にのしかかるダリー(黒竜)に声をかける。


「でんか……。リカルディ様は、どうなったの?」


 体温が上がっていくのが分かる。体の中心が疼いて、思考が一つに誘導されていくのも分かる。

 だからこそ、スノウリリーは問いかけた。


「りかるでぃ? ネテル」


 そんな言葉に、スノウリリーは笑った。それはたぶん気絶ではないかしら? と。


「そう、起こしてくれる?」

「ドーシテ?」

「ダリーの子供を産むのは構わないわ。でも、初めてはリカルディ殿下にあげようと思うの」

「……ヨク、ワカラナイ」


 首を右に、左に、と傾げるダリー(黒竜)にスノウリリーは笑みを浮かべて、頬を撫でる。


「ダリーも、調べただけで、実際に人とした事はないんでしょ? 人同士の行いを間近で見たあとの方が、失敗は少なそうじゃない?」


 自分のために、ここまでしてくれたリカルディにスノウリリーは、どんな恩返しをすればいいのか、ずっと考えて居た。だが、何も思い浮かばなかった。

 でも、ここで、ダリーによってスノウリリーが傷物になってしまったとなれば、リカルディが重く受け止める事だけは理解出来た。


「んー? ヨクワカンナイ。デモ、ワカッタ」


 どさり、とリカルディの体がスノウリリーの上に落ちてくる。

 助かった。と思う事はなかった。むしろ、苦行に立たされているに近い。


「……でんか、おきて。起きてください……」


 呼びかけながら、リカルディの素肌に触れようとする己に、スノウリリーは気付いた。

 魔法でむりやり発情させれた体は、幸せそうに寝こけているリカルディを押し倒して、襲ってしまいそうだ。


「……殿下。起きてください。リカルディ殿下。リカルディ……殿下……」


 呼びかけに、自分の上に乗っている体が動く。

 そんな些細な反応ですら、発情させれたスノウリリーにとっては、我慢出来ずに声が出る程の快感だった。

 ああ、もう、駄目……。

 目覚めないのなら、逆に奪ってしまおうか。そうスノウリリーの思考が物騒になっていく頃、自分の上にあった重みが軽くなる。

 

「……う、ここは?」


 体を起こすリカルディに、スノウリリーは、声をかける。


「おはようございます。リカルディ殿下。突然で申し訳ございませんが、わたくしの処女、もらってくださいませんか?」


 同じ失うのなら、ダリーよりもリカルディに貰って欲しい。

 それは嘘偽りのない、スノウリリーの本音だった。


 

 


 

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