§ 第2話 §



 よろしいですか。王子の専属となる栄誉を賜ったのですから、誠心誠意お仕えなさい。

 王城で働く心得という物を延々と話しながら歩いていた女性は、その部屋に入るなり、口を開いた。


「リカルディ様。こちらが新しく入った専属侍女のスノウリリーでございます。今後は彼女に御身の世話をして貰います。では、わたくしはこれで」


 紹介しているはずの人物が実際にこちらを見ているのかどうかも構わず、一方的に言って、足早に立ち去った。

 少しでも早くここから立ち去りたいというのがありありとわかる姿だった。

 スノウリリーはそれに対して、何も思わなかった。


「スノウリリーと、申します。宜しくお願いいたします」


 お腹の所に両手を揃え、頭を少し下げる。

 相手からの返事はない。

 部屋の中は暗いが、そこに誰かがいるのは分かる。その人影に向かって話しかけているが何の反応も無い。

 スノウリリーはしばらく返答を待ったが、寝ているものとして、己の仕事を始める事とした。

 すなわち、現状の把握である。

 何の迷いも無く窓際に近づくとカーテンを開けて、窓を開けようとした。


「止めろ!!」


 突如、破壊音と怒声が響く。

 スノウリリーも突然の事に息を呑み、体を強ばらせる。

 自分の横を風が通り過ぎた。

 そう思った時にはカーテンが切り裂かれ、窓ガラスが割れる。


「ああぁぁぁぁ! 止めろ止めろ! 開けるな!!」


 かまいたちなのか、それとも別の衝撃波なのか、それが四方に飛び交う。

 それはほんの数分だっただろう。だが、それに怯えるものには、長い時間のように感じたはずだ。

 荒々しかった呼吸音が落ち着いてきて、やがて、静寂が戻ってくる。

 その静寂に、彼、リカルディが舌打ちを打つよりも早く、スノウリリーが声をかける。


「殿下は、日光アレルギーなのでしょうか?」

「は?」


 聞こえた言葉にリカルディは戸惑った。

 そもそも、まだ部屋にいると思わなかった。

 発作が起こっている時は恐怖で動けなかったとしても、落ち着いたら、皆一目散に逃げ出していたからだ。

 

「殿下は、黒竜の呪いを受けたと伺っています。そのさいに、日光アレルギーになられたのでしょうか?」

「……いや、違うが」


 質問の意味が分からなかったリカルディはとりあえず、そう答えた。


「そうですか」


 そして答えを得たスノウリリーは、いつの間にか復元されていたカーテンを勢いよく開ける。


「おい!?」


 流石に今の流れでそうなるとは予想していなかったリカルディは思わず声を上げる。だが、それだけで先程の様な発作的な破壊衝動はない。

 困惑している間に彼女は次々とカーテンを開けていく。

 部屋の惨状を目にした後、視線を部屋の主に向ける。

 それに恐怖を覚えたのはスノウリリーではなく、リカルディだ。

 自分の姿を見て、怯える姿。悲鳴を上げる婚約者。顔を逸らす部下達。

 スノウリリーの態度はどれとも違っていた。

 無表情で、ただ淡々と告げた。


「部屋の掃除をしますが、その間殿下はどうしますか?」

「どう……」

「散歩に行かれますか? それとも入浴でもなさいますか?」


 彼が受け持っていた仕事は呪われた時から第一王子と第二王子に割り振られているという。だからスノウリリーはそれを選択肢に入れなかった。


「散歩?」


 スノウリリーとしては当然の内容だったが、リカルディからすれば困惑しか無かったのだろう。

 思わず聞き返してしまう。聞き返した後、口端が上がる。この姿で散歩でもしろというのか、と。


「散歩ですね。分かりました。今着替えを取って参ります」


 会釈し、失礼にならない程度に早歩きで部屋から立ち去る姿に、リカルディは頭をかいた。

 逃げ出すための口実か、と。

 別にそんな事をしなくてもさっさと立ち去れば良かったのだ、と心の中で呟いて、立ち上がる。

 スノウリリーが開けていったカーテンを閉める。

 全て締め終わって、先程座っていた場所に腰を下ろす。

 ため息を一つついて、またぼんやりと時を過ごし始めた頃、足音とカラカラと車輪の回る音が聞こえる。

 リカルディの視線が扉に向けられる。

 足音と共に移動式のハンガーラックに洋服を何着かかけて、スノウリリーが戻ってきた。


「「…………」」


 戻ってきたスノウリリーに対しリカルディは無言になり、また、カーテンを閉められて暗くなっている部屋にスノウリリーも無言になる。

 スノウリリーはカーテンを開けていく。

 そして、ハンガーラックをリカルディの前に持ってきた。


「申し訳ございません。まだ殿下の好みを把握しておりませんので、本日の天候と季節に相応しい衣装を数着用意してきました。また今の殿下のお姿に対応しきれていないようなので、本日は、袖を切り落す事で対応したいと思いますが、どれになさいますか?」

「風呂で」

「畏まりました。入浴の準備をしてまいります」


 彼女のポケットに分かり易くハサミがあるのを見て、リカルディは迷うこよなく入浴を選んだ。

 どうせはったりだろう、と、リカルディは思わなかった。

 本気度しか感じなかった。だから、人目が避けられる場所を選んだ。

 彼女が立ち去った部屋。リカルディはまた立ち上がりカーテンを閉める。

 二つ目を閉めたところで、彼女が脇に置いたままのハンガーラックが目に入った。

 ドラゴン退治に出る前に来ていた服だ。

 その左袖に手を伸ばす。

 自分の視界になるべく左腕が入らないようにと、左肩を後ろに引くことにも随分となれた。それでも感覚として、伝わってくる。異形の姿をした己の左腕。


「……」


 左袖を軽く掴んでいた右手に力が入ったのか、服に皺が出来始める。

 脳裏に浮かぶのは、命をかけて黒竜を倒して戻って来た自分に対する、安堵でも、称賛の顔でもなく、恐怖と嫌悪である。

 婚約者は、悲鳴を上げて意識を失った。それ以降、屋敷に籠もりっきりだという。

 兄達はまだましで、痛ましいと視線を逸らす程度。

 母は半狂乱になって、化け物だと罵った。

 彼を息子に化けた黒竜だとすら言った。

 父は、静養するようにと、彼を遠ざけた。

 せめて自国の者に解呪出来る様な呪いであったのなら、まだ救いはあっただろう。

 だが、彼の呪いは竜の呪いだ。その呪いを解ける者など、この広い世界に、一人しかいないだろう。

 愛の豊穣の女神の使徒である聖女ただ一人。

 だからこそ、彼には望みが薄かった。

 かの聖女は己が仕える女神の言葉しか従わない。

 王族だろうと平民だろうと女神の前には等しく平等だ、と。彼女に呪いを解いて貰いたければ、彼女の元に向かうしかない。

 

「……出来るわけないだろう、そんなこと……」


 彼はぽつりと呟く。

 この左腕だけで苦しいのに。

 

「リカルディ。心を強く持って聞いて欲しい」


 兄王子が彼の部屋にやってきて、そう声をかけてきたのは彼が戻ってきた数日経ったある日の事だった。


「今度、星聖国の祭にが行われる際にお前を使節団の代表補佐にしてはどうかという案があった」


 それはつまり、王子が呪われたという事を極力隠したいという、国の方針なのだろう。

 

「……だが、その前に、お前にはもう一度黒竜が住んでいた山に行って貰いたい」

「……あの山に? 何故?」


 兄の言葉の意味が分からず彼は首を傾げた。

 兄は真剣な眼差しで、彼の側に控える騎士も気を張り詰めていた。


「……もう一度、言う。心を強く持って聞いて欲しい。あの山にはまだ、黒竜の呪いが漂っているらしい。お前にはそれらを全て請け負った上で、解呪をして来て貰いたい」


 それはさらに異形の者になれという言葉だ。

 彼は、ふざけるな! と口にした所までしか記憶がない。

 気付けば、修復魔法が掛かった離れの部屋に押し込められていた。

 きっと暴走を起こした自分を魔法師団が魔法で眠らせてここに連れてきたのだろうと、あたりはつけられた。

 だが、同時に、兄は自分が拒否すると分かった上で提案しているのだと嫌と言うほど理解した。

 あれから彼の左腕はより暴走するようになった。

 まるで、呪いを呼ぶように。

 自分はここにいると知らしめるように魔力を放つ。

 せめて、己の剣があれば。

 ぼんやりとそう思った。

 竜の鱗を切り裂くことの出来る己の剣があれば、この腕も切り落とせるのに、と。


 どうすれば、この腕を。どうすれば、どうすればどうすれば。

 

 ずぶりずぶりと沼に足を取られるように、思考が暗い所へと沈んでいく。


「殿下。入浴の準備が出来ました」


 そこにスノウリリーの声が聞こえてきて、弾けて飛びかけた魔力が、まるで雷のように、リカルディの体を通り、握り絞めていた上着を細切れにしていく。


「「……」」


 本日何度目かの静寂が訪れる。


「それで、殿下」


 スノウリリーは無かったことにしたらしい。それには触れず、話を進める。


「従僕がいないようなのですが、入浴の補助は必要でしょうか?」

「え……。あ……」


 いつ発作が起きるか分からないため、皆恐れて離れていってしまった。

 運が悪ければ、というよりも運が良くなければ死んでしまうのだ。誰だって逃げるし、大事な者達ほど死んで欲しくなくて、彼自身が遠ざけた。


「わかりました。髪と背中はわたくしが担当します。前はお任せしてもよろしいでしょうか? それとも」

「自分でする」


 淡々と、表情一つ変えることなく告げるスノウリリーにリカルディは被せるように答えた。

 見た目は若いが、もしかして、自分よりも年上の、ベテラン侍女なのだろうか、と考え始めるくらいにリカルディはスノウリリーの堂の入った姿に驚く。

 そんな事無いと分かって居るのだが。


「……君、子爵家の者だよな?」

「はい」


 少なくとも、数年前、子爵家の跡継ぎとしてお披露目したのを見ている。

 自分よりも年下の女性が大変だ、とリカルディは記憶していたのだ。


「何故、ここに?」

「父の命令です」

「……跡継ぎの君をここに、か?」

「跡継ぎから外されました」

「は?」

「わたくしのような者は跡継ぎには向かない、と父がその後判断なさいました」


 ありえない。

 一言で言えばそれにつきる。

 そんな判断が今更出るとは思えない。調査するならお披露目前に徹底的にしたはずだ。


「……弟が生まれたからか?」

「いいえ」


 彼女は否定する。

 だが、それ以外に彼女が後継者から外される理由が思い浮かばない。

 視線を受けて、彼女は彼がどのように考えたのか分かったのだろう。

 形ばかりの笑みを作る。


「わたくしが家長になる、という事がどういうことか、今更気付いたのでしょう」

「それはどういう意味だ?」

「言葉のままでございます。殿下」


 立場が逆転すればどうなるか気付いたのだろう。だから排除した。

 ただ、それだけだ。

 スノウリリーはそれに対してもう何も思わない。


「それよりも殿下。お湯が冷めてしまいます」

「あ、ああ」


 彼女の言葉に反射的に頷いてしまったが、それはこの部屋から出るという事だ。

 いや、そもそも彼女が、部屋の掃除がしたいからの提案だった事を思い至る。


「……君は、私が怖くないのか?」

「……癇癪には慣れてますから」


 その言葉が癪に障った。

 本来であれば、呪われる前までの彼だったら、絶対にしなかっただろう。

 その大きな手でスノウリリーの顔を覆うように掴んだ。


「この黒竜の爪は、お前の肌など容易く切り裂く。私が少し爪を立てて、手を握り絞めれば、お前の顔に、一生消えない傷が付く。それでも、怖くないといつもりか?」

「…………わたくしが、跡継ぎに相応しくないとなった理由が何か、殿下はご存じですか?」

「は?」

「結婚相手が見付からなかった事です」

「は?」

「顔に一生消えない傷が出来た所で、今更何も変わりません。もはやわたくしには結婚相手など現れませんから。それでも、殿下の気が晴れるのなら、どうぞ」

「……何を言って」

「『我が家の名誉のために、精一杯勤めてこい』それが、わたくしがこちらに来る時に父に言われた事です」

「……名誉?」


 確かに城に勤める事は名誉な事だ。だが、その言葉はまるで……。

 リカルディが心に浮かんだ言葉を、スノウリリーが変わらない声色で答える。


「王子の暴走に巻き込まれて死んでこい。それによって頂ける名誉と共に家に帰ってこい。そういう事でしょう」

「……だから、お前は、ここにいるのか? 言われたまま、死ぬまで、私に仕える、と?」

「他にする事もないので」


 彼女の頭が動いて慌てて、リカルディは左手を精一杯広げ、爪で傷付けないようにする。

 スノウリリーは軽い会釈をし、案内を再開した。

 彼はもう抵抗する気力も無いのか、その後ろ姿についていった。



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