ドラゴンに呪われた王子に溺愛されました

夏木

 § 第1話 §




 重苦しい空気がその室内を満たしていた。

 子爵家当主の執務室。

 そこで当主とその第一子の娘が相対していた。


「スノウリリー、これが何か分かるか?」


 執務机に有る封筒を指で叩きながら父親は問う。

 娘は感情を顔にも声にも出さずに答えた。

 婚約を辞退する手紙ですか? と。

 悲しみも、不安も見せることないその態度に父親は執務机を叩き怒鳴る。


「ああ! そうだ! お前がそのような態度だから! 縁談を持ちかけた全ての子息に断られた!」


 大きな音や怒鳴り声にも彼女は眉一つ、肩一つ揺らさなかった。


「お前のような者を跡継ぎにするわけにはいかん! 今から我が家の後継者はカインとする!」


 父親のその言葉に初めて彼女の心が反応した。

 今のは笑うところだったのかしら? と。

 五年前、弟が、待望の男子が生まれた時から、父がそう決めていた事を彼女は知っていた。

 ただ時期が悪かっただけ。

 最早三人目は無理だろうと諦め、彼女を後継者として、その前の年に発表したばかりだった。

 その後、男子が生まれたからとはいえ、なんの瑕疵もない、正当に後継者として多くの者に認められた女性からその立場を奪うのは外聞が悪い。だから、五年という歳月をかけて、失格者にしたてあげただけだ。

 まともに、結婚相手を見つける気がないのは、父親が選んだ相手から見ても明らかだった。

 まるでガラスのような瞳を父親に向ける彼女。

 人形のようだ、と。氷のようだ、と。言われる彼女がなぜそうなったのか、目の前にいる父親は、いや、彼女の家族は考えない。

 彼女は父親の気が済むまで、一方的な、暴言とも言える小言を聞き続けた。

 何度も何度も不出来な娘と繰り返される小言が終わり、最後は出て行けと怒鳴られる事で、彼女は退室する事が許される。



 そして、彼女が自室に戻ると彼女の妹が、部屋の主のようにソファーでくつろいでいた。


「……なぜ貴方がここにいるの?」


 私の許可もなく。

 彼女はそう言外につける。


「あら、お姉さまに会いに来たのにお姉さまがいらっしゃらなかったのよ?」


 悪びれることなく彼女は告げる。

 実際悪いとは思っていないのだろう。


「それよりもお姉さま、わたくし、お姉さまにお願いが有って来たの」

「嫌よ」

「お姉さまが今度の夜会のためにしたてたドレス、わたくしに譲ってくれない?」

「嫌よ」


 もう一度、同じ言葉を繰り返す。


「どうして? お姉さまよりもわたくしの方が似合うのに」

「貴方だって自分用のドレスをしたてたでしょう。それを着なさい」

「だって、実際に見たらお姉さまのドレスの方が素敵だったのだもの」

「もう一度言うわ。嫌よ」

「お姉さまの意地悪!」


 頬を膨らませ、不満を態度に見せる。

 だからなんだ。

 彼女の変わらない眼差しはそう言っているように見えた。


「酷いわ!」


 妹はそう涙を浮かべて部屋から出ていった。

 どちらが酷いのか。問いかけたところで無駄だ。彼女は静かに詰めていた息を吐く。

 もっともこれで終わりでない。

 これからが本番だった。

 夕食時、ドレスの話は蒸し返され、そして、妹だけでなく、父や母も妹の味方をする。

 分かっていたことだ。これまでずっとそうだったのだから。

 抵抗するのが虚しくなるくらい。

 だが、彼女は抵抗する。

 この歪な関係を弟に見て貰いたかった。知って貰いたかった。考えて欲しかった。


「なぜお前はそう我が儘なんだ!」

「そうよ! スノウ! 貴方は姉なのだから譲るべきでしょう。我が儘を言ってわたくし達を困らせないで頂戴」


 なぜか、我が儘を言っているのは姉であって、妹の言葉は正当な主張らしい。

 我が儘を言っているのは妹のはずなのに。


「姉上」


 静かに、幼い声がかけられる。

 彼女は幼い弟をみる。


「姉上はなぜ、みんなを困らせるのですか?」


 その言葉に、彼女は目を大きく開けた。

 人形だった顔に初めて人としての情が浮かび上がる。


「カイン……」

「姉上はどうして家族を困らせるのです?」

「……困らせる、ですか。貴方から見て、私が『間違っている』と、思うのですか?」


 両親は幼い頃病弱だった妹をとても可愛がっていた。

 待望の息子だったはずのカインが生まれても、両親の興味はずっと妹にあった。

 乳母と彼女が弟の面倒を見ていた。

 彼女にとって弟は、ずっと欲しかった自分の『家族』だった。

 父親があの様な手を使わなくても、彼女自身は弟に家督を譲っても構わないと思うぐらいには、弟を愛していたのだ。


「はい。昨日ホーリーお姉さまと話をして、気づきました。姉上がいかに家族を困らせて、間違ったことを言っているのか、と」


 その瞳は、昨日までと違って、自分に対する軽蔑が浮かんでいた。

 薄氷が割れる音を彼女は聞いた気がした。


「……そう、ですか」


 彼女は少しだけ顔を俯かせたが、すぐに顔を上げた。

 彼女の表情がまた綺麗に消える。


「分かりました。ドレスは譲ります」

「よかったわね、ホーリー」

「ええ、お母様」

「全くお前は家族を困らせて何が楽しいというのだ」

「お父様、きっとお姉さまももう反省しているわ。わたくしに対して八つ当たりしたことを」

「八つ当たり? ……ああ、婚約の事か! そんなだからお前は嫁の貰い手が見つからないのだ!」


 父親からの怒鳴り声も、母親の耳に痛いわめき声も彼女の耳は素通りする。

 何を言ったところで彼女の言葉は誰にも届かないのだから、聞く必要もないだろう、と。





 数日後、彼女はまた父の執務室に呼び出された。


「スノウリリー。お前は、これまで、跡継ぎ候補だった立場を利用し、カインに有ること無いこと吹き込んだそうだな」

「……領地経営について色々話はした覚えはありますが、それらはわたくしが家庭教師の先生方から」

「黙れ!」


 机を叩き言葉を遮る。

 彼女は口を閉ざす。

 そして、この様子から誰が父を唆したか理解した。

 父の中にある絶対の正義。

 それを否定することを父は嫌う。


 妹の言葉のみを信じる父親に、姉は紡ぐ言葉を持たない。


「これ以上お前を屋敷に置くことはカインの悪影響になると判断した」

「……修道院でしょうか?」


 それともどこか、金のある平民に売るように嫁がせるのか。


「いや、お前には王城に行って貰う」


 王城。この単語に違和感を持つ。

 地方に飛ばすならともかく。

 高位貴族達に媚びでも売ってこいと言うことなのだろうか、と、過った時、はっとした。


「第三王子の専属になれるよう話は通した」


 その言葉は彼女が思い浮かんだ言葉と同じだった。

 そして、彼女は父親の真意を理解する。


「我が家の名誉のため、精一杯勤めてこい」

「……かしこまりました」


 彼女が素直に頷くと、父親は満足そうに頷いた。

 それを見て、何かが崩れていくような感覚がして、彼女は自嘲する。

 まだ父親に対して情が残っていたのか、と。

 戻れ、と言われて彼女は退出する。

 閉ざした扉を背に、彼女はしばらく床を眺める。

 未だ、父を思う心が残っていた事が、彼女自身、不思議に思った。

 そして、こうやって待っていても、父から呼び止めるような声や、慌てたような足音は何一つない。

 ならば、父は、己が出した命令に対して、なんの後ろめたさも後悔もないのだろう。

 その事で彼女の心は決まった。

 ここでこうしているだけ時間の無駄だ。彼女は顔を上げた。

 王城へと向かう準備をしなくてはならない。


(必要最低限で良いわね)


 自室にて小さな旅行用鞄を取り出し、衣装棚へと向かう。

 小さな衣装棚に、小さな貴金属入れ。

 子爵令嬢にも関わらず彼女の持ち物はそれだけだ。

 そこにあるのは、少し野暮ったさの残るドレスと偽物の宝石を使った装飾品のみ。

 しかし彼女はそれすらも荷物には入れなかった。


(死にに行くんですもの、下着とかそういう最低限だけで良いわね)


 もはや彼女の表情には自嘲すら浮かばなかった。









 王城の一角。

 煌びやかな宮殿とは不釣り合いな獣のような唸り声と、何かが割れる音が聞こえてくる場所がある。

 その音を辿る先に、彼はいる。

 重いカーテンにより光を遮った室内。

 投げ捨てられた食事が無惨にも床を汚し、異臭を放ち始めている。

 異質な光景。その中に彼はいた。

 彼はカトラリーのナイフを握りしめ、己の肩に突き刺す。

 しかし、それは肉に突き刺さることなく、ナイフが力負けし、先が弾けて飛んでいく。


「くそう、くそう。畜生!」


 呪詛のように、そう口にしながら、もはやただの棒となったそれを己の左腕を突き刺そうとする。

 しかし、左腕は痛みを感じることはなく棒が曲がるだけだ。


「うああぁぁ!!」


 感情的な声が室内に響き、そして、それに呼応するかのように、左腕から衝撃波が生まれ、壁や床に亀裂のような傷を作っていく。


 黒い鱗に覆われた、王子の右腕の三倍はあるだろう太さのある左腕。

 鋭く尖った爪は丈夫な城の床や壁ですら、容易く切り裂く。

 見る者に恐怖を抱かせる異形の姿。


 これがドラゴンスレイヤーとして、名を馳せるはずだった英雄の末路。

 倒したドラゴンに呪われた第三王子の姿である。




 

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