§ 第20話 §



 謁見の日がやってきた。

 リカルディは大急ぎで作られたらしい衣服を身につけ、その上からフード付きのマントを羽織る。

 本来王城ではフードは許されないだろうが、離れから出るのだ。当然の処置だろう。

 執事長と共に出て行くリカルディをスノウリリーはメイドとして見送った。

 それから衣服を片付け、部屋の掃除をし、そして彼女もまた離れから出て、ある場所へ向かう。

 ここを出入りしているものは文官が多いのか、書類を持って歩く男性達が多い。

 その一室へとスノウリリーは訪れた。

 扉をノックし、名乗る。

 入れ。と命令に近い許可が下りて、スノウリリーは中に入る。

 それは重職に就く者の執務室だった。

 執務用の机の上に書類を重ね、処理を行っている男がちらりとスノウリリーを見て、そのまま視線を書類に戻す。


「もうしばらくかかる、そこで待ちたまえ」


 その言葉に部屋付きのメイドが応接用のソファーへと案内する。

 お茶まで出された事にスノウリリーは内心、訝しむ。


「これにサインを」


 男は書類を差し出す。

 メイドがそれを受取りスノウリリーへと差し出した。

 その書類は「雇用期間満了」という文字が記載されていた。


「……どういう事でしょうか?」

「君の雇用期間はリカルディ殿下が呪われている間だ。本日、聖女によって殿下の呪いが解かれる。そうなれば、今までの者達が殿下付きに戻る」


 淡々とした説明。一方的に職が奪われるに等しいにもかかわらず、何の配慮も感じない。


「なるほど、そういう理由ですか、理解しました」


 実際にそういう契約なのだ。ここはこねるところではないとスノウリリーはあっさりと頷く。

 内心二人のやりとりに驚いたのは、部屋付きのメイドの方だ。

 自分なら冷静ではいられない、と。


「……危険手当を含み、当初の金額よりも多い気がするのですが」

「呪われた山まで付き従ったのだろう? それらも含まれている」


 彼は立ち上がり、もう一枚の書類を持ってやってくる。


「サインはしたか?」

「はい」


 特に怪しい事もなかったので、スノウリリーは署名欄に己の名前を記載した。


「では、これを。君の父上から預かっていたものだ」


 スノウリリーはその書類を受け取り、一瞬息を呑み、そして、自嘲した。

 婚姻届と書かれたその書類には、自分の名前と相手の名前がある。

 そしてその婚姻を許可したという陛下の印章もあった。


「……随分と急ですね……」

「妹君の結婚が控えている。その前に姉の君を早く嫁がせたかったのだろう」

「結婚が決まったのですか……」


 そちらも随分と展開が早い。しばらく前までそのような話は、自分も含め、聞いていなかったのに。

 スノウリリーがぼんやりと婚姻届を見つめていると、男は片手を上げた。

 メイドが扉を明けると騎士達が入ってくる。


「こちらの都合を押しつけるだけで悪いが。君には今すぐ旅立って貰う」


 拒否すれば無理矢理にでも、という事なのだろう。だが、これでは。


「わたくし、まるで罪人のようですわね?」


 嫌味を言ったところで目の前の男はこれっぽっちも罪悪感など抱かないだろう。

 抱くような人間ならば、こちらへの説明の時にそれなりに態度に出るはずだ。

 実際男は罪悪感を抱くどころは笑みを返す。


「罪人のようではない。君は見方を変えれば罪人だ。リカルディ殿下を誑かした悪女だ」


 男の言いようにスノウリリーは苦笑した。

 理解したのだ。

 突然退職する事になったことも、突然決まった結婚も。

 リカルディの呪いが今日解かれるらしい。そして呪いが解けて人の姿に戻ったリカルディには、すでに次の縁談が決まっているのだろう。

 連れて行けという男の命令に従って騎士達が動くのを見つつ、彼女は立ち上がる。。


「触らないでくださいませ。自分で歩きますから」


 最初から抵抗する気など無い。抵抗などするだけ無駄なのだから。

 それでも騎士に囲まれてスノウリリーは移動する事となった。


「荷物は」

「他の者が持ってくる手はずになっている」


 随分と至れり尽くせりで。とスノウリリーは内心揶揄する。

 大方、追い出すまで、万が一にでも、リカルディの耳目に入る事がないように、という処置なのだろう。

 離れでの生活を、二人の関係を知っている者はまだそう多くないはずなのだから。


「あの馬車だ。乗れ」

 

 人目を忍ぶ場所に止められた馬車。

 抵抗するのも無駄だろうと、スノウリリーは大人しく馬車に乗ると、先ほど効いたように彼女の荷物が床に置かれた。

 同僚達の手によってだろう。入城した時と同じカバン、彼女の私物であるそれに、荷物は纏められたようだ。

 そして扉が閉められ、馬車が動きだす。

 窓はあるが、カーテンが閉められた上から板で張り付けられている。

 板を直接張れば、外から見た時、違和感をもつかもしれないが、これなら馬車の中にいるものの意志で外を見ていないだけと思われるだろう。

 薄暗く、微かに布を通して光が、馬車内に入ってくる程度。

 背もたれに体を預け、スノウリリーはぼうと宙を眺める。


 結局こうなった。


 こうなるだろうと分かって居た。

 ああ、やっぱりとすらスノウリリーは思っていた。


「辺境伯と婚姻ね……」


 持ったままの婚姻届の書類を折りたたみ、四つ折りしたところで気分を変えて丸めるように潰す。

 そしてぽいっと捨てた。

 馬車の中、それは揺れにあわせてコロコロと回っていく。


「……短い人生だったけど、一生懸命生きたわ……」


 後悔なんて無い。


 そう口にしようとして、スノウリリーは出来なかった。

 言葉の代わりに、涙が溢れて、こぼれ落ちてくる。

 王子との和子が出来ているかも知れない自分を、本当に、辺境伯に嫁がせるだろうか。

 そんなわけがない。

 和子が居ても構わないのであれば、もっと違った動きをしただろう。

 本当に嫁がせるのであれば、子供が出来ていないと確認が取れた後だろう。

 嫁ぎ先に辿り着くまでに、数日かかる。

 その間のどこかで、殺される。

 このような動き方をしているのだ。

 金目当ての賊か、餌を求めた魔物か。けして暗殺などではなく、たまたま起きた不幸な出来事によって、幸せになるはずだった花嫁は死ぬのだ。

 どちらにしろ実際には運任せどころか、賊に偽装した騎士か、魔物を引き寄せるように工夫などの確実な方法を使うだろう。


「……わたくし、よっぽど神様に嫌われているのね……」


 死にたいとは思わない。

 でも、もう生きたいとも思わない。

 ただ。リカルディくらいは自分の死に、涙を流して欲しい。

 純粋に悲しんで欲しい。

 きっと他の人達は流さないだろうから。

 それだけでいい。たった一粒だけでも良いから。

 そんな事を真剣に願わなくてはならない自分に、笑みが浮かんでしまう。


 ……きっと、こういうのを寂しい人生っていうのね……。


 スノウリリーの最期の言葉は、誰に届くことなく消えていった。





 数日後。

 ある村人が、街道からそれた場所に馬車が横倒しになっている事に気付いた。

 慌てて村人が馬車に駆け寄る。

 馬車が無人なのかどうか確認しなければ大変なことになる、と。


「おい、誰か居るか!?」


 声をかけながら近づいたが、やがてその足も止まる。

 何かが傷んだ酷い臭いがした。

 結果は分かっていたが、それでも村人は発見した者の役目だろうと、馬車に近づいていく。


 そして中を確認した村人は、静かに短い祈りを捧げた。





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