§ 第9話 § 


 あれから、二人の関係は変わる様子もなく、相も変わらず、スノウリリーはダリーだけを愛で、リカルディに対しては、侍女として、線を引き踏み越えることはなかった。

 リカルディもまた、『殺してくれ』と言われて、戸惑いと共に、距離を取ってしまった。

 彼女の言葉は、とても重かった。

 リカルディにとって、彼女への想いは遊びなどではない。

 だが、今のままでは彼女と添い遂げることは出来ない。

 まず彼女の身分を上げるなりなんなりしなくてはならないだろう。

 それは彼女の養子先に借りを作る事になる。その事に少しでも嫌悪を抱くのなら、行うべきではないとリカルディは考える。

 借りを作ってでも、と思う自分もいる。そして同時に、借りなど作りたくないという自分も確かにいるのだ。

 どうする事もできないまま、リカルディは、ダリーからとして、好意を示す。

 そして、それを建前だと知っているにもかかわらず、言葉通りに受け取るスノウリリー。

 悔しくて悲しくて、段々己は何をしているのだろうと、リカルディは疲れ始めた。

 受け取って貰えない想いなら忘れた方が良いのではないか。

 そう思う事も増えた。


 そんなある日、リカルディに陛下からの使いが来た。

 呼ばれた先は私室ではなく、謁見の間。

 使いが持ってきた衣服もスノウリリーがあり合わせで作った物ではなく、本職の者達が作った物だという事が分かる、応じにふさわしい衣装だった。

 どうせ、隠すのだから今まで通りスノウリリーが作った物で良いでは無いか。そうリカルディは思ったが、一国の王子としては来客の前ではそういう訳にはいかないことも分かって居る。

 手早く身支度を調える。


「いってらっしゃいませ」


 スノウリリーから見送る言葉が掛けられる。

 私に対してか、それともダリーに対してか。

 そんなどうでも良い事に悩む自分に辟易とする。


「…………」


 彼は結局何も応えず、部屋を後にした。







 謁見の間にはすでに王と客がいた。


「遅くなりました陛下」

「良い。突然呼び出したのはこちらだ」


 リカルディは通常の立ち位置に向かうところで客がどのような者達か気付いて、ひっそりと息を吐いた。

 神光霊教会。

 光の精霊を崇める教会で、本来は解呪などが得意な教会だ。

 リカルディの左腕にある呪いを消す事は出来なかったが。


「そういう顔をするな、我が息子よ」


 少しばかり揶揄うような声が掛けられて、自分が感情を隠すことなく表に出していた事に気付き、表情を改める。


「こやつらも其方の呪いが解けなかった事が悔しかったようでな、其方の呪いを解くために奔走したらしい」


 父親の言葉にリカルディはもう一度来客を見回し、教会以外の者達に気付いた。

 親子連れと思われるその男女三人。

 そして、父親と母親の顔を見て、そこに立っている少女が誰か直ぐに分かった。

 確かに昔、挨拶を受けたことがある。その面影を残し、麗しく成長していた。


「……君はスノウリリーの妹か?」


 リカルディから出てきた言葉に、彼女は少し驚いた顔を見せたが、ふんわりとした笑顔を見せた。


「はい。妹のホーリーと申します」


 姉とは違う、愛らしい笑み。それを見たリカルディは、思う。


 ああ、姉とは全然違う。なんて可愛らしいのだろう。


 先程まで好意を寄せていた相手に嫌悪を向けるような感想。

 そんな感想を持ったまま、じっとホーリーを見つめる。

 無意識のまま拳を握りしめたのか、最近は綺麗に丸く整えられた左手の爪が、皮膚に刺さり、リカルディは少し顔をしかめた。

 痛みに視線を外す。手を盗み見ることは出来ないので、撫でてみるが、血は出ていないようだ。


「彼女はとても強力な光魔法の使い手らしい。教会に所属していれば、聖女にも成れただろうが、両親が絶対に嫌だ、と、手放さなかったらしい」

「それも当然でしょうね」


 するりと出た言葉に、リカルディ自身が戸惑う。

 何を言っているのだ、と。


「ああ。これほどまでに愛らしい娘だ。その気持ちはよく分かる」


 父の言葉に、リカルディは曖昧な笑みを浮かべる。

 訳の分からない不快感が増していく。


「リカルディ王子」


 ホーリーに呼ばれて顔を向ける。

 愛らしい微笑みが向けられる。


「大神官様達が解呪出来なかった呪いを、わたくしに解呪出来るか、正直な所、自信はありません。ですが、わたくしに出来る限りの事は行いたいと思います」


 祈るように手を重ね、見つめてくる瞳。

 ありがたいと思うべき言葉に、何故か嫌悪が過る。


「リカルディ王子。呪われた腕を見せてください」


 呪われた腕。

 その言葉は間違っていない。だが、その腕に惜しみない愛情をそそぐ人物を知っているだけに、気に障る。


「リカルディ。其方が見せたがらない事は知っている。だが、それでは令嬢も何も出来まい」


 動かないリカルディに陛下が行動を促す。


「……分かっています」


 どんな反応をされても良いように、心構えをし、リカルディはホーリーの元に歩み寄る。そして、マントに隠した己の腕を出す。

 衣服に身を包んでいるため、竜の手は手首から先しか表に出ていない。

 ホーリーはその左手を見て、口元に手を当てて、息を呑んだ。

 なんて酷いとも、なんて醜いとでも言い出しそうな顔を浮かべ、痛ましそうにリカルディの腕から顔をそらせる。

 そして一度深呼吸をして、手を突き出し、ホーリーは呪文の詠唱が入る。

 触れる事はしないのだと気付くと、何故、わざわざ見せろと言ったのか。

 リカルディは不満と共に左腕を降ろしたくなった。

 その腕が降りる前にホーリーの呪文は完成し、光り輝くリボン、いや、包帯だろうか、それらが左手に巻き付いていき、そして、切り刻まれる様に千切れて消えていく。

 過去に何度か見た事のある解呪失敗の光景だった。

 

 ああ、やはり。

 

 リカルディはそう思うだけだった。落胆はしなかった。初めから期待していなかったからだ。

 だが、解呪を試みた本人は違ったらしい。

 驚いた様に目を見開き、そして、崩れ落ちるように座り込むとその顔を両手で押さえた。

 

「そんな……。なんて……なんてことを……」

「……令嬢」


 分かっていた事だ。気にする必要は無い。

 そう続くはずだったリカルディの言葉を、ホーリーの泣き叫ぶような声が押しとどめた。


「お姉様はなんて恐ろしい事を!!」


 何故そこで、姉の名前が出てくるのか。

 リカルディが眉を寄せ、眉間に皺を作るのと、美しい涙を零したホーリーが顔を上げるのは同時だった。

 息をするのを忘れる。それぐらいの美しさに目が奪われた。


「……なかないで、くれ……」


 解呪を失敗したせいか、ズキズキと痛み出した左腕。

 その痛みを感じながら声をかける。

 痛む左腕を右腕で押さえながら、一歩下がる。さらにもう一歩下がると痛みが消えた。

 ホーリーは頭を横に振る。そして、涙を拭い、リカルディを見あげた。


「わたくしが解呪に失敗したのは、お姉様のせいです」

「何?」

「お姉様の魔法が、その呪いの左腕を守っているのです」


 ホーリーが真剣な眼差しで、そう告げた。

 

 馬鹿な、あり得ない。


 と、咄嗟に反論しようとして、リカルディは出来なかった。

 脳裏に「ダリー」を可愛がるスノウリリーが過ったからだ。

 

「……ごほん、いや、いくらなんでもそれはないだろう」


 一度、逸らしかけた視線を戻し、そうホーリーに伝える。

 スノウリリーが行う事は、愛情たっぷりの手入れだけだ。魔法的な何かを受けた事はない。思い返せば名付けられた事がそれになるだろうか、と言える程度だ。

 だが、ホーリーは首を横に振る。


「いいえ、あの魔力はお姉様の魔力です。お姉様の魔力のせいで、わたくしの魔法が弾かれました」

「なんと!」

「まぁ! なんてこと!」


 ホーリーの言葉を聞いて、途端に怒りを露わにする彼女の両親。

 姉も、二人の娘のはずだが、まるで仇のように憎悪を顔に出す。


「……待ちなさい。何故、其方の姉がわざわざあの腕を守るのだ?」


 二人の様子に呆れながらも陛下が質問をする。


「お姉様はきっとそのつもりはないのでしょう。ですが、お姉様は幼い頃から、自分の物にしたい物に対し、隷属の魔法をかけるのです」


 ホーリーの言葉にドクンッとリカルディの心臓が大きく打つ。


「隷属の魔法だと!?」


 ホーリーから出た言葉に陛下が驚き、そして怒りの声を上げる。


「我が息子にそのような魔法をかけたというのか!?」

「陛下。お姉様にはその魔法を使った意識はないのです。無意識に使ってしまうのです」


 ホーリーは手を組み、必死に、助命を嘆願するように言葉を重ねているように見える。

 いや、実際にそれが本当ならば、スノウリリーの命は危ないのだろう。


「父上、違います」


 リカルディはこのままでは不味いと口を挟む。


「彼女の魔法は隷属魔法などではありません。……封印でしょう」

「封印だと?」

「はい。お忘れですか? 彼女が来る前の私は一日に何度も魔力暴走を起こしておりました。危険過ぎて人前に出せるような状況ではありませんでした」

「……確かに。…………あの頃の其方は、確かに……」


 少し落ち着いたように陛下は座り直し、顎に手を添えて考え込む。

 リカルディは、視線を父親からホーリーへと少しだけ移し、体を硬直させた。

 姉の助命嘆願を行っていたであろうホーリーの表情に、安堵はない。

 冷笑とも取れる表情を浮かべていて、リカルディは腑に落ちた。

 姉の助命を願っていたのではなく、嘆願に見せかけた誘導だったのだ、と。


「リカルディ王子」


 ホーリーに呼びかけられて、視線だけでなく、顔を向ける。

 

「ありがとうございます」


 美しい笑みで告げられた感謝の言葉。

 その笑顔に、言葉に心臓が高鳴り、そして、吐き気を伴う不快感を覚える。

 この場から今すぐ立ち去りたい。

 そう思う自分と同時に。

 この場にもっと留まりたい。

 そう思う自分もいた。

 もっと、彼女を。

 もっともっと知りたいと。


 押し寄せる感情の波に、ぐらぐらと足元が揺れているような気がした。

 しっかりしろ。とリカルディが握り込む手は左手で。

 己は今、この呪われた左腕のおかげで、まともでいられるのではないか、と自嘲した笑みが浮かんだ。

 


 


 

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