§ 第5話 §


 眩しい……。

 リカルディは、瞼を通して感じる光に、そう思って目を開けた。

 ぼんやりと眺めていると、天井に映る光の筋が一つ、二つと増え、室内全体が明るくなっていく。

 カーテンを開けているのだろう。

 こうやって目覚めるのは何時ぶりだろうか。

 寝台の上で声をかけてくるのを待ちながら思いを巡らせる。考える必要もないぐらいはっきりとしているが。


「おはようございます、殿下」

「ああ……」

「顔はご自分で洗いますか? わたくしがお拭きしますか?」

「……自分で拭く」


 左側に立っているスノウリリーに対し、リカルディは右手を差し出す。

 その手に水気を絞ったタオルが乗せられると、彼は片手で顔を拭き始める。

 着替えも用意されていた。

 

「……直したのか」

「本来殿下が着る物としてはありえないレベルではありますが、時間がなかったので、お許しいただければ、と」


 確かに、とリカルディは苦笑する。

 左の袖を斬り落とし、円柱のような布を縫い合わせただけに見える。

 それでも黒い鱗が見えない分、彼の心情は全然違う。


「殿下、こちらを」


 朝食が終わると、スノウリリーはその左肩にマントをかけた。

 もともとあった左肩にかけるマントだ。しかし、肘を少し覆う程度の長さしか無かったが、布をたして完全に左腕が隠れる長さになっている。


「これは……」

「申し訳ございません。今朝、執事長にご報告しましたので、数日中には、専用のマントが出来上がると思われます」


 スノウリリーの言葉を聞きながらリカルディは、鏡に映る己の姿を見つめる。

 そこに映る姿は、ドラゴンに呪われる前のリカルディの姿だ。

 感慨を抱いたのか、彼は鏡に映る己を見つめ続ける。


「殿下。出来ました」

「っ」


 スノウリリーの言葉にリカルディは過去から現実に戻るように、着替えの途中だった事を思い出す。

 改めて鏡を見る。そこに異形を示すものは見当たらない。


「ああ……。ありがとう」


 礼を述べる。

 その顔にあるのは笑顔ではなく、苦笑だった。

 たったこれだけ。

 たったこれだけで、リカルディの気持ちは全然違う。

 だが、そのたったこれだけの事が、出来なかった。

 今までの者達は、それだけ、この左腕と向き合おうとはしなかった。

 マントに隠れている左腕を動かす。

 どの程度風が吹けば、どの程度動かしたら、腕が露出するか確認するために動かしたのだが。

 左腕の動きに合わせて、マントが動く。

 不思議に思って左手を見ると、腕と手の平にベルトがしてあった。

 調整は安全ピンで行っていて、継ぎ足した部分を上手く使っているので外からは見えないだろうが、急ごしらえ感が拭えない。

 だが、リカルディは自分の左腕をマントに固定するベルトよりも別の物が目に入った。


「……スノウリリー嬢」

「どうぞ、呼び捨てで」


 何故、今更? と思いながらも表情には出さずに、スノウリリーは答える。


「これは?」


 リカルディが己の左手首を示す。

 ごつい左手首には、刺繍リボンが蝶々結びされていた。


「首輪です」

「はっ!?」

「飼い主を持つ動物は所有者がいる印を付けるものでしょう? ダリーの場合は鳥達のように手首に付けるのが最適だと思いまして、このような形にしました」


 スノウリリーの言葉が、リカルディには理解不能だった。

 いや、理解したくなかった。


「ダリー?」

「はい。左腕なので、ダリーと名付けました」

「名付け…………。したのか……?」

「もちろんです。名前を付けるのは愛情を示す一つの手段だと思ってますので」

「……左腕に?」

「はい」


 何をいまさら。とでも言いたいのか、スノウリリーの表情は一切変わらない。

 いや、むしろ、その表情が変わらない事に、リカルディには、からかっているのでは? と一縷の望みが浮かんだ。

 いや、からかったのではないな。彼女はきっと、場を和まそうとしたのだ。だから、ここで怒ってはいけない。

 きっとそうだな。とリボンを解く。


「締め付けないように気をつけたつもりですが、きつかったですか?」


 リカルディの動きにスノウリリーが問いかけながら、リボンを受けとり、もう一度手首に結んでいく。


「……」


 これは、もしや本気なのでは?


「……なぜ、これなんだ?」

「わたくしが持っている物で、一番かわいいリボンがこれなのです」

「……首輪なら、ヒモとか布でも良かったのではないか?」

「可愛くないので却下です」

「却下……」

「はい。却下です」


 私の左腕なのに?

 そうリカルディは言いたい。言いたいが、言えなかった。

 昨日のやりとりをリカルディはきちんと覚えている。

 言えば、きっとそれを繰り返されるに違いない。


「昨日からこの左腕はわたくしのものです。あくまで今は殿下に貸し出しているだけです」


 分かっていたのに、無意識に口に出ていたリカルディに、スノウリリーがきっぱりと返した。

 流石に昨日の夜の話だ。リカルディもそのやりとりは覚えていた。

 こんな左腕で良ければくれてやると言った。

 言ったが、あれは……。とは思うが、今は目の前の事に集中すべきだろう。

 言い訳をひねり出せ! と、思考を巡らせる。


「…………だ、ダリーは雄だから、かわいいよりも、カッコイイ方が良いのではないか、と私は思うのだが」


 必死に考えて、提案をする。


「なるほど、それは盲点でした。そうですね、ダリーは男の子の可能性がありますね……」


 その提案は受け入れられたようで、スノウリリーはリボンを解き、包帯を巻くように手首に巻くと、安全ピンで手の甲側で留める。


「では、明日までに男の子向けの何かを用意します」


 スノウリリーはそう言って、ダリーと名付けた、リカルディの左手を撫でた。


「今日はこれで我慢してね」


 幼い子供に話しかけるように、表情も声も柔らかい。

 そして、彼女はすっと離れ、己の仕事へと戻っていく。

 スノウリリーが居なくなって、リカルディは己の左腕を見る。

 今まで、左腕を見る度に負の感情しか浮かばなかった。

 怒りや後悔、憎しみ、悲しみ。言葉にならない感情が渦巻いたものだが、今はただ一つ。


「ダリー……って」


 当惑した声が室内に落ちて、風に消えていった。




 


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