§ 第23話 § 

 不規則な揺れが突然とまり、スノウリリーは手元にあった小さな灯りを消した。

 馬車の中は一寸先も見えない程の闇に包まれたが、すぐに扉が外から開けられた。


「出ろ」


 呼びかけ一つで、スノウリリーは自分が本当に罪人として扱われている事がわかり、苦笑する。馬車の隣に、もう一つ馬車が用意されていた。

 こちらは普通の貴婦人が利用する馬車に見える。


「乗れ」


 スノウリリーは歩きながら紋章があるか扉のところを見てみるがそれらしき物は見付からない。もっとも暗くて分からないだけかもしれないが。

 カバンを持って馬車に乗る。

 扉が閉まると馬車はすぐに走り出した。

 今度は普通の馬車だ。

 馬車の窓からそっと遠ざかる景色を見る。スノウリリーを護送してきた者達に動きはない。

 彼らが見えなくなりしばらくたっても襲撃のようなものはない。何をしたいのか分からずスノウリリーは戸惑う。

 まさか本当に辺境伯の所に届けるというのか。淡い期待とも違う疑問が浮かんだ。

 あり得ないと思う自分と、もしかしたら、と思う自分。

 答えが出ないまま闇夜を走る馬車に揺られ、そして、突如その時は来た。

 大きく馬車が揺れ、体が傾いていく。

 衝撃と共に頭を強く打ち、スノウリリーはめまいを起こす。

 何が?

 視界も聴覚もぼんやりしている。

 外から馭者が何か言っているのは分かるが、何を言っているのかは分からない。

 気を失っては駄目……。

 そう思ってもスノウリリーにはもうどうしようもなかった。

 降りてくる瞼。

 きっともう一度開く事は無いだろうと思った。




 馭者はランプで中を照らし、スノウリリーが気絶しているのを確認し、横倒しになった馬車の上から降りる。

 ランプはそのまま馬車にひっかけた。


「じゃあ、あっしは近くの村に助けを求めにいくんで戻ってくるまで、無事でいてくださいね」


 まず無理だろうが。

 馭者は笑う。

 この辺りは狼が出るという。

 暗闇の中、灯りがあれば目立つ。灯りというのは想像しているよりも遠くまで見える。

 その中、ケガをした馬が倒れているとすれば、どうなるか。

 走る事なく、足音を消して、自分が狼たちの気を惹かないように馭者は立ち去っていった。

 それから、しばらくして、遠巻きに狼たちが近づいてくる。

 馬も気付いているのだろう、立ち上がって逃げようとするがそれもままならない。

 狼たちの包囲網も縮まり、そして、狼たちの食事が始まる。

 その様子を馭者は遠くから確認していた。

 そして、顎をかく。


「面倒な事になったなぁ……」


 目の前に動けない馬がいたからか、狼たちは馬車の方へは一切向かわない。

 これでは、助けを求めている間に不幸があった。という言い訳は通じない。

 書類上貴族の花嫁を連れているのだ。

 最終的にはもみ消されるにしても面倒は少ない方が良い。

 だからここで人間の法など通じない野生動物に襲われてくれた方が楽なのだが、馭者の願いは叶わず、狼は持てるだけの肉を持って立ち去ってしまった。

 次の群れも似た様なものだ。まさか、馬車からは微かにドラゴンの残り香がするため、これ以上近づきたくないと動物たちが思っているとは馭者は思いもしない。

 それからしばらくたっても次の動物達はこない。

 馭者は隠れていた場所から出てきて、動物よけの香をランプに入れる。

 馬車に登り、扉を開ける。


「あっ。そうか。扉を閉めちまったから、獣たちが気付かなかったのか? それとも動物も面倒な事を避けたのか」


 中に入り、スノウリリーの転がっているカバンを取り、馬車の外に出す。

 そして、短剣を取り出して、停止した。


「あー。逆か? 賊に襲われた。穢される前に命を絶ったってなると、荷物にも嬢ちゃんの血がついてないと駄目なのか?」


 少しでも後の面倒事を減らそうと考えていた彼だったが、そうやって考えるのも面倒だ、と思い至る。


「最後に金以外の荷物をつっこめば良いだろ。綺麗なまま、逝かせてやるんだ。感謝しろよ」

「なんだ。助けるつもりかと思ったら違うのか」


 そこにもう一人別の声が降ってくる。


「誰だ!?」

「誰でも良いだろ? 別に」


 馬車の上。扉から自分へと伸びてくる腕に馭者は持っていた短剣を振り下ろす。

 服の下に籠手でもはめているのか、硬い音がして、刃は傷一つつける事はできなかった。

 そして、無造作に持ち上げられて馬車の外まで引き上げられた。


「服から見て、お前、この馬車を運転してたやつだよな? なんで、彼女を殺そうとしてるんだ?」

「……怪物が、そんな……、こと、気にする、の、か?」


 首が絞まっているのか、馭者は言葉を搾り出す。


「……確かに興味はないな」


 そう言ってぽいっと馭者を外へと放り出す。逃げ出せないように処理を行った後に。

 氷が馭者と地面とを繋ぐ。

 馭者は叫び声を上げるが彼は気にせず中へと入っていった。

 灯りの魔法を点し、生死を確認し、気絶しているだけとわかり、ほっと息を吐く。

 彼女を抱き上げて外に出る。

 ふよふよと浮く姿は明らかに人外の姿だ。

 何故こんな化け物が助けに来るんだ、と馭者は思うと共に己の最期が近い事をひしひしと感じていた。

 現れた彼はそっとスノウリリーを安全なところにもたれさせると馭者を持ち上げ、また馬車の上へと戻る。


「大方、事故に見せかけて彼女を始末する予定だったんだろ?」


 質問に馭者は答えない。

 男は馭者の答えを必要としていない。彼女を助けようとするのではなく、殺そうとしたのだから。

 どのような計画だったか聞いておこうかと思った、というだけだ。


「死体はないよりも、有った方がいいよな?」

「そんな事はありやせんぜ、って言ったら、見逃してくれるんすか?」

「お前はどう思う?」

「は、はは……そうっすね。ゲスな事をしなかった。そこは考慮して欲しいところ、すかね?」


 脂汗をかきながら馭者は言う。

 どう考えても、生き残るのは無理だろう。

 自分が彼女を殺そうとした時点で。


「なるほど、確かに」


 馭者の言うゲスな事が何か分かって居るのだろう。

 貴族の令嬢はそれを守る為に何かあれば自害しろと教育を受けているとも聞いている。

 彼はパッと手を離した。

 開いた扉から馭者が馬車の中に落ちていく。

 ほんの一瞬で馬車に降り立つはずなのに、その感覚はなく、どこか奈落の底に延々と落ちていくような感覚が馭者はした。

 気付けば、あれほどあった足の痛みもない。

 少し寒い。

 そう思う感覚のまま、馭者は冷めることのない眠りについた。

 それを見届けて彼は馬車から荷物を持って降りると、スノウリリーを抱え直す。

 黒い翼を広げ、夜空へと旅立っていった。



 その日、王城で開かれるはずだった婚約パーティーは。

 ただの夜会として行われた。

 ドラゴンを倒した英雄が、病に倒れたと噂がひっそりと流れ始めたのはそれからしばらくしてからだった。





****



 パタパタバタバタ。

 複数の足音が近づいてくる。その音に彼女は目を開けた。

 気だるそうに体を起こしたところで、扉が乱暴に開く。


「かーさん、きぶんどう?」

「かーちゃ! げんき?」


 二人の子供が勢いを落とすことなくベッドへど駆け寄ってくる。


「ええ、もう、大丈夫よ。でもいつも言っているでしょう? 扉はもっとゆっくり開けなさいって。壊れてしまうわよ」

「ダイジョーブ」

「だいじょーぶ」

「……お父さんの真似は辞めなさい」


 元気いっぱいに答えた子供達に彼女はため息を一つ。


「とーさんがね、こーんなおおきいさかな! とってきたよ!」

「おひる!」


 両腕を左右に精一杯広げながら年長の子がいう。


「セモおばちゃんが、かーさんのかわりに、おひるつくるって」

「あら……、またご迷惑を……」


 その魚の半分はセモと呼ばれた女性の家にお裾分けだろうが、迷惑をかけている事には違いない。


「かーちゃ、はやくよくなって」

「……そうね」


 下の子の言葉に彼女は困った様に笑った。


「かーさんの、デキアイビョー? なかなか、なおんないね。カゼみたいに、すぐなおればいいのに」

「……そうね……」


 子供達の言葉になんて応えるべきか分からず、ただそう返すのみだ。

 溺愛病。

 気付けばそんな病名の病に彼女は冒されていることになっていた。

 否定したくても否定出来ない。

 この場合の病魔である夫の愛は、小さい村とは言え、村中が知っていて、実際その病に冒されていて、午前中のほとんどを彼女は起きる事が出来ない。

 彼女と朝から予定を組みたければまず夫に知らせろと村では言われているくらいだ。


「リース~。起きてる? 起きられそう? セモさんが、昼飯作るっていってるんだけど」


 そして、全ての元凶がのほほーんと歩いてきて、彼女に声をかける。

 ひょこっと扉から覗いてきた顔は、当然彼、リカルディだが……。


「ええ、もう大丈夫。だから、カルダ、二人を先に連れて行って。着替えるわ」


 リカルディはなく、彼もまた違う名で呼ばれた。


「りょーかい。さー、我が愛しの子供達よ。父さんがだっこしてやろう!」

「かたぐるまがいい!

「ぼくも! ぼくも!」

「肩車は二人同時には無理だな~。……いや、片方ずつなら」

「危ないから辞めて」


 左右の肩に一人ずつのせればいいのではないか、と考え始めた夫を彼女は止める。

 小さな嵐のような三人を見送って、彼女は寝台から出て、体を少し魔法で清めてから着替えを始める。

 あの日、スノウリリーは北に向かう途中で死亡した。

 そのスノウリリーとよく似た女性のリースが夫となるカルダとこの海辺の村にやってきたのはその二日後。

 愛の女神が守護するこの国は、訳ありそうな夫婦でも愛し合っているのならば歓迎される。

 駆け落ちしたと見られる二人に、気持ちが落ち着くまでこの村でのんびりしていけば良いと村人達は暖かく迎えた。

 アテがある旅でもない。

 のんびりと心と体を落ち着けて、それからどこに向かうか決めれば良いと倉庫の一つを貸してくれた。

 そこで二人は今後の事を話し合い、そして、あらかたの方針が決まったところでリースの妊娠が発覚。決まったはずの方針を全て捨てて、この村に住むことを決めた。

 住む事が決まれば倉庫で寝泊まりなんてさせられない、と。

 カルダを含む村の男衆で、新居が建てられた。

 それから、妻にべったりで、却って妊婦に疲れが溜まる! と、村の女衆の判断で、カルダの職の適性を調べてこいと追い出されもした。

 剣も魔法も使えるカルダはどんな仕事でも問題なかった。

 定職よりも、人手が足りない所にかり出される事が多くなった。

 それ以外は魔物を狩りにいったり、素潜りで漁をしていたりした。

 興味のある者に、剣や槍などの戦い方を教えることもあった。

 そうして村に一員としてすぐに認められるようになった。

 そして、リースは、というと。


「あれは愛の重い男だねぇ」

「あんたも大変だねぇ」


 カルダの事が村で知られれば知られるほど、村の女性達から同情を貰った。

 もちろん本人も本人で、自分で認められるようにと頑張ったが、それ以上に同情の方が買われ、多分悪い事ではないだろう。と、本人も諦めた。

 交流自体はしているのだから、嫌われずに村人として認めて貰えれば御の字だろう、と。

 実際に呆れるくらい愛は重いのだし。




「おはようさん、リース」

「おはよう、セモ。いつも悪いわね」

「いいんだよ。うちだって、いや、村中、色々お世話になってるんだし」


 セモは言いながら大きな調理台の上にある魚を示した。

 カルダが大物を仕留める事が増えたために出来た、村の特別調理場だ。


「……大きいとは聞いていたけど、本当に大きいわね……」


 驚きが混じるのは、その魚が大人の身長ほどあるからだ。

 子供達が両手一杯広げても全然足りない大きさだった。


「街に卸したらそれなりの値になるんだけどね。美味しくて珍しいものは家族が優先ってのが、あんたの旦那だからね」

「美味しいんですか?」

「そりゃぁ、もう。魔法使いがいれば、王様のところにまで運ばれるような魚なんだよ」

「おはよー。リース」

「おはよう。リビン」


 別の主婦がやってきた。今日の魚は三世帯で食べる事になるのかもしれない。

 いや、大きさから考えればもっと呼ぶ事になるだろう。


「あらあら本当にオウサマじゃない」

「王様?」

「この魚、オウサマって呼ばれてるのよ」

「へぇ……」


 王へ献上されるからだろうか。とリースが考えて居ると、やってきたリビンがしれっととんでもない事を言った。


「リース達の子、今日うちにお泊まりさせることになったから。溺愛病悪化しちゃうけど、頑張ってね」

「…………」


 動きを止めて、リビンを見つめるリース。

 そんな反応になると分かって居たのだろう、リビンもお茶目に笑う。


「流石にオウサマが振る舞われるとなると、断れなくって」

「そうだよねぇー。わかるわぁ、その気持ち」

「……わたしの味方になってくれそうな方、居ます?」


 どうやらセモもリビンと同様、買収済みなのだろう。


「今回は無理じゃないかい?」

「数年に一度食べられたら良いってくらいのものだしね」

「……分かりました。諦めます」


 そして、明日はこの時期中々手に入らない物が食べたいと我が儘をいうことにしよう。

 そして少しでも遠出してくればいいのだ。

 自衛のためにそんな事を考えて居るとカルダが一人でこちらへと戻ってきた。


「リース! どうこの魚! でかくない!? 凄く美味しいらしいよ!!」


 後ろからリースに抱きついて上機嫌に話すカルダ。


「包丁持ってるのよ。危ないわ」

「平気平気」

「子供が真似をする、という意味よ」

「おっと、それは困る」


 大人しくリースから離れると二カ所から同時に手伝えと、鱗落としが差し出される。

 カルダはそれを受取り、鱗を落とし始める。

 色んな人たちに声をかけたのだろう。野菜などをもってやってくる人達も増えた。

 何の料理を作ろうか、という話があちらこちらで飛び交う。なんだかまるでお祭り騒ぎだ。と思ったが、珍しい食材なのだから実際にみんな心の中はお祭りなのかもしれない。

 ぼんやりとリースがそんな事を思っていると、カルダがそういえばさ、と話しかけてきた。


「どっかの国のドラゴンを倒した王子様、病死したらしいよ」


 その言葉に、リースは昔した夫とのやりとりを思い出す。

 生活も落ち着いてきた頃、これでいいのか、と尋ねた。

 彼は一言。もちろん。と答えた。

 あっさりと頷く彼を、彼女は信じなかった。


「黒竜を討伐に出るくらいなのだもの。貴方が国を大切にしている事は知っているつもりよ」

「……ああ、まぁ、そうだね。あの頃は誇りみたいなものがあったしね」


 彼は困った様に笑って、それからため息を一つついた。


「本音を言うとね。情が無くなったわけじゃない。でも、どうやら俺は呪われた時点で、母親だけでなく父親からも見限られたようなんだ。父親の方は表に出してないだけでね……。君ならわかるでしょ? 一方的な情は、足かせにも呪いにもなる」


 呪いを全て受け入れろ、という事も、王族として、婚姻を受け入れろという事も。

 もはや父親の中で自分は息子ではなく、使い勝手の良い駒なのだ。

 本人に自覚があるかは分からないが。

 そう言われれば彼女は何も言えなくなった。

 先に親を見限って己の幸せを探そうとしたのは自分なのだから、言う資格などないだろう、と。


「……そう、発表したの」


 それは、ついに国も諦めたということか。とリースが相づちを、カルダは楽しげに囁く。


「仕方ないよね? 恋の病は医者でも治せない不治の病っていうのに、それが溺愛じゃあね?」

 

 結果は推して知るべし。と言いたげな夫に妻は、静かに頷いた。


「そうね。病死する相手が違う気がするのだけど、女神様すら放置している病だもの……。治すのはとても難しいのでしょうね」


 そう認めると、カルダはとても嬉しそうに笑った。

 話の意味はよくわからないが、カルダの幸せそうな笑顔に、村の女衆はそっと心の中で、愛の女神へと祈りを捧げた。

 リース本人も、墓穴を掘ったことを理解する。

 それでも嫌とは思わないのだ。リースは自分も十分に不治の病に冒されている事を理解していた。

 ただ、それでも時折逃げ出したくなるのは、きっと仕方がないことだと思う。



 こうして家族に捨てられた一匹と一人と一人が家族になった。

 それをカルダは感慨深く思う。

 奇妙な縁だ、と。


 いまさら、家族のため、国のため、と好きでも相手と結婚する気はしない。

 彼にとって家族は今目の前にいる愛しい妻と、カワイイ二人の息子達なのだから。

 そろそろ娘が欲しい、と思う自分と、娘が出来ると嫁にやる心配も考えなくてはならないから嫌だって思う自分もいる。

 矛盾した考えだが、どちらも間違い無く自分の思いであり悩みだ。

 そんな事を悩むことが出来る自分は今、とっても幸せなのだ。

 ああ。愛していると叫びたい。

 叫んでも良いだろうか。

 抱き上げてぐるぐると回したい。

 きっと嫌がる。絶対嫌がる。

 でも、やりたい。

 こんなくだらなくも大事な事、と悩めるのだから、やはり今、とっても幸せなのだろう。


「リース! 愛してるって叫んで良い!?」

「既に叫んでます!!」



 



 神に感謝しよう。



 そんな祈りが一つ、今日もまた女神の元に届く。


 愛し子達に幸あれ。


 女神もまた、それを嬉しそうに受け取り、そっと祝福をするのだった。

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ドラゴンに呪われた王子に溺愛されました 夏木 @blue_b_natuki

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