§ 第19話 §
「おはようございます」
やわらかな日差しと共に、そう声をかけられて、リカルディは目を覚ました。
そこにはぴしっと、制服を着こなしたスノウリリーが立っていた。
「……おはよう。君はいつも真面目だね……」
城に戻ってきてはや一週間。寝坊しようがサボろうが叱る人間はいないにも関わらず、スノウリリーは仕事をこなす。
ちなみにその間にリカルディに会いに来たのはすぐ上の兄だけだ。
だが、前と違い、リカルディはそれを気にしていない。
自分を受け入れてくれる存在が目の前にいるからだ。
「仕事ですから」
スノウリリーはそう答えて、水の入った洗面器を乗せたトレーを鏡が置かれた台の上に置く。
「りり~……」
寝ぼけたような、というよりも、甘えたような声でリカルディはスノウリリーの後ろから抱きつく。
「そんなに真面目に頑張らなくてもいいんだよ」
「お給料を貰ってますから」
「俺の世話っていうのなら、ベッドの上でも」
「私に娼婦になれ、ということでしょうか?」
刃物の様に切れそうな声にリカルディの動きが止まる。
「すまない、失言だった」
謝ったが、まだ怒っている事は分かる。
「早く顔を洗ってください。朝食後は衣装の合わせがあるそうなので」
「は? 衣装合わせ? 何故?」
「三日後に陛下との謁見が予定されているそうです」
「初耳だが?」
「私も先程報告を受けました。陛下の予定を基に決めたのでは? 殿下は今、予定などありませんから、いつでも良いだろうと思われた可能性があります」
「まったくもってその通りだけど、言い方っていうものがあると思うんだ」
「ええ。まったくもって、その通りだと思いますわ、殿下」
「はいはい。真面目な君に娼婦の真似事をしろと言った俺が本当に悪かった」
「謝罪は受け入れます」
そっぽを向いていたスノウリリーは、振り返るとリカルディの頬を撫で、真剣な目でリカルディを見つめる。
「それとどこかの使節団が来ているそうです。当日はお気を付けて」
「……まぁ、父上も自国の恥をさらすような事はしないだろうから、気をつけると思うよ」
そう返せば、鱗のない、柔らかな部分の頬をスノウリリーは抓った。
「貴方の本音はどうであれ、建前は国のために呪いを一身にうけて、人々を救ったのです。恥だ、なんていわないでください」
「建前って! 確かにそうだけどっ」
スノウリリーの言いようにリカルディは笑い、小さく頷く。
確かに、父親にはその資格はないだろう。
用意された水で顔を洗い、手渡されたタオルで顔を拭く。
「そういえば、俺が寝てる間ダリーは現れた?」
「いえ、現れてません」
「……そうか。じゃあ、やっぱり同化し始めてるのかな……」
二重人格の様に別々だった意識は、日が進むにつれて、混じり合っていく。そんな気がリカルディはした。
自分の記憶とは別で、ダリーの記憶を知っていく。
それともダリーが自分を知っていっていくのか。
自分よりも長く生きたはずのダリーの記憶は、偏ったものが多い。
そのため、大事な思い出というものは少なく、リカルディにとって一年分の記憶がダリーにとって十年分というくらいの差があった。
そのためダリーの常識に引っ張られることはないが、リカルディがどうでも良いと思っていて、ダリーが拘っている部分は引っ張られそうになる。
「朝食は最近、殿下の食べる量が増えているので量を増やして貰いました」
「あー……ありがとう」
テーブルにセッティングされていく料理を見ていると、少しばかり高揚してくる。
今まではそんな事はなかった。
人間の料理!
と喜ぶダリーの幻聴が聞こえてきそうだ。
「……一人で食べてもつまらないし、スノウリリーも一緒に食べないか?」
リカルディの言葉にスノウリリーは頭を横に振る。
「私は私で、戻れば食堂で用意されているので」
「……そうか」
当然リカルディはそれを知っているだろう。
カテラリーを手にしたリカルディはつまらなさそうに見える。
一口食べたらその表情も見える事はここ数日で分かっている。
さらに言えば。
スプーンで料理を一掬いして。
「こちらはシェフのオススメとの事ですよ」
料理が乗ったスプーンを口元に近づければ、リカルディの顔が輝いて、ぱくりと食べてしまう。
行儀が悪いとかはしたないとかいう人物は今、ここにはいない。
「美味しいですか?」
それはダリーに向けられた言葉なのか、それともリカルディに向けられた言葉なのか、問われた本人達は分からない。
だが、この一掬いがリカルディにとってもダリーにとっても、嬉しいことには違いないので、笑顔で頷く。
ちなみに、別の皿を指差して「あれも、やって」は通用しない。
こういうのは自主的にやるからいいのですよ。と素っ気なく返されるだけだ。
ああ、でも、これ、本当に旨いな。
唇についたタレを舌で拭く。その様子を見たスノウリリーは、主がお気に召した事を理解したらしい。
皿を彼の手が届きやすい所に移動させる。
リカルディはそれをもう一口食べて、その味を確認し、満足すると、スプーンでもう一掬いした。
「リリー。はい」
座ったままではあったが、隣に控えるスノウリリーに向けてスプーンを差し出す。
「え?」
「美味しかったから。君も食べて」
他意はたぶん無かった。
純粋に彼女の料理には出ないであろう一品を食べて貰いたかっただけだ。
スノウリリーは目をパチパチとさせた後、戸惑いを見せた。
「零れるから早く」
「……ですが」
「命令」
この程度の命令は許されるだろうと、リカルディは短く告げる。
スノウリリーは困った様な顔をしたが、少し目を泳がせた後、腰を曲げ、スプーンに顔を近づける。
幼い弟が居たため、人にするのはなんとも思わなかったのだろう。
だが、実際に自分がされるとなると、照れるのか、その頬は間違いなく赤くなっていて、その変化に予想していなかったリカルディも驚く。
恐る恐る近づいた後は、恥ずかしいのを紛らわすように最後は勢いをつけて、その差し出された一口を食べ、そして、慌てて離れる。
口元を手で押さえて、顔を逸らしてもごもごと食べているが、その耳は赤い。
リカルディにイタズラ心が芽生える。
「リ」
「お湯が切れたので補充してきますっ」
しかし先手を打つようにスノウリリーがポットを持って走って出て行ってしまった。
普段なら行わないようなそんな仕草にリカルディは笑う。
「かわいいなぁ~」
冷静だし、肝も据わっているのに、妙なところで照れる。
こういう発見は大歓迎だ。
他にはどういうのが照れるだろうか。
いろんな事を想像しながらリカルディは食事を勧めた。
まずは戻ってきたスノウリリーにもう一度試してみよう。
そう思った事は向こうにもしっかりと読まれていたようで。
「いただきます」
と、心構えをしてきた今度はいっさい顔を赤めること無く、無表情で食べるスノウリリーであった。
かわいくない。と呟けば、それは良かったです。と返すような、いつもながらの二人のやりとりが行われた。
そんなやりとりが終わるその日が、すぐそこまでに迫ってきている事を二人は知らない。
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