必要としされる者(三)
メイの部屋にジェーン・ドウがいないのを確認したあと、3号室へと入る。
元は屋根裏乃の部屋であり、今は九番目の参加者であるジェーン・ドウの部屋だ。ドアを開けた瞬間、ジェーン・ドウが襲い掛かってくることもなく、捜索した結果、部屋の中にもいなかった。
「ちっ。いたらぶっ殺してやろうと思ったのによ」
物騒な発言の庭野。だから本当に介護士か。そんなウーパールーパー似の彼女に屋根裏乃が慌てて注意する。
「鉢合わせていきなり殺すとかだめですよっ。ゲームをクリアするにはジェーン・ドウの正体を突き止めないといけないんですから。もちろん、襲われたら反撃するのも致し方ないですが」
「んなこた、分かってるよ。それくらいの意気込みで探してるってだけだ。うちだって、二千万の報酬をふいにすることはしないっての」
「ならいいのですが」
「次いくぞ、次。次はうちの部屋だな。そのあと1号室見て遊戯室だ」
――誰もいなかった1号室から出ると、遊戯室に入って部屋の中を探し始める。とはいえ大きな用具入れや戸棚などはないので潜伏はできないと思われる。一時的に隠れるだけならソファの後ろやビリヤードテーブルの下などあるが、一応確認したところ、当然のようにジェーン・ドウはいなかった。
ちょっとやってくか? とキューを構える庭野に、「そんなこと、やってる場合じゃないですよっ」と怒りモードの屋根裏乃。
「いやだね。冗談の通じない奴は」
庭野が海外ドラマでよく見かける肩をすくめるジェスチャーを披露する。悔しいが、けっこう様になっていると思ってしまった。
遊戯室のあとは〈始まりと真実の部屋〉の捜索だ。その部屋から出て円卓に集まったのち捜索を開始したので、ジェーン・ドウが潜伏してる可能性はまずないだろう。だが、念のために私と庭野で確認することにした。
屋根裏乃には廊下で待っていてくださいと伝えた。周防を慕っていた彼女への配慮からだ。彼女は素直に従ってくれた。
途中、円卓に座って玄関を監視している北条ににこやかに会釈されるというイベントを挟んで、人形の女性が待つ空間へ。
一種異様な真っ白な空間。そこに変わらず存在する人形の女性と周防の遺体。あまりにも異質な組み合わせで、初見だったら思考停止に陥るかもしれない。
「名探偵、あとで部屋に移動してやらないとな。このままじゃ可哀そうだろ」
「え?」
「え、じゃねぇよ。このままじゃ可哀そうだから、部屋に移動させないとなって言ったんだよ」
「そうですね。その通りだと思います」
失礼ながら庭野らしからぬ思い遣りに、自分の耳を疑ってしまった。
「そういや名探偵は自分の部屋、鍵閉めてんのか。もしかして開いてるかもしれねえな」
「ですね。空いてたら中を確認したほうがよさそうですね」
「だよな。鍵、持ってるかな? ズボンにサイドポケットがあるだろ。お前、ちょっと探してみてくんね」
鍵探しを私に押し付ける庭野。あんたがやれと言い返したいところだが、万が一、ジェーン・ドウが襲ってきたときは庭野が対処するだろうから、これくらいはやってもいいだろう。適任適所だ。造語だが。
私は周防のズボンのポケットに手を入れる。すぐに何かに触れた。
鍵ではない。まさかのⅥのナイフ、でもない。だが知っている手触り。
ああ、これは。いや、違うか――と取り出すと、最初に思った通りブロック型食品だった。
だったら、どうして途中で違うのではと思ったのだろうか。
すぐに分かった。ブロック型食品特有の硬さがないのだ。指で包装袋を擦ってみると、まるで中身が粉々になっているかのような感触があった。
刺されて倒れたときに衝撃で粉々になったのだろうか。いや、バックポケットならまだ分かるが、サイドポケットでこれはあり得ない。
自分の意思でやった? なぜそんなことを?
「おい、そんな食い物はいいから鍵だよ、鍵っ」
庭野が急かす。私はブロック型食品を持っていない左手でズボンの反対側のポケットをまさぐる。何もなかった。
「ないですね。自室に置きっぱなしじゃないでしょうか」
「だろうな。この部屋は終わりだ。出るぞ」
扉に向かう庭野。
私は、周防から棺の中身に視線をずらす。
ジェーン・ドウの立場から降ろされた裸身のドール。
彼女はなんなのか。ジェーン・ドウでないなら一体彼女は……。
私、庭野、屋根裏乃の三人は館の右側の捜索へと入る。
まずは周防の部屋だ。施錠はされておらず、庭野が中に入る。しばらくすると首を左右に振りながら出てきた。次に屋根裏乃の部屋だが、ここにもジェーン・ドウはいなかった。
「良かったです。安心しました」
安堵の表情を浮かべる屋根裏乃が、持っていた鍵で施錠する。ほかの参加者の部屋も確認後に施錠したほうが良かったのだろうが、あいにく鍵を預かっていなかった。庭野は施錠していただろうか。覚えていない。
「問題はここだな。10号室。ここは誰も使ってないから隠れている可能性が高い。よし、開けるぞ」
ドアノブをつかむ庭野。
そっと開く――かと思いきや、「おら、出てこいやああぁっ」と怒号を上げて、乱暴に扉を開く庭野。その大声に驚き、私は危うくナイフを落としそうになった。
搔き乱された大気が鎮まっていくように叫び声の余韻が消え去り、やがて10号室の無音が強調される。
庭野の声に応えるように、ジェーン・ドウが出てくることはなかった。だからといって中にいないと決まったわけではない。気配を殺して隠れているかもしれないのだ。
「おい、笹崎」
笹崎? あ、私のことか。
「はい、なんでしょうか」
まさか、お前が見にいってこいだなんて言わないでしょうね。
「お前と眼鏡は書庫の扉を見ておけ。うちが中に入ってる間に書庫にいたジェーン・ドウが出てくる可能性だってあるからな」
「分かりました」
ほっと胸を撫でおろす。が、書庫からジェーン・ドウがぬぅっと現れた場合、必然的に私が相手をしなければならない。屋根裏乃を差し出して逃亡なんてことは、僅かであっても考えてはいけない。
「だ、大丈夫ですよ、虹崎さん。か、か、数の抑止力です」
私の不安を感じ取ったのか、現牽引役が大丈夫と言い切る。とはいえ私と屋根裏乃は合わせて一人みたいなものなのに、数の抑止力なんて発動するわけがない。それが分かっているからこその、彼女の震え声だろう。
10号室にジェーン・ドウがいればいいのにと思ってしまった私。しかしそこで庭野が殺されると、ジェーン・ドウの次の矛先は私と屋根裏乃ということになる。そうなった場合、二人には太刀打ちできないので、ホールに戻って北条に助けてもったほうがいいかもしれない。なにせ、デメテール社のプレジデントは体術の使い手だ。涼しい顔をしたままジェーン・ドウをノックアウトしてくれるに違いない。
――はあ、私ってやつは。
なんだって他人を利用して命の危険を遠ざけようとするのだろうか。それじゃ最低のモブキャラではないか。モブキャラだったらモブキャラらしく、無個性で無害で背景に溶け込むくらいの薄い存在感でなければダメなのではないか。例え、〝最低〟という暗色だとしても、塗布して主張するなんてダメなのではないか。
「おい」
「きゃっ」
「うおっ、なんなんだよ、びっくりさせんじゃねえよ。――10号室にジェーン・ドウはいなかったから書庫に行くぞ」
「あ、はい」
良かった。庭野が生きてて良かった。
その庭野が率先して書庫の扉を開け、中へ入室。
書庫も遊戯室同様、一時的に隠れるスペースはあっても潜伏に相応しい場所はない。ソファの後ろや本棚と本棚の間を一応確認したあと、僕達は最後の未捜索場所、尖塔へ。
「尖塔はまだ行ったことがなかったな。お前らは?」
屋根裏乃が首を振り、私は行ったと告げる。
「そのとき、一番上の物見スペースに北条さんがいましたね。扉を施錠していたんですけど、あそこって内側からスライドラッチでしか施錠できないんですよ。だからもし開かなかったら、物見スペースに誰かいるってことになると思います」
「内側から? しっかし、あの女社長はなんで施錠なんかしてたんだ?」
「自分だけの特等席になるからみたいなことを言ってましたね。北条さんのお気に入りの場所みたいです」
「ふぅん。ところでナイスな情報だな。こうなったら開かないことを祈ろうじゃねえか」
開けば〈ジェーン・ドウは館〉にはいない。
開かなければ、そこにいる。
この二択であれば、庭野の口にした通り後者のほうがいいだろう。扉を開かずにジェー・ドウの有無を知ることができるのだから。少なくとも、血を見ることはないはずだ。
庭野がナイフを下から斬り上げながら尖塔の扉へ向かっていく。何やってるんですかと聞くと、ジェーン・ドウと鉢合わせたときにこうやって斬ってやるんだと口角を釣り上げた。
血を見る可能性が急遽、浮上してきた。
今や、ナイフの扱いに長けた殺し屋にも見えなくもない庭野が、一人先に螺旋階段を上っていく。急いで追いかける必要もないだろうと、私は自分のペースで上ることにした。後ろの屋根裏乃も同じようだ。
「あの、虹崎さん」
「はい?」
「さっきはボクのこと叩いてくれてありがとうございました」
一瞬、なんのことか理解できなくて固まる。二秒後、〈始まりと真実の部屋〉で屋根裏乃の頬を平手打ちしたことを思い出した。
「あ、あのときはあの、なんか咄嗟に手が出ていて。ごめんなさいっ」
「ややっ、謝んないでくださいっ。あれのおかげでボクは正気に戻れたのですから。それに対して感謝してるんです」
「はあ……」
どう返せばいいのか分からず、困ってしまう。
「未だに信じられません。周防探偵が殺されてしまっただなんて。だって、ボク達の置かれた状況を物語にするんだったら周防探偵は主人公じゃないですか。なのに、その主人公が真っ先に殺されてしまうなんてやっぱり信じられません」
「私もそう思います。でも事実なんですよね。それが辛いです」
「はい」
俯く屋根裏乃の拳が握られ、震えた。
逃げようのない残酷な現実を受け入れようと、彼女なりに必死さが伝わってくる。
単なるファンではない。屋根裏乃は名探偵周防翠玲を尊敬し憧憬の念を抱き、そして愛していたのだろう。
「そういえば、〝名探偵と館が嫌でも悪い予感を過らせる〟って言っていましたが、今の話ですと周防さんの死ではないんですよね?」
「はい、違います。ミステリファンなら異論はないと思いますが、名探偵と怪しげな館とくれば殺人はつきものなんです。嫌な予感とはその殺人ですが、名探偵が被害者として死んでいいわけがないんです。だって、殺人を犯した犯人を追い詰めて事件を解決するのが名探偵なのですから」
「そういうことなんですね。名探偵が死んだら一体誰が犯人を糾弾するんだってなっちゃいますもんね」
ふと思う。
だったらもう一人名探偵がいればいいのではないか、と。
私はそれが屋根裏乃であると思っているが、彼女は認めないだろう。屋根裏乃にとって名探偵は周防であり、自分と比べるべくもない唯一無双の存在だろうから。
「その嫌な予感については、周防探偵自身も気づいていたようです」
「え、そうなんですか? 一体、いつ?」
「ゲームの時間が始まってみんなで人形の女性を見ていたときです。あのとき人形の女性がジェーン・ドウということになりましたが、周防探偵は〝そう思わざるを得ない〟と表現したんです。〝そう思わざるを得ない〟とういうのは〟やむおえず〟という意味でもあります。だから周防探偵は、あの時点で人形の女性がジェーン・ドウではないと思っていて、嫌な予感についても当然視野に含めていたと思います」
「だったら、周防さんがあの場で言わなかったのはなぜですか」
「確証がない中で、みんなを不安にさせたくなかったのでしょう。いえ、あったとしても、参加者の誰かが参加者の誰かを殺すかもしれないなんて言わないと思います。周防探偵なら、不協和音を生み出さずにジェーン・ドウの正体を暴く方法を模索するはずです。その間はヒント探しという共通の目的の元、参加者には〈協力〉させておくのが最善だと考えながら」
あくまでも屋根裏乃の想像にすぎない話だが、周防ならそう行動するだろうと思えた。ならば、彼女の思考は更に先に向かっていたと考えるのが妥当ではないか。もしかしたらジェーン・ドウが誰であるか、見当すらついていたのかもしれない。
しかし名探偵という属性を自認するがゆえに、自分が真っ先に殺されるとは思ってもみなかった。
「つくづく掛け替えのない方を失いましたよね」
屋根裏乃が大きく頷いたそのとき、
「おい、お前ら早くこいっ。ちんたら歩いてんじゃねぇよっ」
庭野の怒鳴り声が頭上から落ちてきてた。屋根裏乃と共に庭野の元へと急ぎ、軋み音が耳障りな最上階への扉を押し上げる。施錠はされていない。物見スペースにもジェーン・ドウは潜伏していなかった。
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