第三章 必要としされる者

必要としされる者(一)


 ※


〈ジェーン・ドウの館〉が目の前にある。

 ゲーム開始の前日までに、三回の下見を許します――と言われているのだが、今日も来てしまった。二回目ともなれば最初に訪れたときの衝撃はないが、周囲の光景には相変わらず感嘆させられる。ここは本当に素晴らしい場所だ。

 天気もいいので散策でもしたいところだが、与えられた二時間は有効に使わなければならない。よって当初の予定通り、館の中へと入る。最初に来たときは興奮のあまり冷静に見れなかった部分もあるので、今日はじっくりと確認するつもりだ。

 しんと静まり返ったホール。大理石に書かれた文字を読んだあと、階段を上り円卓へ。もちろん今は誰もいないが、ゲームが始まれば参加者が座ることもあるだろう。そこに自分がいるかどうかは分からないが。

 円卓のすぐ奥には壁があり、十二本のナイフ。一本一本が時計の文字盤のように配置されているが、肝心の針は止まっていた。

 ナイフを鞘から抜いてしばし眺める。

 間違いなく誰かを殺害するために自分が扱う凶器。お膳立てとしては申し分ないが、如何せん主張が強すぎる。目ざとく見つける参加者が絶対にいるだろう。仮にその参加者がゲームが始まった瞬間に、ナイフは危ないからどこかにまとめて置いておこうなどと言おうものなら、厄介なことになる。

 今の内にどこかに隠してしまおうか――。

 それは最初に来たときも脳裏を過った悪魔のささやき。しかし実際に隠したところで何の意味もないと知っているので、実行には移さない。

 ジェーン・ドウ役である自分に与えられた特権は、館の三度の下見だけ。館の主としては少々、いやかなり制限された行動だと苦笑いがでる。

 ナイフが鞘に収まったままであるかは掛けるしかない。しかし冷静に考えれば、その掛けはおそらく勝つと推測できる。

 最初の殺人が起きて、はじめてナイフの危険性が分かるのだから。

 言い換えれば、殺人が起こるまではナイフは単なる装飾品として存在するだけなのだ。よって問題は殺人をどう実行するかだ。


 ――第一の殺人は容易です。おそらくあなた以外の誰もが、〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉の本質を理解していないでしょうから。だからこそ、最初に殺す人間は慎重に選んでください。あなたにとって、もっとも邪魔になるであろう人物を殺すのがいいでしょう。


 スーツの男の言葉を思い出す。

 厄介な存在。つまりジェーン・ドウである自分の正体を暴く可能性のある人物。

 仮にこちらの正体を暴かれれば負けであり、報酬が貰えないのは当然のこと、命も失うことになる。そうならないためにも、頭の切れる参加者を真っ先に殺さなければならない。

 問題は、その対象をゆっくり見極めている時間がないということだ。時間を掛ければかけるほど、虚構の皮をはぎ取られ真実の実が露わとなっていく。そうなったら深刻な状況に陥るのは火を見るより明らかだ。

 スーツの男に見せてもらった参加者の顔写真を、記憶から引っ張り出してみる。

 プロフィールも何もない単なる顔写真だが、それでも気になる人物が三人いた。

 おそらくその三人のうちの、特に危険な一人を殺すことになるだろう。

 いや、残りの二人も、こちらを脅かす参加者ならば死んでもらう必要がある。とはいえ〝ミステリを演出しなければならない〟という絶対条件がある以上、やたらめったらと殺せばいいというわけではない。

 改めてジェーン・ドウは難儀極まる役だ。 

 だからこそ、報酬は一億円+成果報酬なのだが――。



 個室を一部屋づつ回り、全く同じ作りであることを確かめる。

 途中で、鍵のプレートが各部屋に飾ってある絵画の縮小プリントであることに気づく。そういえば、ホールの壁に掛けてあったマスターキーは、プレートが白かったのを思い出した。

 そのあと遊戯室に入り、ビリヤードをやってみる。素人の自分でもスーパープレイができるかと期待したが、結果は散々だった。キューとボールを元通り片付けるとダーツもプレイ。最初に投げたダートがボードのほぼ真ん中に当たる。しかしすぐにビリヤード同様に目も当てられない状態となった。

 次に書庫へ入る。ゆっくり読書に集中できそうな落ち着いた空間だった。本棚から本を取り出す。英語の背表紙から分かるように中身も英語だった。ほかも全て同じような本で、知っている本は一冊も見当たらない。読ませる気がないのだと思った。ならばと思い、敢えて読もうとしはないであろう本棚の一番上から本を抜き取ってみる。開いたらページが真っ白というのを想像したのだが、そもそも本が開かなかった。

 最後は、書庫の先にある尖塔を上る。狭いが雰囲気のある階段をあがっていき頂上へ。森ばかりで絶景とは言えないが、高いところから外を見下ろすのは気持ちがよかった。

 刹那、いつかの光景と重なって胸がざわめいた。

 家族旅行で行ったトルコ。イスタンブールのガラタ塔。あそこからの景色とは全く違うのに重なったのは、人生で尖塔に上ったのがそこだけだったからだろう。

 あのとき、自分のとなりには妹がいた。街並みを眺めて「あれ、ブルーモスクだよ。あっちはアヤソフィア。うわ、すごーい」と表情に花を咲かせる妹が。感動を余すことなく曝け出す妹が。

 嬉しいことは嬉しい、楽しいことは楽しい、悲しいことは悲しい、辛いことは辛いと素直に現わすのが妹であり、そこが自分の好きなところでもあった。

 なのに宣告があったあの日。妹は感情をきれいに隠した。辛くて悲しくて不幸を呪って絶望から泣き叫びたいはずだったのに、彼女は笑みを浮かべたのだ。家族のために。

 そのときだったのかもしれない。

 なんとしても、何をしてでも、本当の妹を取り戻したいと思ったのは。

 そうだ。デポジット代に物を言わせて臓器移植の順番に割り込んでいる人間だっているではないか。それで本来のレシピエントが死のうが、露ほども気にしないだろう。

 そうだ。多額のお金さえ積めばどれだけ病床が切迫しようが、入院できる人間だっているではないか。それで入院できずに消えた命があろうとも一顧だにしないだろう。

 いや、そんな例を出すまでもなく、この世界では合法非合法問わず、他人の命を犠牲にして自分、あるいは愛する者を救うことは日常的に行われているのだ。

 だからためらうことはない。

〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉で勝つために、参加者を殺すことになんのためらいも。

 春風めいた暖かな風が上半身をなでていく。

 ふと、脳裏に浮かぶ参加者の一人。

 あれは、あの参加者は、なぜ、あんなにも……。

 その偶然に理由があるならば、一体なんなのだろうか。

 今の自分には知る由もない。

 

 

 

 三 必要としされる者

 

 

 円卓に滞留する、悲痛の念。

 周防の死は、遅れて知った参加者にとっても受け入れがたいものだった。

 しかし現実として周防の亡骸がある。それは残酷に、それでいて着実にみんなに浸透していったのだった。

「でも、一体どうして周防さんは死んでるの? あの人に一体、何があったの?」

〈始まりの真実の部屋〉に、哀れみの視線を向けるメイが呟く。

 答えはこの部屋に全員が揃う前に出ていた。屋根裏乃が代表して答えを述べる。手には周防の血が付いているが、彼女が死因を調べたのだ。

「周防探偵の背中に刺し傷がありました。おそらく心臓に達するほどの深い傷です。それが致命傷となり、死んだのだと思います。動き回った形跡もないのでほぼ即死状態だったと思います」

「それって自分で刺したってわけじゃないわよね。だって背中だし、そんな理由もないから。でもそうなると……」

 続く言葉を飲み込む矢羽々。

 言いたいことは分かる。それ以外に答えがないのだから。

「ええ、周防さんは何者かに刺されたんです。憶測の域を出ませんが、ジェーン・ドウを見ながら何かしらの思案をしているときに、背後からそっと近づいた誰かに一突きにされたのでしょう。周防探偵が扉の方を向いて座っているのは、誰に刺されたのかを確かめたくて渾身の力で振り向いたからだと思います。そこで力尽きて……この状態に」

「理に適っているとは思います。では、一体誰が周防探偵を刺したのでしょうか。それと凶器はなんでしょうか。凶器が見つからないことから、犯人が持っている、あるいはどこかに捨てたと思われますが」

 北条が淡々と話を進める。 

 そういえば周防が死んだと知ったとき、彼女だけは然して驚く素振りを見せなかった。何事にも動じない性格だといえばそれまでだが。

 それはさておき、凶器については私から説明すべきだろう。

「凶器については検討がついてます。多分、ナイフの大時計のナイフです」

「あの時計のナイフですか」

「はい。万城目さんの叫び声が聞こえる前、ナイフの大時計からⅥのナイフ一本がなくなっているのを私は確認しています。だから多分、あのナイフかと」

「そうなのですね。確かにほかに、あのような刺し傷を残せる凶器を見たことがありません。〝意図的に隠しているものはない〟と主催者が名言していますし、虹崎さんのおっしゃった通りなのでしょうね」

「そのナイフですけど、さきほどナイフの大時計をもう一度確認したのですが、戻されてはいませんでした。北条さんの言った通り、犯人が持っているか捨てたんだと思います」

「そんなことより、犯人は誰なんだってほうが大事だろうよっ。凶器の話なんかあとにしろって」

 庭野に凶器の話なんかと言われてむっとするが、話の順番的には正しいのかもしれない。それを証明するように、庭野に反論するものはいなかった。

「遠回りするのを止めてあえて直球でいいなら、参加者の誰かじゃない」

 メイだった。

 一瞬にして場の空気が張り詰める。

「一応、聞いておきたいのですが、遠回りというのは、犯人は外部の人間説でよろしいでしょうか」

「うん。そう」

「分かりました。わたくしもそれはないと思っています。では一体、どの参加者なのでしょうか」

 北条のそれはメイというよりかは、この場にいる全員への問い掛けのように思えた。しかし誰も答えようとはしない。知らないのか、あるいは知っていて黙っているのか、どちらにせよ、決して好ましい状態ではない。危うい均衡が今にも崩れそうで、一旦PAUSEポーズを掛けたいくらいだ。

「あんたじゃねぇのか」

 呆気なく均衡を崩す庭野。

 彼の目線は万城目に向いていた。

「は? あたし? 何言ってるの? なんであたしなのよっ」

「第一発見者なんだろ。殺人が起きたとき、第一発見者が怪しいってよく言うじゃねえか。だから犯人はあんたかもしれない」

「バカじゃないの、いい加減にしてっ。たまたまあの部屋に入ったら周防さんはもうあの状態だったのよ。なんであたしがあの人殺さなきゃいけないのよっ」

「そんなこと知るかよ。うちが言ってんのは、あんたが第一発見者だから犯人だってことだ」

「そんな暴論、通るわけないじゃないっ。分かったわ。そうやってあたしに罪を着せようとしてるんでしょっ。犯人はあんたよッ」

「はぁ、それこそ暴論だろ。頭おかしいんじゃねえのか」

「あんたってさ、人殺しそうな見た目してるよね。実は何人も殺してんじゃない? 介護してる老人とか。それで逃走資金がほしくてゲームに参加した。そうなんでしょ」

「てめぇ。本当にぶっ殺すぞ」

 庭野の殺意にぞっとする。

 やばい。これは止めなければと足を踏み出したとき。

「九人目の参加者じゃないでしょうか」

 屋根裏乃が呟き、幸いにもそれが庭野と万城目の争いを仲裁する形となった。

 九人目の参加者。性別も判然としないシルエットの如く人物。単なる離脱者として扱っていたこともあり、私以上に背景キャラ化していたが、ここにきてスポットライトを浴びたようだ。

「そうそういたわね、もう一人の参加者。……その参加者が周防さんを? なぜ、そう思うのかしら」

「はい。それは九人目の参加者の、不可解な館からの消失が理由です。おかしいと思っていたんですよ。ゲームに参加しておきながら、ろくにゲーム内容も知ろうともせずに立ち去るなんて。だから何か理由があると思っていたんです」

「その理由が周防さんを殺すこと? あ、例えば周防さんに個人的な憎しみを抱いていて、周防さんに殺意を嗅ぎ取られまいと館から一度いなくなった。そしてタイミングを見計らって戻ってきて殺害、とかそんな感じかしら」

 即興ながら、なかなかに想像力たくましい矢羽々。

 もともと憎しみを抱いていた人物を偶然、〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉で見掛ける。この確率は著しく低く思えるが、ゼロでなければあり得る。筋は通っている。

「なんだよ。いるじゃねえか。犯人に相応しい奴が。どう考えたってそいつが犯人だろ。怨恨ってやつだ」

 庭野が、犯人と目する人間を万城目から九人目の参加者にさらっと変える。

 これに納得がいかないのが万城目だ。

「ちょっと、なにそれ。さっきまであたしのこと疑ってたくせに。謝りなさいよ」

「何で謝るんだよ。さきまではあんたが疑わしかったら疑ってたんだよ。今とは状況が違うだろ」

「何その屁理屈。ほんとむかつく、この女」

 ふんっとばかりに顔を背ける万城目。庭野といえば、虫を追っ払うように手を振っていて、この二人が〈協力〉することは二度とないように思えた。

「それで私の推理はどうなのかしら。屋根裏乃さん」

「うーん、そうですね。取り合えず矢羽々さんの説でいいと思います」何か含んだような物言いの屋根裏乃が更に続ける。「ちなみに九人目の参加者が館に戻ってきたのは、ヒントの調査のために与えられた二時間のどこかでしょうが、最後に生きている周防さんを見たのは誰ですか」

「あ、それなら私かもしれないわね。虹崎さんのトラップ説をみんなに話さなくっちゃってときに屋外で会ったから。あれは多分、十八時四十分くらいだったと思うわ」

 今となっては過去の産物となったトラップ説。もちろん、周防がトラップによって背中を刺されたということは絶対にない。

「それだったら、わたくしのほうがあとに会ったと思います。ホールに行ったとき、周防さんがナイフの大時計を眺めていて、少しお話させていただきましたから。別れた時間は十九時五分です。それは間違いないと思います」

 北条が矢羽々より遅い時間に会ったと話す。

 ほかにはと屋根裏乃が聞くが、北条よりあとに周防に会った参加者はいなかった。

「万城目さんが周防探偵の遺体を発見したのが二十時丁度くらいだったと思います。なので犯行時間はおよそ十九時五分から二十時の間ということになりますね」

 空白の五十五分間のどこかで館に戻ってきた九人目の参加者が怨恨、あるいは別の理由によって周防を殺した。

 結局これに対しての異論が出ることはなく、ファイナルアンサーとなった。

「九人目の参加者が犯人と分かったのはいいのだけど、その人はどこにいったのかしら。もしかしてこの館の中にいたりしないわよね」

「それはないんじゃねえの。憎い相手ぶっ殺して、すぐとんずらだろ。普通に考えて」

「そうよね。ところで警察に連絡した方がいいと思うのだけど、電話はないのよね。だからって今は夜でしょ? 歩いてあの森を歩くのもちょっと怖いし、朝になったらみんなで警察に行けばいいわよね」

 矢羽々の提案。

 人が死んだ。殺した人が逃走している。だから警察に知らせる。至極、現実的な流れであるとは思う。だが、そうじゃないと頭の中で警報が鳴っている。

 おそらくこれは――。

「本当にそれでいいのかな。間違った対応じゃないけど、もしかして周防さんが殺されたのは〈なんじゃないかって思ってて」

 メイも私と同じだったようだ。

「わたくしも実はそう思っています。ダークウェブで募集していた、命を失う危険性が伴う報酬二千万のゲーム。この条件下で殺人が起こるのはそこまで不思議とは思えませんし、タイミング的にはむしろ、そうとしか思えません」

 北条もまた。

 やはりそれがしっくりくる。

 最早、情勢は周防の死亡=〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉の内容の一部となったが、果たして屋根裏乃の見解はどうなのだろうか。

「屋根裏乃さんはどう思う? あなたの考えで決まると思う」

 メイの問い掛けで皆の視線が屋根裏乃に集中する。本来、周防の立ち位置だった場所に屋根裏乃が立った瞬間に思えた。

「〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉の最中に参加者が殺害されて、それがゲームとは関係なく起きたイレギュラーな事案だとするには無理があると思います。だから森野さんの推測通り、周防さんが殺されたのは〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉の一環……いえ、本当に意味での〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉開始の狼煙だったのだと思います」

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