序開の血と名探偵(三)


 ホールに戻ると、メイと矢羽々に屋根裏乃もいた。

 ちなみに私が会った三人だが、北条はもう少し尖塔に残るといい、万城目は書庫からいなくなっていて庭野はソファに横になっていた。

「どうすればいいか決まったら教えろ」とやる気を失っている庭野だが、彼女のやり方で調査を続けさせるよりかはいいだろう。好き嫌いはともかく、生きてさえいれば役に立つ。

 まず私が、北条、万城目、庭野の三人に会って懸念事項を伝えたとメイと矢羽々に話す。

 次にメイが、

「空き部屋の三号室も含めて、個室に誰もいないのを確認したあと遊戯室に行ったんだ。そしたらそこに屋根裏乃さんがいて、彼女に伝えたよ」

 と報告。そのあとに矢羽々が、

「ホールと〈始まりと真実の部屋〉に誰もいないこと確認してから、外に行ったの。ところどころに外灯があって明るかったのだけど、やっぱり森のほうを見ると真っ暗で怖くてね。何か化け物でも出てきそうな感じだからもう戻っちゃおうかしらってところで、後ろから周防さんに声を掛けられて本当にびっくりしたわ。心臓が飛び出るかと思ったわよ。あ、だから周防さんには話したわよ」

 若干、冗長気味の報告を終えると、伝達された側で唯一同席する屋根裏乃が口を開いた。

「虹崎さんの思いついた〝調査に於ける二つのリスク〟ですが、最初に森野さんから聞いたときボクも焦りました。でもややあって冷静さを取り戻したあと、おかしな点に気づいたんです」

 屋根裏乃の言うおかしな点。それは北条が述べた矛盾点と同じだった。その矛盾点が生む更なる辻褄の合わない箇所もまた。

「周防さんも同じだったわね。ただそのあとこう言っていたわ。『フェアであると謳っている以上、その前提を主催者が崩すとは思えない。よって罠の類はないと思われる。だったらヒントがあろうとなかろうと探すのが最善』だって。それをみんなに伝えておいてくれって言われているから、ここにいない人にも伝えなきゃね」

 よく覚えているなと矢羽々に感心する。

 ところで――〝罠の類はない〟。

 例えばこの言葉を庭野が言ったら、何を戯言をと聞く耳など持たないだろう。しかし周防だと一転して、傾聴に値するありがたき神託となるから不思議だ。

「周防さんの言う通りだね。ヒントがないかもしれないけど、罠がないと分かっているなら探すしかないじゃん。でもフェアっていうなら、メイはあると思うけどなぁ」

「ボクもそう思います。でもヒントは隠されていないかもしれません」

「んん? それってヒントはやっぱりないってこと?」

「あ、すいませんっ。そうじゃなくて、ヒントは隠されていなくて明らかになっているかもしれないってことなんです。一見して関係ないように思えるけれど、実は重要なヒントだったみたいな。例えば、個室の絵画なんてボクは怪しいと踏んでいますが」

「確かに! なんか一部屋づつ絵が違うのも意味ありげだよね。あとナイフの大時計とかも気になるかも」

「そうですよね。そういった隠されていないヒントも視野に入れて、調査を進めていきましょう」

 屋根裏乃とメイとの会話で調査の方向性が決まった。周防の考えに屋根裏乃の追加事項を合わせて、ここにいない北条、庭野、万城目に伝えなければならない。

 なんとなく解散の雰囲気となったとき、私は矢羽々の表情が気になった。何か気掛かりがあるような、そんな顔だったこともあり。

「矢羽々さん。どうかしましたか」

「え? うん。ちょっと周防さんのことで」

「周防さんのこと?」

「そう。……どうしよう。言っちゃっていいのかしら」

 と口に出された以上、こちらとしても気になって仕方がない。あの周防に関することなら猶更だ。

「口止めされていないなら言っちゃってもいいんじゃないでしょうか。教えて下さい。周防探偵の秘密をっ」

 周防信者の屋根裏乃が、眼鏡をくいっと上げて食いつく。

「いや、周防さんの秘密じゃなくて、最後に彼女が言った言葉なんだけどね。『わたし達はとんでもない思い違いをしているのかもしれません』って。そのあとすぐに、今のは忘れてくださいって言われたんだけど、やっぱり気になっちゃって」


 わたし達はとんでもない思い違いをしているのかもしれません――。


 それはどういう意味なのだろうか。

 思考のさざ波が前頭葉にやってきたそのとき。

「おい、固まって何やってんだ? ヒント探しやるのか止めるのか早く決めてくんね?」

 ウーパールーパー女の声がホールに響いて、弾けて霧散した。



 その後、私は決定事項に従って調査を進めた。

 自室の絵画を眺めて、うーんと唸ったり、館の見取図を眺めて、うぅむと唸ったり、 尖塔を上がって降りて壁を叩いて、むむむと唸ったり、遊戯室でビリヤードのキューやダーツの矢を調べて、むーんと唸ったり、書庫で洋書を開いて閉じてを十数回繰り返して、むううと唸ったり、自室に戻ってブロック型食品をかじりながら、むおおぉと唸ったり。

 つまり調査は何も進展しなかった。

 時間にして一時間を無駄にしてしまった。いや、調査して得るものがないと分かったのだから無駄ではないのか。残り三十分弱でなんとか結果を出したいところだ。

 こうなると、ほかの参加者の進捗状況が俄然、気になってくる。調査の方向性が決まってからみんな個々に動いているようだが、もしかして私だけ収穫ゼロかもしれない。

 どうせ個性のない背景キャラだからいいじゃん、と思ってしまった自分が情けない。ヒントを見つけることが、モブキャラから脱却する最大のチャンス。誰よりも、ジェーン・ドウの正体に近づける有用なヒントを発見しようという気概が大事である。

「よしっ」

 私は両手で頬を叩いて気合を入れる。

 とりあえず屋外に行ってみようと決めた。すでに参加者の誰かが調査済みだろうが、見落としがあるかもしれない。その見落としに気づくスキルが私にあるかは甚だ疑わしいけれど。

 玄関扉を開いて外に出る。

 するとポーチの段差部分に座っている人がいた。後ろ姿からして屋根裏乃で間違いない。

「屋根裏乃さん」

 肩をびくっとさせる屋根裏乃が後ろを見向く。

「びっくりしたぁ。虹崎さんでしたか」

「こんなところに座って何やってるんですか」

「はぁ、それがお恥ずかしいことに、ヒントの類が全く見つからなくって、さてどうしたものかと夜風に当たって頭を冷やしているんです」

「屋根裏乃さんもまだ見つけてないんですね」

 お仲間がいた。安心する私。

「虹崎さんもですか。なんでしょうね、本当にヒントなんてあるのかなって思ってきました。……でも、それでも周防探偵はちゃんと見つけてるんだろうなぁ」

「そういえば屋根裏乃さんって、周防さんのファンでしたよね」

「はい。超大ファンです。だって名探偵ですからっ。ボクみたいなミステリファンはみんな周防探偵のファンだと思います。虚構の具現化なんですよ。それも最高の形で。同じ時代に生きれるだけで本当に幸せなんです」

 満面の笑みを浮かべる屋根裏乃。

 心の底から周防さんが好きというのが伝わってきて、こっちまでほっこりしてくる。

「そんなに想ってもらえて、周防さんの方こそ幸せでしょうね」

「ただ、周防探偵がここにいる意味を考えたとき、ボクは嫌でも悪い予感を過らせてしまうんです。だって名探偵と館ですから」

 私の言葉は耳に入っていないのか、唐突に話の方向が変わる。

 先ほどの笑みとは打って変わって深刻そうな表情の屋根裏乃。名探偵と館が揃うと何かよくないことでも起きるのだろうか。ところで名探偵というワードで、自己紹介時に屋根裏乃が口にした例の人物がぽんと頭に浮かんだ。

 なんでだろう、妙に気になったのだ。

「そういえば屋根裏乃さん、ホームズって誰ですか? 周防さんと同じ名探偵なんですか」

「ホームズ? ああ、鳳夢Zのほうか。そうですね、あの人も女性の名探偵です。ただ、誰もが思い浮かべる名探偵像を体現した周防探偵とは違って、鳳夢Zは神出鬼没で生意気で自己中な奴みたいですけどね。メディアへの露出を極端に嫌うので、どんな面かは知りませんけど」

「その口ぶりですと、なんか嫌ってるみたいですね。鳳夢Zのこと」

「はいっ! ……あ、でも鳳夢Zがすごい名探偵なのは認めます。名前負けしていないのがまた腹が立ちますけど。って、今は調査に集中ですね。頭も冴えてきたところなんで、ちょっと森にでも行ってみますね」

 なんだって?

「も、森ですか」

「はい。多分ヒントを捜すにしても、屋内か、屋外であっても館の周辺だけで、誰も森には行っていないと思ってるんです。だから時間の許す限り森を探索しようと思いまして」

「探索と言っても真っ暗ですよ」

 私は森に目を向ける。

 怖気を振るう圧倒的な闇が広がっていた。コンビニではないのだ。ちょっと行ってみようと、一人で入っていく場所とは思えない。

「玄関の脇にライトがあったので、それを使います。さすがにライトもなしで入りませんよ」

「本当に行くんですか。何がいるか分かりませんし、ライトがあったとしても危ないですよ」

「じゃあ、虹崎さんも一緒にお願いします。ライトも二つありますし、二人でいるほうが安心ですから」

 そうきたか。

 ある意味自然な流れであり、これといって断る理由もないという逃げ場のない状態。つかの間の逡巡ののち私は「分かりました」と、行くことを決めざるを得なかった。

「じゃあ、ライト取ってきます」

 館に入る屋根裏乃。その彼女の「あれぇっ?」という声が聞こえて、私も館に入る。

「どうかしました? もしかしてライトがなかったとか」

「いえ、そうじゃなくて。なんか視界がモノクロなんですよ」

 屋根裏乃が目をぱちくりして、そんなことを言う。ちなみに彼女は眼鏡を外していた。

「そうなんですか。なんででしょうね」

「さあ。おっかしいなぁ。あれ? 戻った」

 と眼鏡を掛けた状態の屋根裏乃。しかし、また眼鏡を外して裸眼になるとモノクロになるようだった。その後、数回、掛けて外してを繰り返したのち、屋根裏乃は「ま、いっか」とその奇妙な現象をあっさりと受け入れたのだった。

 彼女の目の状態が気になるが、本人が気にしていないのならこの話は終わりだ。全く気乗りしないが森の探索を始めなければならない。

 なんとはなしにホールを眺める私はそこで違和感を覚えた。自分でもよく気づいたなと感心するレベルだ。

 ナイフの大時計のⅥのナイフがなくなっていた。

 刹那。

「誰かっ、ねえ、誰かいるっ!? ちょっと誰か来てッ!!」

 館の奥から只ならぬ叫び声が聞こえ、私は屋根裏乃と目を合わす。

「今のって多分、万城目さんですよね」

「そうだと思います。行きましょうっ」

 言うや否や、屋根裏乃が〈始まりと真実の部屋〉のほうへ走っていく。

 声は確かにそっちから聞こえた。あの部屋で何かあったに違いない。消えたナイフが気になるが後回しだ。

 私は屋根裏乃のあとを追う。

 円卓の横を通り、二段の段差を上ったところで、「おい、誰か叫んでたよな? 何かあったのか」と庭野に呼び止められた。気になって部屋から出てきたようだ。

「多分、万城目さんかと。何があったかは分かりません」

 それだけ言って、〈始まりと真実の部屋〉へ走る私。すると〈始まりと真実の部屋〉へ続く廊下にへたり込む万城目と、そばに座る屋根裏乃がいた。

「万城目さん、何があったんですか?」

 屋根裏乃が聞くと、万城目が震える人差し指を〈始まりと真実の部屋〉に向けた。

「……な、中でし、死んでるんです。中で……」

「!? 死んでるって誰がですか?」

「それは――」

 万城目の口から参加者の一人の名前が出た。



 棺に寄りかかるように座っている。

 手はだらりと床に落ちていて、足は半開きの状態で投げ出されていた。俯いている顔を覗き込めば、光を失った虚ろな半眼があり、口からは一筋の涎が垂れていた。尻の後ろ辺りに広がる血液は何もかもが白い部屋の中でひと際、異彩を放っていて。

 ああ、まさか。そんな。

 私は胸が早鐘を打つのを感じながら屋根裏乃を見た。

 彼女は顔面蒼白で、時間が止まったかように固まっていた。

「……おい、なんだよ、これ。? まさか、死んでんのか」

 庭野が聞いてくるがイエスともノーとも答えられない。

 私からしたら、周防は死んでいるようにしか見えない。しかしそう見えるだけで実は生きている可能性だって残されている。確かめたほうがいいのかもしれない。

 私は周防の胸の心臓のある箇所に手を当ててみる。拍動は全く感じられない。呼吸も同じくしている気配がない。つまり死んでいる。これでいいのだろうか。

「屋根裏乃さん。周防さんの心臓と呼吸が止まってるんですけど、やっぱり死んで――」

「死ぬわけないじゃないですか」

「え?」

「周防探偵が死ぬわけないじゃないですかっ! そんなことはありえないんですよっ」

「で、でも心臓も止まってて呼吸もしてないし」

「だとしてもですっ。周防探偵がっ、こんなところで死ぬ道理がないんですよっ。起きてくださいっ、周防探偵っ! 周防探偵ぇぇッ!」

 周防の肩を掴んで激しく揺さぶる屋根裏乃。

「ちょっと屋根裏乃さん、止めてくださいっ」

「止めるもんか、止めるもんかっ。止めるもんかッ。あなたがこんなところで死んでいいわけがないっ。ボクの周防探偵が死ぬわけがないんだああああああッ!」

「屋根裏乃さんッ」

 私は屋根裏乃の頬を叩く。無意識で咄嗟だったが後悔はない。屋根裏乃を正気に戻すにはこれしかないと思ったから。

 乱心状態だった屋根裏乃が落ち着きを取り戻す。彼女は大粒の涙を流しながら、それを拭うこともせず周防の手を握る。「あなたが解決すべき事件はこれからだってたくさんあるんです。だめじゃないですか。だめじゃないですか。――周防探偵」

 名探偵が死んだ。

 あとで思えば、この瞬間が〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉の始まりだったのだ。

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