序開の血と名探偵(二)
「じゃあ、十分後」
とメイが4号室に入ったのを見届けたのち、私はとなりの5号室へ入る。ドアを閉めてサムターンをつまむ。しかし回らない。よく見るとスイッチらしきものがあり、それを押しながらでないと回せないようだった。
施錠したのち奥に進むと、私は飛び込むようにベッドに横になった。
大きく深呼吸したのち、頭をからっぽにしてぼぅっとする。でもすぐに思考回路が活性化して、脳内容器は瞬く間に〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉のことで一杯になった。
取り合えず脳をリラックスさせるために甘いものをと、ブロック型食品の一つ、アップル味を手に取る。銀色の包装を破ると、某製薬会社のバランス栄養食を彷彿とさせる黄色い食品が現れた。
鼻を近づけてみれば微かにりんごの匂い。ためらいはあったが、意を決して齧る。びっくりするほどりんごの味が口の中に広がる。予想外のしっとり感がまたいい。ブロック型食品でここまでりんごの味を再現させてくるとは思わなかった。
アップル味のほかに、チャレンジ精神でホットドッグ味も食べてみる。驚いた。これも正しくホットドックそのものの味であり、製法が気になってしまうレベルだった。
ブロック型食品を二つ食べて、ペッドボトルの飲料水で口を潤し、私の思考はようやくゲームのほうへ。
ジェーン・ドウは誰か。
ゲームのクリア条件は明確だ。それでいて対象となるジェーン・ドウ女史がご丁寧に裸身で横になっていれば、クリアはたやすく感じられる。書庫はもちろんのこと、〈ジェーン・ドウの館〉にヒントが散りばめられていて、それらをかき集めて合わせればジェーン・ドウの正体が明らかになるのではないかと。
いや、もしかしたら館の外まで調査しないといけないし、頭を使った謎解きだってあるかもしれない。そっちのほうが一層ゲームらしくて、〈協力〉という意味ではプレイしがいがあるように思えた。
しかし、周防の言葉にもあったように〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉は、命を落とすかもしれない危険極まりないゲームのはずだ。だったら、一体どこで死神に首を刈られる状況が発生するのだろうか。
ぱっと思い浮かんだのが二つあった。
その一。
ヒントを捜すためには移動や動作などのアクションが必要となるが、そのアクション時にトラップが作動する。注意深く行動していれば防げるが、そうでない場合、作動したトラップに命を奪われる。
その二。
謎解きがあった場合、例えば制限時間以内に謎が解ければジェーン・ドウの正体に近づくヒントの一つが貰えるが、解けなければペナルティとして命を奪われる。
どちらもとてもゲームらしいシステムだと思う。あまりにもしっくりきて、これら二つのどちらか、あるいは両方としか考えられないほどだ。
「だったら……っ」
私は飛び跳ねるように起き上がる。そのままドアに向かったが、踵を返してカフェテーブルの上に置かれた鍵を取る。部屋番号の5と壁の絵画の絵が印刷された個室の鍵。壁の絵画はピカソの絵のように独特で、どの部屋のも色使いが違って同じ物がなかったことを思い出す。
廊下へ出たのちドアを施錠。盗まれるものなど何一つないが、施錠しないとなんだか気持ち悪い。ただそれだけだった。
そのとき、となりの4号室のドアが開く。
「あ、偉いじゃん。琉花。メイが呼びにいかなくてもでてきたんだ」
十分経ったら合流の約束だったことを今思い出した。
「う、うん。十分後だもんね。だから出てきた」
「ふぅん。なんか〝別の用事で廊下に出たら私と会ってそれで約束思い出した〟って感じだけど」
これが漫画なら、〝ぎくり〟という擬音が頭の上に出ていただろう。勘のするどいチビっ娘である。
「約束だから出てきたってのがまずあって、それと同時に別の用事もある」
「あるんだ。それで別の用事って?」
「あら、相変わらず仲がいいわね、あなたたち。何かジェーン・ドウの正体に近づくヒントは見つけた?」
左から歩いてきた矢羽々が私達に話し掛けてくる。彼女の部屋である1号室にいたか、あるいは遊戯室にでもいたのだろう。てっきり書庫にいると思っていたが、とりあえず彼女が無事でほっとする。
「いえ、まだ何も」
「そうよね、そんな簡単には行かないわよね」
「あの、矢羽々さんにも聞いてほしい話があるんです」
私は自室で思い浮かんだ、二つの生命の危ぶまれる状況をメイと矢羽々に伝える。
途端に神妙な面持ちとなる二人。むしろ一笑に付されたほうが良かったと思えるほどの、切迫感が三人の間に生まれる。
「それは大いにあり得る可能性ね。すぐにでも皆さんに教えたほうがいいわね」
「うん。メイも同感。それで、効率よく伝えるためにもバラバラに分かれたほうがいいと思う」
「それなら――」
私は行動エリアを三つに分けて、自分とメイと矢羽々を振り分ける。
私は館の入口から見て右側の五つの個室と、書庫に尖塔。メイは左側の五つの個室と遊戯室。矢羽々は〈始まりと真実の部屋〉とホール、そして館周辺の屋外となった。もともとはメイと一緒に調査を進めて行く予定だったが、単独行動を提案したのが彼女なのだから問題はない。
「それじゃ、始めっ」
メイが号令を掛ける。
「転ぶないようにね、メイ」
「気を付けるー」
こうして私達は各々の担当エリアで他の参加者の捜索を始めた。
「万城目さん」
私は手始めに万城目の部屋である6号室をノックする。返事がないのでもう一度、彼女の名前を呼びながらドアを叩く。しばらくそのまま待ったが万城目からの反応はなかった。仮にシャワーだったら水流の音、トイレだったら返事くらいはできるだろう。どこか別の場所、おそらく書庫にでもいるのだろうと次の部屋、7号室へ。
7号室は確か北条の部屋だったはず。妙な緊張感を抱きつつ、ドアをノックする。しかし応答がなく再度チャレンジ。結果、彼女も留守と確定。すると二度あることは三度、四度と続くもので、8号室の周防、9号室の屋根裏乃も不在だった。
私は大きくため息を吐き、やや焦る。自分の仮説が正しかった場合、個室にいるのが安全であり、調査のために出歩いているのが危険だからだ。
私は念のため、空き部屋である10号室に入り誰もいないことを確認すると、足早に書庫に向かう。さすがにここには誰かいるはずだと扉を開ける。
遊戯室と同じ広さの空間に、左右に八台づつ計十六台の本棚が置かれていた。まっすぐ進んだところに通路が見え、その奥のほうに扉が確認できるが、構造的に尖塔の入口だろう。しかし今は尖塔はいい。まずは書庫にいた庭野と万城目だ。
本棚のそばにいる庭野の周囲には、本が乱雑に散らばっている。どうやら調べた本を本棚に戻さす床に落としているらしい。どこかの本を抜くとトラップが発動するという仕掛けがあったら、もう死んでいたかもしれない。がさつで粗野で全く好きにはなれないが、思い立ったら即行動の姿勢はそれなりに評価できる。死ぬには惜しい女だ。
ソファに座る万城目は数冊の本をテーブルの上に置いて、適当にページをめくっている。パラパラ漫画のように早いが、あれでヒントを発見することができるのだろうか。
私は庭野と万城目に声を掛けると、一旦調査を中断して話を聞いてほしいとお願いした。
「あ? 話ってなんだよ」
億劫そうにこちらを睨みつける庭野。万城目は表情からは読み取れないが、もしかしたら私のようなモブキャラに手を止められて苛立っているかもしれない。
「実は――」
私はメイと矢羽々に話した調査時の危険性を二人に伝える。二回目なので理路整然と話せたとは思う。あとは庭野と万城目がどう捉えるかだ。
「言われてみればそうよね。命の危険があるんだった。このゲーム」
青ざめた顔の万城目が持っていた本をそっと机に置く。まるでちょっとした振動で爆発するセンシティブな爆弾かのように。彼女は予想以上に深刻に受け止めてくれたようだ。
一方、庭野は、
「お前、怖いこと言うんじゃねぇよ。もしそうだったらどうすんだよ。何も調査できなくなるんじゃねぇのか」
万城目ほどではないが、一定の理解は示してくれた。
私はほっとする。万城目はともかく庭野には、くだらねぇと一蹴される可能性も視野に入れていたからだ。そのときの対応は全く考えていなかったが。
「全く調査できないわけじゃないと思います。それじゃゲームとしてフェアじゃないですから。だからトラップを疑いながら慎重に行動すれば、充分調べることは可能かと」
「かぁっ! めんどくせぇこと言ってんじゃねぇよ。じゃ何か? 本だったら、一ページ一ページゆっくりめくって、トラップなーしって指差し呼称か。バカかっつーの」
ソファに座ってふんぞり返る庭野が、ズボンのポケットから何かを取り出す。食料として各部屋に配給されている例のブロック型食品だった。
「そうよ。そんなゆっくりやってられないわ。制限時間だってあるんだから」
「その制限時間内に裸女の正体を暴けなければ、うちら全員死んじまうんだぞ? 分かってんのかよ、お前」
「それは分かっていますけど……」
なぜ、私が責められなければいけないのか。
調査に関しての注意事項を述べただけなのに。
理不尽な二人、特に庭野に腹が立ってくる。メイなら言い返していただろうが、厄介ごとを避けたい私は反論を喉元に留めておく。それに時間の無駄だ。尖塔も見にいかなければならないのだ。
「分かってんなら、なんか案だせよ。トラップ気にせずガンガン調べられ――うっ」
そのとき、ブロック型食品を咀嚼し始めた庭野に異変が起こる。
両眼を見開く彼女は突然せきを繰り返し、口に含んでいた食べ物を吐き出した。
「ち、ちょっと、あんた大丈夫っ?」
「庭野さんっ」
トラップの存在が真っ先に頭に浮かぶ。ただ空腹を満たすためのブロック食品に毒が含まれていたのだろうか。ヒント探しとは関係のない食事だというのに、それはアンフェアではないのか。いや待って。だとしたら私も食べたのになぜ――。
そう思った矢先。
「な、なんだよ、これ。すっげーまじぃんだけど」
ブロック型食品が不味くて吐き出したことが判明した。紛らわしい奴である。
ふと、ブロック型食品のパッケージを見ると、アップルと書いてある。私もそれと同じ物を部屋にいるときに食べたが、普通にりんごの味がしたはずだ。意外とおいしいと感心したものだが、庭野のは不良品なのだろうか。
「りんごの味じゃないんですか?」
「りんごどころか、何の味もしねぇ。マジでなんだよ、これ」
庭野がテーブルに置いてあるペッドボトルの水を喉に流し込む。
とりあえず、毒じゃなくてよかった。
私は二人に対してもう一度、慎重な行動を心がけるように伝えると、尖塔に足を向けた。
書庫と尖塔をつなぐ通路を通り、扉を開ける。
赤いレンガ積みの壁と螺旋階段が眼前に現れた。てっきり館の内部と統一されていると思っていた私には、嬉しい誤算だった。
おそらくレンガ調壁材だろうが、レトロで味わいがあり、埃臭さすら感じられる本物感がたまらない。壁にはところどころにランタン(LEDと思われる)が設置されていて、オレンジ色の暖色が雰囲気を高めていた。中世ヨーロッパ風のファンタジーゲームをプレイしていた身としては、にんまりせざるを得ない空間である。
触ってみるとレンガそのもので、ところどころに欠けもある。階段に欠けた部分が落ちているが、どうやら本物のレンガ積みらしい。歓喜である。
高さはそんなにないが上っていくのは大変だろう。しかしレンガ積みの螺旋階段を上れることなどそうそうない。寧ろ、この螺旋階段が人生で最後のような気がする。よって私は疲労を一切感じず、ワクワクとした気持ちのまま天井へ。
途中、そのまま外へ出れそうな縦八十センチメートル、横五十センチメートルほどの、窓のない長方形の開口部がいくつかあったが、安全性を考慮した作りにはなっていないようだ。
それはともかく、天井である。
普通、一番上は物見塔のように眺望が利く空間がある筈だが、天井とはおかしい。よく見ると階段上の天井は木の板になっている。地下室とを繋ぐような上下開閉式の扉なのかもしれない。手前につまみのようなものがあるが、用途が不明だった。
私は両手で下から扉を押してみる。全く動かない。
今度はもう少し力を込めてみる。すると僅かに動いた。しかし施錠されているのか、それより上に扉が動くことはなかった。
「誰かいますか? いたら返事をしてください」
扉を叩いて声を掛けてみる。
反応がない。いないのだろうか。
いや、そんなはずはない。だとしたら誰が施錠しているのかという話になる。
まさか施錠したあとにトラップが発動して、話すことも動くこともできなくなっている誰かがいるのだろうか――。
慌ててもう一度扉を叩く。
「誰かいますか? いたら返事をしてくださいっ」
「今、開けますわ。少々、お待ちください」
いた。北条のようだ。
彼女の反応は極めて平常であり、幸いなことに私の予期不安は霧散した。
言われた通り、少々待ってみる。すると金具が外れるような音がして、扉が上に開いていった。ギイイイという大きな軋み音を上げながら。
姿を見せる北条。彼女は支えている扉を尖塔の内壁にくっつけると、その内壁から垂れている細い縄を扉のつまみに引っかけた。つまみはそういった用途があったらしい。
私は階段を上り、最上階へ。
「こんばんは、北条さん」
「こんばんは、虹崎さん。ごめんなさい。こちらから掛金で施錠していました」
掛金と聞いて床を見る。床には埋め込まれる形で、やや大き目のスライドラッチが取り付けられていた。ボルトをスライドさせて反対側の受け金具に差し込み、扉を固定する掛金だ。扉のほうに受け金具があるのだろう。床に埋め込まれているのは、出っ張りに足を引っかけないようにとの配慮に違いない。
「こっちから施錠できるんですね」
「そうみたいですね。なので施錠してみたんです。すると急にわたくしだけの特等席のような気がしてきまして、少しぼうっとしてました」
「はぁ、そうなんですか」
だから最初の問い掛けに気づかなかったのか。
尖塔の物見スペースも窓のない開口部があり、その六つの開口部から遠くを見渡すことができた。しかし今はすでに夜。どの開口部からも見えるのは、ぞっとするような暗黒の森ばかり。獣の唸り声のような風音も不気味で、上部に取り付けられたカンテラの灯りだけが心に少しばかりの安寧をもたらしてくれた。
正直、夜はあまり一人でいたくない場所である。特等席と称する北条はそうではないらしいが。
「ここにジェーン・ドウの正体に近づくヒントの類はなさそうですね。まだちゃんと探したわけではありませんが」
「そのことで北条さんに伝えたいことがあってきたんです。あの――」
私は北条に調査の際の注意事項を伝える。
てっきり、メイや矢羽々のような肯定的な反応をすると思っていたのだが、北条は違った。
「もしそうだとすると、根本的なところで矛盾が発生しますね」
「矛盾、ですか」
「はい。十八時の放送であの女性の声は、三の項目でこう仰ってました。〝ジェーン・ドウ・ゲームはフェアであり、館内、および屋外に意図的に隠しているものはございません。全てはあるべきところにあり、そこにしか存在しません。あとから追加されることもありません〟と。どうですか? 矛盾してますでしょう」
「え? ……あっ、確かにそうですね」
〝館に意図的に隠しているものはございません〟
これを信じるならば、意図的に隠すものであるトラップの類はないということになる。仮説その二のほうも同じく、ペナルティとして命を奪うものがあるはずで、それだってどこかに意図的に隠さなければ成立しない。
ということは、私の取り越し苦労だったのだろうか。
「ただ、それだと更なる矛盾が生まれます」
「まだ何かあるんですか」
「ええ。トラップが意図的に隠しているものなら、〝ジェーン・ドウの正体を暴くためのヒント〟も同様に意図的に隠しているものなのではないでしょうか」
取り越し苦労どころか、意味が分からなくなったのだった。
一緒に戻りますかと聞くと、北条は「いえ。まだここにいます。お気に入りの場所なので」とほほ笑む。
私が扉を開けて階下に降りていく途中、ガコンッと頭上から聞こえた。北条が内側から施錠したのだろう。物見スペースは再び彼女だけの特等席となった。
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