必要としされる者(二)


 信じがたい不測の事態は、実はそれこそが〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉開始の合図だった。 

 この結論により〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉が、当初思っていたものからがらりと性質を変えることになる。

「ちょっと待ってください。理解が追い付かなくて。だとするとジェーン・ドウの正体を暴くっていう目的はどうなるんですか。それはそれで継続するんですか」

「はい、継続します。そこは主催者から提示された参加者の目的ですから、不変です」

「じゃあ、周防さんが殺害されたことはどう関わってくるんですか。怨恨じゃなかったんですか」

 万城目の質問は続く。

「いえ、怨恨に関してはなかったとは言い切れません。だから取り合えず、なんです。そして周防探偵の殺害がどう関わってくるかですが、暴く正体の対象が〈始まりと真実の部屋〉で横たわる女性から九人目の参加者に変わることに於いて、切り替えのスイッチとして、です」

「おいおい。それって〝九人目の参加者がジェーン・ドウ〟ってことか」

「そうなりますね」

「じゃあ、あの裸の女はなんなんだよ? あんな特別な大部屋にこれみよがしに置かれてよ。ジェーン・ドウの正体を暴けなんて言われたら、普通にあの女の正体だと思うだろ」

〈始まりと真実の部屋〉で、時が止まったかのように存在するジェーン・ドウ。

 彼女が人間ならば、周防を殺した犯人を目撃していただろうか。

「その通りですよ、その通り。庭野さんは間違っていません。〈ジェーン・ドウの館〉に名前も素性も不明な女性がいたら、誰だって同じように思うはずです。でも違ったんです。このジェーン・ドウはミスリードだったんです」

「ミスリード。人を誤った方向へ導くこと、ですね」

 北条が意味を補足する。

「はい。実際ボク達はミスリードされ、ありもしないヒントを探し回りました。その間、九人目の参加者だけが、本物のジェーン・ドウとして己の役割を全うしていたわけです。つまり九人目の参加者はボク達とは立場が違うんです」

「立場が違う……。〝正体を暴く〟ほうではなく、〝正体を隠す〟ほう。確かに九人目の正体は不明だし、その人の隠密的な行動を考えるとあり得ると思う。それにジェーン・ドウって人間を指す呼び名だと思うし、人形よりかはしっくりくるわね」

 九人目の参加者=ジェーン・ドウ説を矢羽々が補強する。これにより、九人目の参加者の呼び名が〝ジェーン・ドウ〟となり、元々ジェーン・ドウだった裸の女性は便宜上、〝人形の女性〟を呼称とすることになった。

「だったらさっさと取っ捕まえようぜ。外にいるんだろ? 探すぞ」

 円卓を叩き、席を立つ庭野。

 相変わらずの賞賛に値する行動力だが、ここはちょっと待ってと言わせてもらう。

「ちょっと待ってください、庭野さん。夜で視界も悪いですし、何より相手はナイフを持っているかもしれないんですよ。危険ですよ」

「びびってんじゃねえよ。さっさと探して見つけねぇと、どっか遠くに行っちまうだろ」

「それは多分、大丈夫だと思います」

「大丈夫ってなんでだよ」

 皆の視線が私に集まる。

 メイだけがすぐに理解したのか、頷いていた。

 周防には話したが、おそらく他の参加者は知らないと思われる事実を私は述べる。

「森を少し外に進んだところにフェンスが張り巡らされているんです。私の推測では、〈ジェーン・ドウの館〉を囲むように。だから遠くには逃げられないと思うので大丈夫なんです」

「そんなもんがあったのかよ。って、お前、なんでそんなこと知ってんだ?」

「森で目覚めたとき、外側のほうに行っちゃったんです。目の前に館があったはずなのに、おかしいですよね、はは」

 話がややこしくならないよう、メイのことは黙っておく。そのメイだが、口笛でも吹きそうな表情を浮かべていた。

「フェンスねえ。でもああいうのって上ろうと思えば上れたりしないのかしら」

 危うく、上ろうとしたけど無理だったと口から出そうだったが、すんでのところで呑み込んだ。余計なことを言う必要はない。よって私は、

「あれは無理ですね。高さ四メートルほどで、上のほうは内側に少し倒れた有刺鉄線エリアですから。上らせない気、満々です」

「あらそう。でもその金網が館を囲んでいるかどうかは分からないのよね。どこかに穴があって、そこから出ることも可能なんじゃないかしら」

「いえ、虹崎さんの言った通り、やはりフェンスは館を囲っていて出れないようになっていると思います」

 推測である以上、当然浮かべるであろう矢羽々の仮説を屋根裏乃が否定する。

「根拠は何?」

とメイが聞けば、

「〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉が成り立たなくなるからです。ボク達〝正体を暴く側〟からしてみれば、ゲームの本質に気づいた瞬間、〝正体を隠す側〟がゲームから離脱していたなんて、クリア不可能な無理ゲーじゃないですか。あり得ませんよ。

 主催者はゲームがフェアであると謳っています。ならば〝正体を隠す側〟であるジェーン・ドウ――九人目の参加者は、少なくともゲームの制限時間である明日の十八時までは逃げられないと考えるのが妥当だと思います」

 極めて論理的な回答だと思う。

 反論する者がいないことに屋根裏乃は頷くと、眼鏡のブリッジを押し上げる。

「そうなると、どうしても考えざるを得ないのが、ジェーン・ドウのその後の行動です。果たしてジェーン・ドウは明日の十八時まで〝逃げているだけ〟なのでしょうか」

「逃げているだけじゃなかったらどうなるっていうの」

 メイの声が緊張の色を帯びる。

 屋根裏乃は充分に耳目を集めたのち、

「ジェーン・ドウはまだ誰かを殺すつもりかもしれません。ナイフを現場から持ち去ったのが理由の一つです。周防探偵を殺して終わりなら、その場に置いておけばいいと思うんです。ボク達に追われたときの自衛のためなのかもしれませんが、どうしてもボクには、ジェーン・ドウが〝まだ終わりじゃない〟と言っているような気がしてなりません」

「それはあれじゃないですか? 犯人の正体につながる証拠、例えば指紋が残っていて持ち去っただけとか」

 不安な面持ちの万城目。どうかそうであってほしいと願っているようだ。

「仮に残っていたとしても問題ありませんよ。そもそもこの場に鑑識などいませんし、いたところで採取キットもないですから。それに仮に指紋を採取したとしても照合へのプロセスに進めません。通信手段もなければ、森からも出られないのですから」

「まだ他の理由があるのですか。今のが〝理由の一つ〟と仰ってましたが」

 論破された万城目が意気消沈したあと、それよりも……という感じの北条。

「はい。二つ目は制限時間の長さです。どうにも比率がおかしいと思うんです。ジェーン・ドウが周防探偵を殺したのが問題編だとしたら、ボク達がジェーン・ドウの正体を暴くのが回答編。単純に考えて、問題編が二時間に対して回答編が二十二時間です。ボク達に余裕を与えられすぎているような気がするんです」

「確かにそうですね。同時に、ジェーン・ドウは身を隠しているだけでいいというのも引っかかりますね。ジェーン・ドウもゲームの参加者ならば、報酬があるはず。誰もがゲームの本質を見誤っているときに一人だけ殺害して、後は逃げ回っているだけが役割というのも違う気がします」

「そうですね。……あの、非常に不適切な発言かもしれませんが、ゲームとして考えたとき、面白くはないと思います」

 言葉を絞り出すような屋根裏乃。

 面白いか面白くないというある意味、低俗な話題の渦中の人として、周防がいたからだろう。

「……あの、次にジェーン・ドウが殺すのって誰なんですか。それは決まってるんですか」

「そう、そこだよ。おい、眼鏡。名探偵のあとは一体誰が殺されるんだ?」

 万城目、庭野と、矢継ぎ早に二番目の被害者が誰かと問う。

 対して屋根裏乃は頭を振る。

「それは分かりません。そもそも最初になぜ、周防探偵が殺害されたのかも不明ですし。なので誰であっても不思議ではないと思います」

「館の外で正体不明の殺人鬼が、次は誰を殺そうかと虎視眈々としているわけね。怖いわね、それ」

 矢羽々が自分の体を抱きしめる。

 怖いという発言に嘘偽りはないかのように、その両手は震えているように見えた。

「今、館の外って矢羽々さん言ったけど、本当にそうなのかな」

 メイが疑問を呈する。

「それはどういうことだよ」と僕が先を促す。

「最初は矢羽々さんの仮説を前提として、〝九人目の参加者が周防さんに憎しみを抱いていたから殺した。それで目的も達したので逃げた〟という話だったけど、今は違うよね。だから、森じゃなくて館に潜伏してる可能性だってあるんじゃない? 機会を伺うなら、むしろそっちのほうが都合がよさそうだけど」

「確かに都合がいいかも。でも私達に発見されるリスクも高いよ。今こうして、館の中に潜伏説が出た以上、私達はこれからジェーン・ドウを探すだろうから」

 メイと私の会話で場の空気が変わった。

 ジェーン・ドウが館にいるかもしれない。しかもこれから捜索するという、急な話の展開ゆえだろう。

 そうなると分かっていた参加者は特段、驚きはない。しかしそうでない参加者だっている。その二人の参加者は捜索という四文字に過敏に反応した。

「冗談じゃないわよ、捜索なんて。だって誰かを殺す気でナイフを持っているんですよね。あたしは絶対、嫌です」

「そうね。私もちょっと怖いわ。協力はしたいけど、力になれる気がしないわ。ごめんなさい」

 万城目と矢羽々だ。

「あ、ごめん。館に潜伏説を唱えておきながら、メイも怖いから無理っぽい」

 そこにメイも加わる。

 この三人に対して不満は一切ない。だって私も怖くて辞退したいのだから。しかしそれはできない。館の中にいるかもしれないジェーン・ドウを探すと言ってしまったのは、私なのだから。

「じ、じゃあ、捜索するのは私と――」

「うちも行くぜ」と庭野が席を立ちあがり、ナイフの大時計に歩み寄る。「大体、捜索しようがしなかろうが、ジェーン・ドウは襲ってくるんだぜ。だったらよ、警戒しながら捜索して、もし襲ってこようものなら……」

 手にした一本のナイフを横に振る庭野。

「逆に喉をかっ切ってやればいい」

 彼女の見た目からそれほど逸脱しない過激な発言だとは思う。本当に介護士か。それはさておき、心の底から頼もしいと感じてしまったのも事実だ。

 私もナイフを持つべきなのだろうか。万が一のときがきても人を斬りつけるなどできるとは思えないが。

「ボクも行きます。一人より二人、二人より三人です。数という抑止力も大事だと思いますから」

「でしたら、わたくしも行きますわ。三人よりも四人です。それとナイフは扱えませんが体術なら少々」

 屋根裏乃と北条が加わり、捜索班が計四名となる。庭野以外は全員、辞退してもやむなしと思っていたので、これは意外だった。それにしても北条の体術が気になる。もしかしてブラジリアン柔術の使い手なのだろうか。

「早速、捜索を始めようぜ。で、さきに聞いておきたいんだが、各々の個室は鍵を閉めているか? いないなら念のため、その部屋も捜索してやる」

 庭野が聞く。

 鍵を閉めていないのは矢羽々、メイ、屋根裏乃に、問いかけた庭野の四人。北条と万城目は施錠しているとのことだった。二人は私と同じように、施錠しないと落ち着かないタイプなのかもしれない。

「よし」と、参加者随一の行動力を持つ庭野が動き出す。私に「お前も持て」とナイフを渡してから。

「あ、ごめん。メイ達はどこかの部屋に三人でいてもいい?」

 メイが声を上げる。

「あ? どうしてだよ。ここにいればいいだろ」

「それじゃ琉花達がいなくなったあと、別のところからジェーン・ドウが現れたとき、どうしたらいいの? 玄関だって鍵が閉めれないし、外にいた場合でも簡単に入ってこれちゃうんですけど」

 館内の窓は、十センチしか開かない横滑り窓にはめ殺し窓だけだ。つまりジェーン・ドウが戻ってくるなら、それは玄関扉からのみ。円卓は丸見えであり、恐怖と緊張から精神の摩耗は必至だ。メイの申し出は当然だろう。

「そういうことか。分かったよ。ったく、捜索に参加しねぇくせに要求だけはしっかりしやがる」

「捜索には大変感謝しております。この場所から個室に移動するだけですから。御迷惑はおかけしません」

 矢羽々に頭を下げられて、バツが悪そうに頭を掻く庭野。「勝手にしろ」と承諾するその背中に、メイがべーと舌を出したことに彼女は気づいていない。

 ちなみにメイ・矢羽々・万城目の三人は一旦、万城目の部屋に移動するとのことだった。私達の捜索が終わり次第、彼女達に声を掛けて円卓に集まり、みんなで今後の方針を消める予定だ。

「だったらわたくしは、やはりここで玄関を見張っていた方がいいですね。捜索中にジェーン・ドウが戻ってきた場合、わたくしであれば対処できますので」

 例の体術を使う気らしい北条。

 ナイフを所有するジェーン・ドウと一対一で対峙する危険性がありながら、徒手空拳で対処できると豪語する彼女だが、やはり心配である。

「本当に一人で大丈夫ですか? 相手はナイフを持っているかもしれないんですよ。いくら体術が得意でも危険じゃないでしょうか」

「心配してくださりありがとうございます。でも大丈夫ですよ。一対一なら負ける気がしませんから」

「はあ。だったらいいんですけど」

「はい」と、北条が微笑む。

 肝が据わっていると言えばそれまでだが、彼女の底抜けの優雅さはどうにも別次元のように思える。一体、この女性はどんな生き方をしてきたのだろうか。

「おい、行くぞ。まずは森野の部屋だ」

 庭野の先導で私と屋根裏乃が4号室に向かう。

「琉花、気を付けてね」

「うん」

 心配そうな表情のメイに、私は大きく頷いた。

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