氷解する謎と真実(二)


「ボクは庭野さんと矢羽々さんを呼びに行ってきます」

 屋根裏乃が廊下の奥へ走っていく。メイはお願いしますということだろう。この不安が杞憂であってくれと願いながら、私は恐る恐るメイの部屋をノックする。 「誰?」

 警戒するようなメイの声が室内から聞こえた。私は心の底から安堵した。

「メイ、私よ」

「琉花っ。良かったぁ。何度か壁叩いたけど、全然反応ないから心配してたんだよ」

「壁を? いつ叩いてたの?」

「さっきもそうだけど、その前も何度か。寝てたの?」

 あれは意識を失って倒れていただけのような気がするが、それをそのままメイに話したら余計な心配をさせるだけだ。

「うん。寝てた。暇すぎてやることもないから」

「やっぱりそうなんだ。テレビもスマホも漫画も何もないもんね。ベッドでごろごろするしかなくて、だからメイもついさっきまで少し寝てた」

 やはり寝ていたようだ。それ以外に応答がない理由が思いつかないわけだが。それはさておき。

「メイ。寝てたって言ったけど、さっき壁を叩いて反応がなかったのは、部屋にいなかったからなの。実は――」

 私は、十五時半頃に起きてからの行動をメイに話した。彼女の耳に入れる必要のない、〝自身に起こった不可解な出来事〟を除き、できる限り正確に。

「……うそ。あの北条さんまで殺されるなんて。ひどい。一体、誰が……」

 扉の向こうで悲痛な声を出すメイ。

「まだ殺されたと決まったわけじゃない。自殺の可能性だってなくはないよ」

「なくはないって言っている時点で、琉花だって信じてないじゃん。絶対、ジェーン・ドウが殺したんだよっ。そうだ、ナイフ。ナイフは北条さんのそばとかに落ちてなかったの?」

「ううん、なかったよ。雑草も何もないからあればすぐ分かったはず」

 メイの言いたいことは分かっている。

ナイフが物見スペースにもなかった場合、北条は殺されたという結論になる。自分で首を切ってそのあと、ナイフをどこか遠くに投げれば別だが、常識的に考えれば切ったその場で手から離すからだ。

 そこまで話したところで、屋根裏乃が矢羽々と庭野を引き連れてやってきた。

「森野じゃねえのかよ」

 庭野がドアノブ同士で繋がれたままの布を見たあと、残念そうにつぶやく。

 そう。廊下に出ていないことが証明されたメイには北条を殺すことは絶対にできない。

「ふんっ。北条さんを殺したのがメイじゃなくて残念ね」

「ちっ」

 聞こえていたメイ。舌打ちする庭野。あまりこの二人を近くに置きたくはない。例えドアで遮られているとしてもだ。屋根裏乃も同様に思っていたのか、私に向けて軽く頷いたところで、矢羽々と庭野をホールに促した。

 つくづく屋根裏乃に感謝である。

「メイ。〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉はもうすぐ終わると思う。おそらくいい形で」

「え? それって、十八時までにゲームをクリアできそうってこと?」

「うん。どうやら屋根裏乃さんが万城目さんの密室殺人の謎を解いたみたいなの」

「本当にっ? すごいじゃん。それさえ解ければ……あ、でも北条さんも密室殺人だった場合、そっちの謎も解かないとダメなんじゃないのかな?」

 確かに、と私は頷く。

ゲームのクリア条件に、〝ジェーン・ドウの正体を突き止め、そこに至った過程を論理的に説明すること〟とあるからには、第二の密室殺人も解く必要があるだろう。謎の一つ、しかも密室の謎を放置するなど許されるとは思えない。

 急にグッドエンディングが遠のく。

「うーん。そっちは北条さんが自殺であることを祈る、しかないかな」

「ええっ。ないない、自殺ないからっ。絶対に密室殺人だよっ」

 頑なに密室殺人であると主張するメイ。実のところ私もそう思っている。

〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉はゲームなのだ。しかもミステリのゲームだとすれば、犯人が自殺して終わりなど興ざめにも程がある。勝ち負けで二千万円以上のお金が動く事実を踏まえれば、現実はゲームのようにはいかないという考えも当てはまらないような気がした。

「それは確認する。あの扉は力任せで壊せそうだしね。それと――」

「それと、何?」

 私は一歩前に出ると、ドアに額を当てる。

「メイがジェーン・ドウじゃなくてよかった。本当に」

「そんなの当り前じゃない。何、疑ってたの?」

「ううん。メイじゃないって信じてた。それが証明されたのが嬉しいの」

「メイも嬉しい。ずっと琉花が信じてくれてたことは知ってたから」

「もう行くね」

「あ……琉花、あの」

「何?」

 五秒後。

「本当に、私なんかを信じてくれてありがとう」

「うん」

 私はドアから離れる。

メイへの愛おしさがこみ上げる。頭でも撫でてやりたいが、それは全てが終わってからでもいいだろう。その終わりが、どうかグッドエンディングでありますように。



 果たして北条は、自殺ではないことが分かった。

体当たりでもどうにもならない扉を庭野が個室のカフェテーブルで叩き壊し、そのあと物見スペースに入ったのだが、どこを探してもナイフがなかったのだ。やはりナイフは北条と共に落下したのかと、北条の周辺及び、北条の背中の下や服の中も捜索。しかし見つからず。よって北条もジェーン・ドウに殺されたという結論に至ったのだ。

 ちなみに北条の死亡推定時刻は、私が大きな音を聞いた十六時頃となった。死後硬直もなく血液も凝固していないから、それで間違いないとの屋根裏乃のお墨付きを得て。

「そんなのはどうでもいいだろ。意味なんてねえんだから」と声を荒げる庭野だったが、実際、死亡推定時刻に意味がないのは事実だった。ここにいる誰もが、北条を殺すために尖塔に行っていないと主張し、その主張を覆すような目撃証言もないのだから。

 つまりここにいる四人には、北条殺害に対するアリバイがない。そのアリバイがあるのはここにいないメイだけだった。

「ふう……。6、7、8号室と、こっち側は遺体安置所かよ」 

 北条の亡骸を彼女の部屋に運んだあと、庭野がつぶやく。彼女の言った通り、玄関から見て右側の五室は、その内の三室で遺体となった部屋主が横たわってる。もしも次の殺人があるならば、被害者は9号室の屋根裏乃なのだろうか。

 私は頭を振る。

 あり得ない。考えてはだめだ。

 その屋根裏乃が見当たらない。さきまで一緒に8号室にいたはずだが。

「矢羽々さん、屋根裏乃さんどこにいるか知ってます?」

「北条さん……。こんなことになるなら、あなたと喧嘩なんてしたくなかった」

 矢羽々は聞こえていないのか、ベッドに横たわる北条の前髪を優しく整えている。

「あの、矢羽々さん」

「……え? 何かしら?」

「屋根裏乃さんが見当たらないんだけど、どこにいるのかなって」

「それは、ちょっと分からないわ。……私、少し部屋で休むわね。ごめんなさいね」

「あ、はい」

 疲れ切ったような顔の矢羽々。それは体がというよりかは、心に比重が置かれたようにも感じた。四人もの人間が殺され、その全ての現場を見ているのだ。それも仕方のないことだろう。

 溜息を吐く矢羽々は8号室を出ると、突き当りを左に折れた。

「だまされるなよ」

 不意に庭野に耳元でそう言われ、私はぎょっとする。

「な、何がですか?」

「あのおばさんだよ。一貫して殺人に胸を痛める善人を貫いているが、あれは間違いなく演技だ」

「どうしてそう思うんですか」

「ジェーン・ドウだからだよ。良い人が実は犯人だったっていうのは、ミステリじゃよくある話だろ。意外な犯人ってやつだ。今頃してやったりと、悪魔みてえな顔して歩いているはずだ」

「はあ」

「そういえば眼鏡が密室殺人の謎を解いたって言ってたな。そこでジェーン・ドウが矢羽々だってことが明らかになるんじゃねえのか」

 謎解きの時間になったら呼べと言い残して、庭野が書庫に移動する。ソファで横になって待っているとのことだった。

 しかしあの程度の理由で矢羽々をジェーン・ドウと断定とは安直すぎる。

 だが否定できる材料があるわけではない。庭野の憶測通りかもしれないし、その庭野かもしれないし、違うと信じたいが屋根裏乃の可能性だって残されている。探偵役として奮闘してくれているが、実はジェーン・ドウであることを悟らせまいとしての行動かもしれないのだ。

 ――私って最低。

 殺された周防に対する屋根裏乃の嘆きは本物だったし、犯人を許せないという怒りも痛いほど伝わってきた。そんな彼女を疑うなんてどうかしてる。

それにある意味、本気でゲームをクリアしようとしているのが屋根裏乃だけという事実もある。比べて私はどうだ。いや、私だけではない。矢羽々も庭野もメイだって、どこかで屋根裏乃に任せておけばいいという甘えがあるんじゃないのか。探偵役である彼女の頑張りに胡坐を搔いているんじゃないのか。

 ゲームクリアに失敗すれば全員死亡だというのに。

 そうだ。私だけでも彼女をサポートしなければならない。例え役立たずであっても名探偵には助手が必要なのだから。

 屋根裏乃は自室に戻ったのだろうか。私は彼女の部屋である9号室をノックする。

 返事はない。扉に顔を寄せて耳を欹てるが、微かな音すら聞こえない。寝ているとは思えないし、どこか別の場所にいるのだろうか。

 となりの10号室、書庫、尖塔、ホール、遊戯室と確認したが、屋根裏乃はいなかった。なら屋外か、あるいは――。

 私の視線を左、〈始まりと真実の部屋〉へ向ける。

そこは、謎めいた〝人形の女性〟が棺の中で横たわり、周防が殺された現場でもあり、そして〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉のクリア条件を満たす場所。

〈始まりと真実の部屋〉は〈ジェーン・ドウの館〉の中で突出して異質な空間であり、私はなんとなく避けていた。そこに屋根裏乃がいるのだろうか。

 扉を開けて中を覗いてみる。真っ白な空間の真ん中に棺。その棺の手前部分と床が赤黒く汚れているが、それはもちろん周防の血痕だ。更にドアを引き寄せると棺の横で、大の字になって仰向けで倒れている屋根裏乃がいた。

 まさか。嘘だ。そんなことが起こるはずがない。一体、誰が彼女を殺せるというのだ。「屋根裏乃さんっ」

 私は彼女に駆け寄る。

 頼む。間違いであってくれ。あなたは死んではいけない人間だ。

 大ファンである周防の死を誰よりも悲しんでいたあなたが、

 その周防の代わりに探偵役として知性を発揮するあなたが、

 純朴な人柄が魅力的で、真面目で優しく穏やかなあなたが、

 殺されるなんて絶対にあってはいけないんだ――。

「屋根裏乃さんっ」

「あ、虹崎さん。どうかしましたか」

 屋根裏乃は普通に生きていた。

「どうかしたじゃないですよっ。死んでるかと思ったじゃないですかっ。……なんでこんなところで大の字になって寝転がってるんですか」

「白には気分を一新させる効果があると言われています。だからこうやって真っ白な天井を眺めていれば、余計なことを考えずに北条さんの密室殺人の謎に取り組めるかと思いまして。ごめんなさい。驚かせてしまいましたね」

 屋根裏乃が立ち上がり、ぺこりと頭を垂れる。

「もういいですよ。生きていたんで」

「死ねませんよ。でもこのまま第二の密室殺人の謎が解けなければ、論理的な説明が不十分だとしてゲームをクリアできないかもしれません」

「やっぱり、屋根裏乃さんもそう思いますか?」

「それはそうですよ。密室殺人という大きな謎を放置してクリアできるミステリゲームなんてありますか? クリア条件に照らし合わせてもそれはあり得ないと思います。――ああ、もうなんだってゲーム終了間近で……犯人は起承転結を分かっちゃいないっ」

 屋根裏乃が頭をかきむしる。手を放すと爆発したような髪型が表れた。

 ゲームの終了時間は十八時。しかしその前に、クリア条件である〝ジェーン・ドウの正体を突き止め、そこに至った過程を論理的に説明〟しなければならない。よって説明する時間やイレギュラーな事態に対応するためにも、十七時までに第二の密室殺人の謎を解くのが望ましい。

 今は何時だろうか。自室の床で目を覚ましたのが十五時二十六分。あれから一時間近くは経っている気がする。だとすると十六時半。残り三十分。

 私はそれを屋根裏乃に伝える。

「急いで解かないとまずそうですね。犯人であるジェーン・ドウがどうやって北条さんを殺害し、密室から抜け出せたのかを」

「私も一緒に考えます」

「お願いします。なんでもいいので気づいたことがあれば、ボクに放り投げてください。無意味と思える情報も糸口になるかもしれませんので、遠慮せずに」

「はい。では早速ですけどいいですか」

「はいっ。どうぞ」

 私は北条が内側から施錠していた可能性を屋根裏乃に告げる。

施錠することによって、自分だけの特等席のような気がすると言っていた北条。物見スペースがお気に入りの場所とも言っていた彼女なら、誰にも邪魔されないようにそうしたのではないか。

屋根裏乃が自分のおでこをペシリと叩く。

「ボクとしたことが。その話を虹崎さんの口から以前、聞きましたね。だとすると、ノックして開けてもらい、一緒に眺望しているところで隙を見て殺害というやり方が浮かびますね」

「でも、北条さんが誰かを一緒の空間に置きますかね。ノックには応えても扉は開けないかもしれない。状況が状況なだけに」

「そうですね。ジェーン・ドウとしても当然、その可能性も視野に入れているでしょう。〝拒否された時点で北条さんに警戒されて、殺害するのが非常に困難になる〟。密室殺人を行いたいジェーン・ドウとしては避けたい展開ですね」

「それでも尚、開けてくれと懇願しようものなら、ますます怪しまれる」

「はい。北条さんは絶対に扉を開けることはないでしょうね」

「はあ」

となると、やはり施錠はされていなかったのだろうか。余計な情報を与えて、無為に時間を浪費させてしまったのかもしれない。

「だからといって、ジェーン・ドウが施錠されていない扉を開けて北条さんを殺害したというのも、考えにくいんですよね」

「え? そうなんですか? それはどうして」

「思い出してください。庭野さんと共に尖塔の物見スペースに上がって、扉を押し開いたときのことを。あんな大きな軋み音なら間違いなく北条さんに耳に届きます」

 そうだ。最上階への扉は木材特有の軋み音が酷かった。あの音に北条が気づかないなんてことはないだろう。しかし――。

「北条さんが気づいたところで、上がってしまえばジェーン・ドウとしては目的の半分を達成したようなものじゃないですか。だってナイフ持ってるんですよ。丸腰の北条さんを殺すなんてたやす――あっ、無理か」

「そうです。多分無理です。北条さんには合気道という武器があります。彼女の合気道が本物なのはこの目で見て知っていますし、彼女の言動からしてナイフを持ったジェーン・ドウにも決して物怖じしないでしょう」

 返り討ちにあったジェーン・ドウが、逆に尖塔から落下する映像が過る。ジェーン・ドウの顔が庭野なのは、彼女が実際に合気道の犠牲者になったのを見たからだろう。

「じ、じゃあ、ジェーン・ドウはどこから……。尖塔の開口部から登った?」

「うーん。それは難しいですね。確かめましたが、手や足を掛けるでっぱりや隙間もほとんどないですから。あったところで素人が登るのは無謀でしょう。落下して死ぬかもしれないことまで考慮すれば、絶対にないと言い切れると思います」

「扉もだめなら開口部もだめ、ですか。ならジェーン・ドウはどうやって物見スペースに入ったんですかね」

「入って北条さんを殺害したとして、どうやって出たのかという疑問もありますね。なんといっても密室ですから。施錠してある扉からは出られない。だったら壁を乗り越えて開口部まで下りて、そこから尖塔の中に入って……って、登るのと同様に無理ですね」

「そうだ。道具があれば登り降りできるかも……あ、嘘です。そんなクライミングの道具なんてあるわけないですよね。もしあったとしたら、ゲームとしてフェアじゃないですし、興ざめですもんね。忘れてください。すいませ――」

「虹崎さんッ」

 屋根裏乃が私の右手を両手で握り、大声で名前を呼ぶ。

 一瞬、怒られたのかと思い驚いたが、どうやらそうではないらしい。

「や、屋根裏乃さん?」

「道具ですよっ、道具っ。ジェーン・ドウは道具を使ったんです」

「クライミングの、ですか?」

「違います。……そうか、そうだ。あの道具をうまく使えば……うん、いける」

「屋根裏乃さん? 何か分かったんですか」

「はい。虹崎さんのおかげで分かった気がします。それを今から確かめに行くので、一緒に来てください。時間もありません。急ぎましょう」

「はいっ」

 私は走って扉から出ていく屋根裏乃を追う。

 何気ない助手の言葉が名探偵に閃きを与える。

 この関係性にある種の恍惚感を覚えた私だった。



 屋根裏乃の探す道具は、あるべきところになかった。

 なかったからこその確信。屋根裏乃は満足そうに頷き、私にその道具を使った密室殺人の方法を簡潔に伝える。

 その方法にそうくるかと驚いている横で、屋根裏乃が表情を曇らせる。その道具が現在どこにあるのか分からないからだ。見つからなければ、単なる憶測で終わってしまう。それは絶対に避けなければならない。

「早く見つけないと。どこにある? どこに隠した? どうやって処理した? 想像しろ、犯人の思考をっ。ぐああああ」

 屋根裏乃がこめかみを拳でぐりぐりし始めた。

 しかしつくづく、ジェーン・ドウの密室殺人への執念に驚かされる。北条が物見スペースにいると分かった瞬間に道具を使った殺人方法を思いついて、実行に移したのだろうか。あるいは、北条が物見スペースに一人でいることを想定して、あらかじめ道具を用意していたのだろうか。

「もしかしたらっ」

 何か屋根裏乃の思考に進展があったようだ。

「道具の場所が分かったんですか?」

「多分。というかそこに賭けるしかありません」

 屋根裏乃が遊戯室の壁かけ時計を指さす。

 時刻は十六時四十六分。あと十四分で問題編から解決編に移行する時間へとなる。十四分あれば、凶器となった道具を探しだすことができるのだろうか。

 私は屋根裏乃に聞く。どこを捜索するかと。

「外です。尖塔の北東側の森です。投げ捨てたのならそこしかありません」

 脱兎の如く遊戯室が出ていく屋根裏乃。

 付いてこいとは言われなかったが、私は当然彼女を追いかけた。



 果たして道具は、屋根裏乃の推理通り北東の森から発見された。

 以外とすんなり見つかったのは、道具の長さが三メートル近くあったからだろう。これがもし三十センチだったらこうはいかなかった。

「ジェーン・ドウはこれを屋内に隠すのをためらったのでしょう。凶器としてはあまりにも長すぎて目立ちますし、分解したとしても、隠すまでの途中で誰かに見つかれば言い逃れはできませんから。あるいは手っ取り早いと考えた。だから開口部から投げ捨てた。槍投げの要領で。密室殺人の謎が解明され、捜索されると想像できなかったジェーン・ドウのミスです」

 地面に突き刺さっているⅥのナイフ。そのナイフのハンドルには、カーテンの切れ端によってビリヤードのキューが結ばれていて、そのキューももう一本のキューと同様に結ばれていた。

 正に、槍と形容できる凶器がそこにはあった。

 遊戯室でキュースタンドを見たときの違和感の正体はこれだった。

 あのとき、キュースタンドには二本のキューが置かれていた。しかしそれではおかしいのだ。ビリヤードテーブルは二台。よって最低でもキューは四本必要なのだから。

 屋根裏乃の眼鏡の奥の両眼が、カーテンの切れ端を凝視する。まるでそれが重要な証拠であるかのように。

屋根裏乃が槍を引き抜く。

「戻りましょう。そして〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉をクリアしましょう」

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