第四章 密室に於ける殺人
密室に於ける殺人(一)
※
本格ミステリとは、『謎解き』・『トリック』・『頭脳派探偵』の活躍などを主眼とする、推理小説のジャンルである。尚、例外はあるが、基本的に本格ミステリには探偵・犯人・被害者の三つの属性が存在する。『ジェーン・ドウ・ゲーム』では、この本格ミステリをリアルゲームに置き換え、あなたに演出してもらうことになる。
『謎解き』とは、ゲーム内であなたが作った謎を参加者が頭を使って解く行為である。尚、あなたがジェーン・ドウであるという謎が、参加者によって論理的に解かれた場合、あなたの負けとなる。
『トリック』とは、参加者を真実から遠ざける仕掛けやあざむきの手段である。同時に、犯人役に割り振った参加者に罪を着せるためのミスディレクションである。この場合の罪とは、あなたの犯した殺人のことである。
『頭脳派探偵』とは、あなたの用意した『トリック』にミスリードされる探偵役である。同時に、あなたがジェーン・ドウであることに気づくかもしれない存在であり、その動向には注視する必要がある。
トリックには、物理トリック・心理トリック・アリバイトリック・一人二役トリック・死体損壊トリック・密室トリックなどがあるが、どれを実行しても構わない。
『物理トリック』
物理法則や、機械、及び装置などの仕組みを利用したトリック。
追加報酬・一千万。
『心理トリック』
先入観や固定的な観念などの心理的な盲点を利用したトリック。
追加報酬・一千万。
『一人二役トリック』
第三者を演じることで、自分に向けられる嫌疑を逸らすトリック。
追加報酬・一千万。
『死体損壊トリック』
死体になんらかの加工を行うことにより、事実誤認させるトリック。
追加報酬・一千万。
『アリバイトリック』
存在しないはずのアリバイをあったかのように見せかけるトリック。
追加報酬・二千五百万。
『密室トリック』
人の出入りが不可能であると見せかけた空間で殺人を実行するトリック。
追加報酬・五千万。
(トリックの例は、別紙を参照のこと)
本格ミステリが何かを知ったのは、渡された資料を読んだときだった。
もちろん知識など全くなかったのだが、今では長年のファンかのように、本格ミステリに詳しくなっていた。権威ある文学賞にミステリ小説の投稿でもしてみようかと思ったが、決して無謀ではないはずだ。
しかしなぜ、あのような場所で敢えて本格ミステリを演出するゲームなのだろうか。主催者の趣味といえばそれまでだが、どうにももったいない気がする。もっとあの場所を生かしたゲームがあったのではないか。
そう考える一方で、本格ミステリほど合っているジャンルはないとも思えた。
逃げ場のない森に閉ざされた怪しげな館。そこに集まる九人の参加者達。お膳立てとしては申し分のないものであり、例え探偵がいなくとも殺人事件が起きないわけがないと言い切れるシチュエーションだ。
――そうは言っても、本当にうまくできるだろうか。
本格ミステリを知れば知るほど、自分には無理なような気がしてくる。八人を相手にうまく立ち回るなど可能なのだろうか。大して学もない自分が知的ゲームを演出するなど無理なのではないか。最初の殺人を行えないまま、いたずらに時間が過ぎてゲームが成り立たなくなってしまうのではないか。
ダメだ。悲観的になっては。
一対八という圧倒的な劣勢を覆せるだけの、アドバンテージが自分にはあるのだから。
〈ジェーン・ドウの館〉の三回の下見による、館内全ての把握。
自分だけが最初から知っている、〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉の本質。
そして自分がジェーン・ドウであるがゆえの――。
これだけのアドバンテージがありながら弱音など吐いてはいけない。ジェーン・ドウとして、本格ミステリの作り手として参加したならば、八人の登場人物をうまく動かして観るに堪えうる物語にしなければならない。
自分ならやれる。やるしかない。
全ては妹のために。
四 密室に於ける殺人
目覚ましが鳴っている。
いつもの軽快な音楽とは違う、ジリリリという耳障りな電子音。いつ目覚まし音を変えたっけなと、ノイズを発生させるそれに手をのばしたとき、私は自分の置かれている状況を思い出した。
黒い時計のアラーム停止ボタンを押し、ベッドで上半身を起こして伸びをする。
眠りが浅かったのが原因なのか、どうにも妙で現実感の乏しい感覚。いつものペタンとした布団ではなく、弾力のあるベッドで寝たからだろうか。
ベッドから降りると、朝の身支度を手早く済ませて部屋を出る。
時刻は七時四十分。八時の集合時間にはまだ早いが、館の中で適当に時間を潰していればいいだろう。
「おはよう、虹崎さん。早いわね」
ドアを閉めたところで、1号室の矢羽々に声を掛けられた。
歩きながら、こちらに手を振ってくる。
「矢羽々さん、おはようございます。部屋にいても暇なんで」
「そうよね。テレビもラジオも漫画も何もないんだから。あのブロック型食品もそうだけど、もっともてなしてくれたっていいじゃないのにねえ。せめて朝ご飯くらいはしっかり食べたいわ。目玉焼きとバターの塗られたこんがり焼けたパン。あと牛乳ね。そんなこと言ったら本当に食べたくなっちゃった。円卓に行ったら用意されてないかしらね」
朝からやけに饒舌だ。それはまるで昨日の惨劇がなかったかのように。
「期待できないですね。厨房がないですから」
「そうね。それは残念。ところで、虹崎さんは良く寝れたかしら?」
「あんまり寝れてないかもしれません」
「あらそう。私は久しぶりによく寝れたわ」
「それは良かったです」
「でね、夢を見たの」
「夢、ですか」
「そう。それもね、とても幸せな夢」
過去に想いを馳せるような矢羽々の表情。言葉とは裏腹にどこか切なくて、私はそれが何かとは聞かずに矢羽々の続く言葉を待った。
「私ね。二十代のころに弟を交通事故でなくしているの。私が運転してた車に、赤信号無視の車が横から突っ込んできてね。助手席に乗っていた弟がそれで……。もちろん、こっちが青信号よ。非は相手側にある。それでもね、やっぱり後悔するの。もっとゆっくり走ってれば良かったって。スピードを出していたわけじゃないけど、ほんの数秒違うだけで事故に遭わなかったのだから」
「……そんなことが」
幸せな夢――からの悲劇の話に私は戸惑う。
「それ以来、たまに夢を見るようになったの。助手席にいる血だらけの弟に、お前のせいで俺は死んだんだって責められる夢。事故からずっと今まで、なんどもなんども。その度に私は、ごめんなさい、私のせいであなたの命を奪ってしまってごめんなさいって、謝って……。それがこれからもずっと続くと思っていた。なのに、昨日の夜の夢は違ったの。私の望んでいた夢だった」
「望んでいた夢、ですか」
「そうよ。あれは子供の頃、よく弟と一緒に遊んだ公園だったと思う。その公園の鉄棒で、私と弟が遊んでいたのだけど、その弟がぽんって前にジャンプしたの。子供のころ、そうやってどっちが遠くに飛べるかって遊んでたのよ。……それでね、私のほうに振り返って、こう言ってくれたの。お姉ちゃんのせいじゃないよ。だからもう気にしないでって。まるでそこにいるかのような弟が優しい笑顔で」
矢羽々が零れそうになる涙を指で拭う。
まるで悪夢から解放されたかのような、そんな印象を私は抱いた。それがなぜ、敢えて今日という日なのかというささやかな疑問はさておいて。
「良かったですね。矢羽々さんは決して悪くはないですが、弟さんからそう言ってもらえて」
「そうね。本当に良かったわ。おかげで今日の朝はとても気持ちよく起きれたわ」
そこで、はっとしたように口を両手で押さえる矢羽々。自らの失言に気づいたように。
「どうかしました?」
想像はついたが、一応聞いておく。
「周防さんのこと思い出しちゃって。昨日、彼女が殺されたっていうのに、個人的なことで喜んでいる場合じゃないわよね。私ったら本当に最低ね」
「それとこれとは別ですよ。取り合えずホールに行きましょうか」
幾分、表情に柔らかさを取り戻した矢羽々と共に、ホールへと向かう。ホールへ繋がる扉を開けると、反対側の扉のところに屋根裏乃が立っていた。
「屋根裏乃さん、おはようございます」
私は挨拶をする。
しかし館の入口のほうをむいたままの屋根裏乃から挨拶は返ってこなかった。代わりに発した言葉は、「そんなっ」という驚きであり、彼女は入口のほうへ駆けていった。
「何? 屋根裏乃さんどうかしたの?」
「分かりませんけど、多分」
不安そうな矢羽々の声を背に、私も館の入り口に走る。
すると、開いた扉の陰で見えなかった〝屋根裏乃が驚いた原因〟が目視できた。
大理石のところへつくと、私は、
「屋根裏乃さん、これって」
「ええ、玄関と大理石を繋いでいる布が切れています。結び目ではない箇所から」
屋根裏乃が持っている布を見せてくれる。彼女の言った通りカーテンで作った長い布は、大理石に近いところで結び目ではない箇所が切れていた。繊維の状態から、無理やり引っ張って切れたように見える。
「ドアを無理やり開けようとして引っ張ったんですかね。でもこれ、カーテンですよね。そんな簡単に切れますか?」
「事実、切れていますのでそういうことなんでしょう。だとしても相当な力が必要だと思いますが」
「やだ、切れてるじゃないっ。ジェーン・ドウがやったの?」
遅れてやってきた矢羽々が、眼前の光景に目を丸くする。
「そうみたいですね。ジェーン・ドウ以外には――」
それ以上、言葉がでなかった。鼓動が思い切り胸を打ち、声が出なかったのだ。
「もしかしてジェーン・ドウが館の中にいたりしないわよね?」
矢羽々が口にした可能性を頭に過らせていた私は、すでに走り出していた。
もしもジェーン・ドウが館に入ったのなら、目的は一つ。新たな殺人である。ならば真っ先に心配しなければならない人物がいる。
――メイっ。
ホール左のドアを乱暴に開け自室を通り過ぎ、4号室であるメイの部屋へ。
「メイ、いる? 私よ。いるなら出てきてっ」
ドアを叩き、メイに呼びかける。そこで施錠の有無を確認していないことに気づき、私はドアノブを捻る。開かない。ほっと胸をなでおろしたが、やはり顔を見るまでは安心できない。再び室内に声を掛け、ドアを叩く。
止めてよ。昨日の〝絶対に生き延びようね〟が死亡フラグだっただなんて。そんなことは絶対に――。
ガチャリと音がした。
中から、あくびをしながら出てくるメイ。
「琉花? おはよ。どうしたの。まだ集合時間じゃないよね」
「良かった。生きていて。って、まだ寝てたの?」
「起きた瞬間にドア叩かれたのっ。え、ちょっと待って。生きていて良かったって何?」
安堵からメイを抱きしめようとしてワキワキしていた両手を落ち着かせると、私はここに至る経緯を話す。
「朝からうるせーな。何かあったのか」
そこに2号室から出てきた庭野が合流して、私はもう一度、何があったのかを二人に説明したのだった。
ホールに戻ると、大理石のそばには屋根裏乃、矢羽々、そして北条がいた。
北条はこちらに視線を流すと、先日と寸分違わぬフランス人形ぶりを発揮して挨拶を寄越してくる。
「屋根裏乃さんから話は聞きました。どうやらジェーン・ドウによって布が引き裂かれたようですね。一応聞きますが、そのジェーン・ドウをそちらでは見かけましたか?」
まるで迷い込んだ猫の所在を聞いているかのようである。
「いえ。でも、ちゃんと探したわけではないので」
「もう出ていったってことはないのか。だってそうだろ。カーテンを引き裂いて中に入ったところでマスターキーがないんだぜ? 新たに人殺そうっていってもできないだろ」
庭野の手にはナイフ。肌身離さず持っているのだろうか。
「そうよ。諦めて帰ったのよ。入った形跡残しておきながら隠れているとも思えないわ」
「矢羽々さんの言った通りだと思います。これでは捜索してくれと言っているようなものですから、ジェーン・ドウはもうすでに館にはいないでしょう」
屋根裏乃のそれを聞いて、「だって」と私を見上げるメイ。
その顔には、〝あんなに慌てふためていてドアを叩く必要あったの〟と書いてあった。
「心配して悪かったわね」
「ふふ。心配してくれてありがと」
例のニカリとした笑顔。本当に無事でよかった。
「ただ、目的を果たせずにいたとしても、ジェーン・ドウが何か工作した可能性はありますので、そこは確認したほうがいいと思います。丁度、八時ですので、まずは円卓に集まりましょう」
「そういえば万城目さんがいませんね。わたくし、呼んできますね」
北条以外の参加者が円卓につく。するとしばらくして北条が一人で戻ってきた。
「万城目さんは?」
と屋根裏乃。
「何度か呼び掛けたのですが、出てこないのです。ドアに近づいて耳をそばだてたのですが、物音もしなかったですね。疲れて熟睡しているのかもしれません。あるいは、書庫や遊戯室にいるのかもしれません」
刹那、円卓に沈黙が訪れる。
出てこない理由は本当にその二つだけなのか、と誰もが自問しているように私には思えた。
「では、こうします。矢羽々さんは遊戯室の確認。ボクは書庫と尖塔の確認。北条さんと森野さんは、もう一度、万城目さんの部屋に呼びかけてください。虹崎さんと庭野さんは申し訳ないのですが、外に出て万城目さんの部屋の窓が開いていたら、中に彼女がいるかどうか確認してください」
申し訳ないというのは、外にジェーン・ドウがいる可能性があり危険だからだろう。なら大丈夫だ。庭野がいる。ナイフを自室に忘れた私は、6号室の中の確認係ということで。
――十分後、全ての参加者が万城目の部屋の前に集まった。
「それで見えたんですね。彼女の手が」
「はい。僅かなカーテンの隙間からですが、確かに見えました」
「それは間違いねえぞ。うちも見たからな。ベッドからだらりと垂らした感じでよ。ありゃあ……」
言葉を詰まらせる庭野。
屋根裏乃が一つ大きく呼吸をしたのち、眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。
「だったら、扉を壊してでも中に入った方がいいと思います」
庭野の匂わせもあり、屋根裏乃のいわんとすることを皆も理解したはずだ。何度呼び掛けても扉を叩いても寝たままということは、そうとしか考えられないからだ。
「そういうことなら、そこをどけ」
屈伸している庭野。彼女は立ち上がると、軽く助走をつけてドアへと体当たりをする。
木造とはいえ、かなりしっかりした作りのドアだ。そう簡単に破壊できるとは思えない。が、四度目の体当たりで、軋み音を発生させたドアが内側に僅かにへこんだ。これで勢いづいた庭野が「よっしゃぁ」と五度目の体当たり。ドアノブの周辺がひしゃげて僅かに部屋の中が見える状態へ。そしてついに六度目の体当たりで、ドアが内側に開いた。
男性不在の中、やはり庭野は頼もしい存在だ。
絶対に友達にはなりたくないが。
そのまま部屋の中に入る庭野がベッドに目を向け、「うっ」と声を出す。続いて入ってしまった私も恐る恐るベッドを覗き込む。
予想通りだった。
仰向けで頭上を見上げる万城目沙羅。
虚空に向けられた焦点の定まらない両眼は限界まで見開かれ、痛みをこらえるかのように歯茎を剥き出しにして食いしばった歯。凡そ、生前の面影からは想像できない断末魔の死に顔がそこにはあった。
掛け布団が足元にあり、露わとなった下着姿の彼女の左胸は血で真っ赤に染まっている。寝ているところを、いきなり掛布団をめくられてナイフで刺されたのだろうか。何をされたのか気づいたときにはすでに虫の息だったのかもしれない。あまりにも残酷な光景だった。
右手には、この6号室の鍵が握られている。自分の意思か、あるいはジェーン・ドウに握らされたのだろうか。だとしたら何故……?
「そんな、万城目さんまで……なんで……」
「やはり殺されていましたか。お気の毒に」
いつの間にか、横に来ていた屋根裏乃と北条。
メイと矢羽々は廊下にいるが、私達の反応で彼女が死んでいることを察したのだろう、沈痛な面持ちの二人は、決して部屋に入ってこようとはしなかった。
「死体現象ですが、死後硬直はほぼ全身。背中には広範囲に渡って死斑が発現していますね。それから推測するに、死後五時間から七時間は経っている、と思います」
臆することなく死体を検分する屋根裏乃が、万城目の殺された時間を導き出す。
「詳しいんですね」
私が聞くと、
「小説を書く上でネットから得たにわか知識です。間違っていたらすいません」
と恐縮そうに身を縮める屋根裏乃。
「それで合っていると思いますよ。法医学を少々学んだだけのわたくしのお墨付きなど意味があるとは思えませんが。そうなると、万城目さんが殺されたのは午前一時から午前三時の間になりますね。多少ずれたとしても、万城目さんが眠りについていたことはほぼ間違いないでしょう」
「……どうなってんだよ。なんで殺されてんだよっ。どうしてジェーン・ドウの奴はこいつを殺せたんだよッ!」
感情の高ぶった庭野が叫び、壁を叩く。
「ドアと窓は内側から施錠されていて、この部屋の鍵は万城目さんの手の中。そしてマスターキーも使えない。これはつまり」
一方で冷静な北条が、信じがたい事実を淡々と述べる。
しかし、信じ難くても事実は事実。
だから、これは――。
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