必要としされる者(四)
ジェーン・ドウは屋外にいる。
この事実を円卓で皆に伝えたあと、二つのやるべきことを今すぐ実行するとその場で決まった。
一つ目は、周防を彼女の部屋である8号室へ移動させ、ナイフとマスターキーを廃棄する。
二つ目は、ジェーン・ドウが外から入ってこれないように、玄関扉に工作をおこなう。
というもので、現在、一つ目が半ばまで終わったところだった。
ベッドで仰向けに横たわる周防。目を閉じて手を胸の上で合わせるようにしているその様が、人形の女性と重なる。まるで暗示であったかのように。であれば、その対象がなぜ私でなかったのか。そんな疑問に回答できる脳細胞を持ち合わせていなくて、私はただ手を合わせて周防の成仏を祈るのみだった。
「おやすみなさい、周防探偵」
屋根裏乃が掛布団を顔まで掛ける。
「ほら、持ってきたぞ。使わないナイフ」
「とマスターキー」
「ありがとうございます。それらは絵画の下にまとめて置いてください」
屋根裏乃が指示した通りの場所に庭野がナイフを置く。
ナイフは十二本のうちの九本。残りの一本はジェーン・ドウが持っていると思われ、二本は庭野と私が所有している。ほかにも護身用に持ちたい人間はいるかと庭野が聞いたが首を縦に振る者がいなかったので、廃棄するナイフは九本となったのだ。
同様にマスターキーもだ。マスターキーの存在は私と北条と屋根裏乃しか知らなかったようで、そんなものがあったのかと驚く参加者もいた。
驚きが恐怖のスイッチを押したのはすぐだった。
それも当然だろう。ジェーン・ドウが館の中にいつでも入ってこられる状況下でマスターキーも自由に使えてしまうのなら、施錠した個室にいても全く安心できない。いつでも殺してくれと言っているようなものである。
とくに恐怖が色濃く出た万城目がどこかに捨ててと叫ぶので、マスターキーも周防の部屋に廃棄することになったのだ。万城目の態度がなくてもそうなったと思うが。
そのマスターキーを持つメイが、ナイフを見下ろしたままなにやら難しい顔を浮かべている。
「森野さん。そのマスターキーなんですが……」
「このマスターキーって、本当にマスターキーなのかな」
メイの疑問の意味を知ったとき、みるみるうちに看過できない重大な懸念へと変質していった。
真っ白いプレートが目印のマスターキー。メイが持っているのは正しくそれであり、誰が見てもマスターキーである。しかし、実際にそのマスターキーはマスターキーとしての用を為すのだろうか。
「素晴らしい指摘です。森野さん。実はボクもそれを疑っていたんです。キーのみを個室の部屋の鍵と交換している可能性だってありますから。なので8号室をこの鍵で施錠しようと思います。施錠できればマスターキーということになりますから」
「うん。そうしたほうがいいと思う」
屋根裏乃も気づいていたようだ。簡易的なキーリングゆえに、キーのすり替えが可能だということに。
マスターキーは何も隠されていたわけではない。誰にも見つからず周防を殺すようなジェーン・ドウならマスターキーをめざとく見つけて、空き室の鍵とのすり替えくらいやってのけるのではないか。
忍者かのような隠密ぶりと情報収集能力に苦笑いがでる。どこかであり得ないと思っている自分がいるのだろう。それも確かめれば分かることだ。
「だったら早くしようぜ。あんまりこの部屋にはいたくねえからよ」
「……そうですね。では廊下に出ましょう」
庭野と屋根裏乃が廊下へと移動する。その後ろにつく私だったが、ふと、ポケットの中にある粉々になったブロック型食品を思い出し、その流れでカフェテーブルに視線がいく。
そこにあったのは8号室の鍵と十本のペットボトル、そして十三個のブロック型食品だった。ペットボトルの一本がほとんど空なのは飲んだからだろう。では、食べたであろう十六個のブロック型食品の包装袋はどこにあるのだろうか。
ブロック型食品は全部で三十個だったはずだ。
カフェテーブルの下に置いてあるゴミ箱にはない。ベッドの下など部屋の死角になる場所にもなくて、三点ユニットバスの中にもなかった。
一体、どこに捨てたのだろうか。そもそも、〈ジェーン・ドウの館〉に入ってまだ四時間ほどなのに十六本も食べるだろうか。どうして、粉々になった一本だけが周防のポケットに入っていたのだろうか。
なぜ。
次の瞬間、視界が真っ白になり頭の中に映像が溢れる。
覚えのない光景だった。誰か知らない人間の目を通して世界を見ているような、そんな
不思議な感覚。一体、これは――。 (気づけ)
「琉花、どうしたの? 早く廊下に出ようよ」
「……え?」
「廊下に出ようって言ったの。屋根裏乃さん達、廊下で待ってるよ」
「あ、そうだったね。ごめん」
怪訝な表情のメイと共に廊下へと出る。
今のはなんだったのだろうか。
分からない。なら考えても仕方がない。今大事なのは、マスターキーが本当にマスターキーであるかの確認である。
「では、確かめます」
屋根裏乃が三人の注目を浴びながら、マスターキーを鍵穴に差し込み、回す。
ガチャと音がした。屋根裏乃がなんどかドアを開けようとするが開かない。施錠されたようだ。屋根裏乃は念のためにと、隣の9号室のドアでも確かめる。そこでも結果は同じだった。
「ふぅ。どうやらマスターキーのようだな。心配しすぎなんだよ。おめえはよ」
「何よ。今すごいホッとしたくせに。自分が一番心配してたんじゃないの」
「し、してねえしっ。うちは最初からこれはマスターキーだと思ってたっつーの」
「はいはい」
メイを見下ろす庭野の口がわなわなと震えているが、図星だったのかもしれない。安心したかと言えば私もそうだし誰だって同じだろう。素直であれ。庭野。
「良かったです。この鍵は間違いなくマスターキーのようですね。それでは施錠もできたので次は8号室を密室にします。外に出ましょう」
屋根裏乃が次なる行動に出る。
そのタイミングでメイが離脱を申し出る。玄関扉の工作を行う第二グループである矢羽々と万城目を手伝うとのことだ。引き止めはしない。いつの間にか密室作成を行う第一グループに付いてきていたメイだが、本来は第二グループ担当である。
それに屋外は危険だ。メイが言い出さなければ私が離脱を促していただろう。
玄関の扉から外へと出ると、私達はそのまま8号室の窓の前へと壁伝いに歩いていく。
「護衛は任せろ。ジェーン・ドウのことは気にするな」
ナイフを構えて臨戦態勢の庭野。屋外にジェーン・ドウがいると分かった以上、それは当然の姿勢だ。なのに私が庭野と同じようにできないのは、単にヘタレだからである。現在、ナイフを持っていないからという言い訳はさておいて。
「ここですね」
8号室の窓の前に着くと、屋根裏乃が右手の肘までを窓の隙間にいれた。
せーのっ、と腕を振り、持っていたマスターキーを部屋の中に投げ入れる。狙いはナイフの置かれた辺り。大体その辺に落ちたように見えた。
部屋のドアは施錠されていてマスターキーは絵画の下。8号室の鍵も、窓から離れて死角となっているカフェテーブルの上。どちらの鍵も、下部が十センチしか開かない窓から取るのは物理的に不可能である。
斯くして8号室は密室となった。仮にジェーン・ドウがナイフとマスターキーが8号室にあると知ったとしても部屋に入ることはできない。
これで就寝中に個室に侵入される心配はなくなった。あとは館の玄関扉を外から開けないようにできれば安心を手に入れることができる。第二グループのほうは順調に進んでいるだろうか。
館の中に戻ると、円卓の椅子に座る北条が皇室の女性のようにお手降りをしてくる。
「おかえりなさい。密室のほうはうまく作れましたか」
「もう誰も入れないし何も取れないはずです。窓が少し開いてますが、問題はありません」
「それは良かったです。あとは玄関扉の工作が首尾よくいけば今日はぐっすり寝むれそうですね」
「はい。あ、矢羽々さん達はまだ3号室ですか?」
「ええ」
玄関ドア監視役の北条が、そちらにあるのが3号室でございますと言わんばかりの上品さで、右手を右に向ける。
手伝いましょうとの屋根裏乃に対して、「うちの仕事じゃねえ」と円卓の椅子に座ってふんぞり返る庭野。私はといえば、手伝う以外にやることもないので屋根裏乃の呼びかけに応じることにした。
第二グループには手際のよさそうな矢羽々がいるから、もうそろそろ出てくるかもしれない――と思った矢先、3号室のドアが開き、ぬぅっとでてくる矢羽々。その手には私が渡したナイフが握られている。
「カーテンよく切れたわ。はい、返すわね」
学校の先生が、汚らわしいものかのようにナイフを返してくる。
私は受け取りながら、
「できました?」
「ええ、ほら。かなり長く作ったから充分届くと思うわ」
「ちゃらららっちゃらーん。カーテンを切って繋げて作った緊急脱出に使いそうな長い布ー」
メイがネコ型ロボットを真似てくる。万城目と共に手に持って出てきた秘密道具はなんら魅力的ではないが、しっかり作られた長い布であることは確かなようだ。
「結び目はふたえつなぎなので、そう簡単にはほどけませんよ」
結び目に自信のありそうな万城目。ふたえつなぎという結び方は知らないが、かなり信頼性の高い結び方なのだろう。あとはこの長い布を、玄関扉のドアノブと大理石で繋いでしっかり張れば、屋外から玄関扉を開けることはできなくなるはずだ。
――ニ十分後。
「すげえな。僅かに動くが、これだったら絶対入ってこれねぇ」
玄関扉を力任せに押す庭野。彼女の言った通り、玄関扉は張った長い布により二センチ程度しか外へ開かない。紙のようにペラペラの人間でなければ通り抜けは不可能だ。長い布による工作は、予想以上にうまくいったようだ。
鍵もなければ重い物で塞ぐこともできない中、アイデアの勝利である。
「これでジェーン・ドウによる外からの侵入、及び襲撃は防げます。ないと思いますが、最悪、館の中に入られたとしても施錠さえしておけば、絶対に部屋に入ることはできません。マスターキーはすでに密室となった8号室の中ですからね。あの部屋にも入ることは不可能ですから」
円卓に集まる皆に、安心を強調する屋根裏乃。彼女はちらりと、鞘だけになったナイフの大時計に目を遣ると続けた。
「時刻は九時四十分。あとは解散して自由時間としたほうがいいですかね。このあとボク達がゲームクリアのためにすることは、まずは朝になって明るくなったらジェーン・ドウを探しに行く、ですから。どうでしょうか?」
「それでいいんじゃねえの。現状、やることはやった。なんだかすげえ疲れたし、うちは早く寝てえよ」
「そうですね。明日のために英気を養っておくべきです。明日のジェーン・ドウとの対峙を考えたとき、疲労を残しておくのはよくありません」
庭野と北条が賛成の意を表明し、ほかの参加者も異を唱えることもない。
屋根裏乃は満足そうに頷く。
「明日の朝、八時にまた円卓に集合してください。では解散です」
いつも寝るのは十時だからという矢羽々と、早く横になりたいという万城目は早々に部屋へと戻った。
あくびをしてリラックスしているかのような矢羽々はともかく、沈んだ表情を浮かべる万城目が気になる。
「ジェーン・ドウの襲撃という緊張から解き放たれた途端、息子さんのことを考える余裕ができてしまったのかもしれないですね」
「え? そうですね」
同情の念を抱くように、万城目を見詰める北条。
「息子さんが何をしているのか気が気でないなか、彼女は投げやりになることもなく和を乱すこともなく、わたくし達に協力的であろうとしています。ゲームクリアしたらすぐに息子さんと会えるように、主催者側が配慮していることを祈りたいですね。さて、わたくしは少し風に当たってから寝ようと思います」
「風? 外にはもう行けないけど」
きょとんとしているメイ。
だけど私には分かる。彼女が行こうとしているのは、
「尖塔に上るんですね」
「はい。深淵のような夜の森を眺めながら風を感じていると、非常に心が安らぐのですよ。それでは」
にこやかな笑みを浮かべながら、尖塔へ足を向ける北条。
あんな闇の塗りたくられた悍ましい森を眺めて心が安らぐとは、精神構造が私とは全く違うのだろう。本当に不思議な人である。
「尖塔に行くっつったのか、あの女社長」
誰かと思ったら庭野だ。
彼女の動向が気になるのだろうか。
「そうみたいですね。風に当たってから寝るそうです。また施錠して、自分だけの特別な空間にすると思います」
「なんか掴めないよな、あの女社長。めちゃくちゃ美人だけど、うちは苦手だわ」
それだけ言って去っていく、おばあちゃん子の介護士。その足取りには疲労の蓄積が見て取れる。早く寝たいと言っていたが、すぐにでも有言実行するだろう。
「あいつ正直、今でも嫌いだけど、仕事ぶりは褒めてやってもいいかも。ああいう実行部隊的な奴、やっぱり一人は必要ね」
「それは同感。ちょっと粗暴なところがあるけれど、頼もしいとは思う。庭野さんがもしもしおらしい女性だったら、館の捜索だってしてなかったと思うし」
「やめてよ、琉花。あのビジュアルでしおらしいとか笑っちゃうじゃん」
「って、メイが言うから想像しちゃった。ふふふ」
「あはははは」
笑い終わったところで、私は円卓に残る屋根裏乃に声を掛ける。
「屋根裏乃さん、私達はもう行きますね」
「……。あ、はいっ。おやすみなさい。ボクはもう少し、ここにいます」
座ったまま、ぺこりと頭を下げる屋根裏乃。なんらかの思考に勤しんでいたのか、私の声掛けにすぐに気づかなかったようだ。
挨拶をして部屋に戻る。5号室の前に来ると私は、メイに一言投げる。
「また、明日。おやすみ」
「あ……」と声を漏らすメイが、視線をあっちへこっちへと揺動させる。やがて、もじもじしながらこう呟くのだった。「少し、琉花の部屋で話してもいいかな」
「私の部屋で? えっと、何を話すの?」
「それは……別に決まってない。ただ、少しだけ話したいなって」
「別にいいけど。寝るのは十一時くらいでいいと思っていたし。入る?」
「うん。やったっ」
緊張が解れて安堵したようなメイ。
嬉しさを隠そうとしないメイがなんだか可愛くて――。
まるで妹かのような愛おしさを覚えた。
「なんだかさ、大変なことになったよね。まさか周防さんが殺されるなんて思わなかったじゃん。命の危険があるゲームってことは分かってたけどさ」
ベッドで私の横に座って、足をぷらぷらさせるメイ。その口の中では、バナナ味のブロック型食品を咀嚼中である。
「そうだね。最終的には周防さんが、皆をゲームクリアに導いてくれるものだと思っていたからね」
「それが実際には、〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉開始のトリガー役だった。こういうの、意外な展開っていうのかな」
「小説とかだったらね。あ、もし小説だったら、私が真っ先に殺されていたかも」
「なんでそう思うの?」
メイの声のトーンが変わったような気がした。
「だって私は、参加者の中で何者にもなれていない半端者だから。皆が自分を持っている中、私は自分を持つことはおろか、正直何をしたいのかもよく分かっていない。なんとなくこうしたほうがいいと思ったことをしているだけ。要は、いてもいなくてもいいような、そんな存在。だから殺されるなら私のほうがよっぽど相応しくて――」
「そんなことないっ」
殊更に、大きな否定の声。
私は驚きつつ、メイに見向く。
おざなりではなく真剣に怒ったような彼女がいた。
「琉花はヒント探しの危険性に気づいて、私や矢羽々さんに教えてくれたじゃん。率先して、皆に伝えようとしてくれたじゃん。結果的に危険はないことが分かったけど、すごい大事な行動だったと思うよ。それなのに、いなくてもいいような存在とか言うなんて、絶対に違う」
「ご、ごめんなさい」
謝る私。
メイに対して失礼なことは言っていないし小説だったらとの前置きもしていたが、そうしたほうがいいと思えて。
「反省してるならよろしい。虹崎さんはもっと自己肯定感を高く持ってください」
「声色も変えて、急に誰?」
「中二の担任だった柴田先生」
「知らなーい」
「だよね」とメイが笑い、私もつられて頬を緩ませる。
ふと押し寄せる安堵感。張っていた気が霧散して束縛から解放されたような、そんな感覚だった。
そのあとも私はメイと話を続けた。
参加者に対する印象。ブロック型食品の味について。ジェーン・ドウがどんな人間なのかの考察。結局のところ〝人形の女性〟はなんなのか――。その他、館の外の森はどこまで広がっているのかとか、書庫の本が知らない英語の本ばかりなのはなぜなのかとか、二千万円の具体的な使い道とかなど。
どれもこれも雑談程度で、疑問については明確な答えなどでなかった。だけど求めているのはそこではない。詰まるところ、メイと話をすることができればそれだけで良かったのだ。
こんなにも彼女に依存している自分を、私は今知った。
「ふう。いっぱい話しちゃったね。戻ろっかな」
「そうしたほうがいいね。もう十一時だし」
ベッドから降りるメイ。
一つ大きく伸びをする彼女がドアへ歩き、振り返る。
「ずっとね。気が休まらなかった。殺人を目の当たりにするなんて初めてで恐ろしかったし、館に入ってこれなくても犯人が外にいると思うと怖かったし。でも今は、心が落ち着いている自分がいる。全部、琉花のおかげだよ。琉花と話して凄く楽しかったから」
「それは私も同じだよ。メイのおかげでぐっすり寝れそう」
「八時には円卓だからね。寝過ごさないように」
「大丈夫、だと思う」
「ふふ。おやすみ」
「おやすみ」
廊下に出るメイ。
最後に彼女はこう口にした。
「絶対にゲームクリアしようね。あと絶対に生き延びようね」
ドアが閉まる。
――生き延びる、か。
言われるまでもない。
メイを必要とする私がメイに必要とされているのであれば、もうモブキャラではないのだから。
カフェテーブルにナイフを置くと、私は眠りについた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます