密室に於ける殺人(二)


「密室殺人」

 ぽつりと呟く屋根裏乃。

 そうだ。これはその密室殺人だ。ジェーン・ドウは、窓もドアも施錠されているこの部屋に何らかの方法を使って入り、万城目を刺し殺したあと煙のように消えたのだ。

「凶器はおそらくナイフでしょうが、この部屋にないことから犯人が持っていったようですね。密室を作っておきながら自殺に見せかけるつもりがないのは、密室を作ること自体に意味があるんだと思います。これは、どうやって密室殺人を実行したのかというジェーン・ドウからの挑戦であり、それを論理的に解くのがボク達のすべきことなんだと思います」

「名探偵に続いて、万城目もゲームの盛り上げ役で死んだ。そういうことか?」

「はい。ゲーム進行上のイベントとして殺されたんです。いよいよもって、ジェーン・ドウの殺意が複数に向いていることが分かってきました。凶器のナイフがないのも、それを裏付ける証左ではないでしょうか」

「嘗めやがってあの野郎」

 庭野のナイフを持つ右手が震える。

 それは怒りからだけだろうか。

 二重の対策をしたのに、私達をあざ笑うかのように万城目を殺害したジェーン・ドウ。しかも密室殺人などというとんでもない置き土産を残して。

 ジェーン・ドウに対して瞋恚ではなく、畏怖の念が沸く。姿を見せずに二人の人間を殺した何者かが恐ろしかったのだ。だからこそ知りたい。ジェーン・ドウがモンスターや超人ではなく、私達と同じ単なる人間だということが。

「ジェーン・ドウを探しに行きましょう。夜と違い、今ならライトなしで周囲の確認も可能ですし、武器だってあります。だから探しにいきましょう」

 この場にいる参加者の視線が私に集まる。

 私が捜索を持ちかけたのが意外だったのか、微妙な間が開く。ややあって庭野が口を開いた。

「おう。行こうぜ。うちもそう思ってたところだ。ジェーン・ドウからの挑戦なんか知るかよ。うちらのすべきことは、ジェーン・ドウをとっ捕まえることだ」

「うーん。それはなんというか邪道でゲーム的でないと思います。密室の謎を解いてこそ、ジェーン・ドウの正体を暴けるんじゃないでしょうか」

「じゃあ、その密室の謎を今すぐ解けよ」

「今すぐはちょっと。もう少し考える時間をください」

「もう少しってどれくらいだよ?」

「そ、それは……」

 口ごもる屋根裏乃。それで流れがジェーン・ドウ捜索へと傾いた。

「探しにいきましょう。屋根裏乃さんのおっしゃった通り、密室の謎を解かないとジェーン・ドウの正体を暴けないのであれば、ジェーン・ドウを見つけたとしても正体を暴けないはずです。だから探すこと自体に問題はないと思います」

 ジェーン・ドウを見つけたとしても正体を暴けない。

 北条のそのいい回しに若干、首を傾げる私だが、何かとても的を得ているようにも思えた。



「やっぱり万城目さんは……殺されてたの?」

 廊下へ出ると、恐々とメイが聞いてくる。

 分かってはいるものの、聞かずにはいられないのだろう。

「はい。胸を一突きで。見なくて良かったと思う」

「そんな……。お子さん、翔真君はどうするのよ。お母さんの帰りを待っているというのに」

 矢羽々の悲痛な声が廊下に響く。

 だが、それに続く言葉は誰からもでてこない。非情な話だが、万城目の息子の心配をしている状況ではないのだ。野放しになっているジェーン・ドウを探す。今はこれだけを考えなければならない。

「私達は今からジェーン・ドウを探しに行きます。メイと矢羽々さんはどうする?」

「探しに……? だったら行く。だって万城目さん、施錠してある部屋で殺されたんでしょ? 隠れて待つのも怖いもん」

「そうね。私も行くわ。一人で残るなんて絶対無理よ」

 こうして六人によるジェーン・ドウの捜索が始まった。

 その際、一応確認のために8号室の室内を外から覗き見たが、マスターキーは投げ入れた場所にあった。やはり密室での殺人である。それは間違いない。

 歩き始めると、ナイフを持つ私と庭野と体術を得意とする北条が、残り三人を囲むというフォーメーションが自然とできあがる。私のところだけ攻撃力と防御力が著しく低いと思われるが、そっち方面からジェーン・ドウが来ないことを祈りたい。

「ねえ。探すって森の中をくまなくなのかしら? フェンスで囲まれているといってもけっこう広いんじゃない?」

「なら三、三で別れて、半分づつ探すか? うちは構わねえよ」

「それは……」

 庭野の提案に矢羽々が口ごもる。

 二手に分かれれば探すには効率的だが、ジェーン・ドウに襲われたときの対処人数が減ってしまうゆえの反応だろう。

「安全第一でみんなで固まって移動したほうがいいと思います。探し方としては、疲れるかもしれませんが館の回りを蚊取り線香のようにぐるぐる回って、フェンスに向かっていくのはどうでしょうか。幸い、木と木の間隔は空いていて視認できる範囲は広いですし、この方法なら探し漏れの場所は極力減らせると思いますが」

 屋根裏乃が探索方法を提案する。

 実際、効率がいいのだろう、反対する者はいなかった。

「その方法だとフェンスまでどれくらいかかりそうだ?」

 庭野が私に聞いてくる。

 フェンスからジェーン・ドウの館まで直進して、体感的に十分ほどだったような気がするが、だったら一キロはないはずだ。それを踏まえて私は庭野に質問返しする。

「何周してフェンスまで行きますか? それによって変わってきます」

「五周くらいでいいだろ」

 即答するヤンキー介護士。

 適当だろうが、そんなものかもしれない。

 私は、直進で十分くらいだと前置きしたあと、五周分の螺旋の長さを時間に換算して、大体、一時間二十分から三十分くらいだと答えた。

「そこに、休憩や館に戻る時間を含めて二時間ってところですね。いい運動になりそうです」

「メイは次の日は筋肉痛かも」

 北条とメイの対照的な反応ののち、私達は探索を再び始める。

 周囲に目を配りながら、まず館を一周。その一周で百メートルは館から離れただろうか。そして二周目、三周目と捜索を続けたところで休憩。館は木々に隠れて見えない。ジェーン・ドウも未だ見つからない。

 十分ほどの休憩ののち、捜索を始める。矢羽々やメイの疲労度を考えればこの辺りでジェーン・ドウが見つかってほしいところだが、そんな都合よくいくこともなく結局、私達はフェンスが見えるところまで来てしまった。

「フェンス、本当にあったのね。あれを上るのは無理ね」

 やや呼吸の荒い矢羽々がフェンスに視線を遣る。

「そうですね。それとフェンスが館を囲んでいるのもほぼ確かだと思います。緩やかな曲線を描いていますから。それはさておき、ジェーン・ドウですが……こうまで見つけることができないとなると襲ってきてほしくもなりますね」

 冗談とも本気ともつかぬ言葉をため息交じりに吐き出す屋根裏乃。

 しかしその顔には疲労感は浮かんでいるものの徒労感は見えない。彼女はまだ諦めていないようだ。

 引き続き螺旋状に歩き、フェンスに到着。その間にジェーン・ドウに襲われることはなかった。

「あー、くっそぉっ。なんでいねえんだよ。どこに隠れていやがるんだあの野郎。出てこい、殺人鬼野郎っ、うちとタイマンで勝負しやがれっ。びびってんのか、コラっ。早く出てこいって言ってんだよッ」

 苛立ちが爆発した庭野の怒声が、森に響き渡る。

 しかしジェーン・ドウが応えることはなかった。その後もフェンス沿いを歩きながら庭野は喚き散らしていたが、声を発するのも疲れたのか、やがて無言になった。

 効率のいい探し方をしたといっても、森の全てに目を配れたわけではない。そもそもジェーン・ドウが私達の捜索を予想し警戒していたならば、向こうだって見つからないように身を隠すに決まっている。案山子のように、ただ突っ立てるわけではないのだ。

 想像したくはないが、今頃ジェーン・ドウは愚かな六人を嘲笑しながら、館に侵入しているかもしれない。戻ってきた私達を殺すための工作をしているかもしれない。

 ――この捜索は間違いだったのだろうか。

 そんな後悔が脳裏を過った数分後、私達はジェーン・ドウを見つけた。



 女はフェンスのすぐそばで大の字になり、息絶えていた。

 彼女の回りには赤黒い血液が其処かしこに飛散していて、首とその首を押さえる左手もまた血に染まっている。ナイフで何者かに首を切られたのだろう。なんとか出血を抑えようとする必死な姿が浮かび、私は顔を歪める。あまりにも凄惨で信じがたい光景だった。

 検分した屋根裏乃が言うには、死後四時間から六時間は経っているとのことだった。

「……おい。この死体は一体誰だ?」

 庭野の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。

 気持ちは分かる。認めたくないのは私も同じだ。

 しかし――。

「探していたジェーン・ドウです。ボク達と同じ上下黒の服。それにボクのおぼろげだった記憶がこの人とピタリと重なりましたから。そうです。こんな感じの線の細い女性――で、した」

 なぜか語尾が安定しない屋根裏乃。

「どうかしました?」

 私は聞く。すると彼女は「あっ」と一つ大きな声を上げて、「思い出しましたっ」

「何をですか?」

「この人のことです。ボクはこの人を知っています。周防探偵が解決した事件の一つに傀儡の館殺人事件というのがあるのですが、この人はその傀儡の館の使用人です。あの事件についてはボクも独自に調べたので間違いないです」

 周防の大ファンなら、彼女の解決した事件を個人的に調べていても不思議ではないだろう。それはさておき、ジェーン・ドウと周防の間には接点があったらしい。

「つまり、ジェーン・ドウは周防探偵を知っていたということになりますね。その逆もしかり。そこまでは分かりますが、この状況とどう関係するのかが見えてきません。今の明らかとなった事実が、ジェーン・ドウである彼女が殺される理由に繋がるのですか?」

 と北条。

 それは誰もが知りたい情報だ。

「えっと、まず話をすっきりさせるために、〝実はジェーン・ドウがジェーン・ドウではなくボク達と同じこちら側の参加者であり、周防探偵や万城目さん同様の被害者だった〟という認識でお願いします」

「そうですね。殺す側だと思っていた彼女が殺されているのですから、それが正しいでしょう」

「はい。話は戻りますが、先ほどボクが言った傀儡の館の殺人事件は解決こそしていますが、真犯人に協力していた人間が行方不明になっていたんです。それが使用人である彼女、名前は確か遠藤えんどう日向ひなただったと思います」

「協力していたということは幇助犯ですね」

「はい。些細な協力でしたが、それでも犯罪は犯罪。なので遠藤も当然、逮捕という流れだったのですが、警察が目を離した隙に彼女はいなくなっていました。指名手配犯となった遠藤が〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉に参加した理由は分かりませんが、彼女はすぐに参加したことを後悔したでしょうね。参加者の一人に周防探偵がいたんですから」

「遠藤さんにとっては最悪の邂逅ですね。周防さんに知られる前に今すぐにでも逃げ出したい――ああ、そういうことですか」

「そうです。遠藤は扉を開けるための指紋認証まではしたが、参加者の一人に周防探偵がいることを知ってどこかのタイミングで逃げたんです。彼女にとって幸いだったのは、周防探偵に素性がばれなかったことでしょうね。ボクがもっとしっかり見ていれば遠藤だと気づけたはずなのに、不甲斐ないです」

 悔しそうな表情を見せる屋根裏乃。気づいてさえいれば、周防と万城目の死を防げる別のルートに進めたと思っているのかもしれない。

 都合のいいバタフライ効果などとは一蹴できない。些細なことで未来は大きく変わるものなのだ。

「ちょっと待てよ。じゃあこいつは、名探偵から逃げたってだけなのか?」

「おそらく。服の腕の部分のほつれ具合から、有刺鉄線のフェンスを上ろうとした形跡も見て取れます。とにかく周防探偵から逃げたかったんだと思います。だから遠藤は館に近づくこともなく、お腹が空いても眠くなっても森の中に居続けた。本当にそれだけだと思います」

「そんな奴をうちらは殺人鬼だと警戒して神経をすり減らしていたってのか? だとしたらとんだ間抜けじゃねぇか」

 自嘲気味に笑う庭野。しかし捜索は無駄ではなかったはずだ。遠藤がジェーン・ドウではないと分かったのだから。

 私達は館に戻る間、一言も喋らなかった。まるで口を開いたら、積み上げたトランプタワーを崩してしまうかのように。それほど私達は危うい均衡の直中にいたのだ。それをまざまざと知るに至ったのは、円卓で恐る恐るメイが言葉を吐き出したときだった。


「本当のジェーン・ドウはこの中にいるってことだよね?」

 

 それは誰かが発しなければいけない核心だった。

 パンドラの箱を開けたかのようなメイに向けられる八つの瞳。そこに非難が込められているような気がして、私はメイに言わせてしまった罪悪感もあってか、彼女の援護射撃を買ってでる。

「遠藤さんがジェーン・ドウでなければそうなるよね。だって主催者側が、〝ゲーム参加者である九人以外の人間は存在しません〟と明言しているんだから」

「自殺ってことはないの? た、例えば周防さんと万城目さんを殺してしまった罪の意識から、とか。だってねえ、私たちの中に三人を殺した殺人鬼がいるなんてそんな……」

「自殺はないでしょう。ナイフがあの場になかったのですから。矢羽々さんのお気持ちは理解できますが、現実を直視しなければなりません」

「そう……なのね」

 矢羽々の希望的観測を、北条が冷静且つ無慈悲に打ち砕く。

 再びの無言。次の誰かの発した言葉が爆弾になるであろうと息を飲んだそのとき、

「誰なんだよ。ここにいる誰がジェーン・ドウなんだよ」

 庭野がその爆弾を放り込んだ。

「わたくしではありません。あいにく無神論者ですが、神に誓って」

 即座に否定する北条。

「私だって違うわよ。人殺しなんてそんな恐ろしいことできるわけがないわ」

「メイだってそう。絶対にジェーン・ドウなんかじゃない。それは信じてほしい」

 追随するように矢羽々とメイ。

「私も違います」

 当然、私もだ。私がジェーン・ドウじゃないことは私が分かっている。はいそうですかと納得させられるわけもないが、それが事実なのだからしょうがない。

「そうか。お前らは違うのか。だったら眼鏡。お前しかいないってことになる」

「こんなことをしても意味ありませんよ」

 眼鏡と呼ばれた屋根裏乃がため息交じりに呟く。

「あ? 意味がないってどういうことだよ」

「言葉通りですよ。誰かがジェーン・ドウだったとしても、その誰かが自分がジェーン・ドウだと認めるわけないじゃないですか。ジェーンドウかどうかと問われればボクも違うと答えますし、庭野さんだってそうでしょう。だから意味がないんです」

「と、取り合えずは聞くだろ。そこの先生がさっき言っていた罪の意識。そいつに苛まされて白状する奴がいたかもしれねえだろ。いなかったけどよ」

 白状までいかなくても、すでに三人殺している殺人鬼に果たして罪の意識などあるのだろうか。

 素人の憶測だが、三人の命をナイフの一撃で刈り取っていることから、ジェーン・ドウは殺人に対して迷いがないような気がする。生来の残忍な気質なのか、あるいは目的のために感情を押し殺しているのか。どちらにせよ、私を除いた五人の誰かがジェーン・ドウであることは間違いない。

 矢羽々、庭野、北条、屋根裏乃、そして……メイ。

 この五人のうちの一体誰がジェーン・ドウなのだろうか。

 そこで屋根裏乃が立ち上がる。

「一旦、解散しませんか? 皆さん、疲れているでしょうし、まずは休みましょう。犯人捜しはそのあとでもいいと思います」

「そうね、そうしましょう。二時間も歩いたのよ。少しベッドに横になりたいわ」

「そうはいかねえよ」

 同調する矢羽々だったが、庭野が即座に否と声を上げた。

「お前ら五人の中にジェーン・ドウがいるって分かっていながら、解散なんてありえねえ。一人になった瞬間に何らかの殺人工作を始めるかもしれねえだろ。今、この場で、ジェーン・ドウが誰かはっきりさせるべきだ」

「はっきりと言いますが、ジェーン・ドウだと疑うに値する行動を誰かしていますか? 少なくともボクはそんな方を知りませんが、庭野さんは誰か心当たりでもありますか?」

「それは、ねえよ。ねえけどほら、その、あれだ。アリ、アリ、アリ……」

「アリバイですか?」

「そうっ、アリバイ。三つの殺人を実行することのできた奴には、そのアリバイがねえわけだろ。だから、そっちからのアプローチで疑うに値する奴がいるはずだ」

 アリバイ――現場不在証明。

 その有無の確認は確かに有効な方法だ。しかし、少し冷静になって考えれば分かるはずなのだ。

「無理ですよ、アリバイからアプローチは」

「なんでだよ?」

「説明します。まず第一の殺人ですが、周防探偵が殺されたのは、昨日の十九時五分から二十時の間と話しました。さて、その間にアリバイのあった方はいたでしょうか? おそらく皆さん、自由に行動されていて一人になる時間のほうが多かったと思います。そうなると誰もアリバイがないということになります。一応聞きます。その時間帯に、確固たるアリバイがあるという方は手を上げてください」

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