密室に於ける殺人(三)
誰も手を上げない。
屋根裏乃の推測通り、全員が多くの時間を単独行動に費やしていたからだろう。
メイとずっと一緒にいればお互いにアリバイを証明できたのだろうか。いや、言ったところで、その場しのぎの口裏合わせと断じられるような気がする。
「次に第二の殺人ですが、万城目さんが殺されたのは、今日の午前一時から午前三時の間。普通に考えれば寝床に入っている時間です。よってここでもアリバイがある人がいるとは思えません。第三の殺人も同じようなものです。死亡推定時刻から犯行は午前四時から六時。やはりまだ寝ている時間帯じゃないでしょうか。仮に起きていたとしても一人でいるのが自然でしょう。つまり全員が全ての殺人に於いてアリバイがない。だから無理と言ったんです」
そうなのだ。
アリバイからのアプローチだと、誰もがジェーン・ドウであってもおかしくないという結論になってしまうのだ。
ぐうの音も出ないのか庭野は口をぱくぱくさせると、「じゃあ、どうすりゃいいってんだよっ」と机を叩いて椅子にふんぞり返った。
「どうもこうも、現状ではジェーン・ドウは誰かと特定することはできませんよ。だから解散して一旦休みましょう。ボクはその時間を使って密室殺人の謎を解くことに尽力します。その謎さえ解ければおのずと犯人は浮かび上がってくると思いますから」
屋根裏乃が立ち上がる。
誰も休憩に反対しないと踏んだのだろう。
もちろん私も反対しない。一度生まれた疑心暗鬼の渦から脱するには、この場を離れなければならない。心身共に休ませなければ、健全な思考などできないのだから。
「ところで森野さんにお聞きしたいのですが、あなたはなぜ午前四時頃に一人で外を歩いていたのでしょうか」
それは北条だった。
一体、何を言っているのかと、時間を巻き戻すかのような彼女に若干の苛立ちが募る。大体メイが午前四時頃に外を歩くだなんて、そんなことはあり得ない。なんの根拠もないがそれは間違いない。本当に北条は何を言っているのだろうか。
私はメイを見遣る。
彼女は蒼白めいた顔に、明らかな狼狽の色を浮かべていた。
「メイ? どうしたの? ちゃんと答えないと」
「……え? あの、私……私……」
「違うんでしょ? だったらはっきり、そんなことはしていないと言って」
「あ……うん、でも……うう……」
なぜ、口ごもる?
なぜ、否定しない?
なぜ、そんな嘘がばれたような顔をしている?
「メイ、早く答えて。自分は一人で外になど行っていないと答えるのよっ」
今や、苛立ちは北条からメイに向いている。
身に覚えのないことで糾弾され、即座に反論しないなど彼女らしくない。私の知ってるメイなら、北条を睨みつけて毅然たる態度で言い返すはずだ。
なのになぜ。
もしかして北条の言った通りなのだろうか――?
「わたくしの部屋の前を横切ったのは確かに森野さんでした。わたくしは人を貶める嘘など吐きません。見えた人間が森野さんだったから森野さんだと言っているだけのことです。それを踏まえてもう一度聞きます。森野さん、あなたはなぜ午前四時頃に一人で外を歩いていたのでしょうか」
「それは……」
「それは?」
「玄関の布が切れていたから」
「玄関ドアに工作したあの長い布ですか?」
「うん。物音がして目が覚めてなんだろうって玄関を見に行ったら、布が切れてドアが開けられる状態になっていて……だから外に出た。もしかしてジェーン・ドウがいるんじゃないかって気になって」
「ジェーン・ドウに恐怖を覚えていながらよく外に出れましたね。屋内捜索を拒否したあなたなら、すぐに部屋に戻って鍵を掛けると容易に想像できますが。館の中に潜んでいる可能性も考慮すると、可及的すみやかに。そもそも物音がしたから玄関まで確認しにいくという心理からして理解できません」
「そ、そんなこと言われても、そのときは好奇心が勝っていて外に出たとしか言えない」
「殺されるかもしれないという恐怖を抑え込むほどの好奇心ですか。百歩譲ってそうだとして、ならば布を切ったのは別の誰かということになりますね。遠藤さんではないと分かっている以上、ここにいる森野さんを除いた五人ということに」
「そういうことになるんじゃない? だって、切ったのはメイじゃないもん」
「てめえ、いい加減にしろよ」
庭野が乱暴に立ち上がり、椅子が倒れる。彼女は椅子を直すこともなくメイのところへいくと、彼女の胸倉をつかんで強引に立ち上がらせた。
「あ……っ」
「切ったのはメイじゃないもん、じぇねえだろが。嘗めやがって」
「やめ、て」
「お前なんだろ? カーテン切ったのはよ。ナイフで切れ目入れてそこから自分で引き裂いたんだろがっ。アホみてぇな言い訳並べて、うちらに罪をなすりつけようとしてんじゃねえよ」
「くる、しい」
「外に行くためにカーテン切って遠藤を殺したのはお前なんだよ。お前しかいねえんだよっ。お前が――ジェーン・ドウなんだろっ」
「わたしじゃ、ない」
「お前、一回、痛い目見ろ」
庭野が空いている右手を振り上げる。
次の瞬間、体が自然に動いていた。
「やめてっ」
私はメイの胸倉に伸びている庭野の左手を掴んだ。庭野の血走った両眼が私に向けられる。
「あ? 何をやめんだよ?」
「殴るのをよ。メイは子供なのよ」
「ガキの皮をかぶった殺人鬼だろうが。手を離せ」
「嫌よ。あなたこそ手を下ろして」
「らしくもねえ正義のヒロイン気取ってんじゃねえよ。もう一度言う。手を離せ」
「だめ。離さない。そっちが手を下ろすまで」
「だったら」庭野がメイの胸倉から手を離す。次の瞬間。「お前が食らえ」
庭野の拳が私の頬を容赦なく打ち抜く。まともに食らった私は後ろに倒れて、右腕を強打した。寸秒、遅れてやってきた頬の激痛が耐え難くて、右手の痛みは感じなかった。
「琉花っ、大丈夫っ?」
メイが傍にしゃがみ込む。
「だ、大丈夫。じゃないけど大丈夫」
「ごめんね。私のせいで、ごめんね」
「ううん。メイのせいじゃないから謝んなくていいよ」
そこに庭野がきて、私とメイを交互に睥睨する。
「お前らまるで姉妹のように仲いいよな。だからてめえがこいつを庇う気持ちは分かる。だけどな。このゲームにそんな感情持ち込んだらいけねえ。ジャンルが違うだろ。真実から目を背けるな。ジェーン・ドウはこのガキなんだよ」
「う、疑うに値する行動があっただけじゃない。し、真実だと決めつけるな」
「お前、もう一発食らっとくか。目を覚ましてやるよ」
庭野が今度は私の胸倉をつかんで持ち上げる。
「ちょっとあなた、もう止めないさいよっ。殴る必要なんてないじゃない」
「そうですよ、庭野さん。暴力はだめです。冷静になってくださいっ」
矢羽々と屋根裏乃が、庭野の逸脱した行動を止めようと声を上げる。しかし庭野には届かないのか、私の胸倉を離す兆候は一切見られない。
「うちは充分、冷静だ。冷静になるのは熱に浮かれたこのバカだよ。よぉし、歯を食いしばれ。しゃきっとさせてやる」
骨ばった拳を握りしめ振り上げる庭野。痛いのは嫌だが、逃げることはしたくない。だからかって、自分から殴って同じ土俵に乗りたくもない。
メイを信じるならば、顔がデコボコになろうが己の意思に忠実でいればいい。
「この手を離しましょう。ゲームには暴力も持ち込んではいけません。それもジャンルが違うのですから」
北条が庭野の拳にそっと触れる。
それは制止には程遠い、労わるような仕草に思えた。庭野も同じように思ったのか、目を瞬かせて呆気に取られていたが、すぐに我を取り戻し、
「どけ。これは暴力じゃない。気付け薬みたいなもんだ」
と、北条の手を振り払う。しかし北条はまた庭野の拳に触れる。
「どけっつってんだよっ」
庭野が北条の腕を掴む。その瞬間、庭野が北条に引っ張られたかと思うと、ぐるりと回転して床に投げ捨てられた。
「ぐはぁ」
一体全体、何が起きたのだろうか。倒れている庭野も状況を把握していないのか、目を見開いて口をあんぐりとしている。
「北条さん、すごいですっ。今のはなんていう技でしょうか」
「合気道における回転投げですわ」
「そういえば体術が得意って言ってたけど、見事なものねえ」
「ありがとうございます。体が勝手に動いてしまいました」
ギャラリーと化している屋根裏乃と矢羽々が、北条の合気道に賞賛を送る。
実際、目を奪われる華麗な技だった。合気道については詳しくはないが、イメージとしては、受け流した相手の攻撃を自身の攻撃に転換する護身術、だろうか。なるほど、北条が一人で玄関の見張りにつくと言ったのも頷ける。
「……あんた、マジかよ」
庭野がふらふらと立ち上がる。毒気を抜かれたような顔を見る限り、もう横暴な行為に出ることはなさそうだ。投げられた本人だからこそ分かる相手の力量なのだろう。
「それで、メイはどうなるの?」
本筋に戻すメイの声。
そうだ。庭野は矛を収めたが、メイが依然、劣勢に置かれているのは間違いない。カーテンを切ったのは否定したが、外に出たことは認めているのだから。
屋根裏乃が眼鏡をクイッと上げる。
「森野さんが屋外に出たことを肯定している以上、残りの五人より疑いが強くなるのはしょうがないと思います。なので、その、えっと……」
「疑ってるなら監禁でもすればいいじゃん。メイ、別にそれでもいいよ。みんなだって安心するでしょ。それと部屋でナイフを探したほうがいいんじゃない? 隠しているかもだから」
メイが自らの監禁と、ナイフの捜索を申し出る。
それが屋根裏乃の免罪符となったのか、彼女がこくりと頷いた。
「そうですね。ナイフは一応、あとで捜索させてもらいます。それと今、森野さんが口にした監禁じゃないですが、疑いが晴れるまで部屋から出ないように監視下におくというのはどうでしょうか」
「監視ねえ。それって誰がやるのかしら。その誰かは森野さんの部屋の前でずっと立ってなきゃいけないの? それじゃ監視している人は休めないんじゃないかしら」
「そこは時間を五等分にして、五人で交代すればいいと思います」
「監禁は当然だがなんかめんどくせえな。なんでこいつのために自分の時間を犠牲にしなきゃいけねえんだよ」
矢羽々の懸念は解消したが、それでも納得のできない庭野。私としては監視自体に反対だが、そこが妥協点だと言うことも分かっている。私自身、私情が公平さを濁しているのも理解しているから。
「だったら一つ、方法があります」
北条が手を挙げる。
その方法とは何かと聞くと、
「玄関ドアを固定していたやり方はどうでしょうか。森野さんの部屋のドアノブと3号室のドアノブを、布をピンと張るようにして結ぶのです。そうすれば森野さんが部屋の外に出ることはできないと思います」
屋根裏乃が頷く。
「いい案だと思います。確かにそれなら監視の必要もなく、森野さんの行動を制限することができますね。誰かが外からカーテンをほどかない限りは」
「もしいたらそいつも共犯ってことだな」
私に薄ら笑いを寄越す庭野。私は目を背けると、メイに声をかける。
「それでいい? メイさえよければ私も反対しないけど」
「うん。それでいいよ。みんなが満足するなら」
メイが首肯する。
「森野さん。ごめんなさいね。私はね、あなたが殺人を犯せるだなんて思ってない。だから疑いは必ず晴れるから、それまで我慢してね」
「おい、おばさん。何を言うかと思えば、そりゃ問題発言だろ」
庭野に問題発言と指摘された矢羽々が、暴力的な介護士をキッと見据える。
「何が問題発言なのよ。森野さんが三人の命をあんなふうに奪うだなんて、あなた本当に思ってるの? まだ子供なのよ。私は森野さんが人を殺せるだなんて思っていないし、だから今回の対処だって、彼女を危険から守るためみたいなものよ」
「待てよ。それじゃジェーン・ドウが森野を除いたうちらの中にいるってなっちまうだろ。 だったらおばさんだな。あんたがジェーン・ドウだ」
「あなたがそう思いたければそれでいいわ。私はただ、疑心暗鬼に囚われて無暗に人を疑いたくないだけよ。こういう状況だからこそ、なおさら自分を律することが必要だと思うわ」
「さすが先生だよ。ご立派なこった。その〝律する〟ってやつが、殺人の衝動を抑えている意味じゃなきゃいいけどな」
捨て台詞を吐いて円卓から去っていく庭野。円卓に置いてあったナイフを持って。自室に戻るのだろう。
「ちょっと待ってください、庭野さん」
「ああ? なんだよ」
屋根裏乃に呼び止められて庭野が彼女を睨む。
「ナイフはもう必要ないですよね。なので8号室に放り投げておきますので、置いて行ってもらえますか」
「必要なくはないだろ。これは部屋に持っていく」
「なんでですか。ジェーン・ドウだと思っていた遠藤さんが殺されていて、彼女を殺したのが森野さんだと思っているんですよね。だったらこれからその森野さんを監禁するのだから、庭野さんが自衛としてナイフを持つ必要はないと思いますが」
「そ、そうだとしても、森野で確定したわけじゃないだろ。万が一、あいつじゃなかったときのために必要じゃねえか」
「だったらフェアじゃないですよ。森野さんじゃないとしたら、この五人の誰かということになるんですよ。その誰がジェーン・ドウか分からない以上、凶器となるナイフは放棄すべきです。持たざる者の立場も考慮してください」
ここは私も援護射撃するべきだろう。ナイフなど使う気がないのだから。
「そうですね。全員が一本づつナイフを所持するのは不可能ですから、ナイフは放棄するのがフェアかもしれません。屋根裏乃さんの考えに私は賛成です。今後も協力体制を敷いていくためにも庭野さん。どうかお願いします」
私はあえて、頭を深く垂れてお願いする。
皆の視線が庭野に集まる。
私達を見回し口をもごもごとさせる庭野。やがて速足で円卓に戻ってくると、
「分かったよっ。うちだって無暗に和を乱したいわけじゃねえ」
ナイフをその円卓に叩くようにして置いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます