密室に於ける殺人(四)


 その後、二本のナイフは四人が見守る中、屋根裏乃によって8号室の窓から室内に投げ入れられた。もう取り出すことはできない。これでナイフはジェーン・ドウが持っているであろう一本のみとなった。もちろんメイの部屋からⅣのナイフが出るとは、露程も思っていない。

「あー、腹減ったな、くそ」

 空腹をアピールしながらホールから自分の部屋のほうへ歩いていく庭野。カーテンでメイの部屋と3号室のドアノブを結んで固定するという作業が残っているが、やる気はないようだ。そんな庭野を必要としていないのか、残された参加者からも彼女を止める声はでなかった。

「それでは森野さん。早速ですが部屋に戻っていただけますか。ビリヤードやダーツを楽しんでいただいたあとでと言いたいのも山々ですが、わたくし達も部屋で休憩が必要ですので。申し訳ありません」

「別にビリヤードもダーツもやらないし、いいって」

 北条に言われた通り、部屋に戻っていくメイ。後ろからついていく私達は、「どうぞナイフをお探しください」と部屋に招き入れるメイに従い、ナイフを探す。だが案の定ナイフはどこからも見つからなかった。

「それはそうよね。森野さんはジェーン・ドウじゃないんだから」と、安堵の表情を見せる矢羽々に、「まあ、形式的に探しただけですので」と頷く屋根裏乃。一方、北条はと言えば、特に懸念や落胆を示すでもなく無言と無表情を貫いていた。

北条、矢羽々、屋根裏乃の三人がとなりの3号室に移動を始める。

「虹崎さんはここにいていいですよ。ボク達がカーテンで長い布を作っている間、森野さんが廊下にでないように監視していてください。玄関ドアに使っていた布に切ってあるカーテンを少し付け足すだけなので、すぐ終わります」

 笑みを浮かべる屋根裏乃。

 気を使ってくれているのだとすぐに分かった。

「ありがとう、屋根裏乃さん」

「いえいえ。では」

屋根裏乃はぺこりと頭を下げると、矢羽々と北条と共に3号室へと入った。

「さっきはありがとね」

 メイが私を見つめて謝意を述べる。

 さっきとは、庭野との一件だろう。

「別にいいって。目立つこともできたし、背景キャラからの脱却にはいい機会だったかも」

「またそんなこと言って。琉花は十分にメインキャラクターだよ。だって、メイにとっては勇者様だもん」

「勇者だったら、パンチを華麗によけてカウンターしてたって。いてて……」

 殴られた瞬間を思い出したら、頬の痛みがぶり返してきた。

 あのとき顔がデコボコになるのを覚悟していたが、はっきり言ってこれを超える痛みは御免こうむりたい。合気道の使い手が助けに入ってくれて本当に感謝である。北条こそが本物の勇者だ。

「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの、飛んでいけー」

 私の頬に手を触れて、ありきたりなまじないをかけるメイ。不思議と痛みが和らいだような気がした。

「まさかのおまじないが効いてきた」

「え、本当に? お子様向けの子供騙しなのに。琉花って実はメイより年下だったりして」

「そんなわけないじゃない」

「だよねー。ふふ」

 私の知っているメイに戻って良かったと安堵する。

会って一日しか経っていないのに、彼女の何を知っているのだという話だが、心の底から。

 だからこそ私は聞いてみようと思う。二人きりというのもあり、胸襟を開くにはいいタイミングだ。

「私はメイがジェーン・ドウじゃないってことを信じてる。だからこそ、一つ聞きたいことがあるんだ」

「うん。何?」

「今日の朝、メイを呼びに行ったよね。館の中にジェーン・ドウがいるんじゃないかって心配になってそれで」

「そんなことあったね。血相を変えた琉花を見て何事だと思ったもん。それがどうかしたの?」

「なんであのとき、布が切られていた事実を私に話さなかったの?」

 あのとき私の突然の訪問に応対したメイの反応は、それこそ私の知っているメイだった。

 だがそれはおかしいのだ。ならば、あの何も知らなかったかのような反応はやはり不自然なのだ。

「あれは……怖かったから」

「怖い? 何が」

「あそこでメイがその事実を話せば、なんで知ってるんだってことになって絶対にジェーン・ドウだって疑われると思ったから。それが怖くて、知らないかのように装っちゃった。結局、外を歩いているところを北条さんに見られて今の状況があるんだけどね」

 なるほど、理屈は通っている。だが。

「そういうこと。でも私にだけは正直に言ってほしかったな。なんか信用されていないみたいでショックかも」

「ごめんなさい。そうするべきだったよね」

「知っていれば北条さんがメイを目撃したって情報のあと、私ももっとうまくメイをフォローできただろうし、もしかしたら庭野さんに殴られないで済んだかもしれない」

「ごめんなさい。本当に反省してます」

 猛省の色をはっきりと見せるメイ。それで充分だ。メイの落ち込む顔はもう見たくない。

「分かった、もういいよ。それじゃ、もうそろそろ部屋に監禁されてもらってもいいかな」

「ふふ。変な日本語だけど監禁されようと思います。あ、琉花」

「何?」

 笑みが消え、いつになく真面目な表情のメイ。

「言うまでもないけど、メイと琉花がジェーン・ドウじゃないなら、ほかの四人の誰かがそのジェーン・ドウなんだよ」

「そういうことになるね」

「ねえ、もっと緊張感を持ってっ」

 表情からなのか、はたまた声のイントネーションからそう受け止められたのか、私はメイに怒られてしまった。

「持ってるって」

「ううん、持ってない。……ねえ、琉花。周防さんと万城目さん、それに遠藤さんを無慈悲にナイフで刺し殺した殺人鬼があの四人の中にいるの。その事実をちゃんと受け止めて。お願い。じゃないと琉花だってもしかしたら……」

 私はメイの右手を握る。

「大丈夫。私は死なないから。勇者が物語の途中で死ぬなんてありえないでしょ」

「うん。そう、だよね。でも気を付けてね」

「うん。ただ気を付けるのはメイのほうもだよ。万城目さんが密室で殺された。それは鍵を閉めて部屋にいても安全とは言い切れないってこと。窓は当然施錠するとして、一応、部屋の中に隠し通路がないかも確認したほうがいいと思う。それと私のほかに誰かが来ても、絶対に鍵を開けないように」

「分かってる」

「じゃあ、閉めるね」

「うん」

 4号室のドアが閉められて、中から施錠する音が聞こえる。

 〝私以外の誰かが来ても鍵を開けないようにする〟

 ここが肝要であり、最も力を込めて口にした箇所だった。

 万城目が殺されたのは、ジェーン・ドウを自ら部屋に入れてしまったからだと思っている。その後、ジェーン・ドウがどうやってあの部屋を密室にしたかは分からない。ただ〝マスターキーなしで施錠されている6号室に入ったあと密室にして出ていく〟という魔法のような行いに比べれば、はるかに難易度が低いように思われた。

 だからジェーン・ドウがもしメイを殺そうするならば、彼女に中から鍵を開けさせるはずだ。が、さきほどの約束もあり、メイがそんな愚行を犯すとは思えないから安心していいだろう。

 そのとき、となりの3号室のドアが開く。

 部屋の中から出てくる三人。矢羽々がカーテンで作った長い布を持っていた。

「お待たせしました。虹崎さん」

「いえ。おかげでメイとゆっくり話すことができました」

「それはよかったです。念のために聞きますが、森野さんは部屋の中ですよね」

 はい。と伝えようとしたところで、「はーい」と中からメイが答える。

「あ、ありがとうございます、森野さん。では、早速、3号室と4号室のドアノブをこれで固定しましょう」

 屋根裏乃との会話が終わったタイミングで、

「ところで何を話されたのですか。森野さんとは」

 不意打ちのような北条の質問。

 彼女の瞳は私をまっすぐに見据えていて、嘘を吐こうものなら心眼めいた能力で見抜かれそうだ。

 それにしても話す必要があるのだろうか。しかし拒否するのもおかしな気がする。

「あ、えっと、何をって言われると……」

 と動揺から言葉を詰まらせていると、

「北条さん。そんな野暮なことは聞いてはだめよ。それじゃ屋根裏乃さんが、虹崎さんと森野さんを二人っきりした意味がなくなっちゃうじゃない」

 矢羽々が助け船を寄越してくれた。

「……そうですね。分かりました」

「虹崎さん。森野さんのこと、妹のように想ってるのがちゃんと伝わってくるわ。お姉ちゃん役としてしっかりサポートしてあげるのよ」

 屋根裏乃と矢羽々には気づかれていたようだ。

 ――私のメイに対する気持ちを。

 


「これでよし。森野さんの監禁、終わりました」

 屋根裏乃が3号室のドアノブから手を放す。

大きな結び目は、簡単にはほどけないであろうことが分かる。仮に力任せにドアを開こうとしても僅かな隙間が限界だろう。

「ああ、わたくしとしたことが大事なことを失念していました」

 北条が何かを思い出す。

「失念、とはなんですか。北条さん」

 と屋根裏乃。

「森野さんがズボンのポケットにナイフを隠しているか否かの確認です。もし隠していた場合、ドアの隙間からナイフで布を切る可能性があります。面倒ですが、一度布をほどいて森野さんのポケットを検めたほうがいいかもしれません」

 そうくるかと私は唸る。

 ブレードがむき出しのナイフをポケットに隠しているかもしれない、などとは想像も及ばなかった。

 メイがジェーン・ドウと仮定するならば、推測できる可能性なのかもしれない。しかしメイがジェーン・ドウでないと思っているならば、推測できないか、或いは推測したとしても、そっと胸の奥にしまっておくだろう。

 事実、推測していたらしい屋根裏乃は困惑の表情を浮かべている。私同様に推測していなかったらしい矢羽々は、両目を大きく開けて驚いていた。

「ポケットって、ちょっと北条さん。あなたまで森野さんを疑ってるの? あの子がジェーン・ドウのわけないじゃない」

「なぜ、言い切れるのでしょうか?」

「だから子供――」

「メアリー・ベル」

「メアリー・ベル? 何よ、急に」

 突然、名前らしき固有名詞を出す北条。呆気にとられる矢羽々だが、それは私も同じだった。だが屋根裏乃は違った。メアリー・ベルを知っているのだろうか。

「メアリー・ベルとは、一九六八年にイギリスで発生した殺人事件の犯人です。彼女は若干十一歳で、三歳と四歳の男児を殺害しています。北条さんは、そのメアリー・ベルに森野さんを重ねているのですか」

「重ねてはいません。ただ、十一歳でも殺人は犯せるという例を挙げたまでです。よってメアリー・ベルより年上の、自称十三歳の森野さんが人を殺さない理由は存在しません」

 そんな残酷な子供がいたことに驚きだが、それ以上に、メイをそのメアリー・ベルと同列に扱おうとしている北条に多大な不快感がこみ上げてくる。

「酷い人ね、あなた」

 私ではない。矢羽々が先に言ってしまった。

「何が酷いのでしょうか? 間違ったことは言っていません」

「そうかもしれない。でもね、怪しい行動をしていたというたったそれだけで、森野さんを犯人扱いしているあなたの考えが危険なのは確かよ」

「そうでしょうか。情緒で目が曇って理性を失っている矢羽々さんのほうがよほど危険だと思いますが。庭野さんが仰ったことも、あながちでたらめではないかもしれませんね」

 矢羽々が眉を上げる。初めて見る表情だった。

「あなた……っ」

 だが、そこで言葉を飲み込む矢羽々。もしもそのさきを声に出してしまえば、不協和音が生じて取返しのつかない状況に陥ると思ったのかもしれない。ならば懸命な判断だったと思うが、そこまでで十分だった。

 比較的良好だった四人の関係性に亀裂が入るのは。

「反論がないのであれば、わたくしは部屋に戻らせてもらいます」

 終始、涼しい顔のままだった北条が背を向ける。と思ったら、再びこちらを見向いて、

「そうそう、ナイフの件ですが、布が切れていたら森野さんがジェーン・ドウで確定しますので検めなくもいいと思います。ただ、その場合、誰かが彼女の殺意の犠牲になるかもしれませんが」

「北条さんっ、いい加減にしてください」

 これは私だ。さすがにこれ以上のメイへの侮辱は看過できない。

「可能性の話ですよ。それでは失礼させていただきます」

 北条が踵を返す。

「あ、北条さん。できればなるべく部屋から出ないようにお願いします。あと鍵の閉め忘れにも注意してください」

「ご心配なく。密室の謎が解けたら教えてくださいね」

 北条は振り向かずにホールへのドアを開けて去っていった。

「ちょっと失望ね。北条さんはもっと賢い人だと思っていたから」

 立腹顔の矢羽々。

 私も同じことを思っていた。なんとなく、北条らしくないと。しかし出会って一日も経っていない短い付き合いで、彼女らしさを理解できるほうがおかしいと気づく。先入観とは、かくも人の印象を色濃く描写するらしい。

 私も休むわねと矢羽々が部屋に戻ると、私と屋根裏乃の二人だけになった。

ジェーン・ドウが誰か分からない中での二人きり。それがあまり好ましくない状況だと思い、私は思わず「離れたほうがいいですよね」

 一瞬、きょとんとする屋根裏乃。でもすぐに言葉の意味するところに気づいたようだった。

「あはは。大丈夫ですよ。虹崎さんがジェーン・ドウだとは思ってませんから」

「え? そうなんですか。それはなぜ……」

「虹崎さんが森野さんを信じているように、ボクも虹崎さんを信じているからです」

 信じてもらえて嬉しいのだが、屋根裏乃が私を信じるに至った理由が分からない。理由を聞くべきかと迷っていると彼女は話題を変えた。

「北条さんにも言われましたが、密室の謎を解くのが全てを解決する最適解だと思ってます。だって密室殺人ですから」

「〝だって〟とは一体どういうことですか」

「密室殺人というのは、ミステリに於いて最も読者を魅了する絶対的必要悪なんです。外から誰も入ることのできない堅牢な箱の中で安心しきっているのに、外部の人間にスルリと通り抜けられ殺されてしまうなんて、こんなに恐ろしいことはありません。そんな事態はないほうがいいに決まってます。でもミステリの強度を上げるには必要なファクターなんです。だから絶対的必要悪なんです」

「はあ」

「そんな密室殺人は、作る側の犯人にとっても解く側の探偵にとっても腕の見せ所となるシチュエーションなんです。物語ならば中核であり、犯人と探偵の頭脳と矜持がぶつかり合うメインイベントなんです。そこで探偵が勝利すればグッドエンディングに一直線です。だからこその〝だって〟なんです」

 密室殺人について熱く語る屋根裏乃。

 ミステリ小説という虚構に、〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉という現実を当てはめるのはどうかと思うが、的外れというわけではない。密室の謎が解ければ、おのずとジェーン・ドウの正体も浮かび上がってくるだろう。〝だって〟犯人の敗北なのだから。

「密室の謎を解く重要性、分かりました」

「そうですか。良かったです。なのでボクは、部屋に戻ったらとにかく密室の謎を解くことに注力します」ふと、屋根裏乃の表情に影が差す。「周防探偵が生きていたら、もう解いていたかもしれませんね」

 序盤で〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉から退場した周防の顔が浮かぶ。

 自己紹介時の見事な推理を思い出し、確かに彼女ならばと、屋根裏乃のそうであってほしかった未来に頷く。しかし今更詮なきことだ。周防の意思を次いで屋根裏乃に名探偵になってもらうしかない。

 ホールの扉を開ける屋根裏乃。

 会釈されたので会釈で返し、こうして私は廊下に一人となった。

 屋根裏乃は私もメイも疑っていないように見える。だったら一体誰が怪しいと思っているのだろうか。彼女ならばある程度目星をつけているような気がして、教えてもらえば良かったと後悔がよぎる。

 庭野か。

 矢羽々か。

 北条か。

 いや、それは屋根裏乃の視点であり、私から見れば屋根裏乃も候補の一人となる。

「違う。屋根裏乃さんのわけがない」

 声に出す私。

 根拠はないが、私を信じてくれているように彼女を信じるべきだと内なる声がささやいた。 

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