九人の黒づくめ達(二)


 ヨーロッパのルネッサンス様式を思わせる洋館だった。

 中央のクーポラ(丸屋根)を有する建物から両側に、長屋のような建築物が伸びている。全体的に高さはないが、奥に並ぶ小ぶりの尖塔が地上から二十メートルほどありそうだった。

 ここから見る限り尖塔と屋根が赤茶色で、そのほかの外壁や柱などは白というツートンカラー。洋館の周辺には手入れの行き届いた庭があるが、人の介入を感じさせない妙な無機質感があった。

「へー、おしゃれな洋館だね」

「森の中にぽつんと建っているのが、なんか異界に迷い込んだ感じ」

「そうそう、童話の世界とかに出てきそう。不思議の国のアリスとかそんな感じ」

「ファンタジーすぎじゃない?」

「じゃあ、鏡の国のアリス」

「一緒じゃん」

 ところで洋館には気になる物があった。それはクーポラのすぐ下から飛び出たオブジェで、まるで大きな船の舳先にある女神像のようだった。

 上半身を屋外へと出し、背中を反るようにして頭上を見上げる長髪の女性。首には大きなネックレス。露わとなった腰のくびれと大きな二対の乳房が実に艶めかしい。両手の掌を壁につけているその様は、まるで洋館から飛び出そうとしているようにも見えた。

「あの像は一体……」


「あれが〈ジェーン・ドウの館〉ならば、おそらくジェーン・ドウを現わした像だろうね」


 メイではない人間の声が突然横から聞こえてきて、驚く。振り向くと木に寄りかかっている女性が、やあ、とばかりに手を上げた。

 どう反応していいのか分からない。言葉を喉元に詰まらせていると、一歩前に出たメイが口を開いた。

「おばさんもゲームの参加者?」

 メイにおばさんと呼ばれた女性が、「おばさんときたか」と苦笑いを浮かべながらこちらへやってくる。「そうだよ。もしかしてお嬢さんもかい?」

 その聞き方は言外に〝子供なのに〟があるのが明確で、察したメイが「うん。年齢制限はないから」と切り返した。

「その通りだ。だからここにいる。ちょっと驚いたけどね」

 彫が深く小麦色の肌。綺麗に整えられた眉毛と高い鼻。髪型は長髪のツーブロックで、長髪の部分をポニーテールにして纏めている。雑誌モデルか何かだろうか。女の私でも見惚れるような精悍な顔立ちをしていた。

 ゲーム参加者のユニフォームなのか、服は私達と同じ地味な上下黒の服。なのに不思議とオシャレなファッションに見えてくるから不思議である。

「今、ジェーン・ドウを現わした像って言ったよね? ジェーン・ドウって人間の女性なの?」

「ああ、人間の女性だよ。ただ、誰か特定の個人を指すのではなくて、名前の分からない女性、あるいは名前を公表したくない女性に使われる仮名なんだ。ちなみに男性の場合は、ジョン・ドウ。どちらも身元不明の死体にも使われたりもするね」

「へー。そうなんだ。日本版の名無しの権兵衛みたいなもん?」

「そうだね。ただ、権兵衛はふざけた呼び名だが、ジェーン・ドウやジョン・ドウは米国の訴訟などでも使われる真面目な仮名なんだ」

「でもなんでジェーン・ドウって言うの?」

 ため口でがんがん問い掛けるメイ。

 多分、天皇陛下相手にもため口なんだろうなと思った。

「ジェーンやジョンはありふれた名前で、ドウは〈架空の性〉という意味がある。だから氏名不詳や匿名なんかにも使いやすいんだろうね。一三世紀のイギリスの裁判で、証人が自分の身元を隠すために使用した仮名がジョン・ドウで、その仮名に由来するとも言われているよ」

「ふーん。歴史ある仮名なんだ」

「その仮名を使っての〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉がなんなのかは分からないが、ゲームの説明は洋館でってことなのだろう。ところで話は変わるが、わたしやほかの参加者は、目覚めたときは〝直線上に洋館の見える見知らぬ森の中に一人〟だったのだが、君たちもそうだったのかい?」

 ツーブロックの女性からの唐突な質問。

 どうやらほかにも参加者がいるらしい。それはさておき、私はメイと目線を交わしたあと、「はい、そうです」と答えた。

「ふむ。ということは二人は森の中で出会って一緒に来たということになるが、元々知り合いかなにかか?」

「いえ、違います。今日、初めて会いました」

「だとすると君たちの親密さから推測するに、かなり早い段階で出会っていることになるね。良かったら、どのように出会ったのか教えてくれるかな?」

「なぜ、そんなことを?」

「単純な好奇心さ。他意はない」

「……私が森の奥のほうに行ってフェンスを登ろうとしていたとき、メイが声を掛けてくれて、それから一緒に行動しています」

 フェンス? と、フェンスの存在を知らなかったツーブロックの女性に僕は説明する。

「森の奥にはそんな物が。……ところで、そうなるとここで一つ疑問がある。君たちはどうして洋館というこれ見よがしな目印を目指さずに、あえて離れるような行動に出たんだ?」

 鋭く理知的な双眸が私とメイに向けられる。

 ふと、こういった人間をどこかで見た記憶が脳裏を横切った。 

 私はメイに説明したときと同じように、〝洋館が不気味だったから〟と答える。本当の理由はもちろん違うが。

 ツーブロックの女性はこちらを数秒熟視したあと、メイに視線を向ける。

「じゃあ、お嬢さんは?」

「メイは……んー、森の中にも何かあるかなって、なんとなく? それで歩いていたら琉花と会って、それから一緒にここまで来たよ」

 そういう理由だったのかと私も今、知った。どうやら好奇心が旺盛のようだ。

「なるほど、仲睦まじい二人が二人して森の奥に向かったと」

「何が言いたいの? すごく嫌な感じなんですけどー」

 メイが頬を膨らませてツーブロックの女性を睨む。

「すまない。気分を害したのなら悪かった。何分、些細なことが気になってしまう性分でね。さて、いつまでもここにいるわけにはいかない。皆を待たせているからね」

 ツーブロックの女性が親指を背後に向ける。見ると、洋館の玄関付近に数人の人がいた。全員が上下黒の服。〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉の参加者のようだ。玄関前のポーチを構成する重厚な柱の影で、今の今まで気づかなかった。

「なんで洋館の中に入らないの? あの人達」

 同じ疑問を抱くメイ。

「人数が九人揃わないと入れないギミックが扉に施されていてね。君たちが最後の二人ってわけだ」

「誰もいないんですか?」

「ああ。何度も呼び掛けたんだがね。そもそもインターフォンもドアノッカーも付いていない」

 私とメイは同時に首を傾げると、ツーブロックの女性に付いていった。



 玄関にたどり着くや否や、いくつもの目が私とメイに向けられる。

 いや、向けられていたのは洋館に歩いているときからであって、今は品定めするような好奇の眼差しが突き刺さっていた。

「おいおい、そんな小便くせぇガキまで参加してんのかよ」

 乱暴な言葉が飛んでくる。玄関前の階段に座っている女が発した声だった。

 金髪の丸刈り。ピアスを付けた耳の上には二本線の反り込みが入っている。おしゃれ坊主という髪型を聞いたことがあるが、それだろうか。童顔なのが髪型に対してややアンバランスだが、いつもはサングラスでもして強面を装っているのかもしれない。

 ところでこの丸刈りの女は何かに似ている。

「小便くせぇガキって、もしかして私のこと?」

 メイが私を押しのけるように前に出る。

「そうに決まってんだろ。ダークウェブで募集しているゲームの参加者だぜ? 幼稚園のお遊戯じゃねぇんだぞ」

「そんなの分かってるし、ガキは十三歳だから百歩譲ってあげる。でも小便臭いっていうの訂正して。じゃないと許さない」

 メイの年齢が十三歳と判明する。中学一年生だろうか。

「何が許さないってんだよ。小便くせぇもんは小便くせぇんだよ。漏らしてんじゃねぇのか」

 ちゃかすように頭の横で手をひらひらとさせる、丸刈りの女。下卑たにやけ面がなんとも不快だ。ここは一言言ったほうがいいなと口を開きかけたとき、「ふん。ウーパールーパーみたいな顔のくせに」とメイが言い放った。

 そうだ。ウーパールーパーだ。丸刈りの女はウーパールーパーにそっくりだった。

「だ、誰がウーパールーパーだって、こら」

「あなただけど。ほかに不細工なウーパールーパーに似ている人、いないじゃん。本当にそっくり」

「てめぇっ」

 顔を赤らめて怒気を放つ丸刈りの女が勢いよく立ち上がる。

 認めたくはないが似ているのを自覚しているがゆえの、羞恥からきた立腹だろう。丸刈りの女がずんずんとメイに近づき、今にも掴みかかりそうな雰囲気の中、

「そこまでにしておきなさい」

 女性の声が制止する。

 奥の柱の傍に立っていたふくよかな女性だ。多分、四十代後半。黒髪セミロングで柔和な顔の彼女は、肘を支えるように腕を組んだまま丸刈りの女から視線を離さない。

「おばさんには関係ないだろうが」

 丸刈りの女の矛先が黒髪の女性へと変わる。

「関係なくはないわ。子供が暴力の対象になるかもしれないってときに、傍観できるわけないじゃない」

「いきなり殴りゃしねぇよ。非礼を詫びてもらうために近づいただけだ。もちろん、素直に謝罪しなきゃお灸を据えることになるだろうがな」

「あなたね、自分のことは棚に上げてよくそんなことが言えるわね。いい大人が恥ずかしい」

「な、なんだとてめえっ」

 声を荒げる丸刈りの女。動じない黒髪の女性。動じないといえば、メイも全く臆する様子がなかったが、なかなかどうして肝が据わっている十三歳である。

 いい大人が恥ずかしいと叱られた丸刈りの女だったが、威勢がいいのはそこまでだった。非難に満ちた衆目に耐えられなくなったのか、彼女は「くそがっ」と洋館の柱を蹴るに留めた。

「止めたのはそれだけじゃないの。ゲームのことがあるからよ」

「ゲームって〈ジェーン・ドウ・ゲーム〉のこと? それってどういう意味?」

 何事もなかったかのようなメイが、黒髪の女性に先を促す。

「どういったゲームかはさっぱりだけど、大人数でのゲームっておおまかに分ければ二通りしかないと思ってるの。一つはプレイヤー同士での〈対戦〉ね。もう一つはプレイヤーが〈協力〉して別の何かに立ち向かうってもの。〈対戦〉の場合だったらプレイヤー同士のもめ事、いがみ合いは別に問題はないと思うの。だってそうでしょ? あとで対戦するのだから。でも〈協力〉が必要な場合だとしたらどうかしら。今から険悪になっていたら、いざっていうときに力を合わせることができないわよ」

〈対戦〉か〈協力〉。

 確かにざっくり分けるなら、多人数でのゲームはその二つに集約される。しかし、黒髪の女性がそこまで考えて制止したとは思わなかった。現状、この中でメイと一番親しいにもかかわらず、制止すらできなかった自分が情けない。

「その方の言った通りだよ。ゲームの内容が全く不明である以上、プレイヤー間に不和を生じさせるのは得策ではない。仲良くしろとは言わないが、むやみに敵を増やそうとしないほうがいい。この場で手打ちにするのがいいと思うが、どうかな」

 ツーブロックの女性が黒髪の女性に同調する。

 それが決定打となった。状況を理解したらしい丸刈りの女は頭をぼりぼりと掻くと、メイへと向き、「悪かったな。ちょっと仕事絡みで苛ついていてな。お前は小便臭くはない。普通のガ、女の子だ」

 一方のメイも「こっちもごめん。あなたのことよく見たら豹みたいなイケメン女子だった」と和解の意思を伝える。豹要素などこれっぽっちもないじゃんと思ったが、丸刈りの女が否定しない以上、敢えて横やりを入れることでもない。私は黙ってることにした。

「穏便に済んだところで、では洋館の中に入るとしよう。二人ともいいかい?」

「ちょっと待って」

 玄関に歩を進めるツーブロックの女性が私とメイを呼んだそのとき、別の参加者によるストップが入る。今度は何だろうと顔を向ければ、焦燥感で顔を歪めた女性が私の元へ走り寄ってきた。その勢いにたじろぎのけ反ってしまう。

「あなた、スマホ持ってない?」

「え?」

「だからスマホよ、スマホ。ガラケーでもいいわ。持ってるなら貸してほしいの。どうしても電話しなきゃいけなくて、だからお願い」

「ごめんなさい。両方持ってません」

「だったら、あなたはっ?」

 私が持っていないことが分かるや否や、今度はメイをターゲットにする女性。

 年の頃は二十代後半だろうか。色黒でやや釣り目、眉毛が細く、唇がぼってりと厚い。背中まで伸びた髪は茶髪と金髪の間のキャラメルのような色で、頭皮の近くは黒かった。美人とは違うが、男好きのする顔立ちかもしれない。

 大人ギャル。その形容がしっくりとくる女性だった。

「持ってないよ。目覚めたらこの格好で手ぶらの状態」

 失望の色を浮かべる彼女は、両手で口を押さえ愕然とした仕草を見せる。

「そんな……。どうしたらいいの」

「今すぐに必要なの?」

「家に電話しなきゃいけないの。六歳の息子が一人で家で待ってるから。私がいなくなって慌てているかもしれない。翔真と離れて何時間経ったかも分からなくて不安でしょうがないのよ。だから電話が必要なのに、どうして誰も持ってないのっ」

 メイに答えたかのように、あるいは独り言つかのように、子持ちと判明した大人ギャルは悲痛の声を上げた。

「ガキと離れたくないなら参加すんじゃねぇよ。自業自得だろ」

 丸刈りの女が口を挟む。

「だってスマホも何もかも奪われた上に、変な服に着替えさせれてこんな知らない場所に連れていかれるなんて思わないじゃないっ。そうでしょっ?」

「はあ? 舐めてんのか。ダークウェブで募集する報酬二千万のゲームだぜ? 当たり前じゃねえことがことが起きたって不思議じゃねぇ。許容範囲だろ、こんなの」

「だとしてもよっ。私は翔真に電話がしたいの。電話して安心させてあげたいの。すぐ帰るから大丈夫って言ってあげたいの。愛してるって言ってあげたいの。なのに、うう……」

 泣き崩れる大人ギャル。

「やれやれ、感情失禁じゃあるまいし」とあきれ顔の丸刈りの女。

 大人ギャルは、私とメイに最後の望みを掛けていたのだろう。しかし二人して携帯電話を持っていない事実が分かり、息子と話す手段が断たれてしまった。同情の余地はあるが、個人的には丸刈りの女に同感だ。二千万という報酬の前では、何が起きても不思議ではない。

 ところで参加者は確認できる限り全員が日本人、しかも女性のようだ。よってこの場所は日本の可能性が非常に高い。更に言えば、残暑の和らいだ虫の音にも深まる九月中旬の涼しさも相まって、関東。あとでメイに教えてやろうと思った。

「六歳だったら、翔真君は小学一年生かしら」

「え? ……はい」

 腰を落として、大人ギャルと同じ目線で話し掛ける黒髪の女性。

「まだまだお母さんが恋しい年頃ね。でも同時に小学校に入って逞しくなる時期でもあるわ」

「逞しく……?」

「そうよ。幼稚園や保育園は何をしたっていい優しい世界。でも小学校は、できなかったことを指摘される厳しい世界。そんな厳しい世界で子供は、親が思っている以上の速さで逞しくなっていく。だから自分の子供を信じなさい。こんなゲームに参加する度胸のあるあなたの息子なんだから大丈夫よ」

 自分には関係ないのに、この包み込まれるような安心感はなんだろうか。丸刈りの女を叱ったときにも感じたが、黒髪の女性はもしかしたら聖職に就く人間なのかもしれない。

「そう、ですね。……信じてみます。私の息子ですから。今頃、誰かに助けを求めて保護されているかもしれません」

「そうよ。大丈夫。誰も翔真君のことを放っておくなんてしないから」

 黒髪の女性に支えられるように、大人ギャルが涙を拭って立ち上がる。

「うむ、こちらも万事解決ということで、今度こそ洋館の扉を開け放とうではないか」

 ツーブロックの女性が再び私とメイを呼び寄せる。彼女に付いていくと、これが例のギミックだと赤茶色の玄関ドアを指さした。

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