第三部 ☓☓☓編

076 序文/懐かしき面影

「もし、そこの貴方」


 呼び声と共に、とんとんと肩を叩かれて青年は振り返った。そして、ぎょっと目を見開く。無理もない。呼び止めた相手が、おかしな格好をしていたからだ。

 若い女だ。ただ顔立ちはいまいちわからない。白いローブのようなものを纏い、頭からも薄いベールを被っている。初夏の暑さが厳しくなりつつある時期に、明らかに浮いた格好である。怪しげなその姿に、青年が咄嗟に言葉を返せずにいると、女はずいっと顔を寄せた。

 

「貴方には受難の相が見えますね」

「な、何…………?」

「私は占い師なんです。このあたりで辻占いをしているの」

「辻、占い?」

「ええ。こうして道端で、唐突に占いをしているのです。のようですから事故だと思ってお聞きなさい」


 辻斬りとは、なかなか例えが穏やかではない。彼の困惑をよそに、女は言葉を続けた。


「もちろん無料ですから、ご安心を。そしてありがたく、助言を聞いていただけるといいかと」


 にっこりと、ベールの向こうで女が笑ったようだった。彼女は、しげしげと青年を見つめる。反応に困っている青年に、何かを見極めるように眺めた後で静かに言った。


「貴方、運命によってこの地に導かれたようです。ここに真実を探しにきたのね」


 告げたその言葉は、確信を持っているような声色だった。青年はそれを笑い飛ばすことをしなかった。彼はまさに、この山吹市に探しものにきた。まるで心を見透かしたような。動揺を押し殺すようにぎゅっと一度強く目を瞑った青年へ、もう一言付け足される。

 

「でも、喜びなさい。貴方はこの地にもたらされる台風の目です。貴方の行動が全ての結末につながる。何もできないよりは、遙かに良い状況だと思いますよ」

「あの、それって……」


 不穏な単語に、ようやく戸惑いの声をあげる。しかし顔をあげると、そこには既に誰もいなかった。すぐ側に立っていたはずの女は、煙のように立ち消えていた。


「何だったんだ……?」


 まるで、白昼夢でも見たかのようだ。確かに幻覚ではなかったはずなのだが、現実味が薄い。頭を振って何度か瞬きをする。いないとわかっても、まだどこかにあの女がいるのではないかと視線をさまよわせてしまう。

 と、僅かによろめいた青年は、背後にいた誰かにぶつかった。

 

「あっ」

 

 か細い声に振り返る。そこには、大きな荷物を抱えた女性が、手に持った鞄を取り落としそうになっていた。


「ごめんなさい!よそ見をしていて!」

「いえ、大丈夫です」


 三十代中ごろと思われる女性だ。カーディガンにロングスカート、長い髪は僅かにウェーブがかかっている。大人しそうな印象の、落ち着いた人である。青年が彼女の荷物を支えながら謝ると、彼女は眉を下げて薄く笑った。

 それにしても随分な荷物だ。華奢なこの女性が運ぶには、少し無理がある。


「あのもし良かったら、目的地まで手伝わせてもらえませんか?」


 ぶつかってしまったお詫びに、と申し出ると彼女は少しためらうように誠を見つめた。


「ありがたいですけれど、かえって申し訳ないような……」


 青年は首を大きく横に振る。


「いえ、本当に俺は大丈夫なので。手伝わせてください」


 そう言うと、彼女はそれならば、と頷いた。


◇◇◇


 白峰しらみねかおるは、山吹市総合病院に勤める医師である。彼女は内科医として長く勤務しており、もう何年も変化のない平坦な毎日を送っている。傍目から見れば、退屈な日々に思えるかもしれない。だが薫にとっては、心から望んだ静寂だった。


 しかしその静かな生活に、波風が立った。薄々、感じではいた。幸福な日々が崩れる前兆。そしてついに、訪れた。七月上旬、初夏のことである。

 その日、薫は夜勤明けだった。宿直勤務を卒なくこなし、すっかり日の登りきった街を歩く。病院から家までは、そんなに離れてはいない。急いでもいないし、のんびり歩いて帰るつもりであった。

 ただ、少し荷物の多い日だったのだ。そして寝不足の頭が、回避能力を鈍らせた。駅前の横断歩道で、青年にぶつかった。


「ごめんなさい!」


 取り落とし掛けた荷物を、青年が受け止める。こちらも不注意だった。気にすることはないと告げたのだが。


「目的地まで手伝わせてもらえませんか?」


 真摯な顔つきで請われてしまい、薫は渋々承諾した。ここからであれば、そんなに遠くはない。それに。


(どことなく、あの子に似ている……)


 そうして並んで歩き、辿りついた先は駅からほど近くにある商店街。薫は、その中のひとつの店へと入っていく。古書店「村崎堂むらさきどう」。店の戸をくぐると、すぐに奥から人が出てきた。

 

「薫、おかえり」

「ただいま戻りました」


 店の名前が入ったエプロン姿の男は、朗らかな笑みを浮かべる。そして薫の後ろから荷物を抱えてきた青年へと視線を移す。

 

「あの、俺…………」

 

 青年は事の経緯を説明しようと口を開くも、それよりも先に男が発した言葉に驚いてその場で硬直した。


「ようこそ、葛城かつらぎまことくん。君をずっと待っていたんだ」


 薫は、その名前に目を細めた。驚きと共に、やはりという郷愁が心に湧き上がる。目を丸くする青年は、とても懐かしい女の面影を宿していた。


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