025 剣豪
「きっと、ハルは剣術に優れたやつの複製だと思うんだ」
咲子から祝詞の話を聞いた、その日の夜の会話だ。
誠とハルは、ハルの複製元について何かヒントがないかと葛城邸中を探し回っていた。怪しいと目星をつけたのは数か所。両親の寝室、物置として使ってる屋根裏、そして書斎。けれどもそれらしき物は見つからないまま、時間だけが過ぎていく。
結果からいうと、葛城邸には研究についてどころか、組織に関する記録すら全くというほど残されていなかった。本当に両親が組織の人間だったのか、疑わしく思えてくる始末だ。それでも散々家中をひっくり返し、二人が行き着いたのは書斎だった。パッと見、組織関係の資料は無さそうだが、歴史書らしきものはいくつも蔵書されているのがわかったのだ。
「剣豪ってことか?」
「まぁ、そうかな。でも時代はわからない。剣術で名を立てた歴史上の人物は多いから……」
誠は言葉を切り、ぐるりと書斎を見渡す。日本史に絞っても、蔵書はかなりの数だ。古代から近現代まで、時代もジャンルもバラバラの歴史関連書が立ち並んでいる。
「考えられるのは、この中にヒントがあること」
「確かに。研究対象の複製元にするくらいだ、情報は必ず集めていると思う。この中のどれかっていうのはあり得るね」
でも、とハルは肩をすくめた。
「数が多すぎる。もっと絞れないの」
「うーん。ハルに難しいのなら、俺にはもっと難しいと思うんだけど」
参ったとばかりに頭を掻く誠は、その時あることを思いついた。探るようにハルに尋ねる。
「君にハルって名前を付けたのは、うちの両親?」
「そうだよ。何度も話してくれたもの。お父さんとお母さんは、名前を大切に思っていた。私の名前も、これしかないと思ってつけたんだって言ってくれたんだ」
そういえば、とハルは思い出した。
「誠の名前の由来も、聞いたぞ」
「あー、俺もちょっと聞いたことがある。って、話が脱線している」
誠は真剣な顔で、言った。
「今、ハルも言っただろ。ハルの名前には意味がある。で、その意味はどこから来たんだろう」
「由来ってこと?そこまでは聞いてないな」
「たぶん、両親はあえて答えなかったんだよ。ハルは複製者だ。それをあの二人が加味しないわけがない」
誠は、自身の両親を思い出していた。二人は誠にとっては、良い親だったと思う。けれども、よく思い出せば思い出すほど――二人は、世間的にはちょっと変わった親だった。
特に思い返されるのは、二人とも研究職をしていたからか、曖昧なものは好まなかったことだ。例えば誠が七色の虹を見たがった時。一般的には雨上がりに見れるだのという説明をするだろう。しかし葛城家の場合はそうもいかない。どういう条件下でなら虹が現れるのか、七色をつくるプリズムから説明を始める親なのである。
そんな二人が名付けのような大事なことを、曖昧な理由で決めるわけがない。
「つまり複製元は、ハルという名前に関連する人物か」
「可能性は高いと思う。なおかつ、このリストに乗っていれば確実じゃないか?」
二人で懸命に書き連ねたリストを眺める。書斎にある蔵書から、日本の剣豪の名をリストアップしたものだ。これをつくるにも一苦労だったが……。
「うーん、ハル……ハルか……」
ひとつひとつ調べてみるも、それらしい情報は出てこない。誠は首を捻り、呟いた。
「ひとつ思いついたのはあったんだけど、このリストにはない人物なんだよね」
◇◇◇
あのときは結局、答えはでなかったのだ。その後もハルの複製元がわからないまま、あれよあれよと今に至る。
ハルという名前が複製元に関係しているかもしれないというのは、誠の思いつきでしかない。実はそんなことは関係なく、両親は別の意味合いで養子に名を付けたかもしれない。だから、これまで試したのはどれも、「ハル」という名前の由来は特になさそうな剣豪の祝詞である。
けれども、誠の心にはずっと引っかかっていた。
(やっぱり……名前は複製元に関係があるのではないのか)
自分でもさっぱり説明は出来ないが、誠にはそんな気がして仕方なかった。ハル本人も、そのことについては最早関係なしと判断しているのにも関わらずだ。
なぜそこまで、引っかかるのか。――理由を付けるならば、得体のしれない予感でしかなかった。
そして今、本多忠勝の複製者と対峙している。いくつも祝詞を試したが、どれも失敗に終わる。ハルの体力にも、限りがある。その一方で、複製者本多は全く消耗した様子を見せない。
追い詰められつつあるこの状況下で、誠の脳裏で閃いたのは、今までの想定と真逆のことだった。
(もしかして――あの書斎に、何も残っていないことこそがヒントなのでは?)
徹底して組織の情報が排除された葛城邸。唯一、関連のありそうな歴史書籍の並ぶ書斎。そこに僅かにヒントがあると思っていたが、よく考えるとそこまで綿密に組織の匂いを消したのだ。ハルに繋がる痕跡は一切消したと考える方が、道理ではないだろうか。
絶体絶命。チャンスは残り少ないが、リストアップした複製者候補はまだ三分の一程は残っている。その候補を試すことを諦めて、誠は一度違うと排除した選択肢を試そうとしている。
「これがだめだったら、いよいよ覚悟を決めないとまずいな」
悩む間もない。でも誠は決断した。これは賭けだ。緊張から表情が強ばる。しかし、ハルは笑った。
「まぁ、そのときはそのときだろ」
一瞬、視線が絡み合う。それだけで、互いの覚悟を確認する。誠は、声を張り上げた。
「
一節目。
口にした途端に得も言われぬ何かが、背筋を撫でる感覚に陥る。ハルもはっとしたように、小さく息を飲んだ。視線は、本多から離れない。
「
ニ節目。
明らかに、今までとは異なる心持ちだった。
通常、祝詞というのは毎回決まった文句なのだそうだ。複製者と培養家の間で交わされた、合言葉。その鍵で培養家は、複製者の能力を開放する。だからわかりやすい方がいいらしい。
――でも、必ずしも祝詞は同じ文言でなくてはならないというわけではないのよ。
咲子はそう言った。
ハルの祝詞は失われている。大切なのは、ハルと複製元を祝詞で紐付けするという行為そのものである。だから培養家である誠が、複製元を呼び覚ます文言を唱えれば、それが祝詞として使うことが可能だと。
つまり重要なのは、ハルの複製元をぴたりと言い当てることだ。
「武の真髄、ここにあり」
三節目。
この祝詞は、誠が考えたもの。今まで試したハズレの祝詞もそうだった。でも、どれも途中でハルが違うと首を横に振って終わった。
誠が考えた祝詞は三節構造。――最後まで唱えられた祝詞は今回が初めてである。
誠は唱え終わると、ハルを注視する。ハルは、微動だにせず、敵を見据えている。本多も、黙ってハルを見返していた。
僅か数秒、静寂が訪れる。ぽつり、ハルが呟いた。
「覚醒めろ、遺伝子」
誠は、祈るように彼女の背中を見つめる。
そしてハルは、高らかに言い放った。
「我が複製元――――剣豪、
その瞬間、空気が変わった。
ハルは間髪入れず、地面を蹴る。一気に間合いを詰めると、迷わずに木刀を振り上げた。その速度は、先程までの比ではない。
瞬時に仕掛けられた本多は反応し、ハルの攻撃を身体を引くことで避ける。が、ハルの木刀が僅か、本多の首筋を掠った。
「む……ッ、祝詞か!」
本多は仰け反りながら、叫んだ。男の体幹は凄まじく、仰け反りながらもバランスはしっかり取れているようだった。そのまま腕を外側に引いたかと思えば、迷いなくハルの側面を目掛けて槍を振り抜く。だがハルの方も、負けてはいない。本多の動きを察知し、身を屈めた。槍が、ハルの頭上を通過する。
両者の応酬は、激しく、早かった。誠も目で追うのでやっとだ。
(これが、祝詞の力…………!)
笠間や晴明のそれは見ていたが、ハルの場合は差が歴然だった。目に見えて、彼女の身体能力が向上している。同時に、遂に知れたハルの複製元。誠は興奮に、身を震わせた。
宮本武蔵。
それは江戸の世、剣術の腕で名を馳せた男の名前である。彼は剣術家で兵法家、そして芸術家であった。
江戸時代が始まる少し前に生を受け、少年期に関ヶ原の戦いを経験したものの、その全盛期は既に江戸の世。それまでの実力主義の武士の時代には、間に合わなかった男といわれている。だが刀一本で身を立て、五輪の書という兵法書を認めたことで今の世にも伝わる剣豪だ。どこまでが史実かは定かではないが、武蔵の道場破りや決闘の伝説は数々ある。中でも有名なのは、佐々木小次郎と競った巌流島の戦いだろう。
この武蔵の
本多とハルは何合かやりあうと、それから再び互いに間合いを取った。両者は、視線を合わせたまま、荒い息を調える。
先程から、明らかに戦いのレベルがあがっている。間違いなく、ハルの動きが変わったからだ。とはいえ、笠間の仮面のように特別な技が増えたわけではない。ハルはハルのままで、攻撃手段も技も同じ。ただスピード、威力は段違いだ。
そして今間合いを取ったのも、ハル側からではない。ハルからの猛攻に耐え兼ねたように……本多が、後退したのだ。
「なるほど。貴殿の複製元は、かの剣豪であるというわけか」
「どうやら、そうみたい」
にやっとハルが笑った。
「すごいね、祝詞。あんたの攻撃も、さっきより遅く見える」
本多は、このハルの言葉に感心したように返す。
「初めて、祝詞を使ったと? それが事実ならば、凄まじい適応能力だな。普通の複製者は、祝詞で箍を外した身体をすぐには上手く操れない」
「私を褒めてるの?そりゃどーも。でも、あんたは自分の心配をしたほうがいいんじゃないかな。ホラ、その左腕とかさぁ」
ハルは瞳を爛々と輝かせて笑う。本多は指摘された自分の左腕に目を向け、顔を歪ませ嗤った。
誠はその時、本多の左腕に気付いて驚いた。血塗れで、そして赤黒く一部が腫れ上がっている。打撲痕だろう。少なくとも、骨は折れている。どうやらハルが先程の攻撃で負わせた傷らしい。
「油断したな」
本多は軽く、舌打ちした。
「流石に祝詞を使った複製者相手に、生涯無傷を貫くことはできん」
それは、初めて聞いた本多の弱音だった。本多に傷を与えられたという事実は、すぐに誠とハルに自信を与えた。
このまま少しずつでも攻撃を続けていけば、この男を倒すことも不可能ではない。幸いにもハルは絶好調で、本多の培養家はここにはいないのだ。誠は、またとない機会に期待を膨らませる。しかしそれは、ほんの数秒のことだった。
「私でなかったら、致命傷だったかもしれぬ」
静かに言った本多は、ふ、と微かに笑った。その刹那。誠とハルは、目を疑った。
「まさか、自己回復!?」
それは、異様な光景だった。本多は、ぐっと、怪我を負ったあたりに力を入れた。すると先程ハルが与えた左腕の傷が、みるみると癒えていくのだ。回復薬の投与もなしにこの回復は、普通の人間では有り得ない。
ハルと誠の驚きに答えるように、本多は言う。
「悪いな。これこそが、私の能力――細胞の活性化による超回復だ」
そしてものの数秒で、ハルが与えた傷は癒えてしまう。それを止める隙すら、まるで与えられないまま。
「さて。改めてお相手願おうか」
再び男は槍を構える。その姿に、ハルと誠は揃って息を詰めた。一度追い詰めたと思ったのに、彼の傷はすっかり元通りだ。誠は思わず、奥歯を噛みしる。
これでは――これでは、勝つことなどできないではないか。やっとのことで祝詞を引き当て、ハルは本多と対等に戦えるようになった。しかし、それまでの疲労は確実に蓄積されている。そして、本多はまだ実力を全て出し切っていないと思われる。
ハルも、同じことを思ったらしい。木刀を握るも、顔は引きつっている。何か打開策はないものかと思考を巡らせるが、迫る本多に身が竦みそうだった。圧倒的な力量差に、遂に恐怖が追いついてくる。
本多が槍を振り上げる。ハルは大きく目を見開く。辛うじて受ける体制をとるものの、そこには先程の気迫はない。誠も、ただその様子を見ているしかできない。絶体絶命の文字が脳裏を過ぎる。その時。
――ピリリリリ、ピリリリリリリリリ。
突然、電子音がけたたましく鳴り響いた。
何事かと各々身構える誠とハルに対し、緩慢な動きで懐に手を入れたのは本多だ。どうやら、音源は本多の所持する端末のようだった。
依然臨戦態勢の二人を他所に、本多は一度槍から手を離して端末に目を落とす。……油断した態度。攻撃を仕掛けるには絶好のタイミングだというのに。
(全く隙がない……!)
視線も外し、武器すら一度引いている。だというのに、男の間合いに入った途端にこちらがやられるという明確な予測がつく。本多の一挙一動に二人が息を潜める中、男は端末の画面を目眺めて顔を顰めた。
「どうやら、局面が変わったらしい。最早、貴殿たちとの手合わせに意味はない」
ハルの顔を一瞥する。そしてそのまま槍を下ろし、あっさりと背を向けた。
「命拾いをしたな。若き複製者よ、この続きはいずれ」
本多はそれだけ言い残すと、歩き出す。あまりにも堂々とした撤退だ。だがハルと誠には、まったく状況は掴めていない。それでも遠ざかっていく姿を、二人は見送ることしかできなかった。彼を引き止めるどころか、これ以上戦って勝てる見込みがなかったのだ。そして本多もそれを理解している。だからこんなにも、無防備に背を向けるのだ。
「くそッ………!」
本多の姿が見えなくなった後で。ハルは、がくりと膝を付いた。視線は、本多が消えた方へと向けられたまま動かない。絞り出すような声で、彼女は呟く。
「悔しいけど……まったく刃が立たなかったッ……!」
誠も同じ気持ちで、ハルの背中を見つめている。
完全なる、敗北だった。
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