012 模擬戦


 ニューポートは山吹市で唯一背の高いビルが建ち並ぶ一角だ。近年市政によって積極的に開発が進められているエリアである。ほとんどがオフィスビルだが、中には商業施設が併設されているものもあり、県外から誘致された有名店などは若者の遊び場になっている。

 しかし、ニューポート開発が始まったのは約八年前。その間山吹市から離れていた誠には、全く踏み入れたことのない未知の場所だった。

 そこへ、誠とハルは呼び出されている。


「遅いわよ」


 きょろきょろとあたりを見渡しながらやっと辿り着いた先で、そんな言葉をぶつけられた。目を向けた先に、腕を組んだ女性の姿。彼女の後ろには、胡散臭い笑みを貼り付けた男が黙ったまま直立している。藤原咲子ふじわらさきこ安倍晴明あべのせいめいだった。今日も二人はきっちりスーツを身に纏っている。素人目から見ても高級そうな仕立てで、山吹駅前では違和感があったそれも、ニューポートではよく馴染んで見えた。


「ごめん。初めて来た場所だったから、ちょっと迷ったんだ」


 軽く謝罪を口にする誠の横で、ハルは悪びれもせず退屈そうに辺りを見渡す。

 この辺りはニューポートの中でも特に、力を入れて整備されているあたりだ。聳え立つタワーマンションはニューポートの看板的な建物であるし、その横には一流のラグジュアリーホテルもある。このあたりのビルの最上階からは港が一望でき、夜景がとても美しいらしい。


(こんなところ、よほど用がなければ来ないな。用もなくふらついていたら、不審者と思われても困るし……)


 誠は今も、場違いな気がしてなんとなく落ち向かない。しかし呼び出した二人は、誠のような感覚を持っていないようだ。わざわざここを指定したことや二人の身なりからして、ニューポートに拠点を持っているのだろう。


(組織の人間って、給料良いのだろうか)


 思えば両親も、金に困っているような素振りは一切なかった。しかし仕事は激務、休みなんてほとんどないような過酷な研究者生活のようだったが。


「それで。俺たちがやればいいのは、逃亡している複製者の探索だったっけ。あてがあるのか?」


 昨日の話を思い出しながら、咲子に尋ねる。咲子は緩やかに首を振った。整えられた黒髪が揺れる。


「そう簡単な話じゃないのよ。複製者の外見は、普通の人間と同じ。その上、こちらを出し抜く能力は普通の人間以上。見つけるのも難しいし、見つけても追いつめるのはさらに難易度が高い」

「それ……大丈夫なのか……?」


 八方塞がりなのではないだろうか。素直に反応を返した誠に、咲子は咳払いをしてとりなした。


「そんな顔しないで。色々方法はあります。探し出しすまでは私の仕事だから、任せておきなさい」


 誤魔化すように早口で告げた咲子の後ろで、晴明が嫌な笑い声を小さく立てた。なんだか不穏な反応だが、咲子が大丈夫というのならば、良いのだろう。


「ふぅん。私たちはあんたたちが見つけた奴らを、捕まえればいいってことか」


 ハルが呟く。見つけるまでが咲子の仕事であるなら、その先の「捕獲」は誠とハルの仕事になるのだ。

 しかし咲子はこちらを眺めて、試すように尋ねた。


「その通りなのだけど、先に確認したいのよ。あなたたち、戦える?」

「戦える」


 間髪入れずに答えたのは、ハルだ。彼女は自信満々に、咲子と向き合う。


「相手を倒せば良いんだろう?」

「あら、頼もしい限りね。でも実戦経験は?」

「喧嘩なら負けたことはない」

「複製者と戦ったことはないでしょう」


 鋭い指摘に、ハルはむっと口を噤んだ。

 誠はというと、ハルとは対照的に不安だらけである。実戦どころか、喧嘩をすることもあまりない。それなのにいきなり、相手が複製者なんて。


(ハルと対等なやつとの戦いなんて、この前の辻斬り戦みたいになるんじゃ……)


 あの時の、まるで何もできない自分を思い出してげんなりする。と、誠はあることに思い至った。


「ねぇハル。あの通り魔、複製者だったりしない?」


 おや、と眉を上げたのは咲子の後ろで静かにしていた清明である。


「通り魔? 君たち、噂のアレに遭遇したのか」

「こっちに戻ってきた日に、襲われた。俺は通りがかりのハルに助けられたんだ」


 誠は簡単に、その時の様子を伝える。あの黒い靄のような、正体不明の襲撃者。晴明は、誠の言葉を吟味するように目を細めた。


「へぇ、話を聞く限り複製者の可能性は高いな。私たちも気になって追っていたが、なかなかしっぽを出さなくてね」

「でもハルの戦闘力の証明にはなる。通り魔を退けている。つまり複製者との実戦経験になるんじゃないのか」

「マコト、よく思い出した!」


 誠の助け舟に、ハルが顔を輝かせて頷く。しかし咲子の反応はいまいちだった。


「その事実は考慮に入れるわ。でも、それだけでは足りない。だから模擬戦をさせていただきます」

「模擬?」

「ええ、模擬戦。貴方たちの実力を試させて。私たちも鬼じゃないのよ。いきなり戦いに放り出すわけにはいかない。協力してもらうからには、ちゃんとサポートはするわ」


 そういうと、咲子はポケットからさっと紙束を取り出す。お札のくらいの長方形で、半紙のような薄い紙だ。よく見ると、毛筆でなにやら細かい文字や模様が書いている。まるで神社で配る御札のような。


(もしかして……陰陽術?!)


 ピンときて、とっさに誠とハルは身構える。

 昨日、男の名を聞くまでだったら全く気付かなかっただろう。しかし、安倍晴明の培養家である咲子は、昨晩も妙な影を使役していた。あれは、複製者による能力のひとつではないだろうか。

 二人の反応に、咲子は笑う。


「模擬戦のルールは簡単よ。先に相手の動きを止めた方が勝ち。どうかしら?」

「おもしろい。やる」


 即答したハルに対して、誠は深く息を吐いた。これは何を言っても、止めることはできそうにない。それに考えようによっては、いきなり実戦に放り込まれるよりマシだ。


「わかった。相手は?」

「勿論、私と晴明よ」


 予想していたことだが、咲子の笑みに緊張が走った。藤原咲子と安倍晴明。やり手らしい培養家に使役される、伝説の陰陽師の複製者。一体どのような戦いになるのか、検討もつかない。


(だが、真っ向勝負であれば勝ち目もあるか?)


 得体のしれない陰陽術に、警戒が解けない。だが陰陽術は、あまり戦闘向きとは思えないのも確かだった。咲子についても、彼女自身が攻撃を加えることはないだろう。対してこちらのハルは、木刀使いだ。誠だって、女性である咲子よりは動ける筈だ。


(肉弾戦に持ち込めば、なんとかなるのだろうか)


 誠の思考を知ってか知らずか、咲子は口元を緩めて言った。


「大丈夫、手加減はするから」


◇◇◇


 ハルから聞いた、培養家についての話を思い出していた。

 複製者と培養家は必ず一組、猟犬と猟師の関係である。……その例えは正しかったらしく、複製者と培養家は、基本的にペアで戦場に出るのだと咲子も言う。

 模擬戦を行うために、港の片隅にある倉庫街へとやってきた一同である。人目につかない開けた場所で、四人は向かい合っていた。


「基本的にね、複製者は培養家に管理されるようにつくられているの。彼らは単体で、普通の人間とは異なる強い力を持っている。だからこそ、彼らを野放しにできない。そう考えて培養家の方に、制御するようなシステムを組み込んだのね」


 猛犬につけるリードのようなものだ。複製者は、兵器とはいえ人間。培養家に必ずしも忠実とは限らない。だから、有る程度の枷があらかじめつけられている。そしてその枷の鍵は、培養家が持つ。


「誠くん、貴方にはハルをしっかりと制御してもらわないとならない。そのための模擬戦よ」


 誠は頷いた。しかし全く自信がない。瞳を爛々と輝かせるハルは、誠の方をちらりと振り返りもしないのだ。


「制御って、一体どうしたらいいんだ」

「基本的には、戦闘指示を誠くんから出すようにしたらいいと思うわ」

「指示? マコトに従って勝てるのか? 勝てないなら、従う必要などないんじゃないのか」


 ハルか振り返らないままに言う。誠は肩をすくめた。既に話を聞く様子がない。咲子は、培養家の手腕が問われるのだと厳しい声を上げた。


「初めは、そうね。ハルは誠くんの指示を聞くことを意識しなさい。誠くんはハルに的確に指示を出せるよう、よく状況を見るのよ。一度やってみましょうか。実践あるのみですもの。……晴明」


 短く、自身の管理する複製者の名を呼ぶ。男は微かに頷いて、例の御札を手にすると誠たちに向かって鋭く放った。同時に、短く唱える。


「我が声に応えよ――"影法師カゲボウシ"」


 その瞬間、放たれた札が人型ヒトカタへと変貌する。昨日、咲子と共に行動していたあれだ。人影のような、しかしぬるりとした物体が複数、揃ってハルを囲むようにと動きだす。


「ハル!」

「わかってる!」


 ハルは視線を左右にさっと走らせ、低姿勢をとった。迎え撃つつもりらしい。重心を下に下げて木刀を構え、前後左右全てを警戒している。


「ほら、誠くん。ハルに指示を出さないとやられちゃうわよ」


 くすくすと咲子が笑い、彼女は指先でくるくると動かした。


さんろく、展開しなさい」


 彼女の言葉に呼応するように影が動く。どうやら、影を動かしているのは咲子らしい。


「これは式神しきがみというの。初めて見たでしょう。結構簡単な術で、これくらいなら私ににもできるのよ」


 彼女がそう説明するのが聞こえてきたが、誠はそれどころではない。神経を研ぎ澄ませているハルに、四方から影が迫ってるのだ。


「気をつけろ、迫ってるぞ……!」

「わかってるッ!」 


 助言など、どうすればいいのかわからない。何を言っても邪魔になる気がするし、今もハルの集中を見出してるだけだ。

 と、影に紛れて男が移動するのが見えた。ハルもそれに気がついたようで、一瞬、真正面に来た晴明へと気をとられた。その隙に、式神がゆらりと動く。ハルには見えていない。とっさに誠は声を上げる。


「右から来る!」

「!」


 声に、ハルは目を見開いて左へと飛んだ。体を捻ったすぐあとに、身体すれすれを式神の攻撃が掠める。ハルは舌打ちをして、そのまま反対方向の敵へと木刀を振り下ろした。


「次は左方向に1人! 同時に一拍遅れて真後ろだ!」


 誠が次々と伝えるそれは、ハルからは死角になった敵の動きだった。ハルは、すぐに順応した。全ての方向を警戒するのではなく、視界に映る範囲に絞って防御を固める、間合いを測りながら、敵の隙を付いていく。そして背後や死角の警戒は誠に任せ、その指示に従って動くのだ。

 咲子は、満足そうに頷いた。


「そうそう、いいじゃない。ハルはどうしても戦況の全体をみれないからね。それを補うのが誠くんってわけ」


 なるほど、分かってきた。ハルは確かに、一人で高い戦闘力を有している。しかし、それだけでは不足なのだ。確実に勝つために、誠がいる。


「ハル、右からくるぞ!次は左手四十度!」


 誠が声を張り上げる度に、ハルの攻撃の精度は増していく。そして徐々に、式神を倒していく。式神は、ある一定の攻撃を加えられると形を保てないようだ。何度かハルの木刀を食らった式神は、溶けるように姿を消していく。


「貴方達、思った以上にできるわね。それならば、もう一段階進みましょうか」


 咲子はそっと息を吐き、口を開いた。


諸行無常しょぎょうむじょうは 五行ごぎょうの極致きょくち


 その言葉を聞いた途端、晴明の表情が変わった。呪文を唱えるような咲子の声は、続いている。


盛者必衰じょうしゃひっすいは 陰陽おんみょう対極たいきょく三千世界さんぜんせかいは これにあり」


 晴明が、にやっと笑った。両手で何やら印を組むと、咲子の詩を引き継ぐように、声を上げた。


「――まとえ、木生火もくせいか


 その瞬間、ハルに倒され溶けていった式神が、息を吹き返すようにまた姿を表した。わき上がるようにしてまた立ち上がる。それだけでなく、次々と現れる式神は、炎に覆われている。

 晴明が軽く手をふると、数体がハルに向かって飛び込んでくる。とっさに木刀で撃ち落とすも、次から次へとやってくるので追いつかず、ハルは何度か攻撃を食らう。

 息をつく間も与えない、怒涛の攻撃。それは今までとは比べものにならないような、力の波だ。

 とても、間に合わない。ハルの剣戟も、誠の指示も。

 気づけばハルは地面に尻を着いていて、同時にパチンと晴明が指を鳴らした。すると攻撃をやめた式神が、はらりと紙へと戻っていく。


「な、なんだ今の!」


 呆然と誠は呟く。


「……負けだ」


 悔しげに、ハルが顔を歪めた。

 とにかく、圧倒的だった。明らかに咲子と晴明は、戦い慣れている。そしてこちらは初めて相手にする陰陽術への戸惑いも大きかった。

 しかし、それだけではない。咲子のあの詩。それを聞く前と後では、晴明の力はまるで別人のように変わったのだ。


「わかった? 貴方たちに足りないもの、それがこの祝詞のりと。祝詞は培養家の必殺技。つまり、複製者のタガを外す奥義なの」

「奥義?」

「そう。これを使えるのは培養家のみ。その複製者によって異なる言葉――祝詞を唱えることで、複製者に掛けられた箍を外す。効果は個人差があるけれど、身体能力でいうならば、倍くらいかしら。晴明の場合は集中力を底上げすることで、陰陽術の精度が格段に上がる」


 さらりと告げられるが、それはとんでもないものだった。思わずハルを見つめる。ハルは弱くない。でももし更に威力をブーストできるとしたら、可能性が広がる。


「だけど、ただ唱えればいいというものでもないわ。状況の見極めが大事。発動にもタイミングがあるの」


 模擬戦を、最初の方から思い返す。

 咲子たちの戦い方は独特だった。互いに、はっきりと役割分担がされていたように思う。咲子は清明の動き、そして戦局をよく見極めて祝詞を使っていた。本当に、完敗だった。負けるべきして負けたのだ。

 でも咲子は、誠とハルをよく戦えていたと褒める。

 

「落ち込む必要はないわよ。昨日今日組んだ二人で、晴明に勝てるわけはない。ましてや、祝詞をつかったのだもの。貴方たちも、祝詞を組み込んだ作戦をちゃんとたてれば、もっと有利に戦えるはず」


 二人は、顔を上げた。

 もっと強くなりたい。その強い気持ちが、共通して生まれていた。


「藤原さん。祝詞、俺にも教えてほしい」


 しかしこれには、咲子は首を横に振る。


「結論から言うと、できない」

「なんで!」

「してあげたくても、無理なのよ。複製者の祝詞は、培養段階で決められる。しかしハルの研究は、記録がない。彼女の研究はすべて、葛城夫妻によって秘匿されていた。ハルが誰を複製しているか、それが分かればまだ方法はあるのだけど」

「そんな……」


 がっくり肩を落とす誠に、追い打ちをかけるように咲子は続ける。


「ハルの存在自体、組織は把握していなかったの。葛城夫妻は、本当に秘密裏に彼女を育てていたのよ。ハルのことが明らかになったのは、今月に入ってからよ」

「どういうことだ?」

「どうもこうも、誠くんのせいでしょう。葛城夫妻には子供がひとりいる。組織にはそれしか情報がなく、娘か息子かなんて誰も知らなかった。この十年間、葛城夫妻と一緒に暮らしていたのは女の子だった。当然、彼女が二人の実子だと思われてた。でも今月に入って、葛城夫妻の跡取り息子が帰郷するという情報が入った。その時になって初めて、養子扱いの女の子――ハルが複製者だとわかったの」


 なんということだ。誠が山吹市を離れていたことが、ハルを匿うカモフラージュになっていたらしい。


「それじゃあ、俺たちは祝詞を使えないまま戦うしかないのか」

「当分は、そうなるわね。いろいろと試してみるしかないわ。思いつく言葉があるならば、口にしてみる事。正しいものを引き当てれば、ハルの箍は外れる。そして祝詞が分かれば、きっと彼女の正体もおのずとわかる。私たちの方も、探っておくわね」


 さて、と咲子は話を切り替える。


「二人の戦闘スキルは、及第点よ。そうなれば早速、次の作戦を立てましょう」


 咲子は、にっこり笑った。


「リゾートホテル、行ったことはある?」

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