番外編 ある無差別殺傷事件の調書、弐
朱く燃える夕日が差す中、半分闇に浸かった街は不気味な様相であった。チカチカと点滅する蛍光灯、オレンジと黒のコントラスト。路地裏は、そこだけ時代に取り残されたような静けさだった。
それは、暗がりにこびり付く黒から生まれたように見えた。突然として現れ、立ちはだかり、敵対した。姿は不明瞭。性別はおろか、体型すらも判別がつかない。まるで何かに視界情報を阻害されているかのようで、黒い靄、もしくは影に見えた。その奇妙さは、見た者に不快感が募らせた。
ただひとつ明らかだったのは、明確な殺意である。それは、手に日本刀のような刃物を所持していた。片手にひっさげた凶器を、こちらに向けて振りかぶったのである。
奇襲を掛けられた者たちの反応は、様々であった。
「貴様、何者だ」
複製者本多忠勝は、真っ向から刃を受けた。金属同士がぶつかる甲高い音が響く。重い斬撃に、本多は目を見開く。背後では酒井が静かに取り出した銃器の安全装置を外した。
「まさか、逃げられるとお思いかな」
複製者東郷平八郎は、カラリと笑う。その表情には老獪さが滲んでいた。敵が現れたその直後、三方向から彼の優秀な駒が狙いを定めていた。その連携の強さが、彼らの強みだ。
「邪魔をするなら、倒す」
複製者風魔小太郎は、瞬時に攻撃を避け暗器を構えた。傍らの相棒も、真剣を抜く。彼らにはやることがあった。障害物は速やかに、除かなければならない。
「お前が、辻斬りですか」
陰陽師安倍晴明は、じっとそれを観察した。すぐにそれの正体は判明したが、意図は不明だった。口にはしない。傍らの弟子にして主人には申し訳ないが、彼には彼の事情もあるのである。だが、危害を加えられるのは宜しくない。術を込めた札を構え、薄ら笑いで迎え撃つ。
この無差別殺傷事件は「辻斬り事件」として、一時、山吹市内を賑わせた。夕暮れ時に現れる正体不明の人物が、一太刀傷を負わせて去っていくという怪事件。だが、一度遭遇してしまえば二度目はない。致命傷を与えられた者もいない。
これは、複製者が襲われた際も同じことであった。明確な殺意は、しかし消化しきる間もなく闇夜に溶けていく。
梅雨が明けてすぐ、六月下旬から七月上旬までの出来事であった。
「で、お前は会ったの。辻斬り」
――という問いかけを、何の前振りもなく投げられた。相手は、自分の教育係にあたる複製者だ。
流星は今、幻庵房ヘ身を置いている。ここには何人か複製者がおり、新入りの流星は、先輩である少年に教えを請うている最中だ。先輩といっても、自分よりも年若い。複製者の上下関係に、年齢なんてものは関係ないが。
そんな事情はともかくとして。辻斬りである。
「夏前に流行ったろ。一時期は怪事件だ、殺人鬼だと騒がれたが結局よく解らないまま姿を消したあれ。知らない?」
「……いや、知ってる。辻斬りっていうのか」
名称にはピンとこなかったが、流星にも思い当たる出来事があった。
ただ、その頃の流星は我ながら正気ではなかった。兄を亡くしてから、復讐心だけで動いていたのだ。そんな中で遭遇したものだから、流星にとっては煩わしい障害のひとつでしかなかった。
「とんでもなく強いやつだとは、感じた。あのまま戦いが続いていたら、まずかったかもな」
「だよなぁ!いや俺達もさ、遭遇したんだよ。ちょうど二人で街をぶらついてた時にね。勝てない相手とは思わなかったけど、厄介そうだなって感じた」
それで、と彼は声を潜めた。
「何の目的だと思う?」
「目的なんてあるのか?」
「そう考えた方が、どうもしっくりくるんだよ」
ほら、と少年は両手を広げる。
「一太刀だけ負わせて去って行く怪異――いや、何かを見定めるためにそうしているのではないかな?」
「見定める?」
「そう。何かの目的があって、ちょっかいかけてんだ。何にせよ、気分の良いものじゃない。勝手に見定められているんだから」
剣呑な空気に、流星は思わず尋ねた。
「どうするんだ?」
「どうするって?」
きょとんと返されて、今度は流星が首を傾げる。
「いや、だから。辻斬りってやつを探してやっちゃうのかと」
すると、彼は軽快な笑い声を立てた。
「あはは!お前いいなぁ、単純で。まぁ許されるならそれが一番簡単な解決ではあるけどね。俺たちは、組織に所属している身だ。勝手な行動は許されない」
「いいように使われているだけじゃねーの」
「玄庵様になら、それでもいい」
この感覚は、未だに流星はわからなかった。玄庵房に来て数ヶ月だが、幻庵には数えるほどしか会ったことがない。それほど魅力的な人物とは思えないのだが……。
「辻斬り、あれは複製者だろう。誰が、何のために、それは全く持って分からないがね。でも、とっても面白い」
少年は好戦的に笑う。
「いつか、思い切り戦ってみたいよな」
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