第一部 復讐編
003 帰郷
十七歳になる年の初夏、
彼に両親の訃報が伝えられてから、一年ほど後のことである。
誠はこの十年間、両親と離れて都心近郊にある祖父母の元で暮らしていた。葛城家の両親は共に研究職をしていて、誠の子育てに苦心していたことが理由だ。
でも両親は、決して誠を蔑ろにしていたわけではない。それは誠が一番よく解っている。年に数度しか会えなかったけれど、必ず誠の誕生日とクリスマスにはプレゼントを贈ってくれたし、一緒に暮らせないこと、中々会うことができないことに対して二人が申し訳なく感じていたことにも気付いていた。
確かに幼い頃は、両親が多忙なことに寂しさはあった。けれどもこの年になってからは構ってもらえない不満よりも、そこまで仕事に打ち込める二人を尊敬していた。
ただ――あまりにも突然の訃報だった。
親戚は誠と暮らしていた祖母のみで、葬儀も祖母と誠の住む家の近くで行われた。そして誠が口を挟む間も与えられないまま、気づけば遺産相続等の手続きまですっかり終わっていたのである。
両親を失った実感を得られないまま、数ヶ月。誠は、ふと思い立って
両親の遺品整理という名目だが、そのまま生家で暮らすつもりだ。屋敷は誠が相続したことになっているので、遊ばせておくのも勿体ない。それに、幼い頃のことを思い出したら居ても立っても居られなくなった。
ひとつだけ、一人残される祖母が心配ではあった。しかし彼女は、数年前に祖父が亡くなってからは抑圧されたなにかから開放されたように元気溌剌で、躊躇う誠の背中を強い力で押してくれたのだ。
「誠の、好きなように生きなさい」
昼過ぎに山吹市に到着し、記憶とすり合わせるようにきょろきょろと辺りを眺める。流石に十年だ。変化した部分も多くある。昔は駅前も寂れた田舎町といった風だったが、数年前に駅舎ごと建て直したらしい。近年は、企業誘致にも力を入れているのだとかで、海側の埋立地エリアにはいつの間にか高層ビルが立ち並ぶオフィス街、ニューポートが広がっている。
(なんだか知らない土地みたいだ)
ピシッとしたスーツ姿の仕事人が駅前を行き交う様子に、つい物珍しくて視線を送ってしまう。祖母の家に居たときは散々見慣れた光景も、それが山吹市となると印象が違うのだ。
ちょうど目を向けた先、駅前ロータリーを挟んだ向かい側に目立つ二人組がやってきたのはその時だった。
若い男女で、女性の方は黒のパンツスーツに艷やかな黒髪を靡かせている。忙しいのか険しい顔をしているが、遠目に見ても美人だ。問題は、その隣の男性の方だ。女性に比べてかなり身長が高い。しかも、髪も腰あたりまで伸ばしていて、首の後ろでひとつに括っている。
(……外資系企業、というやつだろうか)
しかも、男が纏ってるのは白いスーツ。この国の一般企業の勤め人ではまず見ないタイプである。ただ、貿易船もよく出入りする街なので、海外の企業であれば珍しくもない格好なのかもしれない。
思わず好奇心が抑えられずにまじまじと見つめてしまい、その視線に気づかれたのだろう。ふと、男の方がこちらに目を向けた。うっかり視線が交差しかかり、誠はあわてて目を反らした。
ちょうどそのタイミングでロータリーにバスが滑り込み、二人組の姿がバスの姿に遮られる。バスから降りてくる人々を眺めていると、急に横に立っていた男性に時間を尋ねられる。誠が腕時計を見て答えると、彼は頭を下げて慌てた様子でバスに乗り込んでいく。その姿を見送ったところで、肩を叩かれた。
「誠、相変わらずだな」
はっと顔を上げて呼ばれた声に振り向くと、かつての同級生が笑顔を向けていた。
「ようこそ、山吹へ」
◇◇◇
日が落ちてくる頃になって、誠はようやく生家へと足を向けていた。
十年ぶりに再会した友人は、あちこちと誠を案内してくれた。両親が亡くなったときに連絡をくれたのが切欠で、この一年弱連絡を取っている友人だった。実際に会うのは小学生の頃以来だ。互いに成長したとはいえ、顔を合わせればブランクなど感じさせないまで打ち解けた。
山吹市は、東側の
かつて港が開かれた時には、このあたりに海外からの移住者が住居を構えたという。その名残で、異人館と呼ばれる洋館がいくつも立っていた。
葛城家はその異人館群の中のひとつなのだ。ただ異人館といっても、誠の家は長年の間に何度も改築を繰り返していた。そのため、他の家のように重要文化財扱いはされていない。
久々の故郷に浮き足だっていたのかもしれない。色々なところを見て回っていたら時間はあっと言う間にすぎていた。町中を歩き回り、記憶との照合をするのはなかなか新鮮だった。それでついつい遠回りをして、家へ帰るのが遅くなった。それとも、もしかしたら、自分では気にしていないと思っていたけれども実家への帰りづらさを感じてしまっているのだろうか。
これから帰る家に思い入れがあるかと聞かれると、そうでもない。確かに懐かしさはあるけれど、特別感傷的にもならないだろうという、ぼんやりとした確信がある。両親がいない、一人きりの家。でもそれは、両親が不在にしがちな葛城家にとっては珍しい光景ではない。
(だけど、もう両親は帰ってこない)
近づくにつれて重くなる足取り。
家へ向かう長い坂道を登りながら、ふと、吹き込む潮風に立ち止まる。
眼前の視界は開けている。眼下に海が広がる。今は七月下旬。もうじき、本格的な夏がやってくる。地平線に、ちょうど夕日が沈んでいくところだった。
夏は、夕焼けの赤がより鮮やかに感じる。
海の向こうに広がる、燃えるような赤に目が眩む。日が完全に沈み、世界の色が赤から闇へと移り変わるその刹那。
逢魔が時と呼ばれる、この時間帯の別名に相応しく。
――何の前触れもなく、災厄は訪れた。
誠が感知するよりも先に突如、振り下ろされたのは、刃渡り約六十センチの凶器。
それは明確に、殺意を持った攻撃だった。
「な、なん……っ」
すんでのところで、その凶器を避ける。避けたというよりも、あちらの攻撃が狙いを外したと言った方がいいだろう。頬の真横を、鉄の塊がすごい勢いで通り過ぎる。目は辛うじて残像のみを捉える。
誠は身体のバランスを崩しそのまま地面に転がり、受け身もまともにとれずに背中を打ち付ける。襲撃者の姿を捉えようにも、思考と身体が追いつかない。
ぱっと、頭に過ぎった単語があった――通り魔。
この頃、通り魔事件が山吹市で頻発していると、ニュースでやっていたのを思い出す。都心に居た頃は物騒だと思いながらも、どこか遠い街の話だとしか思っていなかったのだ。
まさか自分が当事者になるなんて、思いもしないではないか。
ぎらり、と鈍い銀色に光る刃物。
触れただけですっぱりと肉を断つのだろうと想像した。咄嗟に日本刀を連想したが、それが本当に日本刀なのかはわからない。ただ少ない知識から、それが時代劇などで目にする日本刀に似ていると思っただけだった。
(死ぬ、かもしれない)
心に浮かんだのは、その一言だ。
状況がわからない。ただ、あれに斬られたら死ぬということだけはわかる。逃げなければと思う。だというのに、身体が動かなかった。
振り下ろされた日本刀を見つめる。
眼前に、真っ直ぐと迫る刀。真正面から飛んでくる切っ先。一瞬、時間が止まったようにそれが視界いっぱいに映り――。
「お前ッ馬鹿か! なに、ぼうっとしてるんだっ!」
声がしたと同時に、強い力で横へ突き飛ばされる。誠は勢いよく、アスファルトに転がった。同時に、がつん、と獲物を外した刀が地面にぶつかる鈍い音がする。遅れて、突き飛ばされた衝撃が身体に伝わる。
「間抜け。死にたくないなら、せめて逃げる姿勢を示せ!」
再びその声に、強い言葉で詰られる。鋭い口調の割に高く、少女の声に聞こえた。体勢を立て直すよりも先に、頭だけをそちらに向ける。
見上げたその先に、その恩人は立っていた。
赤いジャージ、短パンから伸びる白い脚。セミロングの髪の毛を、ポニーテール状に束ねた少女は仁王立ちで、背後に転がる誠に視線だけを向けていた。
本当に少女であったことに驚く間も与えられない。ただ、誠は彼女の姿に息を飲む。
印象的なのは、凶暴なまでに輝く双眸。宵闇でも、浮き上がるような光を纏っているように見えた。
「でも、生きているな。私が助けたのだから、ちゃんと生き延びなさい」
浮かべられた笑顔は太陽のように眩しくて。ただ、誠は頷くしかない。
それが、彼女――ハルとの出会いだった。
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