099 葛城誠の主張-2

 ハルの発言のあと、しばらく誰も言葉を発することができなかった。しん、と静まりかえった中で誠が言葉を発した。


「……俺、帰るよ」


 そうして、言うだけ言って出て行った誠を、止められる者はいなかった。誠の言い分はことごとく、もっともだった。誠に背負わされた運命が重いのは確かなのだが、彼がそれを強制されることに異を唱える権利はもちろんあるのだ。でもそのことを、皆が失念していた。つまり、誠が異論を唱えるなんて思っていなかったのだ。

 その上にハルの後押しがあったので、他の者はもちろん、アキヒトも誠自身も何も言葉にしなかった。去っていく誠の背中を、一同は黙って見つめていたのだ。各々、思うところはあっただろうが口にはしない。

 少しして、アキヒトがゆったりと腰を上げた。 


「僕も少し外の空気を吸ってこようかな」


 そういって、つま先を誠を追うようにむけた。


「皆もしばらく、各々ゆっくりしておいて」


 今度も誰が止める間もなく、アキヒトは扉の間から滑り出るようにして、部屋を後にしたのだ。


◇◇◇


 書店村崎堂を出て、商店街を少し進んだところで川辺の道を進む。この岩流川はこの山吹市の名所のひとつであり、明け方には霧が立ちこめ、雲海のようになるというので観光客の目当てになることもそれなりにある場所だ。

 しかし昼間のこの場所は、それなりに大きな川にすぎず、特別見応えがあるような場所でもない。自然につくられたごつごつした土手に、観光用に安全なアスファルトの足場が組み合わせられている。

 その境目。アスファルト部分に腰を掛け、岩肌方向へと足を投げ出してぽつんと座る姿があった。誠である。

 そっと後ろから近づくと、アキヒトはその隣に滑り込んだ。


「隣、いいかな」


 答えを聞かないまま、腰を下ろす。尻の下に堅いコンクリートの感触がした。川の上流から下流へと流れていく勢いが、よく見えた。


「……良くここがわかりましたね」


 誠は川から目を離さないままに、言った。アキヒトも同じ方向を眺めながら答える。


「君は一人になりたいときに、川辺に向かうタイプだと思ったから」

「そんなこと、ないと思うけど。この川、戻ってからきたのは初めてだし」

「きっと幼い頃は来ていたでしょ」

「…………」


 アキヒトの話し方は、思いの外強引である。いや、意外でもなんでもないのかもしれない。彼は丁寧で柔らかな物腰であるが、自分がこうと決めたことは問答無用で押し進めるところがあるのかもしれない。村崎堂の、あの集まりこそが最たるものだ。

 誠はぎゅっと眉根を寄せて、黙った。その反応を気にした様子なく、アキヒトは微笑んだ。そのまま、しばらくの沈黙が流れる。川を流れる水音や、水鳥の鳴き声がした。少し離れた商店街からも時折、人の声が流れてくる。

 並んで川面を眺めるばかりで、進展がほぼない。その沈黙に、痺れを切らしたのは誠の方だった。


「あの、アキヒトさん……は俺を説得しにきたんですよね?」

「うん、そうだね」

「ここで、ぼんやりと川眺めてていいんですか」

「まあ、宗あたりは、そろそろ痺れを切らしそうではあるけれど」


 言いつつも、のんびりとした口調のままアキヒトは続ける。


「でも僕は――君を無理強いするつもりはないんだ。僕の計画に乗ってほしい気持ちはあるけれど、それは絶対ではない。ハルが言うように、君が本当に嫌だと思うのであれば関わらなくでもいい」

「…………」

「……僕の計画に乗らないのであれば、いっそ、絶対にこの件に関わらないと約束してほしいくらいだ」

「……?」


 小さな声で、呟くように付け足された言葉の意味は、誠にはわからなかった。それを説明する気はないらしい。アキヒトは、誠を見つめて、もう一度繰り返した。


「僕が君に協力してほしいのは本心だ。でも、君の判断に委ねるよ」


 それは、先ほどまでの誠が欲していたものーー自らの決定権である。けれども改めてそう提示されると、おとなしく、はいそうですかと受け取れるようなものでもない。そして、簡単にそれで可決するほど、誠は単純な男ではなかった。


「あなたが良くても、あの人たちはそれでは納得しないでしょ」


 だから、そんな台詞がついてでたし、おまけにその後もつらつらと言葉を重ねてしまう。


「宗ってやつ、貴方のことずっと応援してきたんだろ。きっと俺がここへ帰ってきたことで事態が動いたってことからして、あいつにとっては気に食わないだろうに、俺が抜けるって言ったときは斬り殺してきそうな殺気放ってた」


 脳内にひとりずつ、あの場にいた面々の表情を思い浮かべる。誠の発言に、憤ったもの、落胆したもの、困惑したもの……けれどその全てが、そのとき初めて気づいたといった様子だったのが印象的だった。つまりは、誠にも意志というものが存在するのだとそれまで知らなかったようなのである。


「隼人だってそうだ。あと、その後ろにいたやつも。隼人は自分の人生を滅茶苦茶にされても、変に曲がることなく、それよりもこうなった原因を絶ちたいっていってた。スタートは復讐だったかもしれないけど、立派だと思ったよ。その決意を、俺の一存で絶ってしまうのはいいのかって流石に思わされる」


「組織側だった藤原さんも、あなたの志が正しくて、そして計画に勝機があるからこっちについた。そうじゃなきゃ、今も敵対してた筈だろ。あの晴明ですらそれを了承したんだ。きっと、あなたが正しいんだろう」


「松実寺の人たちは、本当にすごい。組織とはもうほとんど縁がなくて、無関係のまま、見て見ぬ振りをしていても良かったのに。それでも山吹市の――人類の危機だからって、危険を省みずにやってきたんだ」


「ハルだって――……」


 そこまで続けて、口を閉ざした。いや、違う。彼女だけは違った。ハルだけは、誠の顔を真っ直ぐに見つめていた――初めから。


「……つまり、そんな人たちの覚悟や意志や……多くの感情が、俺のひとことで台無しにされた。自分でもひどいと思うけれど、あなたはそれを責めないでただ隣に座っている」


 じっと誠の話を聞いていたアキヒトは、うん、とうなずく。それからしみじみと言う。


「僕はね。誠だってすごいと思うよ。そんなにはっきりと状況をわかっていても、自分の意見を曲げようとしない」


 それから、なんてことのないような口調で尋ねた。


「ねえ、それよりもさっき気になっていたんだけれど。君は、あの場にいた人たちとは、ほとんど山吹に来てから出会ったんだよね」

「そう、だけど……」

「それにしては、良く色々なことを知っているんだと思って。まるで、長い間苦楽を共にした仲間みたいな口振りだったね」


 苦笑混じりのその言葉。言外に込められた、誠を揶揄するような響きに、眉根を寄せる。


「――なにが言いたいんだ?」

「僕が、何か言いたいと思っているって、そう思うのかい」


 からかうようにして、アキヒトは笑った。


「誠はいつだってそうだ。何もわからない、初めてだと言いながらも飲み込みがあまりにはやい。今のような特異な状況にもすぐに適応する。まるで自身で気づいていないだけで、既に体験したことのあることばかり、みたいにね」

「…………」


 答えない誠に、アキヒトはひっそりと続ける。


「実はまだ、話していないことがあるんだ。誠、僕の話を聞いてくれないかな」

「……さっき散々、聞いたと思うけど?」

「ううん。さっきまでは神器である祟徳の話だったでしょう。そうじゃなくて、この身体のーー僕の話だよ」


 誠は答えない。

 それを了承ととって、アキヒトは口を開いた。


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