009 組織(三)
誠と咲子が見守る中、ハルは不安そうな表情で静かに口を開いた。
「私が、複製者なのは確かだ。でも自分でも、わからない。私が一体何なのか――誰の能力を継いでいるのか。何も、知らされていないんだ」
これには咲子も驚いたように、目を丸くした。
「複製元が分からないってこと? 複製者本人が自分について知らないなんてこと、普通は有り得ないわよ」
複製元――つまり、ハルに植え込まれたエス遺伝子の情報が何なのかわからないということだった。本来であれば複製者は自分の複製元を把握している。先程上げた例でいうと、複製者沖田は、自分が「沖田総司」の複製者であることを自覚しているのだという。
「それが事実なら、貴女は自分の能力をまるで発揮できないわ」
「その通りだ」
ハルは、悲しげに首を横に振った。
「それが事実なんだ。けれど、私は自分が何者でも構わなかった。葛城のお父さんとお母さんは、私に名前と養子という立場をくれた。複製者として何を求められていたのかわからないけど、二人が良いというのならそれで良かったんだ」
両親とのことを思い出したのか、ハルは微笑を浮かべる。
「本当に、二人には感謝をしている。それにマコトにも。二人は、マコトのために私がいるのだと言っていたから。私は、マコトの代わりに葛城邸にいるのが自分の存在意義だと思っていた。……だから、マコトを巻き込みたくなかった。お前が、葛城家のしがらみから離れて平穏な生を送ることに尽力できるなら、それが私にできる両親への恩返しになると思っていた」
ハルは誠を見つめる。小さく息を吐き、諦めたように笑った。
「でも、いいよ。両親の跡を継ぐのがマコトの選んだ道なら、私は応援する。私は、ここでお別れだけど」
「え……?」
突然の別れの言葉に誠は驚くも、ハルはそれに反応することなく咲子の前に進み出た。
「あんた、私を捕らえにきたんだろ」
誠は、ハルの発言に驚いた。
「捕らえる? なんで、そんなことになるんだ」
「複製計画が、数年前に破綻したからだ。それ以来、組織で進められてきたのは研究対象……つまり複製者の破棄だ」
淡々としたハルの言葉に、誠は目を見開く。咲子に問うように視線を移した。誠の視線を受けた咲子はゆっくりと、しかし迷うように頷いた。
「ええ、そう。そうなんだけどね。……事情が、少し変わったの。はじめに言ったでしょう。本当に争うつもりはないのよ。ハル、私は貴女に協力してもらいたい」
ハルは、訝しむように首を傾げた。
「協力?」
「そう。私たちの複製者破棄業務に、協力してほしいの。その代わりに貴女の破棄は見送る。悪くない話でしょ?」
「それが、本当の話ならな。だが、どうして信じることができる?」
ハルは厳しい視線を咲子に送った。緊迫した空気が二者の間に流れた。誠はひとり、話についていけていない。
「待った。なんで突然、複製者の破棄? 複製計画の破綻ってどういうことだよ」
答えたのはハルでも咲子でもなく、例の男である。またもや置物のように黙っていた彼は、にやにやと口を挟んだ。
「当然の結果だよ。ここ数年、研究は停滞が著しかった。戦争が終わったからね。富国強兵を目指さなくなったのは大きい。そして維持の問題だ。研究には莫大な資金がかかる、それをまかなえなくなった。世間に金を無心するにも、非人道的だと罵られる類の実験だからな。つまり、複製者は必要なくなった。そういうことさ」
男の言葉を、今度は咲子が引き継ぐ。
「計画破綻が決まった後、組織は複製者たちを野放しにすることを良しとしなかったわ。当然よね。自分たちよりも遥かに高い能力を持っているのだもの。そのままにしておく方が危険よ」
「でも、だからといって破棄なんて……」
「考えてもみて。未完成とはいえ、対軍も想定されてつくられていたのよ。実験体の中には、かなり凶暴な能力を組み込まれた子もいる」
「…………」
「仕方ないのよ。現に組織では既に、複製計画に代わる、新たなプロジェクトが進んでる」
いわば彼ら複製者は、戦闘のエキスパートとして産み出されている。戦争が終われば、兵器は取り壊される。もう二度と使えないように。それと同じようにまた、複製者たちも破棄――命を絶たれる運命なのだという。
「破棄を決定したはいいけれども、実際すんなりとはいかなかったのよ。私たちはただの人間でしかないからね。つまり兵器を壊すために、兵器を必要とした。同等の強さの、協力者が必要だった」
咲子は言いながら、男の背中を叩いた。
「これが、その一人。複製者でありながら、組織に従属を誓って破棄を免れている。私はこの男の培養家だから、一緒に計画破綻の尻ぬぐいをさせられてるってわけ。自分で言うのもなんだけど、私たちはよくやったわ。粗方は片が付いた。でもここにきて――今の人員では対処が難しくなった」
咲子は苦い表情を浮かべる。
「市内に残っていると見られる複製者は、数人。それらは既に一般市民へ被害を出している。情報も少なからずあるのに、捕まえられない。私はその原因が、組織内部にあるとみている。組織の中に、まだ秘密裏に複製者を匿っている者がいる」
咲子は、改めてハルを見つめる。
「私たちがそいつを出し抜いくためには、組織の誰も知らない駒が必要なの。だから、ハル。貴女を見逃すかわりに、私を手伝いなさい。私の指示下でなら、戦闘も許可するわ」
それから、と付け足す。
「言って置くけれども、これは交渉ではない。命令よ。もし頷かなかったその瞬間、貴女は抹殺対象に切り替わる。わかるわね?」
「…………チッ」
舌打ちしてハルは唇を噛む。咲子の言葉通り、ハルには従うしか道はないようだ。
「貴方もよ、誠くん。貴方にも彼女の培養家として協力する義務がある。組織に関わる覚悟を決めたんでしょう? 私に付けば、悪いようにはしない。葛城房の跡取りとしての後ろ盾にもなってあげる」
誠は迷うことなく、頷く。組織のことは右も左も分からない。咲子につく限り、ハルと誠の立場が保証されるなら断る理由はない。
「わかった。協力しよう」
「マコト。お前、状況本当にわかってるのか?」
ハルは疑わしいと言わんばかりに、誠を見上げた。彼女の鋭い瞳に苦笑しながらも、言葉を返す。
「だって、そうするしかないだろう。幸い俺には、もうハルしかいないからな。たったひとりの家族を守るために戦いに出るっていうのも、なかなかドラマチックじゃない」
「……やはりお前、バカだな。危機感がなさすぎる。バカは早死にする」
「よく言われるよ」
ハルは、呆れかえってため息を吐いた。聞いていた男も、理解できないとばかりに首を振る。
「よし決まり。今から貴方たちは、私の部下として動いてもらうわ」
咲子はひとつ手を叩くと、満面の笑みで頷いた。
「わかった。で、ええと……咲子さん……?」
この時になって、誠は気づく。結局この咲子という女性は何者なのだろう。聞いていなかった。組織でそれなりの地位にいるらしいことは察せられるが。自分の身を委ねてから気づくなんて、ハルの言う通り危機感をどこかに置いてきてしまったのかもしれない。
彼女もああ、と気づいたようだった。
「ごめんなさい。私ったら、まだ自己紹介もまだだったわね」
彼女は、くすりと笑う。その綺麗な笑みに、彼女が美しい人であると改めて気づき、思わず見惚れる。
「私は、
咲子の白い指が男を指し示す。そして告げられた名前に、誠は度肝を抜かれた。
「複製者・
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