023 最強(二)

 流星の登場により、隼人と笠間は引き離された。その結果、本多と対峙するのは実質ハル一人である。誠は、ハルの一歩後ろで対峙する二人を俯瞰するような構図だ。


(俺も、方丈くんのように戦えればいいんだけど……)


 一応、誠にはそういう提案もされている。望めば武器を用意すると咲子も申し出てくれた。けれども、頷かなかったのは誠本人だ。複製者同士が戦う場で、付け焼き刃の誠が武器を振り回しても邪魔になる気しかしない。


(それに、俺には大切な役割がある)


 誠はじっとハルの背中を見つめた。次いで、本多の様子を伺う。

 流星の乱入があったものの、本多の堂々とした態度は崩れなかった。じっと口元を引き締めながらこちらに目を向ける様には、貫禄がある。気になるのは、彼の側に培養家らしき姿がみえないことだった。


(藤原さんの話通りなら、本多の培養家は酒井……酒井は今、葵房にいる)


 そして葵房には、咲子と晴明が向かっている。ということは、酒井はしばらくこちらには来られないということだった。


(複製者は、培養家がいなければ祝詞を使えない)


 祝詞は、複製者にとって必勝の要。祝詞がないと、最大火力を出すことはできない。それでも常人の数倍の身体能力はあるのだが。

 いずれにしても、今しかなかった。本多の培養家がいない今のうちに、誠とハルはこの男を倒さなければならない。


 本多は、静かに槍を構える。

 両手でしっかりと柄を握り、右足を引いて身体の左側をこちらに向け、刃を突きつけている。本多の間合いは、かなり広い。武器としてのリーチが長い上、彼自身の手足も長い。


(本多忠勝の槍は――蜻蛉切とんぼぎりだったか)


 史実で語られる本多忠勝の得物は、天下三名槍に数えられる美品だった筈。突きつけられた槍がそうであるわけがないと思いつつ、どうしても本多忠勝の複製者だと思うと、そう見えてしまうから不思議だ。

 一方、ハルは正眼に木刀を構えている。木刀に拘ったのは彼女自身だ。真剣も用意されていたが、ハルは木刀が一番しっくりくるのだと言っていた。


(でも果たして……その選択は正しかったのだろうか)


 本物の蜻蛉切でないにしろ、向けられた刃は鋭い。殺傷能力も高いだろう。ハルの木刀が弱いわけではない。現に笠間相手には、効果的だった。だが、今度の相手は目の前の大男である。準備は、万全だったと言えるのだろうか。

 不安を拭えない誠に対して、ハルは本多に目を向けたまま動かない。静寂の中、両者の間を吹き抜ける風が、ざわざわと木々を揺らして音を立てる。

 まだ踏み込んですらいない。だが既に、二人の勝負は始まっていた。呼吸ひとつするにも、緊迫感が漂う。ハルは、誠だけに聞こえるように囁いた。


「……こんなに完成された複製者、滅多にないと思う」

「わかるのか」

「うん。なんとなくだけど」


 話している間も、ハルの視線は本多から離れない。瞬きすら惜しむようだった。


「たぶん精神面、肉体面どちらも最高スペックにまで引き上げられてる。複製元の……本多忠勝としての能力はどうかわからない。でも、複製者としてあれは最強だ」


 彼女の言いたいことは、なんとなくわかった。あの男は、出来過ぎている。完璧すぎる。まだ刃を合わせていない。それでも、わかる。


「あれは、強い。本物の戦国武将を相手にしてると思ったほうがいい」


 間合いをとったまま、動かないこちらに痺れをきらしたのか。男は遂に、動き出した。


「どうした。かかって来ないのか」


 ふっと本多が口元を緩めた。そして柄を握る力を強めた、刹那。


「それならば、こちらから行くぞッ!」 


 右足を踏み込んだと思ったら、弾丸のような早さで本多は間合いを詰めてきた。同時に、鋭く突いてくる刃。ハルは寸でのところで避けたが、その後にやってきたのは、槍による隙も与えない猛攻撃だった。突いたと思ったら薙ぎ払い、刃を気にしていれば、柄の方の殴打が飛んでくる。


「くっ!」


 ハルは上手く身体を使い、最小限の被害で逃れようとする。できれば一度間合いの外に出たいと思うも、それを許すような相手ではない。


「どうした!避けるばかりか?!」

「……クソ!」


 本多の挑発に、しかしハルは防ぎ、避けるので精一杯である。

 それでも彼女はうまくやっていた。この闘い慣れしている大男相手に、ほとんどの攻撃を受け流し、迎え撃っているのだから。しかも徐々に反応は良くなっている。本多のスピードについていけている。だが、それでだけはどうにもならない。攻撃に転じねば。


「……それなら!」


 ハルは、避け続けていた身体の動きを、突然変えた。右脇腹に飛んでくる柄を、避けきることをせずにそのまま身体で受けたのだ。


「ぐぅぅっ!」


 ハルはくぐもった声をあげるも、急所は上手く外したようだ。


「ハル!」


 誠の声にも答えないまま、彼女は本多の真正面に躍り出る。そして、彼の喉元を狙って木刀を振り上げる。

 それはハルの決死の反撃だった。このままやられっぱなしではいられない。一撃を食らってでも、一矢報いようという判断だったのだろう。


「そうくるか!」


 けれども、本多は愉しげに笑みを浮かべた。そして、喉元に飛んできたハルの木刀を左手で掴むようにして止めたのだった。


「ハル、左!」


 思わぬ本多の行動に動揺しかけたハルは、しかし誠の呼び声で我に返る。咄嗟に身を屈めたすぐあとで、槍がハルの頭上を通過する。


「右手からくる!足!」


 誠の指示に、状況も分からないまま左へ飛んだ。飛んだ先で、足払いをかけようとしていたらしい本多の動きが見えて肝が冷える。

 その後も、誠の声に従ってハルは本多の追撃を避け、やっと間合いの外に出る。命からがらという状況ではあるが、相手に少しでもダメージを与えられていれば……と思ったのだが。


「ほう、なかなかのチームワーク。だがその程度では私の相手ではない!」

「…………ッ!」


 ハルの決死の攻撃は、本多にとってはそれほどでもなかったらしい。胸中に焦りと苛立ちが募る。

 ハルの攻撃スタイルには、型というようなものは存在しない。毎回彼女は、その時思いついたままに行動している。彼女曰く、あらゆる武道の型は一通り習得はしているようなのだが、それに縛られるのが嫌なのだという。


(恐らく、それはハルの強みだ)


 武術におけるセオリー、決められた流れに沿っていないハルの動きは、却って武道に精通した人間には奇妙に映るものだ。スポーツであれば反則技、型崩れと言われるものかもしれない。しかし実戦においては強ければ何でもあり。なんでもありの本番では、ハルは生き生きと動けるのだ。

 複製者・本多は、いかにも実直な武士然とした男である。素人目にも、彼の槍を扱う手捌きは美しい。手本のような作法である。このような男に相手ならば、ハルのトリッキーな動きは生きる。男はハルを相手にすればするほど、混乱するだろう。誠はそう思っていた。しかし。


(なんて反応速度だ……)


 見通しは甘かった。ハルの突飛な動きに対しても、本多は完璧に対応しきっているのだ。

 しかも最悪なことに、本多はハルの動きを読んでいるわけではない。やはり彼にハルの行動は奇特に見えるのだろう。読みきれずに、僅かぎこちなく動きを止める瞬間がある。だが本多のすごいところはここからで、どんな態勢からでもハルの攻撃に対応してしまう。


(後出しジャンケンみたいなもんだ……ハルの手は読めないから、手を出したときには本多は負けている。それなのにも関わらず、そこから力技で勝ちの手に切り替えてしまう)


 袈裟斬りに見せかけながら、ハルは突きの攻撃を仕掛ける。直前までハルの木刀を受け止めるようにガードの姿勢だった本多は、ハルが突きの動作に入った瞬間、素早く判断を下す。ガードの態勢のまま、突かれた木刀を横から殴打しようと槍を振るう。ハルもそれに対して、すぐさま受け身を取って逃れようとする。


 カウンターに、カウンターを返すような激しい応酬。為せるのは、互いに複製者であり、常人の数倍の速度で反応を返せるからだろう。

 なんにしろ、この男に下手な小細工は通用しない。勝つならば、単純に力で勝るしかない。同じことを、ハルも感じたらしい。


「ち、このままじゃ無理だ!マコト、あれ試すぞ!」

「了解!」


 誠は、ハルからの合図に声を張り上げた。


「我が剣こそが真の志 動かねば 闇にへだつ……」


 それは、祝詞の候補だった。

 ハルに足りないもの……そして起死回生を狙うには、彼女の祝詞を引き当てること。それしかない。

 誠の言葉に、ハルは身体の内側で力が僅かに盛り上がるのを感じる。けれどすぐに、それは収束して消えてしまう。足りない。何かが足りない。本来の祝詞ではないからだろう。

 でも今回は隼人と戦った時のように、やみくもではない。ある程度、当たりをつけてきている。


「違う、次だ!」

「智略の将よ生き急げ 兵どもの夢――」

「違うな、もっと!」

「五月雨を請い 鳴くは不如帰――」

「ああっ、駄目だ!それではない!」


 どれも、うまくいかない。

 結局、未だにハルの正体は判別できていないのが原因である。それさえわかれば祝詞はなんとでもなるだろう。でもそれが難しいから、誠は手当り次第に祝詞の候補を唱え続けるしかない。


 だが候補も決して、当てずっぽうというわけではない。誠とハルは家中をひっくり返し、ハルの複製元に関係する資料がないか、探しに探した。しかしそれらしいものは見つからなかったのだ。

 いよいよ途方に暮れたその時、誠が目をつけたのは書斎だった。父の蔵書には、日本史に関する本がたくさんあったのを思い出したのだ。

 二人は書斎を端から順に確認していき、その中から剣豪といわれた人物の名前をリストアップしていった。そして、その歴史上の人物に由来した文句を祝詞とし、ひたすら試しているのだが。


「これも、だめなのか?!」


 一向に、正解を引けない。その間も、本多との攻防は続いている。


(まずい……)


 焦りからだろうか。ハルの動きが、だんだんと鈍くなっている気がした。リストの名前は、残り少ない。しかし最後まで試している余裕はないかもしれない。このあたりで、正解を引かなければ

 誠はじっと手元を見つめる。


「なあ、ハル覚えているか。ハルの、正体について話したときのこと」


 低い声で言いながら、顔をあげる。


「あの時は却下したんだけど……。話していたやつ、やっぱり試してみてもいいか?」


 その表情には、決意の色が浮かんでいる。


◇◇◇


 雄大と流星の兄弟は、葵房の複製者として生を受けた。


 葵房はかつて徳川政権の永続を願う者たちが、組織に参入したことによってできた研究房だ。名を連ねたのは、徳川を支えた忠臣たちに関係した出自を持つ人々。けれども傍流であったり、末席であったり、表の歴史には顔を出せなかった者たちだ。

 葵房の中心には何人かいたが、流星たちが生まれた頃には既に酒井が葵房の手綱を握っていた。

 流星にとって、酒井とは正義の象徴であり、葵の御紋こそすべての頂点に立つ存在。そう教えられて育ったし、疑うことなどなかった。そして物心ついたころには戦闘訓練を受け、双子は悪を正すため、活躍するようになったのだ。


 二人に与えられたのは、悪をその手で消すことだった。殺して、殺して、殺して、殺した。命じられるままに、二人は正義を執行した。手は赤く染まっていったが、それは名誉なことだった。


 だから許せなかった。

 半年前、雄大は突然として姿を消した。流星は兄を探し回った。何か異変がが起きたと気づいた。やがて兄は見つかったが、既に変わり果てた姿だった。下手人が複製者であることには、ほどなくして気づいた。


「あのときの取りこぼしが、兄貴を殺した」


 相手の正体は、すぐに知れた。

 そして流星自身も、思い出した。十年程前、兄弟それぞれで民家に押し入った時のことだ。あのとき、敵はすべて殺した筈だった。詳細は覚えていないが確か、世間を騒がすような悪い研究をしている一家だったと思う。こいつらのせいで不幸になる家族がたくさんいるのだと、酒井に教えられていた。


 酒井の話だと、そこには流星たちですら手間取るだろう、殺人兵器がいるという話だった。だから身構えていったのに、結局その兵器とやらとは遭遇せずに終わったのだ。酒井は、逃げられたのだと不機嫌そうに言った。そして、逃がしたのは兄弟のせいだと叱りつけた。


 だから流星は、あのときのことをとても後悔していたのだ。そいつを取り逃がしたことで、不幸な人間がたくさん生まれることになったと。――そのツケが回ってきたのだ、と兄が死んだときに悟った。

 

 だが、理不尽だ。なぜだ。なぜ、正義を貫いている兄が死ななければならなかったのか。あまりにも、理不尽ではないか?


「許せない、許せない許せない許せない!」


 流星の噛みしめた唇から、血が滴り落ちる。

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