053 三様特訓地獄絵図、ニ

「笠間があんなに簡単に飛ばされるなんて……」


 少し離れたところから様子を伺っていた隼人が、恐ろしいものを見たような顔で呟いた。まやも隣で眺めながら、にこりと微笑む。


「若も鉄心も、今日は気合いが入っていますね。余程、戦いがいがあるのでしょう。楽しそうでなによりです」


 お嬢様然としたまやの口振りとは裏腹に、四人の訓練の様相は血みどろの乱闘である。時折医務担当らしき僧が薬を手に駆けつけては、回復を施し、再び訓練に戻す様子は地獄さながらといった様子だ。最も恐ろしいのは、その場の誰にも動揺が見られないこと。つまり、この光景が松実寺では日常らしいというところである。


 隼人は、松実寺組とは戦ってはいない。だが今日対面し、相当な手練れであることはすぐに分かった。彼らには、複製者とも渡り合える相当の実力がある。それを隼人は羨ましく思った。

 しかし訓練が始まり、認識を改めた。そうではない。彼らの実力は、日頃の訓練の裏付けなのだ。そして、それは今目の前にいる少女も同じことである。


(何事にも近道はない。目の前の道を信じて進むことが、結果的には目標に近づく方法ってことか)


 決意を新たにしたところで、隼人はひとつ、気になっていたことを尋ねた。


「ねえ、聞いてもいいかな。あの二人って君の護衛?」


 若田と鉄心のことである。彼らも松実寺で暮らしているようだが、修行僧には見えない。何か役割を持っているのだろうと思うが、皆目検討がつかなかった。

 頭を散々捻り、思いついたのが「護衛」である。まやは、実際の戦闘値は兎も角として、見た目だけであればか弱いお嬢様そのもの。もしもの時の為に、二人を側に置いているというのは、あり得る話だろう。しかし、返ってきたのは予想外の返答だった。


「まさか。庭師ですよ」

「庭師?!」

「ええ。二人とも、素敵なお庭を整えてくれるのですよ。助かっています」

「そっか……」


 それにしては、見た目が激しすぎる。まぁ僧侶と言われるよりは、納得できるかもしれないが。


(でもどう見ても、極道の娘とその護衛だけどなぁ……)


 隼人は喉まで出掛かった言葉を無理矢理飲み込んだ。世の中には、口にしない方がいいこともある。

 さて、とまやは隼人に向き直った。


「方丈さんとは初めての手合わせですが、今回は戦闘値をあげるものではありません。――率直に、私を見てどう思いますか?」


 まやは、薙刀を構えてみせる。伸びた背筋は堂々としており、一瞬で引き締まった空気に目を見張る。


「隙がまるでない。強そうだ」

「ありがとうございます。もし、私が笠間さんと対峙していたらどうです?」


 そう問いかけられて、隼人は彼女が何を言いたいのか理解した。


「ああ、そうか。複製者に見えるんだ。というより、今の君と対峙したら、

「その通りです、方丈さん」


 良くできました、とばかりにまやは表情を綻ばせた。


「私と方丈さんの実力はさほど変わりはありません。問題は、態度でしょう」

「態度? それだけ?」

「はい。あなたは複製者を、笠間さんを信用しすぎているのです。だから戦いの場に出たときに、複製者を連れた培養家にしか見えない。でも、戦いはその場に立った時から始まっています。つまり、誰が複製者なのか悟らせないことが、ひとつの作戦になります」


 隼人は目を見開いた。そんなことは考えたことがなかった。笠間は複製者で、隼人は培養家。それぞれの役割を背負って戦うのが当然だと思っていたのだ。

 しかし考えてみれば、確かに彼女の言うとおりだ。対峙したときに、複製者の複製元を――能力を悟られないばかりではない。複数人で睨み合った時に、誰が複製者かわからなかったら、それだけで相手に対して優位に立てる状況をつくりだせる。


「方丈さんにはこの手合わせの中で、それを得てもらいたい。単騎で戦う、威風堂々たる複製者の風格です」


 まやは隼人を促す。


「さあ、構えて。始めましょう」


◇◇◇


 誠が通されたのは、小さな茶室である。

 座るように促された席の正面に置かれたそれを見て、誠は目を瞬かせた。


「将棋?」

「やったことはあるかの?」

「まあ、うん、少しだけど」

「基本的なルールがわかっていれば良い。だが、誠にやってもらうのはまず、詰め将棋だな」


 八郎は、そういって駒を並べ始める。


「宮本武蔵は戦略に秀でた智将として知られている。将棋は軍略を学ぶには適しているゲームだからの、おぬしの複製者を知るにも良いじゃろう」


 並び終えた盤面を指し、八郎は続けた。


「大切なことは全体を見ること。見た上で的確な判断すること。それは簡単なようでいて、難しい。今はスピードは重視しないで良い。兎に角、精度をあげることに尽力せい。しっかりと考える癖をつけることじゃ。地道だが、やった分だけ足しになる」


 誠はそれから暫く、黙々と詰め将棋を解き続けた。

 詰め将棋は、将棋を用いたパズルである。駒の配置された局面から、王手の連続で相手の玉将を詰める。状況判断の訓練にはもってこいというわけである。

 八郎は、誠の様子をじっと見てたまに指南を入れる。そうしているうちに少しずつ、地道にだがコツがわかってきたような気がする。


「将棋の駒にはそれぞれ、役がある。それらは役によって全く違う動きをする。向き不向きは、状況によって変わる。それをうまく動かしてやれば、小さな力で大きな力に勝つことも可能じゃ。それは、実戦も同じ。わかるな?」

「……はい」


 実際に戦いとなると、冷静な視点を持ち続けることが難しくなる。だが、それではいけない。ハルはそれで良い。勢いが、熱が、そのまま力となることもある。

 だが誠はそれではダメなのだ。常に前線で、最大火力で戦い続ける彼女の分まで見極める。状況に応じて指示を出し、駒のように並べる。時には相手の動きを利用して、ハルを勝たせてやらなければならない。


 八郎の視点は、どこまでも先を見通しているようだった。だからこそ松実寺はあの強さなのである。それを、痛感させられた。


(少しでも、力を得たい)


 誠は、盤にかじり付くように次の課題にのめり込んだ。




「おや、葛城誠はここにいましたか」

「晴明?」


 ふと、聞き慣れた声に顔をあげる。茶室の入り口に、いつもの薄ら笑いを浮かべた男がいた。


「どうしたんだ? 今日は来ないと思っていた」

「少しだけ時間ができたものでね。様子を見に来たんです」


 晴明は八郎に、恭しく頭を下げる。


「お初にお目にかかります。安倍晴明ともうします」

「ご丁寧に。話に聞く組織随一の複製者と名高い陰陽師に会えて光栄じゃ。私は東護八郎。好きに呼んでくれて構わん」

「ありがとうございます、司令官殿」


 晴明は、表情を笑みの形に歪めて茶室へと入ってくる。


「今、表を見てきたところです。六人で、帯び取り訓練をしていました。咲子も間に合えば良かったのですが、彼女は調べものが手こずってましてね。私だけでも、少し参加できればと駆けつけたのですよ」


 帯取り訓練は最初ニ対ニで行っていたはずだが、途中から隼人とまやも加わったらしい。最初の方に少しだけ見ていたが、なかなかに激しい訓練だった。一層熱が入っているのだろうと思い、誠も負けてられないと気合いを入れ直す。


 晴明は誠と将棋盤を交互に見やる。それから膝を付き、八郎に向かって目を細めた。


「司令官殿。宜しければ一手、お願いできますか」


 八郎は晴明をじっと見つめる。それからゆっくりと頷いた。


「良かろう。お相手致す」


 晴明と八郎が将棋を打つ間、誠は詰め将棋を続けた。ひたすらに思考を巡らせる。初めは手こずった頭の使い方は、何度か繰り返すうちにだんだんとマシになっている気がした。なるほどこれは、地道ではあるが、続ければそれだけ成果がでるだろう。


 それから、どれほどの時間が経っただろうか。パチンと音を立てた後、声が響いた。


「負けました」


 宣言したのは、晴明だった。

 誠はその言葉に自分の盤面から目を離し、二人に近づくと盤をのぞき込む。八郎の圧勝である。


「良い戦いでした、ありがとうございます」


 晴明は味わうように言い、それから小さく付け足した。


「これが実践だったら私、三回は死んでいますね」


 それは悔しさが滲んでいるというよりも、何か面白がるような声色だった。しかし誠が彼の表情を確かめる前に、晴明は立ち上がった。


「申し訳ない。この後まだ用事があるんです。感想戦はまたの機会に」


 綺麗にお辞儀をし、そのまま茶室を出て行った。相変わらず、自由な男である。

 晴明の後ろ姿を追っていた誠は、彼の姿が見えなくなったのを確かめて視線を戻すと八郎は難しい顔で盤面を眺めていた。


「じいさん……?」


 誠が呼びかけると、八郎は小さくうなり声をあげた。


「思ってた以上に、曲者じゃの。あの笑顔でこの打ち方とは中々えげつない。誠くんも今度戦ってみい」


 誠は改めて、二人の戦った盤上を眺める。そして、辿ったであろう棋譜を想像し、ようやくそこに底知れないものを感じた。この勝負は八郎が勝ちを納めている。だが、これは単純な流れではない。


「……穴熊?」

「最初はな。だが、途中からは遊んでいるようだった」


 穴熊は王将を他の駒で囲い、守りを万全にする戦法である。晴明はそれに取り組んだようだった。


「穴熊が完成する前に、じいさんに攻め負けたのか?」

「いいや。あれはもとより、完成させる気などなかったよ。というよりも、何を考えているのか全くわからんかった」


 八郎は、ぽつりぽつりと続ける。言葉にすることで、八郎自身も思考を整理しているかのようだった。


「こちらは全体の流れを読み、なんとか勝ちに持ってったがの……。一つ前の手と、今の手、そして次の手。どれもまるで別人が指したように、てんでバラバラ。あんな滅茶苦茶なのに破綻しなかったのが不思議なくらいじゃ」

「なのに、強かった?」

「奴は実践だったら三回は死んだと言っておったが、とんでもない。こちらはとっくに、滅多刺しじゃ」

「…………」

 

 誠は、改めて盤面を見つめながら背筋がぞっとした。

 そして、もうひとつ気づく。晴明が座っていた場所に、いくつも駒が積み上がっていたのだ。持ち駒だった。晴明は八郎から多くの駒を奪いながらも、一切使用しないまま、戦いを終えていた。


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