024 仇討ち
ハル、誠から引き離され、隼人と笠間は旧研究所と呼ばれる建物の裏手に来ている。引き離されたといいつつ、誘導したのは笠間だ。誠たちの戦闘の邪魔にならないかつ、自身が有利に動けそうな足場を求めた結果だった。
流星は大人しく誘導された。というよりも、彼は激昂状態で、あまり周囲が見えていないようだ。ただひたすら、憎しみを込めた目で隼人と笠間を睨みつける。
建物の裏手は若干開けているものの、特に何かがあるわけではない。出入り口や窓も見当たらず、反り立つ壁のすぐ後ろには木々が迫っており、鬱蒼とした雰囲気だ。周囲に気を回さずに戦えるという点では十分だろう。
(木が多い……壁も、これなら笠間のワイヤーが張りやすいな)
隼人は素早く判断する。その間も、笠間と隼人は交互に流星の攻撃を受け流している。
流星は興奮状態のまま、手当り次第に笠間と隼人へ攻撃をし続けている状況だった。
本来ならば、冷静さを欠いている相手は勝ちやすい。周囲が見えていないことを逆手に取って、気づかれぬまま死角を狙えばいい。しかしこの流星という男は、なかなか手強い。
隼人は相手に気取られないよう、自然な動作でワイヤー仕掛ける。それを使い、笠間は流星へ武器を繰り出す。背後からの攻撃。流星の前には隼人。しかし笠間の武器が届く直前に、流星はぱっと振り返り笠間の攻撃を受け流す。
(余程感覚が鋭いのか?)
隼人は正面から対峙することで相手の注意を引き付け、笠間が動きやすいように画策している。大抵の場合、隼人に気を取られた相手は笠間の襲撃に気づけないのだが。
(また、だ。どうして完全に死角からの攻撃を完璧に防ぐ?)
元々、笠間は相手に気取られずに攻撃を与えることに長けているのだ。それがどういうわけか、流星には通用していない。
それどころか、流星は笠間がどこから現れるか知っていたかのようにカウンターを仕掛ける。その動きは淀みなく、まるで両者打ち合わせ済みの殺陣のようでさえあった。
流星の戦い方は、独特だった。
右手に刀状の武器を持ち、左手はグローブのような鉄腕を嵌めている。
(あの鉄刀――
隼人は、流星の右手に持つ武器に気づいていた。最初に刀だと思ったそれは、よく見れば柄から剣先まで全てが黒光りする鉄製。大きさは脇差ほどで、鍔付の柄があるところまでの形状は刀と同じである。ただ、鍔には刀身に沿うような形で返しがついている。
兜割りは、十手の原型とも言われる打撃武器だ。その打撃力はいうまでもないが、刀相手では打ち合った流れで相手の刃を返しで固定し、動きを封じてしまう。つまり、真剣使いの隼人とは相性が悪い。
流星はそれを振り回し、叩き、隼人と笠間へと迫る。しかも相手は複製者の身体能力だ。まともに喰らえば、骨など簡単に折れるだろう。
それだけならまだしも、油断をすれば左の鉄腕が迫る。肘まで鉄で覆われた腕で殴られれば、ひとたまりもない。こちらの攻撃は軽くいなされる。かと思えば、突然相手に掴みかかろうとする。
(あの腕に掴まれたら、引き寄せられて兜割りで袋叩きだな)
だが特異な武器よりも、問題なのは彼の身のこなしだった。流星の動きは、軽やかで素早い。鉄製の武器を両手に所持していると思えないほどだ。しかも適度な距離を保ちたい笠間に対して、流星は遠慮なく間合いを踏み込んでくる。
(笠間の暗器なら、兜割りと鉄腕に対抗もできるだろう。でも、そんな隙まるでない……!)
隼人の額を汗が伝う。そうしている間にも、流星、隼人、笠間の三人の応酬は絶え間なく続く。
本来は、隼人が相手の攻撃を引き付けたいところ。しかし流星は笠間の方が複製者だと知っている為か、笠間の動きを執拗に追う。これではいけないと、隼人は大声を上げて流星の間合いへ踏み込んだ。
「ちょっとは、こっちも相手してくれないかなッ!」
同じタイミングで笠間が上方高くに飛ぶ。一瞬で、笠間は隼人の意図を汲み取ったのである。打ち合わせもしていないのに、息はぴったりだった。
僅か一秒にも満たない瞬間、流星の注意は隼人に向く。それだけで十分だった。笠間は隼人が張ったワイヤーを足場に宙へ駆け上がり、流星の背後から一気に仕掛ける。だが。
「そうやって、兄貴も殺したのかァ?!」
「!?」
目を向けないまま、後ろ手に回された流星の左腕に笠間の攻撃は防がれた。
防がれた笠間の瞳が大きく見開かれる。笠間と隼人の気持ちは同じだった。
(これも避けるのか……!)
一方流星は、ことごとく攻撃を防ぎきって少し余裕を取り戻したらしい。ギラギラとした視線を向けて、吠える。
「その卑怯な手で兄貴を殺したのかって聞いてんだよ!」
顔を憎悪の一色に染め、彼は弾丸のように笠間へと詰め寄る。流星の憎しみは、隼人へより笠間への方が強いようだった。それは、直接兄に手を下したのがこの複製者だと知ってのことだろうか。
「卑怯者のあんたたちは、どう始末しようか。
狂ったように笑いながら右手の鉄刀を振り回す。笠間は防戦一方で、流星を引き離す隙すら与えられない。
「やめてくれと泣き叫んでも助けてやらない。兄貴は助けてほしいと言わなかったか?言わないだろうな。兄貴は、強かった」
隼人が間に割って入ろうにも、難しいことだった。笠間と流星の応酬は、既に人並みを超えている。
「どうせ不意打ちで殺したんだろう。卑怯者め、お前のようなやつがいるから、世の中はちっともよくならないんだ」
流星の慟哭は止まらない。
「許せない、許せない許せない!あんたらみたいな卑怯なやつに、兄貴が殺されたなんて、許さない、あんたらは俺の仇だ!!」
「仇って、そりゃあこっちの台詞だよ。先に手を出したのはそっちだろう」
ぽつりと、隼人が返した。
真正面から見返した、流星の瞳。見覚えがあった。ある、なんてものではない。この数年間、ずっと探し続けたもの。そして一年程前に、葬ったと思った顔だ。
「いいや、お前は俺の仇だ!おまえは!兄貴を殺した!!」
悲鳴のように、彼は吠えた。
「俺たちは正義の元に動いていた!酒井さんの示す、正しい未来へ導くために戦っていたんだ。それなのに、あんたは兄貴を殺した。殺した!正義を消した、おまえたちは悪だ!」
隼人は唇を噛みしめる。
――本当によく似ていると、隼人は苦々しく思う。似ている。十年間、敵を探し復讐を夢見ていた自分に。
(俺はあんな顔をしていたのか)
まるで、周りが見えていない。善悪なんて勝った方が正義なのだとは思っているが、それでも流星の言い分はあまりにも一方的で主観的すぎる。あまりの激しさに、哀れにさえ思える。
隼人は刀を構える。その隼人を守るように、笠間が間合いをとる。
一方、流星の方は鉄刀を持った手をだらりとたらして、視線を隼人に向けてにらみつけている。
笠間は、小さく言う。
「隼人、倒すしかない」
まるで隼人の心を読んだかのような言葉だった。
今きっと、世界で一番隼人は流星の気持ちを理解している。痛いほどに、彼の感情がわかる。自分もずっと同じ気持ちだったからだ。だからだろうか。今になって、流星に手を下すことを躊躇い始めていた。
隼人は復讐のために生きてきた。それが叶うのだ。こんなに嬉しことはない。そのはずなのに、気持ちがついていかない。こんなことは、初めてだった。
「君は、俺だ」
静かに、隼人は口を開く。
「俺もずっと、君と一緒だったよ。復讐を望んでいた自分を、間違っていたとは思えないんだ。俺は、ずっとそれをすべき事だと思っていた。でも――いま、わからなくなっている。復讐は、正しいのだろうか」
隼人の言葉は淡々としていた。そこには、かつて含まれていた、煮えくりわたるような激しい感情の渦が見つからない。表情もどこか冷めていて、静かに告げる。
「俺はお前を倒す。……でも、決して復讐じゃない」
言い聞かせるように言って、そして自分で頷いた。それこそが、正しいと確認するように。
「俺は根元を絶つ。もうあんな悲しいことがおきないように。――笠間」
「御意」
呼吸をあわせる。
そして、一歩前に出た。
◇◇◇
「復讐なんて、考えるのはやめなさい。不毛だ」
梶原に言われたのは、彼に引き取られてしばらく経った頃だった。それは、唐突な梶原からの忠告だった。隼人はどきりとして、とっさに表情を取り繕うことができなかった。
梶原の前で、復讐を匂わせたことなどない。それどころか、隼人はその野望を胸に秘めたまま口にすらしなかった。でも心の底では考えていた。どうすれば真犯人に辿り着けるか。そして、そいつを殺すことができるのかと。
「気持ちはわかる。だがな、隼人。復讐は何も生まない」
「…………」
言い聞かせるように、梶原は繰り返す。そのうちに、それが隼人に対してのみの言葉ではないことに気づく。梶原の、まるで言い聞かせるような言葉。事実、彼は言い聞かせていたのだろう。何度も何度も、忘れそうになる度に。自分が復讐へ走りそうになる度に。
だって彼にも、復讐に走る動機はある。彼も、部下を殺されたのだから。
だが彼は、その個人的な感情には飲まれなかった。刑事だった誇りがあったからか、そもそもの被害者である隼人の存在があったからか。刑事を辞め、私立探偵のような仕事の傍ら、梶原はホウジョウ事件を追い続けた。梶原は、遂に真犯人には辿り着かなかったが、もし辿り着いていても自分で手を下すことはなかっただろう。憎しみを押し殺して、司法の手に委ねたに違いない。
でも隼人は、梶原のようになれなかった。表面上は梶原の説教に頷きながらも、復讐心を捨てることができないままだった。
隼人も、方法を持たないままだったら未来は違ったかもしれない。激烈な感情も、時の流れの中で風化していったのかもしれない。でも隼人は辿り着いてしまったのだ。真相に。そして複製者を得てしまった。
あの日。目の前に、物言わぬ塊が横たわっていた。
隼人が命じて、笠間が殺した複製者だった。組織における複製者は兵器で、ヒトとはカウントされないのだと笠間に聞いた。けれども、目の前で死んでいるのはどうしようもなく人間だった。
笠間と出会ってから、ホウジョウ事件の実行犯に辿り着くまで、然程時間はかからなかった。笠間と隼人は万全の状態で赴き、隼人は笠間の祝詞も習得していた。上手いこと実行犯を呼び出し、不意打ちで殺した。若干の抵抗はあったものの、あらかじめ祝詞で能力を開放していた笠間に、全く状況の掴めていない複製者では歴然とした戦力値だった。
あまりにもあっさりとした終わり。
その一連を後ろで見ていた隼人は、不思議な感覚で死んだ複製者を見下ろす。
「ああ、これで終わる。終わったよ、父さん、母さん……」
口にした途端に気づいた。これは果たして、二人を思っての行動だったのかと。
こんな風に手を汚して、復讐を果たすことが両親の望みだったのだろうかと。
隼人は自覚していた。けれども認められなかった。復讐を果たしてただ虚しくなった心を、見ないふりをした。
そして愚かにも、更なる復讐を――実行犯に指示を下したと思われる黒幕への恨みを募らせることで、虚しい心を埋めようとしたのである。
◇◇◇
自分の姿を、自分で見ることは難しい。それは、思い込みや目が曇っている場合には特に。
復讐に目が眩む流星を前に、隼人は眼前が晴れていく気持ちだった。身体には疲労が蓄積していたが、思考は酷く冴えていた。
ずっと迷い続けていた心に、ひとつの終着点を見出していた。
隼人は、息を深く吸い込む。そして歌を口遊んだ。
「飛んで火にいる 迷い子や」
静かな声色。
ひどく冷静で、温度を感じさせない言葉。
密やかに囁くような声は、しかしよく透った。堂々とした隼人に、流星もはっとして目を向ける。
「
同じ祝詞を、あの日も捧げた。目の前の青年の、片割れを奪った日である。けれどもその時とは、まるで心持ちが異なっていた。
あの日は、黒く渦巻く興奮に言葉を乗せたのだ。でもそれは、正しい祝詞の使い方ではない。祝詞とは、もっと厳かで神聖なものである。――不思議と、そのように悟っている。
笠間は隼人の言葉に合わせ、懐から取り出した面を顔に翳す。
「させるかッ!」
はっと流星が気づいて笠間に飛びかかるも、一歩遅い。笠間は流星の手を逃れ、ひらりと宙を舞う。
「哀の面
着けられた面は哀――能面「おかめ」。おかめは微笑みを浮かべた女の面。先程までの笠間から、立ち振る舞いが全く変わる。どこかゆったりとした足運び。頭の天辺から指先に至るまで、しなやかに女らしさが浮かぶ。
「なんだァ……?!」
動きが変わった笠間に、流星は面食らったような声を上げる。笠間は、それに対して含みのある笑い声をあげる。
「フフ、ウフフ」
くすくす笑いながら、笠間は高速で流星との距離を詰める。先程までの動きとは、まるで違う。これこそが――祝詞を使った複製者の力だ。
苦無を手に力ずくで伸し掛かる笠間に、流星は鉄刀で応戦する。すかさず鉄腕で殴りかかるも、その前に笠間の右手が流星の鉄腕を外側から握り込んだ。
「!」
「フフ、ウフフ、アハアハハ……あぁ、哀しや」
ぎょっとした流星に、笠間は笑い声を収めて低く息を吐く。
目の前には能面。その面は笑っているのに、恐ろしく見える。笑顔なのに、哀しみに満ちた表情。そして笠間の手足はどんどん重く、流星に伸し掛かる。
哀の面の特徴は、異常なほどの身体能力強化だ。いわゆるパワー系で、本来の笠間の数倍の力を発揮する。
しかも彼女は、ゆるやかな動きで容赦がない。決して標的を逃さない。笠間の所持する四つの面の中で一番慎重で、厳しい。
拮抗していた苦無と鉄刀のバランスが崩れる。苦無が鉄刀の表面を滑るが、笠間はあっさりと苦無を捨てた。そして間髪入れずに手刀を流星の首筋に打ち込む。
「あぁっ!?」
スピード、力、どちらにおいても笠間が圧倒していた。力を増した笠間の手加減なしの手刀は、流星が一切抵抗できないまま決まる。そして彼はがくりと倒れ込み、そのまま動かなくなった。
「た、倒したか……?」
「死んではいない」
隼人の言葉に、笠間が屈んで流星の様子を確かめる。
どうやら意識を失っているだけらしい。何故か安堵した隼人に、面を外した笠間が聞いた。
「殺そうか?」
この問いに、隼人はぎょっとした。一瞬、冷ややかなものが隼人の背筋に走る。
そう、この青年はホウジョウ事件のもうひとりの実行犯だ。隼人や笠間の運命を狂わせた、張本人。長年憎くてたまらなかった相手。ずっと殺してやりたいと思っていたその人。
以前の隼人であれば、迷うことなく頷いていたが……。
「いいや……やめておこう。オレは、この人に死んでほしかったわけじゃない。罪を償って欲しいんだ。咲子さんに引き渡す」
これが、絞り出すように隼人が下した決断だった。
言いながらも、苦いものが胸の中に満ちる。でも、この答えが最善だと隼人は納得していた。
「あの時も、そうすれば良かった。俺はなにも分かっていなかった。復讐は、めぐり続ける。どんなに果たしても、殺しても、満足はできない」
ずっと、考えていたことだった。
誠と再会して、咲子から真相を聞いて。流星を目にしたことで、隼人の視界は開けた。同時に、これまでの自分の愚かしさを悟っていた。
復讐は、終わらない。どこまで行ってもきっと、自分は満足しないだろう。そしてその自分の行いが、新たな復讐を生む。それに気づいた。
それだけの、単純なこと。でも自分で気づくのは難しいことだ。
「両親のために復讐を望んでいると思っていたけれど、違ったんだ。全部自分のためだった。だから……もう復讐は、やめようと思う。笠間は、どうだ?」
隼人が笠間を見つめると、彼はじっと隼人を見つめ返した。
「……隼人がそれでいいのなら、それでいい。俺はひとりで続けるほど意思は強くない。その方針に賛同する」
そこまで言ってから、困ったように瞳を揺らす。
「それで……あんたは、このあとも俺を必要とするか?」
「なにを言っているんだ」
真顔で目を瞬かせた隼人は、間髪入れずにはっきりと返した。
「必要だから、一緒にいるんじゃないだろう。ま、ちょっと変な関係ではあるけど……家族だからな。これからのことは、一緒に考えよう」
「――――」
笠間は驚いたように、瞳を瞬いた。隼人はそんな笠間を見て、思わず笑み崩れる。だって笠間の態度では、まるで復讐云々よりも隼人と過ごす未来の方が重要だと言わんばかりだったからだ。
ひとしきり笑って、それから隼人は気を取り直して笠間に提案した。
「あんまり、ここでゆっくりしている余裕はないよな。誠たちのところへ向かおう」
まだ、戦いは終っていないのだ。
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