026 葵房(一)

 時間は少し前に戻る。

 誠、方丈たちを旧研究所に向かわせた後、咲子と晴明は別の場所へと急いでいた。


「ようやく尻尾を出したわね」

「なかなか、彼は慎重でしたからね。ここまま逃げられないといいですが」

「逃さないために、私たちがいるのよ」


 咲子の強気の言葉に、晴明は笑って肩を竦める。

 二人が向かっているのは、培養家酒井の率いる葵房の本拠地だった。誠たちを旧研究所に向かわせている間に、本丸――葵房を直接叩く。それが咲子たちの作戦だ。


 咲子の属する藤原房と葵房は、これまで互いに意識しつつも、直接的な対話はほとんどなかった。

 複製者計画が組織の看板であった頃は、藤原房が組織内で頭一つ突出した存在だった。あらゆる意味で一番完成度の高い「複製者 安倍晴明」を所持していたからである。だが、複製者計画が破綻すると一転。藤原房は尻拭いに回された。代わって新規プロジェクトを打ち立て、台頭したのが葵房。葵房は資金源も豊富で、あっという間にに組織を牛耳る立ち位置まで上り詰めた。

 以上の経緯から、藤原房にとって葵房は自身に取って代わった因縁の相手である。完全に、逆恨みであるが。


「ま、私は複製者計画破棄と同時に藤原房の当主を継いだから。酒井氏に個人的な恨みはないのだけどね。葵房を蹴落として代わりに藤原房が組織を仕切るなんて、面倒だから御免なのよ」

「それを言ってしまったら、先代が悲しみますよ」

「貴方こそ、他人事みたいに言わない。どっちに転んでも貴方は、私と運命を共にするのよ?」

「それもまた一興」


 咲子の軽口を、晴明は笑い飛ばす。この男の言動は、いちいちどこまでが本気かよく分からない。


 しかしながら、藤原房と葵房は意見主張もほぼ対極である。葵房が白といえば、それが白であっても藤原房は黒を選ぶ。そういう風潮さえあった。だから今回のことがなくとも、いずれどこかで衝突していただろう。そして正直な話、どちらに正義があるかなんて時流によるとしか言いようがない。


 結局のところ、勝てば官軍。組織の運営権を制した方が、正しいとされるに決まってる。組織は遙か昔より、由緒正しく歴史の裏側で暗躍していた集団だ。叩けば出る塵芥など、それこそいくらでもあった。後ろ暗いことは酒井と藤原、双方どちらにもある。組織の研究者は目的は様々ながらも、皆が皆、自分の野望に忠実。そういう人々なのだから。


 だが――近頃の酒井氏の動きは、咲子も看過できないほど危ない道に踏み込んでいる。


 組織の上層部がキナ臭いことには、今に始まったことではない。

 戦後の混乱を抜け、仮初めの平穏と著しい経済成長の中、組織も時代の変化の煽りを大いに受けた。特に複製者計画が破綻してからというもの、組織の上層部はあからさまな金策に邁進した。

 その手段に選ばれたのが、酒井氏が表向きの事業としている製薬業である。これが見事な成功を収め、酒井氏の組織内での地位は目覚ましいものとなった。結果、今や酒井氏がほとんど組織の運営権を独占している状態にある。これは当然のことだ。組織の運営にも金がかかる。酒井製薬のバックアップには、実際かなり助けられていた。


「この状態で今の酒井氏を叩けば、叩いたこちらが悪と罵られるでしょうね……」

「わかっていながら、喧嘩を売ったのでしょう?」

「そうだけど!だって、放っておけないでしょう。葵房は秘密裏に、のよ」


 それが、咲子たちが独自で手に入れた一大スクープだ。

 既に複製者の研究は打ち止めと定められ、組織内での新たな研究は禁じられている。ほんの僅かの所有を認められた複製者も、戦闘行為や祝詞の使用をしないよう厳重に組織の監視下に置かれている。そんな中で葵房――酒井氏は、未登録の複製者を複数所持していたのだ。更には、複製者の能力開発を進めていたという情報すらある。

 これは明確な裏切り行為だった。特に複製者破棄業務を任されている咲子には、酒井を排除する理由になり得る事実だ。


「酒井氏は複製者を使って、自分の邪魔になる人間を排除していた。ホウジョウ事件がその最たるものよ。これを裏付ける証拠が掴めれば。酒井を、一気に頂上から陥落させることができる」

「おやおや、物騒な発言」


 愉快そうに笑いながら晴明は、しかしと首を捻る。


「葵房は複製者計画が破綻して、やっと台頭できた研究房だったね。てっきり複製者計画では目覚ましい成果を見せてなかったのではと思っていたが」

「その逆よ。葵房の複製者本多忠勝は、傑作とも称されていた」

「それだけ、複製計画に力を入れていたと?」

「おかしなことではないわ。複製者を生成することは、酒井氏の悲願達成にとても近いものだから」


 これは、葵房の成り立ちに関係するものだ。

 葵とは葵の紋――つまり、江戸時代における徳川将軍家に由来するものだ。彼らは徳川家や徳川家に連なる家臣の末席、または遠い傍流からなる人々によって立ち上げられた研究房なのである。


 主家からは血も地位も遠くにありながら、彼らの思想は過激な徳川家擁護派だ。今でも彼らは葵の紋を掲げ、主家の天下支配の復活を目指しているのだとか。だから複製者として、徳川に連なる者の力を蘇らせること――それは葵房にとって、これ以上になく目的に即した研究だった。だからこそ複製計画には力を入れていたし、その分、計画破棄が決まったときの落胆は大きかったのだろう。


 かつての葵房は、他の房に比べても多くの複製者を所持していた。破棄命令後、継続して所持を認められたのは本多忠勝のみ。表面上、その他の複製者はすみやかに処分したとされていた。


「あんた、どう思っているのよ」


 ふと、咲子は傍らに佇む男に目を向ける。男は、肩をすくめた。


「なにもかも、君と同じですよ」

「相変わらず食えないわね」


 晴明の貼り付けたような微笑みに、顔をしかめる。本当に、この男の本心はよくわからない。

 しかし咲子は、自分と晴明の相性は悪くないと思っている。だからこの十年と少し、やってこれた。この男は食えないところはあるが、信用はできる。それに晴明の能力は確かだ。どんな困難も共に乗り越えてきたし、物理的な力で敵わない相手は、知略で圧倒した。だから咲子は、晴明が苦難する姿など見たこともない。


「酒井に手をかけたとなると、もう今までのようにはいられない。それを貴方はわかって、私に手を貸すのよね?」

「もちろん。組織のことは君より私の方が長く見てきましたから」


 晴明は、薄ら笑いを浮かべたまま、淡々と述べる。


「この世のすべては、栄枯盛衰。どんなに栄えていても、滅びは必ずやってくるものだ。酒井はよくやっていたがね。この展開は必然であると思うのですよ。まさか今代の若き主人と、自分が共に王手をかけるとは思わなかったが」

「でも、方法は考えていたのでしょう」


 咲子の言葉に、晴明はにやにやと笑うばかりだ。しかしこの計画が始まってから、晴明はまるで用意していたかのように、咲子の求めるものを隣で提示し続けている。十中八九、この展開は彼の予想通りというわけだろう。


「酒井が消えれば、組織内の権力バランスはまた崩れる。藤原房が再び返り咲くには、幻庵房げんあんぼうあたりが煩そうではあるけれど。つまり、忙しいのはこれからなのよ」

「それは早々に決着を付けねば、ですねぇ」


 気の抜けたような晴明の相槌を聞きながら、咲子はちらりと想った。別の場所で刃を交えているだろう、少年たちの姿を。


(葛城くん、方丈くんたちが本多忠勝――酒井の事実上の戦闘力を削ぐことができれば最高。でも、そこまでの期待はしていない)


 相当な訓練を積んだ複製者相手だ。笠間はともかくとして、ハルが太刀打ちできるとは思わない。でも、時間稼ぎにはなる。


(皆が複製者を足止めしてくれている。この貴重な時間に、必ず証拠を掴む)


 あとは時間、運の勝負だった。酒井は咲子も、誠たちと旧研究所に向かうと思っているだろう。少なくとも、ここにいるとは思わないはずだ。


「それにしても、よくこの場所を調べ上げましたね。私も、ここに入るの初めてだ。先程扉を通過したIDカードは?」

「もちろん偽造。そういうのが得意なのが、同期にいるの」

「ああ、あの眼鏡小僧。彼は君を好いているから、なんでもしますね」

「そういうんじゃないわ。ほら、その部屋よ」


 咲子は頑丈な扉の前で、一度立ち止まる。それから、扉横の機械に懐から出したカードを差し込んだ。一拍間をおいて、ピーッという電子音と共に解錠される。二人は、迷わず部屋に侵入した。


 咲子たちがやってきているのは、酒井製薬の研究所だった。上層部は組織の息がかかっているものの、基本的には組織とは無縁の人たちが働く一般企業だ。

 位置的には、駅を挟んでニューポートとは反対側にある。数棟からなる巨大な社屋で働く者は多く、適当なスーツと白衣を纏っていれば潜入は難しくない。今日の咲子と晴明も、いつもとは違う簡素なスーツに、やや使用感のある白衣姿だ。


 その研究所の最奥部。厳重に警備体制が敷かれた資料室に、忍び込んでいる。ここまでの警備は陰陽術と、数枚の偽造パスカードで突破してきた。


「旧研究所は、酒井が実験場に使ってた施設。でも酒井は慎重な男よ。重要なデータは手元で保管しているという話」

「信憑性は?」

「九割ね。社長室よりも、この資料室の警備の方が厳重なのよ。全てではないにしろ、何かしらは見つかる筈よ」

「……それをこの中から探すと?」


 晴明の言いたいことは、咲子にもよくわかっていた。部屋の中には、鉄製の棚がいくつも立ち並び、その全てにぎっしりと中身が詰まっている。あまりにも膨大な量だ。


「それに、酒井本人に鉢合わせする可能性はないのですか? いくらここまで誤魔化したとはいえ、本人に見つかったら終わりだ」

「今日、この時間なら限りなく低いのよ。つい数十分間前、酒井は組織の運営について呼び出されている」


 本部からここまでは、どんなに急いでも三十分はかかる。つまり、その三十分でどうにか証拠を掴まなければならない。


「私だって、闇雲に探そうとは思ってないわよ」


 咲子は腕組みをして、ざっと資料室を眺めた。それから、棚に駆け寄るといくつかのファイルを引っ張り出す。


「みて。思った通り、ここの資料はきちんと整理されている。時系列、それに研究体ごと。ホウジョウ事件の襲撃犯も、複製者よ。複製者の行動と結果は間違いなく、記録されている。だからその時のこともある筈」

「二人いるという話でしたね」

「それよ。二人の複製者……組織の把握していなかった存在……、つまりつくられたのは、複製計画破棄後かしら?」


 ぶつぶつ言いながら、咲子は次々と棚をひっくり返していく。晴明もそれに従いながら、資料を漁る。そうして、十数分経ったとき。


「見つけた!」


 咲子は、声を上げた。彼女の手元にはファイリングされたいくつかの資料や、詳細な実験データだろか、記録媒体と思わしきディスクもある。

 現時点でわかるのは、これが探し求めていた酒井を追い詰める切り札だということだ。


「すぐに内容を記録しましょう。貴方は早速、誠くんに連絡を…………晴明?」


 反応のない相棒を探すように、咲子は顔を上げる。

 少し首を捻った先に、探していた姿はあった。だが、彼は大きく目を見開いてある一点を凝視している。焦りの滲んだ表情は、咲子がはじめて見るものだった。

 咲子は彼の視線を追って、目を向けた。部屋の奥、暗がりに、いつの間にか男が立っていた。薄汚い白衣、整えられていない白髪が四方に跳ねている。その老人は、咲子には見覚えのない人物だ。しかし。


「これは流石に、予想外だ」


 晴明は目をそらさずに呟く。


「とんだ番狂わせだな。貴方が出てくるとはね、神尾かみお


 彼が男の名を呼んだ直後。男の背後から、チリン、チリンと澄んだ鈴の音が響いた。そして、白い裸足が暗がりから覗く。

 その瞬間、晴明が鋭く叫んだ。


「咲子、逃げろ!」


 直後。咲子たちのいた部屋は、跡形もなく消し飛んだ。


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