★★★ Excellent!!!
生を厭う物憂い言葉の連なりのなかで testtest
生きることは煩わしい。
ままならないことばかりで、ありとあらゆる存在が、私に向かって敵意を剥き出しにしている。
とりわけ人という生き物は、鋭い牙を見せつけるようにいやらしい微笑を浮かべながら、大丈夫だよ、平気だよ、心配ないよ、と優しい言葉をささやきつつも、私をこころをひそかに腐す。
ぼろぼろと溢れ落ちたそれは、鼻につく臭いを放ちながら、さらに人を遠ざけ、私はついにはひとりとなる。
カミュは『シーシュポスの神話』のなかで、以下のように書いている。
"自殺というこの動作は、偉大な作品と同じく、心情の沈黙のなかで準備される。当人自身もそれを知らない。ある夜、かれはピストルの引き金を引く、あるいは身を投げる。……略……。思考をはじめる、これは内部に穴があきはじめるということだ。こういう発端に社会はあまり関係していない。蝕み食いあらしてゆく虫は、外部の社会にではなく、ひとの心の内部にいる。"
はて、私の思考が私のこころを蝕み食いあらしていたのだろうか。
はたまた、外部的ななにかが私を傷つけ、消耗させ、壊そうとしているのだろうか。
私にはわからない。
「生きる」ということを続ける理由を、人はなぜか、明確に持ち合わせているものだと思い込んでいる。だが実際には、昨日と今日を繋ぎ、今日と明日を繋ぎ、日常を形作っていくことに理由もなければ意味などない。(という思考は、いくらか私のこころを…
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