第12話『倉庫跡地に集いし者』  

 人影のない住宅街を駆け抜ける。

 彼自身、メタボ体質だったことを感じさせない走りっぷりだ。ビュウゴウと全身に吹き付けてくる風を気に留めず、縦横無尽に突き進んでいく。

 なぜこうも早く走れるのか分からず、彼は戸惑いを隠せていない様子だった。


「アレは、一体……」


 人々の寝静まった街は魑魅魍魎たちの巣窟だ。

 屋根の上で達磨の顔をした猫が、宝石の身体を持つ熱帯魚を狙っていたり、生首達が晩酌をしていたりと。不思議な光景ばかりが広がっていた。

 道中、魑魅魍魎のいる至る所に視線を注ぎながら彼は倉庫へ急いだ。



 そして目的地である倉庫まで辿り着いた時だった。


 ふと、彼は倉庫の屋根の上に浮かんでいた人影に気づく。

 妖しい月明かりに照らされたペストマスクが不気味に浮かび上がっており、黒い狩衣との対比がより異質な雰囲気を醸し出していた。

 八田間だ。八田間は飛び降り、彼との距離を詰める。

 そして変貌と遂げた田中さんに間近に迫り、じっと見詰めた。


「なるほど。貴方が例の」

「例の? 一体なんのことです?」


 八田間はクイッと人差し指を曲げ、彼についてくるよう指示をする。

 ギイィィと音を立てて倉庫の扉は開いた。倉庫の中は多少の埃っぽさがあるものの、誰かが暮らしているような匂いが感じられた。

 灯りのない、暗闇の中、奥をめがけて進んでいく。


「一つお聞きしたいのですが、僕がこの姿になった理由をご存知なのですか?」

「…………」


 八田間は彼の問い掛けに答えようとせず、ただ無言を貫いていた。

 どうやら答えるつもりがないらしい。異質な雰囲気を常に放っている八田間に彼は気押され、押し黙る。


「あれは……」


 不意に、彼の視線が八田間の背を通り越して遠くへ映った。

 その先は闇。その中で無数の小さな炎が揺らめていた。


「!!」


 ふと、その炎が照らす光に影が浮かび上がるように少女が現れた。

 虚ろな瞳を宿した、鳥に似た衣服を纏った少女だ。音もなく現れたかと思えば、その頭をゆったりと上げる。

 

「八田間、ご苦労。持ち場に戻れ」

「人使いが荒いですね、本当に。分かりましたよ」


 八田間は不満げな声を漏らして踵を返す。

 彼は倉庫の外へ消えるまで、一度たりとも振り返らなかった。


「さて、まさか貴様が生き残るとは」


 田中さんはすぐに思い至る。

 どこか聞き覚えのある声だった。


「その声、あのとき僕を助けてくれたのは貴方なのですか」

「その通り。あれは紛れもない私」

「やはりそうでしたか。聞きたいことが山ほどあるのですが……僕の身体がこうなってしまった理由を貴方はご存知なのですか?」


「無論、存じている」

「教えてください!」


 彼自身、未だに理解が追いついていなかったのだ。

 つい感情的になって声を荒げてしまったことに気づき、彼は頭を下げて詫びる。


「あのとき私は、忠誠を誓う代わりに命を助ける約束をした――そのことについて覚えているか」

「はい」


 真剣な眼差しで頷く。


「貴様のその姿こそ、私に忠誠を誓った証だ。既に人間としての貴様は、あの事故の際に命を落としている」


 その言葉を耳にし、彼は深く絶望した。

 返す言葉も見つからない。

 両耳を塞いだ彼の身体中から力が抜けていき、果てに膝をついた。



 今の彼は衣混合キメラと呼ばれる状態であった。

 彼の魂を包み込んでいる衣には現在、人間の衣と魑魅魍魎の衣が混ざり合っている。

 交通事故で田中さんの衣は今後生きていくことが難しいほどにすり減っていた。そこで少女は、魑魅魍魎の衣をあてがうことで彼を生かすことにしたのである。

 これにより彼の容姿には、魑魅魍魎としての特徴が現れていたのだった。


「深夜は魑魅魍魎の力が増幅する時間帯だ。貴様の姿が変じたのもその影響だろう。それ故に朝が来れば、再び人間の姿に戻るだろう」

「ほ、本当ですか?」

「嘘をついた覚えなどない」


 田中さんはホッと胸を撫で下ろす。


「だが、一つ。私への忠誠を忘れてはないだろうな」

「忠誠……あの事故の時に交したものですか」

「そうだ」

 

 田中さんは力なく俯いた。

 その瞳の奥には小さな灯炎を宿している。

 今にも消えてしまいそうな弱々しい火だったが、それでも力強く燃え続けていた。


 そのときだった。


「おいおい、誰か奥にいんのかよォー」

「俺たちのテリトリーに誰だってんだ? 出てこいよ」

「ウダァウダァ、やっちまぇ!」


 複数の男たちの声が倉庫内に響き渡る。

 スケボーに乗った若者達が倉庫内へ次々と侵入してきたのだ。田中さんは咄嵯に身構えるが、やはり男たちには見えていない。

 いつもの場所に見慣れないものが転がっていたことに気づいた彼らは興味本位で近寄ってきた。


「今はいねぇっポイけど、誰かいたんじゃね?」

「おい、なんだこれ? 指輪かコレ?」


 そのうち一人が手に取ったものは、古ぼけた銀色のリングだった。


「おい、勝手に触っていいのかよ、それ他所様のものだろ?」

「人のテリトリーに勝手に来たやつに礼儀なんかいらないっての」


 ニットを被った男がそう言い、リングを弄ぶ。

 すると突然、男の手の中からリングが消えた。

 油断も隙も許さない。一瞬の出来事だった。


 目の前に現れた少女によって、一人の男が蹴り飛ばされる。壁に激突し、そのまま地面に倒れ込んだ。

 取り巻きは何が起きたかも分からず、目を丸くしていた。


「おい誰だっ!? 誰かいるのか!?」

「隠れるなんて卑怯だっ! 姿を見せ――」


 二人に積荷が覆い被さる。

 それなりの重量があったらしく、彼らは堪らずに悲鳴をあげた。

 血を噴き出し、ピクリとも動かなくなった彼らを見て、残された男は震え上がった。少女はゆっくりと歩みを進める。


「ひいぃぃ、神様仏様っどうか助け」


 プツリ。

 リングはいつの間にか少女の手のひらに握られていた。

 惨状。辺り一帯の様子を目の当たりにした田中さんは思わず息を飲む。


「貴様にはこれから私の手となり足となってもらう」

 


 彼は人間の姿に戻り、元の暮らしに戻れた。

 だが当然、全てが元通りとはいかない。


 目の前で遭遇した人の死が彼から離れなかった。

 少女による絶対的な服従、己の非力さに否定に走る度に、魑魅魍魎の姿になってしまう症状に見舞われるようになったのだ。


「田中さん、前に比べて少し細くなりました? 最近ちょっと無理してません?」


 悩みに悩む田中さんにある日のアスカは言い放つ。


「そ、そうですかね? 無理はして……あっ!!」


 彼はここでようやく、自身のズボンにトイレットペーパーが挟まっていたことに気がついた。先ほど閉じこもっていたコンビニのトイレから紙がレールのように敷かれている。

 取り乱す彼の背後には、苦笑いのコンビニ店員が佇んでいた。


 無理しているのも本人も十分分かっていた。

 コンビニのトイレに閉じ籠もり、涙した後の出来事だった。

 忠誠を誓ったことで彼は事あるごとに深夜の倉庫に呼び出され、少女の命令に従わなくてはならない立場の彼は。


 そして今夜もまた、倉庫へ足を運ぶ。


「その札のようなものは一体……」

「コレは私の分霊が封じ込まれた札だ。コイツに生き物の背につけると信号が脊髄を伝い、意識を乗っ取ると同時に魂を削って穢れを生み出せるようになる」

「……魂を削る」


 コイツを人間たちの背に貼って回れ、と少女は言い放った。

 当然、逆らうことは許されない。燃え上がる炎でさえ嬲ってしまいそうな少女の鋭い目つきに、彼は素直に札を受け取る他ならなかった。


「お父さん、最近夜いないけど、どこか出掛けているの?」

「ああ、ちょっと用事があってね」


 不思議そうに首を傾けていた娘の頭を撫でる。

 何気ない娘との初めての会話だった。


 もう自分の為に誰も犠牲にしたくない、彼の心の外からの本音を表情が物語っている。自殺を図ろうとしたのだ。

 高架から下に目掛けて身を投げたが、魑魅魍魎の衣を有する彼がそう簡単に死ねるはずがなかった。


「もう、どうすれば」


 彼は職場のトイレで崩れ落ちた。

 視線の先には、少女からもらった札がいくつもある。

 あれから数週間が経ったというのに、まだ一枚も誰の背中に貼れていなかった。


 生まれながらに情に満ちた性格。

 子供の頃から雨上がりの水溜りで溺れていた小さな蟻一匹でさえ、見捨てることができなかったぐらいである。

 できない。やっぱり彼にはできなかった。

 

 今夜、彼には残業が課せられている。

 常日頃から悩みに悩まされた結果、仕事を思うように進められず、篠木と一緒に残業をこなすこととなっていた。


「東京の夜景はデートに最適ですよね。でも、その肝心の夜景は俺たちの残業からできてるって! 俺も東京の夜景を彩る側じゃなくて、彼女と夜景を見て回る側に一度なってみたいもんですよ!」


 篠木はお酒を入っているのか、普段よりも饒舌になっていた。

 そんな彼といて少し気が紛れたのか。

 久しぶりに心から小さく笑うことができた。


 そんな矢先――


 パスウゥゥン。

 突如、電気が消えた。

 二人して暗闇に閉じ込められる。


「あんれ、停電?」

「それもこのビルだけ……。イタズラでしょうか?」

「おーい、警備ーん」


 バタッ。

 田中さんは不意に聞こえた音に、反射的に身構える。

 音の出所、矢継ぎ早に彼の目に映ったのは、なんと床に倒れ伏した篠木の姿であった。


 そして横たわった篠木の近くにいた気配に気付いた瞬間、彼は喪失感で口が聞けなかった。


「全く、音沙汰がないと思えば」


 闇の中から現れたのは、八田間。

 彼という存在を認知した途端、田中さんは震え上がる。


「まさか、殺して……っ」

「いいえ。例の札を貼り付けただけです。場合によっては死んだこともあるでしょうが。まあ、大丈夫でしょ」


 死……。

 その言葉に田中さんは頭を抱え、過剰な反応を示した。


「ああっ、ああ……ヴアァァ゛ァ」

「?」


 叫びと共にに田中さんの身体に亀裂が走る。

 亀裂の入った顔から真っ黒な血を流し、剥き出しになった筋肉組織を黒い牙がつんざす。腕の皮膚が剥がれ落ち、そこから硬い鱗が姿を見せる。


 崩れ落ちた組織から覗かせた瞳は赤く照り輝き、八田間を睨みつけていた。

 

「ヴグアァァ゛ァァ!!」

「同士討ち、ですか。誰も得をしないというのに」


 迫りくる魑魅魍魎に八田間は、懐から取り出した札を自身の背につけて対応した。みるみるうちに八田間の姿を変貌を遂げていく。

 たちまち八田間は腕を八本揃えた、怪しげな神に姿を変えた。


「少しは頭を冷やしてください」 


 八田間は八本の腕を一斉に振り上げて、魑魅魍魎を叩き潰す。

 魑魅魍魎は叩きつけられ、途端に意識を失った。

 

「誰だッ! 一体何の声だ!?」

「あなた方の身体も使わせていただきましょうか」


 八田間は、現場に駆けつけた警備員にもその牙を向いた。


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