第15話『緩急甚だしく』

「貴様、どうして、立ち塞がる?」

「…………」


 途端に井氷鹿から発射されていた水が止んだ。

 この間にも田中さんの肉体には亀裂が走り、徐々に魑魅魍魎のものへ変貌を遂げていた。問い掛けに答えようとせず、ただ黙って井氷鹿を見つめ返した。

 彼の呼吸は熱を帯びていて荒い。


「私に対する謀反、?」

「…………」

 

 井氷鹿が呟いた刹那。田中さんは水飛沫を四方八方に振り巻いて駆け出した。速度は既に人間の域を超えている。瞬く間に井氷鹿の真下まで辿り着いた。


「――好き勝手には、させない」

 

 井氷鹿は巨体をその場で一回りさせて作り出した荒波で360度迎え撃つ。

 波に打たれ、田中さんの身体は大きく弾かれたものの、彼はなんとか持ち堪えた。壁際を踏み込んで、一気に一気に跳躍する。


「……っ!」


 次の瞬間、田中さんのかかと部分が井氷鹿の額に直撃した。

 凄まじい衝撃と共に彼女の全身がグラッと傾いた。そのままバランスを崩してドシンと横たえる。そこからピクリとも動かない。完全に意識を失ったのか。

 彼女はこちらに虚ろな瞳を覗かせて、口を半開きにしていた。


 難なく幕を閉じた戦闘に一同は目を見張る。


「終わったのか? こんなに呆気もなく」


 尻尾から開放されたばかりのカグツチは呆然と呟いた。

 剣先を杖のように立てて、力なく起き上がった。


「札は肉体の内在する意識に、別の意識を被せることで操っていると聞きました。体を動かすといった指揮権は肉体の持ち主に依存するらしく、指揮権を持ってる意識が眠ってる場合は操れないようです」


「主導権……つまり、井氷鹿の身体の主導権を握ってた意識だけを気絶させたってことか」

「はい、そういうことになりますね。力ずくになってしまいましたが」


 田中さんは横たわる井氷鹿の元に歩み寄る。

 背中に付けられていた札をベリッと剥がすと、彼女の身体はシュルシュルと縮まっていき、やがて元の姿に収まった。


「今まで、隠していたことがあります」


 彼の肩が一度上下して、しばしの静寂が流れる。

 それは一種の決心の現れのようにも見えた。

 先ほどとは違ってどこか不安げな表情だ。

 

 そうして彼の移した視線の先――、真っ先に視界に入ったのは、アスカではない。

 ぺたんと尻餅をついたヒバリとアスカの前に佇む姿だった。

 拍子抜けた表情の彼に、ヒナは近づいて口を開く。


「話を聞かせてもらおうか」

「……はい」


 田中さんは観念したように小さく返事をした。


 ◇◇◇


「ワフっ!」

「ウルフ、臭いがするのはこの先からか」


 ウルフ先輩の問い掛けに、ウルフはコクリと頷き肯定を示した。

 彼はウルフに身を引っ張られて駆けていく。

 そして、ふとその先でウルフの足取りが止まった。


 ここだ。ここに手がかりがある。

 ウルフ先輩がたちまち振り返ると、そこには――、


「お値段以上、ニトリだと?」


 目の前に広がっていた光景にウルフ先輩は言葉を失う。

 店内には篠木が着ていたコートと同系統のものが売られていた。

 確かに篠木はここでコートを購入したらしい。


「すまない。手掛かりが得られたかと思ったら、ニトリだった」

「ニトリ? 一体何のことだ」


 後日、ウルフ先輩はヒナに謝罪した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る