第三章

第10話『篠木とアスカ』

 バスに揺られ、アスカは目的地の病院に到着した。

 お見舞い品を片手に病院内を歩いていると、目当ての病室が見えてくる。

 病室の扉を軽くノックし、向こうから返事が聞こえたのを確認して、アスカは病室内へ立ち入った。


 そこには病室のベットに体を任せた篠木があった。

 篠木の身体は蛸神に踏み潰されたことにより、ボロボロになっていたため、しばらく様子見の入院を課されていた。身体の一部には、包帯が巻かれている。

 篠木は病室に入ってきアスカを見るなり、


「おー、アスカ」

「篠木、調子は?」

「あんま変わんない。んなこといっても、お前も手ェ折れてんだろ? 人のことよりもまず自分のこと考えろよ」

「まあ、家には介抱してくれる人がいるし、大丈夫かな。これ、お見舞い」


 アスカはベット横にある、サイドテーブルにカットフルーツを置いた。

 篠木は早速ヒョイッとそれを口に頬張り、腕を組んで果汁の甘みに浸る。

 アスカは如何にもその様子が満足といった表情で付近の椅子に腰かけた。


「そういえば、アスカ。お前が言ってた、聞きたい話ってなんだよ」


 アスカはすぐ横に聞き耳を立てた。


「……まずは一つ目。篠木が行方不明になってたときの記憶は残っているかについてだって」


 篠木は追憶に耽るように天井を見入げ、しばらくした後に見やった。

 すぐ近くにあったカットフルーツを口に含み、モゴモゴ動かす。


「あー、それか。あったぜ。なんつーかよく分からないけど、俺の中にがいるみたいな感覚だった。身体を動かそうにも思うようにいかなくて、すんげー気持ち悪かった。金縛りのときみたいな感じだな」

「えーっと次は、身体が操られている最中、何か聞こえたりした?」


 アスカはまたしても、隣に耳を傾けていた。

 何処からともなくカキカキ、とペン先を動かす音が聞こえる。


「あんま覚えてないけど、独り言を言ってた気がするな。糧にする穢れエネルギーがなんとかー、そのために札を広げてどーちゃらこーちゃらって」

「えーっと次は」

「……おい、アスカ。さっきからお前の横にいる奴なんだ?」


 篠木はさきほどからアスカが時折、横に注意を注いでいたのを疑問に感じていたのだろう。篠木は目を擦ってアスカの横に指さす。

 向けられた指先には、ヒバリがいた。


 今しがた話題に上がっていることを他所に、手元のメモに集中していたヒバリだったが、二人の目線が向けられていた事態に気が付くと目を丸くした。

 手元からペンとメモ帳をポロッと落とす。

 メモ帳には拙い字で ”條木に聞いとくこと” と書かれていた。


「隣って、この……」

「ヒ、ヒバリのこと?」

「今、俺の前で手ぇパタパタさせてるチビ、ヒバリっていうのか? 薄っら輪郭みたいなやつが見えてるんだけど」


 チビ?という言葉にヒバリはキョトンする。

 少しの間、何かを訴えかけるように視線をアスカに向けていたヒバリ。

 彼の瞳にはヒバリの姿がはっきりと映っていた。ヒバリは本当に見えているのか確かめるべく、病室内を飛んでみたところ、篠木はその様子を目で追っていた。


「本当に見えてる!! この猪木って人!!」

「元気ですかー!! ……じゃなくて。おい、チビ。俺の名前は篠木だ」


 ヒバリはサイドテーブル前の椅子に座っていた、アスカの膝の上にぴょいっと飛び乗った。


「いつから見えるようになったの?」


 アスカは椅子に座り直す。


「今もずっと、あの札が付けられてからだな。夜、病室で寝てたら廊下から変な声や足音が聞えるようになって。アスカ、お前がガキの頃から見える聞こえるって言ってたのはコレか?」

「だいたいそんな感じかな……つっとぉ!?」


 突如、ガラガラガラと病室の扉が開いた。

 病室の外に立ち尽くしていたのは、傍らに白狼を引き連れた青年だった。頭に学生帽を被り、口元は毛皮のマフラーで隠されている。

 髪は光沢のある白で乱れていた。


 青年はベッド横の、篠木のコートが掛けられていた位置に黙然と詰め寄る。

 そうして彼は白狼に匂いを嗅ぎ分けるように指示した。

 クンカクンカ……。


「なんだコイツ……って、ああー!!」


 篠木が指を指して叫ぶ。


「昨日、俺をぶっ飛ばしたやつ!!」

「昨日?」

「アスカ、お前見てなかったのかよ!? 俺がお前に殴りかかろうとしたとき、コイツが一瞬だけ現れて俺をボコしていったの!!」

「そ、そうだったの? ヒバリにヒナさん」


 フルフル。

 ヒバリが横に首を振ったのを見て、アスカがヒナに視線を向けると、彼女も同じように首を振った。


「あっれー、見間違いか? いやでもそんなはずは……」

「うむ。確かに汝の言う通りかもしれない。打った手が荒業になったのならば、誠に申し訳なかった。アスカを助けることに必死でな。どうも間に合いそうになかったが故、遠くから念を飛ばして攻撃をしたのだ」

「あー、やっぱりな! そうだと思ったぜ!」 


 篠木は指を差し、大人げなく声を上げる。


「ねえヒバリ。気配から感じるんだけどさ、彼らも神様?」

「うん。今日から捜索を手伝ってくれる助っ人だって、名前は確か……」

「大口真……」

「えっーと確か……あー、そうだ! ウルフ先輩!」


 頭の中のモヤモヤが解消され、ヒバリは口角に笑みを浮かべた。

 自ら名乗ったのに何事もなかったかのようにされたウルフ先輩は、押し黙り小さく俯いた。


「二人で一人の神様なの?」

「確か、本体はこの狼なんだけどね。この姿じゃ、他の神様と会話ができないからって通訳みたいな感じかな? こっちの人のほうがこの狼の分霊、皆はウルフ先輩って呼んでるんだ」

 

 分霊とはいわば魂の分身。

 例えば、稲荷神社ではお稲荷さんが、八幡神社では八幡神が祀られている。

 稲荷神社に八幡神社、全国的に数多く存在している二社だが、それを一つの神様が切り盛りするとなると大変な労力となる。

 そこで人々は古来より、神の分霊を造って各神社にお祀りすることで、神様の持つご利益を全国に隈なく広めてきた。

 ヒバリの持っていた札も分霊が収められたものだ。


「然も、他の神にコイツはウルフと……」

「ウルフ先輩たちはね、この辺り一帯を治めるで、魂を一緒に探すのを手伝ってくれてるの!」


 またしても声が重なる。


「…………」

「ウルフ先輩、一緒に探すの手伝ってくれてありがとう」

「(コクリ)」


 ヒバリの感謝に、ウルフ先輩が無言で応えると、不意にウルフが「ワウッ!」と吠えた。どうやら、コートに付着していた臭いを一式終えた合図らしい。 

 ウルフ先輩はそこで立ち上がり、病室を後にした。


「ウルフ先輩、またねー!」

「ヒバリ、私達もそろそろ帰ろうか」

「うん、そうしよ」


「じゃあ、また来るね、篠木」

「じゃあなー」

「じゃあねー猪木」

「篠木な」  


 アスカとヒバリは篠木に別れを告げて病室を出た。


◇◇◇



 アスカの利き手である右手は、一連の騒動によって骨に亀裂が走っていた。

 いわゆる骨折。現に彼女の腕は今、ギプスで固定されている。


 そのため、ヒバリはヒナより直接、彼女が料理や洗濯などの家事がままならない間、身の回りの世話を任されていた。

 とはいっても、現世より遠く離れた高天原で長年暮らしていたヒバリには、できるはずがないので、


「お願い! 磐鹿六鴈命いわかむつかり!」

「はっ! ヒバリ殿、吾におまかせを」


 ヒバリの手元の神札から姿を見せたのは、料理の神様だ。

 彼はキッチンに並べられた食材を眺め、たちまち料理を開始した。料理の神様と祀られている以上、食材からどんな料理を作れるか検討がつくようである。


 こんな感じでヒバリは、神札に眠る神様の力を借り、アスカの手伝いをこなしていた。彼女が持つ神札には小さな神様から大きな神様が揃っている。これはかつてヒバリが全国各地を旅したときに、それぞれの神様から授かったものたちだ。


「お願い! かわや神!」

「厠のことなか何でも、どぞー」

「お風呂掃除は、井氷鹿ちゃんお願い!」

「お任せ、あれ」


 腕を骨折したことで、いつものように凍りついていた井氷鹿の救助も困難になったアスカは、彼女を夜の間家に泊めることでコレを回避した。

 するといつのまにか、家事を手伝ってくれるようになっていた始末である。

 

「よーし、ヒバリは洗濯物を、と」

「私も左手なら使えるから手伝おうか」

「あー駄目駄目っ! 無理しちゃ駄目っ!」

「む、無理はしてないんだけど……ありがとう」


 ヒバリに言われるまま、ソファに戻されたアスカ。

 彼女は療養期間中ということで仕事に行けていない。


 アスカは家事をこなすヒバリ達を見て、どこか申し訳なさそうに視線を落とす。

 普段から朝早く起きて会社に向かい身を粉にして働いていた彼女はこの間、暇をつぶす方法を何か考えていたのだろうか。ダイニングテーブルの上にはHULUのプリペイドカードが手つかずで置かれていた。

 

「……ヒバリ、最近ちょっと服が汚れてきてない?」


 ヒバリの働きを観察していたアスカからふと声をあげる。

 風呂掃除を終え、彼女の背後をぼんやりと見つめていた井氷鹿もコクリと頷き、アスカに同意を示した。


「うーん、そうかなー」


 ヒバリは自身の肩の上やら腰の辺りやらを動かしながら見回す。

 試しにつま先でトントンとやってみせると、ヒバリの着ていた服からパラパラと砂埃が落ちてきた。落ちた砂埃をつまみ、ヒバリはじっとそれを睨み立てた。

 

「本当だ……一度洗った方がいいかも」

「その服って洗濯できるの?」

「うん。ヒバリの服はね、丸洗い対応だよ。アスカ、お洋服貸してー」

「わかった。これでいい?」


 アスカは二つ返事で聞き入れ、ブカブカのTシャツを手渡した。

 中央にデカデカと神と書かれたデザインのシャツだ。ヒバリは着替えると間もなく、脱いだ衣類を畳んでまとめ、鼻歌交じりに洗濯機の元へ駆けていった。

 すんなり、ガタンっと洗濯機のドアを締めて戻ってきたぐらいに手際が良い。


「ふーっ。これでよしっと。ご飯はまだかなー」

「ヒバリ殿、食事の準備はあと少しで整い……」


 ドゴオォン! 普段耳にしないような物音がリビングに入り込んだ。

 ヒバリは肩をビクッとさせた。

 今聞こえてきたのは、一体何の音だろうか。分からない。

 アスカは不安げな表情を浮かべ、周囲にいた者たちと顔を見合わせた。


「な、何の音……まさか、泥棒とかじゃないよね?」


 ぎこちなく音が聞こえてきた廊下の方を向き、固唾を呑む。


「見に行く」

「えっ、行くの!?」

「うん」

「井氷鹿ちゃん凄い……かっこいい」


 いち早く名乗り出たのは井氷鹿だ。

 彼女は物怖じどころか怯んだ様子も見せず、音が聞こえてきた廊下の方へ歩いていった。だが、しばらくして暗闇から返ってきたのは、


「ハハハ、どうだ、怪魚を討ち取ったぞ!」


 明らかに井氷鹿ではない何者かの声だった。

 この時、向こうに不審者がいるのではないかという疑惑が確信へと変わった。

 ヒバリ達は一箇所に身を寄せ合い、いつでも戦闘に入れるよう構えた。


「天ぷらにでもして食そうか……おい、こら! 暴れるではない! お、なんだこの光……人の匂い? 微かに人の気配がするような」


 少女を思わせる声の足取りがこちらに出向く。

 何か段々と近づいて来ている、迫ってきている。

 リビングと廊下を繋ぐドアの前で足音がやんだかと思えば、わずかの間をおいてドアノブが上下した。

 姿を見せたのは、戦国武将の格好に被れた少女だった。


「お、なんじゃ貴様らは」


 少女の目の前には、ヒバリが呼び出した神が一同揃っていた。少女は彼らの出で立ちを見て、自身が置かれていた状況を察する。

 少女は顎に手を添えて頷いた。

 顎髭を嗜むような動きを見せたが、当然生えていない。


「ほう、最強の戦国武将と名高いワシに挑むという……」

「井氷鹿ちゃんを返せぇぇ、突撃ぃぃぃ!!」


 ヒバリの鬨の声で、神々は一斉に少女に飛びかかった

 ドタバタとリビングがごった返す。

 数の暴力。少女の惨敗といった形で、戦いはあっけなく幕を閉じた。



「この子が織田信長? 女の子なのに?」

「うん。人神って言ってね、元は人間だったんだけど、死後祀られるようになった神様のことを言うんだ。なんで女の子なのかはよく分からないけど」


 信長は食事中、箸を動かす手を止めない。

 椅子に座り込んだことで、着物から覗かせるようになった白い太ももはあまりに華奢で、かの有名な戦国武将に相応しくない。アスカはじいっと信長を見入る。

 当の本人は目もくれず、ご飯を口の中に流し込むように頬張っていた。


「で、なんで……この子が出てきたの?」

「このヒバリとかいう馬鹿者がワシの神札と一緒に衣類を洗濯したからじゃ。全く急に冷たい思いをして、一時は死ぬかと思ったわ。火縄銃で一発仕留めたかったが、濡れてまるで使い物にならん」

「ご、ごめんなさい」


 ヒバリはやり場のない不甲斐なさに俯いた。

 神札が乾くまでの辛抱である。


 

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