第13話『相対する二人』

 アスカとヒバリはホームセンターに来ていた。

 アクアリウムを趣味としていたアスカは、休日によくここを訪れては生体やら水草やらを買い揃えに訪れていた。

 今回はヒバリの同伴のもと、今日もいつものように買い物をしていると、店内で見覚えのある人物が目に入った。どうも浮かない表情の、


「あ、田中さん」


 不意に彼が店の奥に紛れていくのが目に映った。

 手を骨折して以来、会社の同僚と出会う機会がなかった彼女は声を掛けようと、彼の背にゆっくりと近づく。


「田中さん、こんにちは」

「!? えっ……っとあの、お久しぶりです」


 振り返った彼は、何かを恐れているかのように動揺していた。

 何事もなかったかのように振る舞う彼に違和感を覚えたアスカだったが、特に気にすることなく言葉を返す。

 彼が彼であることには変わりがないが、どこか他人行儀なところが目についた。

 それに少し痩せていた。


「あの腕を怪我なさったとか聞いたのですが、大丈夫ですか」

「はい、なんとか。あと少しで治るそうで。田中さんの方は……」

「僕の方なら大丈夫です」


 彼はキョロキョロとしながら答える。

 ヒバリはそんな矢先、ふと彼と目が合ったような気がして見つめ返すと、咄嗟に

彼は顔を逸らしたような挙動をした。


「お買い物ですか?」

「はい、ちょっと妻に頼まれちゃって。じゃあ、僕はこれで」

「あっ……はい」


 彼はそれだけ言うと、踵を返し、そそくさと立ち去ってしまった。唐突に別れを告げられたアスカはその背を見送り、佇むことしかできない。

 慣れない彼の様子に少しの間呆然としていた彼女だったが、


「会社の人?」


 ふと、ヒバリの声で我に返った。

 不思議そうな顔でヒバリが彼女を見つめている。


「あ、うん。同じ会社で働いている人だよ」

「あの人、ヒバリのことが見えているのかな。一瞬だけ目が合ったような」

「そうかな。田中さんはフツーの人だと思うよ。本人も昔そう言ってたし」

 

 アスカは彼の去っていった方向を再び見る。

 彼女の送った視線の先には彼の姿は既になかった。


――ペットコーナー。


 犬や猫、鳥に両生類なんでもござれ。

 ヒバリはペットコーナーに足を踏み入れるなり目をキラキラと輝かせていた。

 まるで幼子のようにはしゃいでいたヒバリの視線は、犬やら猫やらを見ることで落ち着いたのであった。

 


 ◇◇◇


 田中さんは住宅街で自転車を走らせていた。

 このところ何かと疲弊しきっていた彼にしてみれば、人との出会いは心苦しくて避けたいばかりだった。思わぬところでアスカと出くわしたのも同じ。

 罪悪感からか、彼は胸を締め付けられるような表情を浮かべて、ペダルを強く踏み込んだ。


「ふぅ」


 今日出会ったことも忘れようとため息をついた、まさにその時。

 何もなかったはずの道路に水面が立ち、そこからちょこっと何者かの頭が見えた。何者かが地中から上ってきていたのだ。


「ひぃっ!?」


 咄嗟にハンドルを切って避けきったが、一方では自身の身が間に合わず。

 住宅街の塀に激突し、弾き返されるように横転してしまった。

 彼の身体は頑丈である。

 魑魅魍魎の衣が含まれているおかげだ。

 

「大丈夫、ですか?」


 頭を抑えつつ、声の掛かってきた方に頭を上げる。

 そこには少女の姿があった。イルカの手のような耳をピクピクと上下させた、白髪の少女がその透き通った瞳を彼に向けている。井氷鹿だ。


「ああ、こちらこそ。お怪我の方は?」

「私は無傷です」


 彼女の足元には水紋のような波紋が広がり、まるで座り込んだ田中さんを見下ろすような構図となっていた。

 よっこいせ、と彼は差し出された手を借りて借りて立ち上がる。


「私は国津神で、名は井氷鹿……私のことが、見える? おじさん」

「うん。ちょっと色々あってね。まさか神様をこの目で見る日が来るなんて」

「ごめんなさい。これからは周り、もっとよく見る」

「僕もこれからスピードを出しすぎないよう気をつけるよ。あと、コレ驚かせちゃったお詫びとして良かったら」


 そう言うと田中さんはバックから取り出したチョコを差し出す。

 彼の娘が好んでいたチョコレート菓子だった。バックの中には同等のお菓子がいくつも入っていた。


「これは?」

「僕の娘が好きなお菓子で。もしかしたら嫌いだった?」

「いや、初めて見た、だけ」


 彼女は受け取った菓子をまじまじと見つめる。

 包装を開いて、パクっと一口。

 すると彼女の頬が緩んだように見えた。


「……これ、好きな味」

「それはよかった」


 両手で包み込むようにして大切に持ち抱え、井氷鹿は菓子に夢中のようだった。

 田中さんはその様子を見届け、放ったらかしにしていた自転車の方に出向く。そうして自転車を起こして跨がり、踏み込もうとした矢先――、


「へぇ、なかなか面白そうなのとつるんでるじゃん」


 どこからともなく、声が掛かった。

 途端にドロドロと道路脇の排水溝から泥が溢れ出す。

 瞬く間にソレはその面積を広げていき、あっという間に人の形を成していく。泥は人の形に積み上がっていき、やがて褐色美女の姿へ化した。


「こ、こひじさん。どうしてここに」

「この子、神さまだってね」


 排水溝からに現れたソレに田中さんは顔をしかめる。

 一方で視線を注がれた彼女はニタリと笑みを浮かべて見せた。

 どうやら互いに認識があるらしい。


「アタシたちって今さぁ、この札を広めるように言われてるわけだけど、コレをこの子に貼り付けてみたらどうなると思う?」

「それは……」


 彼は歩み寄り、肩を掴んできた泥に俯いた。


「……神の魂は人間のよりも断然強い。その分、多くの穢れを生み出せる。それに、なんだか面白そうなことが起きそうな気がするんだよね」


 耳元に口添え、泥は囁いた。

 ハッとしたような表情で彼は拳を握りしめた。

 何かを思い出したように眉間にシワを寄せる。


「…………」

「ふふっ。アンタなら分かってくれると思ってたよ」

 

 そして彼女はスッと指先を伸ばした。

 その先にいるのは井氷鹿である。彼女は目先にある手先の菓子に未だ夢中で、警戒心を微塵も抱いていない様子だ。


 今にも札が背に触れようとした時だった。

 突如として田中さんは泥の身体を引っ張り倒した。地面に転がった彼女は尻餅をついたまま、怒り混じりに顔を上げる。


「なっ、何をするんだい!?」

「逃げてくださいっ!!」


 倒れてしまった泥の心配を他所に彼は叫んだ。

 直後、彼の背後から彼の全身を泥の塊が覆い被さった。

 彼の視界を覆った泥の塊は瞬時に固まり、彼の動きを封じ込めた。


「逃げる……はっ!」


 井氷鹿は泥の手に札が握られていたことに気づいた。

 慌てて後ろへ飛び退く。だが、もう遅かった。

 地面に飛び込もうと彼女が地面に触れると同時に辺りから、泥でできた柱が吹き出す。それらが彼女の身体を飲み込んだ。


「うぐ、げほっげほっ」


 泥の中に閉じ込められた井氷鹿は必死に藻掻く。

 彼女は辺りから水を噴射させ、脱出を試みたが、いくら水を浴びせても泥は落ちることはなかった。


「私の泥は簡単に落とせないよ! キッチン排水溝のぬめりみたいにねぇ!」


 藻掻いて藻掻き続けていた井氷鹿だったが、不意に意識が途絶えた。

 これまでの喧騒が嘘のように静まり返る。やがて彼女は泥の塊から産み落とされるように開放されたのだった。


 ただ、元通りの彼女ではない。

 虚ろな瞳をゆらゆらと揺らしている。


「アンタも何をするのかと思えば、ね。しばらく頭冷やしな」


 泥の一声で開放された田中さんは力なく膝をつく。

 息をゼエゼエと切らして、井氷鹿の姿を見て打ちひしがれていた。

 両者間で見つめ合いが生じる。


 そんな中、ふと彼女は遠くに視線を落とした。


「おっと、誰かが来たようだね。それじゃ、アタシはここらで」


 そう言い残すと彼女の姿はドロリと崩れ落ちた。

 排水溝を目掛けて彼女が去った辺りに、静寂が訪れる。

 田中さんの荒い呼吸だけが響き渡っていた。


「確かに、この先から強い気配が……」

「こっち? この先から?」


 突然の声に彼が振り返ると、そこには見覚えのある二人組がこちらに急ぎ足で向かってきていた。アスカとヒバリだ。

 二人は遠くにポツンと浮かんでいた人影を見つけるなり駆け寄ってきた。


「田中さん!!」

「アスカっ、あれを見て!」

「アレは……井氷鹿ちゃん!?」


 驚きを隠せない二人であったが、すぐに冷静なれたようだ。

 虚ろな瞳でぼんやりとしていた井氷鹿からは異変を感じざるを得ない。


「田中さん、危ないので下がっていてください!」


 田中さんの前に立ち、アスカは言い放つ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る