第08話『行方不明の篠木』

 ピピピピピッ。朝になった。

 アラーム音に意識が覚醒したアスカは、目覚ましを止めて起き上がる。

 目の下には黒い大きなクマが目立つ。

 昨日夜更かしをした挙げ句、なかなか寝付けなかった弊害。


 「うわぁ、目の下が凄いことになってる……」


 

 洗面所の鏡に映る姿を見てアスカはため息を付いた。

 顔を洗い、朝食、化粧を済ませてスーツを着こなす。

 間もなくしてアスカは家を出た。今にも眠りこけてしまいそうな自分の頬を叩いて、その度に目を大きく見開いた。

 眠気が吹き飛ぶと話題の目薬をさして対策を講じたりもした。


 そのせいでアスカは氷に閉ざされてた井氷鹿に気づけなかったらしい。

 彼女の氷は、気温が上がってきた昼頃に溶けることになりそうだ。

 電車の吊り革につかまり、うつらうつらと出勤した。


「お、おはよう」

「おはよう御座います、課長」


 顔が死んでいる。青白で生気がない。

 その姿を見た社員は皆、目が点になっていた。


 その日、アスカは超人的な動きで一日の仕事を終わらせた。

 一切の表情を伴わなかった。休む暇もなく、ひたすらキーボードをカタカタ、マウスをカチカチ動かし、いつもよりもテキパキと。

 社員は何かに取り憑かれたのでないかと噂していた。


「今日はこれにて失礼します」

「お、お疲れ様……」


 原則として、アスカが働いている会社では個人に当てられた仕事が終われば、帰っていいこにとなっている。

 仕事が終わっても職場に残るかどうかは、個人の裁量に任されていた。

 

 アスカは仕事を早く終わらせ、すぐに帰宅した。

 自宅に戻り手際よく寝間着に着替え、ベットに潜り込む。

 深い眠りに身を委ねた。時計が刻一刻と進んでいく。


 やがてアスカは目を覚ました。


「……少し寝過ぎちゃったかも」


 目覚めたばかりでそう言ったのも、先程までいなかったはずのヒバリが顔を覗かせていたからだった。部屋の時計は夜の八時を指していた。

 外はすっかりと暗くなっていた。アスカが眠りについたのは三時だった。

 「あ」と声を漏らして、アスカはどこか気まずそうに笑った。

 それを見てヒバリも続いて笑う。


「おはよう。よく眠れた?」

「うん、よく寝れた。最近寝不足であんま寝れてなくてね、なんだか」

「そう言えば、聞こうと思ってたことがあってね。昨日の夜、アスカってどこかに用事でもあったの? 夜、音が聞こえて」

「ああ、えっと、ちょっと確かめたいことがあってね。詳しいことはまた今度話すよ。これから、夜ご飯の食材を買いに行かなきゃだし。ヒバリ、私が買い物に行ってくる間、家のお掃除頼める?」

「分かった、行ってらっしゃい!」


 片やアスカは急ぎ足で近所のスーパーに買い足しに向かった。


「できたら、お惣菜で済ませたかったけど、もう流石に売り切れか」


 惣菜コーナーの前を通りかかったのは良いが品切れだ。

 それを照らしていただろうライトだけが残っている。

 

「鶏肉とじゃがいもの炒めものなら、すぐにできるからそれで。あとはコーンスープとか付け合わせて……」


 思いつくがままに献立を決めていく。

 買い物かごに一式揃えたアスカは、レジで会計を済ませ、行きと同じく急いで自宅へ直行した。


 その道中、どこか見覚えのある姿を見てアスカの足が止まった。

 おかしい。そんなはずがない。彼は今も尚、行方不明になっているはずだ。彼が見つかったという情報もまだ届いていないのに。


「篠木? 行方不明のはずじゃ」


 動揺のあまり、アスカはぶら下げていたエコバックを落とした。

 その背中は不気味なぐらいに静かだった。呆然と街灯に照らされ、立っている。


「篠木、大丈夫だったの!?」


 なりふり構わず、アスカは駆け寄り、彼の安否を確かめようとした。

 ところが、篠木はそんな彼女の体を手で突き飛ばしたのだった。


「……っ」


 後方へ押し倒され、辛うじて受け身をとったアスカは、すかさず起き上がり、その背中をじっと見た。

 

「篠木?」


 アスカの声に篠木はピクリと反応を見せ、ゆったりと振り向く。

 ただ、その瞳は虚ろだった。不敵な笑みをニヤリと浮かべている。


「ごめん、突き飛ばして悪かったな、ちょっち驚いて」

「……気配が違う。いつもの篠木じゃない」

「いつもと違う? 一体どこが?」


 パシッ。 

 アスカは篠木が差し出してきた手を払う。


「どうしたんだよ。アスカらしくねえぞ?」


 気丈に振る舞っている様子の篠木だったが、彼らしくない。

 立ち尽くす篠木の瞳には光がなく、声の抑揚も別人を思わせるほどだった。

 

 アスカはハッとする。

 

『……もしも、アスカの周りである日突然、口調や仕草が変わった人がいたら、その時はヒバリに教えてね』


 ヒバリがかつてアスカに言い放った言葉が繋がった。

 思い至ったように咄嗟にバックを漁りだす。そうして掛けた電話は間もなくして自宅の固定電話へと届いた――  


 

 ◇◇◇


「アスカっ!」

「ヒバリ! ヒナさんも来てくれたんだ!」


 ヒバリが叫ぶ。たちまち夜の空から颯爽とヒバリとヒナが姿を見せた。

 すかさずアスカのすぐ真横に降り立つ。

 

「ちょうど、掃除機の使い方を知らないというヒバリに叩き込んでいたところだ。幸先が良かったな。そしてあれが、アスカのいう者なのだな」


「……うん」


 ヒナは目尻を尖らせて篠木を睨みつけ、槍を構えた。

 ヒバリもそれに倣い、息を張って構える。


 対して眼前の篠木は薄気味悪い笑みを浮かべていた。

 両者間、張り詰めた空気が漂う。

 

「アスカ、この子達は?」

「見えてるんだ、ヒバリとヒナさんのこと」

「一つ聞きたい。元よりこの男は何の力も有していなかったのだな?」


 ヒナが尋ねる。


「うん。どこにでもいるような、至って普通の人」


「そうか、十分あり得るな。神が目に見えるほどの力をある日突然、手に入れるとは考えづらい。この男の衣の中にある魂も一つみたいだからな。霊を見る力は元より魂に依存する」


 幽霊や妖怪などの魑魅魍魎、神などの存在は魂が一定の格を備えてないと目視することは不可能だ。となると、篠木が持つ衣の中に包まれていた魂だけが入れ替わったことが考えられる。


「聞かせてもらおう。貴様は何者だ?」

「…………」


 ヒナは鋭い眼光で睨みつけた。


「近ごろ、我々の手違いにより一つの魂が現世に放たれた。ソイツは神の身体を奪

い取り、今もなお姿を隠している。知っているな」

「…………」


 篠木はだんまりを決め込む。


「答えろ! 貴様に逃げ場はないぞ!」


 ヒナは怒鳴り散らすように問い詰めると、篠木はフッと鼻で笑った。

 その態度が気に食わなかったのか、ヒナは怒りに任せて槍を突き出した。


 だが、その穂先は虚しく空を切るだけに終わる。

 篠木は軽やかな動きで攻撃をかわしたのだ。


「こうもなっては、コイツのフリをする必要はないか。……貴様はあのとき、肉体を奪った私の眼前に現れた神だな? そしてその隣、私の魂をあの世に誘おうとした神……確かにこの目に覚えがある」


「なっ……まさか、貴様っ!!」

「如何にも。私の名はタチバナ。神に復讐を誓いし者」


 篠木はニヤリと口角を上げ、名乗り上げた。

 たった今、目の前にいる男こそがあの逃げた魂――ヒナとヒバリはより一層、警戒心を露わにする。


「ヒバリ、ここで確実に捕らえるぞ! 準備はいいか!?」

「うん! 準備できてる」


 ヒバリは虫取り網を構えた。篠木は怖じた様子を微塵も見せない。

 軽く腕を鳴らして、立ち向かう姿勢すらとっていた。

 

「邪魔者として消すのは勿体ない。復讐を成すための人員が足りてなかったところだ。その身体、頂かせてもらう」

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