ありとあらゆる下書き
長宗我部芳親
第一章
第01話『穢れに侵されし神』
生きとし生けるものは全て、魂が羽衣で包まれることで成り立っている。
獣の場合は魂が獣の羽衣で包まれることで。虫の場合は魂が虫の羽衣で包まれることで一つの種として息をする。
つまるところ、私たち人間は魂が人間の羽衣で包まれることで肉体を維持し、生きているのだ。
私たちが生まれるのも生きるのも死ぬのも全てはこの羽衣によるもの。
人間の胎児は交わりによって生まれた魂が人間の羽衣で包まれることで肉体が生成され、母親の胎内ですくすくと育つ。
逆に人が死んでしまうのは、この羽衣の一部がすり減ることで裂け目ができ、包まれていた魂と羽衣の関係が崩れてしまうことが原因だ。
羽衣は時の流れや病によって段々と劣化していく。
人と鼠の寿命の差ではおおよそ72年。生き物によって寿命が異なるのも羽衣によって耐久度が定められていることによる。
人それぞれ寿命が異なるのもこれに等しい。
獣に虫、人間。
羽衣はそれぞれ、神々の世界『高天原』に住む機織りの神によって織られている。織られた羽衣は神々の手によって現世の魂へと直接届けられ。
そして死ぬときも同様、擦り切れた羽衣と魂は神々によって直接回収され、高天原に向かう。
高天原に向かった魂は子孫を見守る象徴に。
擦り切れた羽衣は機織りの神に届けられて再度使える具合にまで繕われ、そして地上で新たに誕生した魂を包み込むのだ。
◇◇◇
高天原――現世とは別次元に存在する、神々が住むとされている異世界。
この世界には、古来より多くの神が存在していた。
雲の神に囲炉裏の神、森の神に畑の神など、八百万の神とも呼ばれる神様たちのコミュニティで成り立つ世界だ。
神々は人間の社会と同じく、仕事に従事し文明を築き上げていた。
文化も育まれ、軒並み現世のように集落や建物が点在する世界。そんな世界に存在する、と或る一画の、と或る宮殿の、と或る廊下で少女二人が出くわした。
「こんな所で何をしている。ヒバリ」
「あ、隊長! ちょうどお仕事が一段落ついて、休憩してたんだー。隊長はこれから何をしに行くところ?」
「仕上げねばならない書類があってな。今から取り掛かるところだ」
ヒバリと呼ばれる少女は格好で言えば、まさしく鳥の姿をなぞった格好をしている。背中には翼が生え揃っており、鳥の羽毛で作られたショールを身に着けた彼女は全体的にふわふわしていた。
一方で隊長と呼ばれし少女の格好も多少の差異こそあれど、ヒバリとはあまり大差ない鳥の格好だ。
「然らば、私はこれで失礼する。適度に休憩を取ってから仕事に戻るように」
隊長と呼ばれし少女はそのまま立ち去ろうとするが、ヒバリがその背にひっつくように付いていった。隊長はヒバリをなんとしてでも振り切ろうと迂回を繰り返していたが、一向に離れる素振りを見せない。
ようやく諦めがついたのか、
「くれぐれも邪魔はしないように」
「うん!」
隊長は、元気いっぱいの返事をするヒバリにため息をつく。
本当に解っているかどうかは甚だ疑問だが、隊長は自身の仕事部屋にヒバリを案内することにしたようだ。
「相変わらず大っきい……!」
部屋の大きさに対して、デスクスペースのサイズが明らかに釣り合っていない。
まるで大きな図書館のように、数多の本棚に埋め尽くされた室内を見渡しながらヒバリは感嘆の声を上げた。大きなハシゴに天井から吊るされた大きな鳥かご。
そして天窓から差し込む陽光がそれらを照らしている。とても綺麗だ。
一方で隊長はその声を聞き流しながら、黙々と書類に取り掛かっている。
すずりに注いだ墨汁をたっぷりと筆先に染み込ませ、作業を進め。
陽光に照らされ、器用に小筆を操る姿は、どこか神秘的だった。
「隊長、いつもここで仕事をしてるんだー」
いつの間にか隣にやってきたヒバリが言う。
机に両手を置いて顔を覗かせる彼女には一切、視線を向けることもなく、隊長は淡々と作業をこなしている。いかにも気心知れた仲といった雰囲気だ。
「隊長、それは?」
「我々、
「へー、すごーい……」
自分から聞いておきながら、ヒバリの興味はすっかり別のものに移っていた。
天井から吊るされている、大きな鳥かご。
ヒバリは目を大きくして一心に鳥かごを見つめていた。
「気になるか。あれは初代、隹部隊長が扱っていたとされる鳥かごだ。あれだけ大きな鳥かごを扱っていたとなると相当な巨体の持ち主だったのだろう。あの鳥かごの中に捕らえられた魂も然り。今となってはその伝承すらアヤフヤだがな」
そう言うと隊長は手に持っていた筆を机に置き、 ぐっと伸びをした。
「隹部について記された本ならば本棚に収められている。興味があるのならば、一度は目を通してみるといい」
「うん、今度読んでみる!」
隊長を捉えていたヒバリの視線が、再び鳥かごの方へ注がれる。
天井から吊るされていた鳥かごを見入っていたヒバリ――ふと、彼女の目線上空からフワリフワリと埃が舞い落ちてきた。
――クシュン!
「隊長、ごめんなさい。ちょっと埃が鼻に」
鼻を啜って謝罪をするヒバリ。
ふと、彼女が隊長の方に視線を移すと――
真向かいには、墨汁を被った隊長の姿があった。
どうやらヒバリがくしゃみをした所為で、すずりから墨汁が飛び散り、運悪くも顔面にそれがかかってしまったらしい。
手元の台帳は無事そうだったが、隊長の方はというと……。
瞳から光をすっかり失わせ、プルプルと身体を震わせていた。
「ご、ごめんなさぁぁぁい!!!」
ヒバリは隊長にもう一言謝罪をし、部屋から慌てふためくように逃げていった。
それから宮殿内を散々走り回り、様子見をすべくふと息をついたヒバリ。曲がり廊下の角に隠れ、恐る恐ると覗き込んでいると――、
「ヒバリ?」
「ひぃ!? ごめんなさいっ!!」
突如、背後から声をかけられた。
驚いた拍子に尻餅をついてしまったヒバリは、涙を浮かべながら顔をあげる。
そこには、ヒバリをキョトンと見下ろす少女の姿があった。
鳥を模した格好をしているのはヒバリと大差ないが、こちらは全身が青みかかった羽毛で覆われており、頭部には青い羽飾りをつけている。
「何やってるの?」
「あ、ルリちゃんか……ビックリした。ほっ」
隊長ではない。
振り返った先にあった顔を見て、ヒバリは安堵の息をついた。
「ビックリしたのはこっちもだよ。何をしてるのかなーって、声をかけたら急に謝り出すんだもん。もそかして、また何かあったの?」
「うん。ちょっと、隊長を怒らせちゃって」
「ヒバリ、また怒らせちゃったんだー」
手を差し出し、ルリは屈託のない笑顔を浮かべる。
ヒバリはその手を握り返して立ち上がり、衣類についた埃を払った。
「昨日も隊長を怒らせてたよね」
「うん……昨日は、山の怪が飲む用の強いお酒で隊長をデロンデロンに……今日は、くしゃみで隊長に墨汁を吹きかけちゃって」
「ふふふ、なんだかヒバリらしいね」
ルリは口元を片手で覆って笑う。
「昨日のお酒は山の怪自治会のお手伝いをして貰ったもので、ヒバリはお酒飲めないから、『隊長ならきっと!』と思ってあげちゃったの。今回は埃に鼻をくすぐられて、くしゃみが出ちゃって。その先に隊長が……怒らせちゃったの」
「運が悪いって一概に言ってもここまでくると流石になー。ふふふっ」
「うー」
ヒバリはしょんぼりと肩を落とす。
「い、いろいろ大変だね。でもまあ、隊長はそう根に持つような性格じゃないし、きっと大丈夫だと思うよ」
「うーん、そうだといいんだけど」
「無論、私はヒバリが素直に応じれば、許すつもりでいるぞ」
トンっと、ヒバリの肩に何者かの手先が触れた。
ヒバリが振り向くと、そこには隊長の姿が。不思議そうな表情を浮かばせるヒバリに対し、隊長は静かに微笑んだ。
隊長に肩を掴まれたヒバリの姿が小さくなっていく。
「隊長、ごめんなさあぁぁい!! ルリ、助けてえぇぇ!!!」
「い、行ってらっしゃい、ヒバリ」
ヒバリは叫ぶながら隊長に手を引かれ、どこかに消えていった。
その様子を見て、ルリは苦笑いを浮かべた。
◇◇◇
「ひー、隊長怖かったなー」
現代日本。ビルが多く立ち並ぶ駅近郊から外れた市街地。
天駆ける神こと、ヒバリが属していた組織は
一部、鳥の姿をした神々から成り立ち、死んだ人間から魂と擦り切れた羽衣の回収を主業としていた。
与えられた仕事は至って単純。
死んだ人間の枕元に立ち、その身に宿していた魂を虫取り網で捕らえ、羽衣を回収するといった内容だ。
背中から生えた翼で颯爽と空を飛び回り、ヒバリはそうして今日も割り当てられた仕事を順々に熟していた。
「今日の魂の回収はここで最後! よーし、ちゃちゃっと終わらせちゃうぞー!」
ヒバリは上空から目当てとなる建物の屋根を見つけて意気込んだ。
彼女の手元にあっていたのはこの街の地図。ちょうどこの辺りで赤いバッテン印が書かれていた。今回の目当である魂はこの建物の中にある。
間もなくしてヒバリは門の前へ降り立った。建物の扉を開いて、勘を頼りに死した者の元へ辿っていく。
その道中、ヒバリは何人ものも人間と出会ったが、彼女のことを気に留める人々は一切見られなかった。
何もなかったように皆、素通りして遠のいていく。
神は通常、人々の目に映らない。
よほど強い霊感を持った人間の瞳にしか映らないのだ。
「よいしょっと。えーっと魂はここかな? ……あ、いた! よしよし」
ヅッと障子を開くと、そこには布団の上に男が寝かせられていた。
そして案の定、その近くには逃走防止の紐で繋がれ、フヨフヨと浮かぶ魂が。
ヒバリはさっと虫取り網を構え、無駄のない動きで魂を捕らえた。
「あー、まてまてー。暴れちゃ駄目だって」
ジタバタと暴れる魂が入った虫取り網を絞り、魂をどーどーとあやした。
どちらかといえば、暴れない魂の方が珍しい。
大抵の魂は自分が死んだことを受け入れられない状況下で、網を被せられるという手段を取られるのだから。
体に残された羽衣を回収すると、手元の羽衣に続き、残された体がメキメキッと朽ちていく音が聞こえてきた。
ヒバリは建物の門の前まで戻って、羽を広げて飛び立つ。
今日、割り当てられたお仕事はこれでお終い。
今日も今日とて、あとは高天原に帰るだけだ。
だが、突然――
「なに、これっ」
ゴホゴホっ。
あまりの苦しさにヒバリは大きく目を見開いた。ドクドクと上がる脈拍を押さえつけようと胸元を握る。
身体のいたる所から出てきた黒い蒸気はヒバリを咳き込ませ、筋肉ぼ硬直を施した。咳が止まらない。呼吸がままならないほどにゼエゼエと肩を上下させた。
怯えた表情のヒバリの顔から、みるみるうちに青ざめていく。
「く、苦し……っ、誰か助け……」
段々と瞼の力が抜け、ついには動かなくなった。
空を翔ぶ体勢を維持できなくなったヒバリは落ちていく。
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