第02話『異質な人間と空の神たち』
朝一番、何者かの気配を感じ取ってアスカは目覚めた。
今日は出社がないので早起きする必要はなかったものの、なにやら胸騒ぎがしていたらしい。理想の目覚めとは程遠い、疲れ切った表情だ。
欠伸と腕の伸びをセットに立ち上がる。
ベランダの前まで歩み寄って、遮るカーテンを開く。
足先をひんやりとした外気に晒して、外履きを履いて向かった。
「…………!」
そして思いもしなかった訪問客に目を疑がう。
冬の白い空の下、彼女が見つけたのは――、
「幽霊でも妖怪でもない、この気配。もしかして」
言いかけたものの、言葉に詰まった。
幼子が珍しいものを見たかのように、アスカは不思議な表情を浮かべ、
「もしかして神様?」
二度三度、横たわる少女を見つめ直して言った。
140センチほどの背丈に、フワフワの羽毛がふんだんに使われたショール。その下には振りを鳥の翼に見立てたであろう着物を身に纏っている。
全体的にモコモコしている、鳥の雛を思わせる格好の彼女がベランダに倒れていたのだった。
そう、ヒバリだ。
辛うじて彼女の口元からは、まだ息が上がっていた。
「よかった、まだ息があるみたい」
しかし、血色が悪い。息も上っていて辛そうだ。
こうも寒い冬の朝に外で放っておかれては、おそらく彼女の身が保たないことだろう。
「よいしょっと」
彼女は地に伏せたヒバリを、ストーブで温まった室内に担いで運んだ。
そしてソファの上にヒバリをそっと仰向け、毛布を掛けた。
他方、ベランダに転がっていた荷物を回収に向かう。
ヒバリが倒れていた近くには、虫取り網に鳥カゴが転がっていた。他に散らばっていたのは、彼女のものと思わしき鳥の羽。
アスカは転がっていた虫取り網と鳥かごを手にとった。
鳥かごの中には何もいない。
空いた扉がだらしなく朝風に吹かれているだけだ。
「鳥かごの扉が開いてる……中にいた動物、逃げちゃったのかな」
辺りを見渡すが何もいない。
不意に遠くで何か揺らめくものを捉えたアスカは、二度三度目を擦ってみたものの、広がっていたのは冬独特の白い空だった。
ひとまず彼女は室内に戻ることにした。
幽霊でも、妖怪でもない、神様。神様との出会い。
そんな神様が気になって仕方なかった。
神様のことはよく分からない。
ただ、何らかの病に侵されているということだけは分かった。
看病をしよう、といった風にアスカは頷き、決意を固めた。
「できれば、温かいスープでも出してあげたいんだけど……」
手先でガサゴソと、食品ストックを漁るも何も当たらない。
「お節介かもしれないけど」と口から溢しつつもアスカは近所のスーパーに急ぎ足で買いに向かった。
ものの数分で到着した彼女は、食品コーナーで足を止めた。
手頃なインスタントスープを掴み取って会計を済ませ、家に戻る。
これがわずか三分半の出来事。
アスカは給湯器でお湯を沸かし、いつ彼女が目覚めてもいいように見守った。
「うぅ」
不意にヒバリは唸り声を上げた。
変わらず顔色が良くない。おまけに息が上がったままだ。
ゆっくりと目を開いたヒバリは、たちまち鈍い動作でアスカを見入り、室内を見渡す。
「ここは?」
「私の家だよ」
病の影響で意識が朦朧としているのだろう。
見ず知らずの場所にいたのに、ヒバリは驚きもしなかった。
「ベランダで気を失っていたみたいだけど、大丈夫? 体調が優れないの?」
「……うん。助けてくれてありがとう」
ゴホッゲホッ。
ヒバリは胸元を激しく上下させて咳き込んだ。
彼女の口元からは咳と共にモヤモヤと黒い煙が出ていた。
すっと手を近づけるとジワジワ染み込んでいくような痛覚をもたらすソレ。
「この真っ黒な煙は……穢れ?」
アスカには身に覚えがあった。
彼女の育ての親であった祖父が神主を務めていたからだ。
小さい頃に祖父が祓っていたのを何度も何度も目に焼き付けていたアスカ。
祖父に代わって何度か大幣を振り回したこともあったぐらいだ。
本格的にはいかないけれども少しは祓えるかもしれない。
アスカは意気込んで、苦しむヒバリの額にそっと手を置いた。
アスカは小さな頃、その潜在的な能力を見込まれ、祖父から妖術の指導を受けたことがあった。障壁を作り出したり、エネルギー弾を発射したりと簡単な術を使うぐらいならば容易いことだ。
ポツポツと祝詞を唱える。
するとパアァァと、彼女の手のひらに白く淡い光が宿った。
徐々にその光はヒバリの全身に隈なく溶け込んでいき、その代わりとしてヒバリに宿った穢れが空気中に分散していく。
みるみるうちに室内に穢れが放たれる。
一時は天井を覆い尽くし。一時は視界を遮る高さまで。
やがて室内は穢れで充満してしまった。
「ゴホッゴホッ! 流石に多すぎない!?」
穢れを吸い込まないように口元を手で抑え、アスカは咄嗟に窓を開けた。
倒れ込み、一体なんなのこの子!? とでも言いたげに思いっきり咳き込む。
「でも、これでちょっとは良くなって……」
ヒバリの青ざめた顔は和らぎつつあった。
今になって彼女は、落ち着いた表情で寝息を立てて眠っている。
アスカはここでほっと息をついた。
ヒバリはその身にそぐわないほどの穢れを宿していたのもあって、相当応えたのだろう。アスカは彼女が目が覚めるそのときまで、しばらく見守ることにした。
ふと――
窓の外、遠くからから訝しむ少女が一人。
大きな羽を羽ばたかせ、何処かに消えていった。
◇◇◇
迎えた、昼下り。ヒバリはまだ眠ったままだ。
この隙を見てアスカは近所のスーパーに改めて買い出しに来ていた。
随所コーナーを巡りに巡って、テキパキと品物を買い物かごに投入していく。
会計を済ませた頃にエコバックにまとめて上げ、スーパーを出た。
へくしょいっ。
コートを着込んでいてもやはり冬の白い空はひんやりとしている。
歩道の傍らや窪みには昨日降った雪が残っている。
街灯の上にも雪の塊が積もっており、今にも落ちてきそうだった。その下を通らないよう用心して自宅へ歩みに進めていく。
メモを眺め、買い残しがなかったか確認しながら、歩みを進めていたアスカ。
だが、何か背後からしてきた気配に意識が遮られた。
何かが背後から滑空して迫ってきている。
アスカは慣れた動きで腰を捻ってかわした。
次の瞬間、彼女の瞳に映ったのは光沢のある、尖った槍先だった。
本来アスカに触れたであろう槍先は、勢いが余って空を突き進んでいく。
後に続いたのは、その槍を握っていた少女だ。
「ぐっ!!」
攻撃をかわされたことに動揺を隠せず、槍の主は奥歯を食いしばる。
攻撃が外れたのを物ともせず、大きな翼を広げ、再び上空へ舞い上がった。
空中に張り付いたように止まり、アスカのことを見つめる。神経をとがらせ、一方的な睨みを利かせていた。威圧感が強い。
「この気配……今日は慣れないことばっかりだな」
なんて溢し、アスカは目の前に浮かぶ少女の全身を隈なく見定める。
フワフワの羽毛が材料であろう狩衣に、茶色い大きな翼を広げ。毛皮のマフラーに瞳を覆う眼帯。誰かに似つかわしい格好。
格好から見るにおそらく、
「もしかしてあの子の仲間?」
「そうだ、私はヒナ。貴様が手をかけた者の仲間だ」
ヒナと名乗る少女は改めて槍を構えた。
やはり誤解をしているのだろうか。
少なからず、アスカがヒバリを襲ってなどない。
「待って。私はあの子に何一つ危害を加えていない」
「危害を加えてない、だと?」
「うん。あの子の身の安全は私がこの身を持って証明する。ついてきて」
アスカはエコバックを足元に置いて両手を上げた。
そうして戦闘意思がないことを伝えると、ヒナは構えを崩してゆったりと地面へ降り立った。ヒナはアスカの瞳をまじまじと見つめ、ゆっくりと口を開く。
「人間にしては随分と聞き分けが良いが、何を企んでいる?」
「第一に私はあの子を襲った覚えはないし。それに、こんな人目が多く掛かるところで戦うわけにもいかないしね」
「そうか」
その間、ヒナは片時も槍を離さなかった。
ヒバリが寝かされているアスカの家まで少しずつ歩いていく。
「貴様はなぜ、私のことが見えている?」
「うん。私を育ててくれたお爺ちゃんが神社の神主をやっていてね。不思議と小さい頃から、妖怪や幽霊とか。そういった類のものが見えていたんだ……えっと多分貴方は、神様なんだよね?」
「私のことか?」
アスカが小さく頷くと、ヒナは「そのとおりだ」と受け答えた。
「貴様、人間にしては優れた能力を有しているみたいだな」
「まあ、日常ではソレが嫌な方向に動くことが大半で。見たくないモノが視界に映っちゃうこともよくあるし。通勤中の駅とか歩道橋とかで」
今朝、ベランダにヒバリが落ちてきた未曾有の事態に、冷静な対応が取れたのはアスカにも慣れが生じていたおかげらしい。
間もなく二人はアスカの家に辿り着いた。
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