第03話『隊長とヒバリ』

「ちょっと散らかってるかもしれないけど」

「うむ。そうだな。邪魔をする」


 一言放ち、ヒナは玄関に踏み込む。


「……そこは肯定しちゃうんだ」


 ヒナはアスカに案内されるがまま廊下を渡っていき、やがてリビングのヒバリが寝かせられたソファの前で踏みとどまった。

 もぬけの殻になった鳥かごをじっと見つめて。


 それからは額の上に手を添えて熱を測ったり、顔色を伺ったり、と。

 おそらくヒバリの容体を確認していたのだろう。


「いつからヒバリはこの調子だ?」

「この子とベランダで出会ったときから。体に穢れが巣食っていていたみたいでとても苦しそうだった。穢れを祓ってからはずっとこんな感じ。最初は今より症状が酷くてずっと咳き込んでた」

「うむ、体内に巣食っていた穢れを祓ったとな。すまない、助かった」


 どうやら、ヒバリが苦しむ原因にヒナは覚えがあるようだ。

 彼女はポケットにぶら下げていた小さな巾着袋から、紙包みを取り出す。


「何か心当たりが?」


「ケガレ病、穢れを吸ってしまうことで稀に発症する、我々にとって一種の職業病みたいなものだ。我々隹部は死んだ人間の魂を回収することを役割としている。当然、人間が死ぬときに発生する穢れを思わぬところで吸ってしまうわけだ。今回は体内に貯蓄されたソレが病に転じて姿を見せたわけだな」


「だから、あんなに穢れが出てきたんだ」


 ヒナは粉の入った紙包みを広げて、それを飲み口のように折る。


 そうしてヒバリの口を無理やりに広げると、粉をその中に注いでいった。

 するとものの数秒で、ヒバリはたちまち目をカッと見開き、口や耳の至るところから真っ黒な煙を発してピシッと起き上がった。


「ペッペッ、にがあぁぁい!!!」


 効能の反面、ヒバリはその苦さに顔をしかめる。


「”良薬口に苦し”だ。これぐらいは我慢しろ」

「……お水を合わせて大丈夫なら、はい」

「ありがと!」


 ヒバリは水が注がれたコップをすかさず受け取った。

 グビグビ飲み干した途端に、安堵感からか足先からへにゃへにゃと崩れ落ちれ落ちた。ヒバリはヒナの肩を借りてソファの上に再び寝かせられ、今度は無言で見つめ合うことになった。


「ヒバリだけが帰っていないと通達があってな。直々に探し回っていたところだ」

「ごめんなさい、隊長。迷惑を掛けちゃって」

「攻めたてるつもりはないが……あいにく、こうも再会を喜んでいる場合ではないようだ。ヒバリ、この鳥かごを見ろ」


 ヒナは置かれていた鳥かごを手で掴んで見せつけた。


 空っぽの鳥かごからは金属音が響く。

 ここでヒバリは自身が置かれた状況にようやく気づけたのだろうか。

 彼女の首筋から冷や汗が線を描いていく。


「い、いない!! 逃げちゃったってこと?」

「ああ。貴様、この鳥かごはどうなっていた?」


 ヒナはしばらく様子を伺っていたアスカに問い詰めた。


「蓋が開いていて空っぽだったよ」

「やはり、逃げていったという訳か」

「どうしよう、どうしよう!!」


 動揺をしだすヒバリ。

 これまで冷静を着飾っていたヒナも、これには焦りの表情を浮かべた。


「ヒバリ、まだお前は病み上がりだ。無理をするのは体に良くないから休んでろ。私は逃げた魂の捜索に当たることにする。おい貴様、名前は何という」


「私? えっとアスカだけど……」


 少しだけ考えめいた表情をヒナは取った。

 そして一刻も早くと、彼女はアスカに背を向け、


「アスカ、私が再度この場所に戻ってくるまでの間、ヒバリの面倒は任せた。私は他の者と共に魂の捜索に当たることにする。日暮れには戻る!!」


 とぶっきらぼうに言い放って、ベランダのガラス戸を開けると、大きく翼を広げて飛んでいった。別れも一瞬。姿が見えなくなるまでも一瞬。

 アスカとヒバリはその後ろ姿を眺めていることしかできなかった。



◇◇◇



「よく話が掴めないんだけど何があったの?」


 同じ空間に残されたアスカとヒバリだったが、会話一つない。

 なんとしてでもこの静寂を破ろうとアスカは話題を持ち出した。

 対してヒバリはしばらく黙り込んだままだったが、ついと口を開く。


「神様にはね、それぞれ役割が割り当てられてるの。現世の神社で人にご利益を与えて守る役割だとか。現世の気候を調整したりだとか。ヒバリたちはその中でも隹部というね、死んだ人間の魂と衣の回収をする役目があるんだ」

「衣、衣ね」


 ここでヒバリはこの世界の生き物たちの『魂とそれを包む羽衣の関係』について説明した。ただ、アスカにはあまり伝わらなかったらしい。


 生きてる人間が知り得ない話が、そう簡単に理解できるはずがない。

 ヒバリはここで例を持ち出そうと試みる。


「自分の胸に手を添えてみて」

「こう?」

「そう」


 言われるがままにアスカは自身の胸元に手を添える。

 かといって、何か特別変わったことがあるわけでもなく。

 いつも通り、何も変わらない。


「胸、温かいでしょ?」

「うん」

「それはね、魂が衣で包まれてるおかげなんだ。この魂の温かさが全身に広がって体温になって。死んだときに体が冷たくなるのも、衣が破れて温かさが伝わらなくなっちゃうからなんだ」


 なんとなく知り得たような気がしてアスカは頷く。


「それで魂に逃げられちゃったらどうなるの?」


「魂はね、生きてる人の衣の中に入り込めちゃうんだ。そしたらよく聞く『』っていう状態になっちゃうの。思うがままに体を操られて。だから逃さないようにもっと気をつけるべきだったんだけど……」


「よく取り憑かれたっていうもんね」

「うん、でも人間に取り憑く魂のほとんどは欠けた小さな魂だから、操れるほどの力は持っていないんだ」


 ヒバリは自分の失態を自身で拭うことのできない現状をとても悔やんでいるようだった。泣き出して上下する背をアスカは優しく撫でてあげた。


 それでも尚、彼女が一向に元気に取り戻す気配はない。

 かれこれそんな状態が続いたのだがふと……


 ぐうぅぅっと。


 ヒバリのお腹がなった。

 その音に反応し、少しだけ我に返るヒバリ。

 だが、やり場のない不甲斐なさに暗い表情であることに変わりはない。


「お昼ごはん一緒にしよう。そしたら、少し元気がでるかもしれないしね。何か食べれないものとかある?」

「……ない」

「それなら良かった」


 ついさきほど買い揃えた食材を並べて、アスカは調理を開始した。

 彼女の料理の腕は確かである。小さい頃から祖父と二人暮らしだったので自炊する日があるのもそう珍しくはなかった。料理の腕は十分磨かれている。


 立ちどころに室内はムニエルのいい香りに包まれた。

 それにオニオンスープを添えて一通り昼ご飯は完成。

 それらを乗せたトレーが、ヒバリの座るソファの前のテーブルに置かれた。


「いただきます」

「……いただきます」


 アスカは自身の料理分を口に運びながら、ヒバリを伺っていた。

 いただきます、と言ったはいいものの、一向に手をつけようとはしない。

 やがてアスカは「ごちそうさま」と食器を流しに運んでいった。


 どうしたのものかと、キッチンからアスカはヒバリを見入る。

 しばし心憂げなアスカだったが、あることが脳裏によぎったようだ。


「もしかして探しに行きたいの?」

「…………!」


 本心がでてしまったのか、ヒバリは俯く。

 それから視線をベランダの外へとずらした。


 ヒバリは病み上がり。

 それ故にヒナも安静にしてろと言っていた。

 だから、彼女一人で外へ行くことは許されていない。

 色々と考えた末、アスカは、


「分かった。その代わり、無理して体を動かしちゃいけないって言われてたから、私に負ぶられて行動すること。それならいいよ」

「いいの?」

「うん、それでいいならね」

「うん!」


 ヒバリはここでようやく食事に手を付けたのだった。

 アスカは彼女が食べ終えたのを見届けてしゃがみ込んだ。その背中に跨るようにしてヒバリが飛び乗る。

 そうして間もなく、二人は家を出て捜索をスタートした。



 ◇◇◇


「いないなぁー」


 手の空いた者と共にということで、ルリも魂の捜索に当たっていた。

 大空の下、翼を広げて探し回る。ヒナの指示により予め決められたルートに沿って飛んでいるが、一向に手がかりはない。


 時折、上空で静止して何かないかと見渡していると……、


「あれ?  あそこにいるのって、もしかしてー」


 ふと下を見ると、青白い光の玉が。魂だ。

 ルリは亜空間から虫取り網と鳥かごを取り出し、急降下していく。彼女に見つかるなり魂は慌ただしく逃げていった。


「待てぇーーー」


 魂は電柱や街路樹を上手く使い、なんとか振り切ろうとする。


 ただ、ルリも一向にあきらめない。逃さまいとの一心で追いかけ回し、やっとの思いで捕まえた!と思えた矢先のことだった。

 ルリの振りかざした網の中に入っていたのは、


「チューッチューッピィチッ! (オイてめぇ、何すんだコラ!)」

「あっ、雀さん……ごめんね」


 魂ではなかった。

 突然スズメは捕まえられたことに驚いて暴れまわっている。

 ルリは慌てて解放すると、一目散に逃げ去っていった。


「魂~、どこだー?」


 辺り一帯を見渡すルリに迫ってくる影があった。

 一目散に向かってきていたのは魂――、

 

「うわっ!?」


 ガポッ。勢いをつけ、魂はルリの口に飛び込んだ。

 途端、彼女は目を白黒させてバタつく。


「んむぅーっ!! んぐぐぅ!!」


 喉の奥まで入り込もうとする魂にルリは苦しそうな声を上げる。

 しばらく抵抗していたが、やがて力尽きるように脱力していった。


 ゴホッゴホッ、ゲホゲホっ……!

 口元からは穢れた黒い靄が発せられている。


 ビクンっ。


 そして不意に全身を痙攣させたかと思うと、そのまま動かなくなった。

 髪が風でなびく。彼女の身体は空高くから、落ちていく。

 暗い闇へ意識を呑まれ、ルリは完全に意識を失っていた。

 

 このままいけば地面に激突するかと思われたが――、


「ルリッ!!!」


 地面すれすれのところで、どうにか事なきを得た。

 間一髪、駆けつけたヒナによってその体は抱き留められる。

 彼女の腕の中で、ルリは弱々しく呼吸をしていた。


「ルリ、何があった!?」


 ルリは虚ろな目でどこか遠くを見ていて、返事がない。

 口元からは黒い靄を吐き出し、顔色も悪い。


 そして、どことなく感じられるにヒナはハッとした。


「体内に魂があるだと? 貴様っ、させるか!」


 どうやら、彼女がケガレ病の症状を発症したのも、魂がルリの体内に侵入してしまったことが原因らしい。

 このままでは彼女の身が危ない、そう判断したヒナはすぐさま行動に移った。

 一刻でも早く魂を出そうと、祝詞を唱えるための体勢を整えるが……、


 しかし、それが悪手になった。

 体制を整えた際の衝撃で意識が目覚めたかと思えば、ルリはヒナの身体を薙ぎ払ったのだ。

 身を翻し、翼を広げ、そうしてヒナの目の前に相対する。


「ルリ?」


 ルリの顔にうっすらと笑みが浮かぶ。

 不気味に笑む姿は正気とは程遠いものだった。


「待て! 何処へ行く!?」

 

 一目散に飛び去るルリの背にヒナが叫ぶ。

 だが、そんな声など聞こえていないかのように、ルリは遠ざかっていく。ただ一直線に飛んでいくその姿はまるで何かに取り憑かれているようだった。


 あれは間違いなくルリではない。別のなにか。

 ヒナは逃さまいとの思いで追いつき、腕を掴もうとするも――、彼女の全身から噴き出した黒い靄に遮られた。


 高濃度の、視界を遮るほどの穢れ。


 間一髪のところで回避するも、穢れをまともに被ったヒナの槍先はパラパラと崩れ落ちていった。ヒナは歯噛みをする。


「ルリ!!! 行くな!!」


 呼びかけるも、返事はない。

 そして今度はより広範囲に黒い靄を放ち、ヒナの視界を遮った。


 食らえばひとまりもない。

 それでも棒切れと化した槍で穢れを払おうとするヒナだったが、それは叶わなず。次第にヒナの身体の自由は利かなくなっていく。


 ヒナが苦しさに喘いでいるうちに、ルリは既に行方をくらましていた。

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