第23話『都会の山椒魚』
「今日は外の気温が結構上がるみたいだから、気をつけてね」
「うん。ありがとう、アスカ!」
「よーし、暑さに負けず頑張るぞー!」
「みんなっ、それじゃあね!」
アスカから昼食を受け取った分霊のヒバリ達は思い思いの言葉を口にする。
そうして、それぞれがベランダに向かい、各々の持ち場を目指して散っていった。
残ったのは利き手が不自由なアスカの手伝いを担当する本体のひばりだけ。
それから間もなくして、同じくこの場を去ろうとするヒナと井氷鹿をアスカと共に見送りに出た。
「ヒナさん、怪我の方は大丈夫?」
「心配ならば不要だ。それに彼女らを野放しにして、厄介事に巻き込まれるのは御免だからな。この身体じゃ戦えずとも、指揮することぐらいは容易い」
ヒナはいつもの凛とした表情で応える。
「隊長!! ヒバリたちをよろしくね!!」
「ああ、分かった。アスカを宜しく頼んだぞ。ヒバリ」
「井氷鹿ちゃんも気をつけてね!」
「……ありがと」
井氷鹿はヒバリとアスカを見据えて小さく頷いた。
去り際、井氷鹿は一度振り返り、床に水紋をたてて潜るように姿を消した。一方のヒナもベランダに立ち、背の翼を広げると、羽ばたき、空の彼方へ飛び去っていく。
ヒナの姿を最後まで見守っていた二人。
そのうちのアスカの首元に一筋の汗が伝う。
「まだ午前中なのに、もう暑くなってきた……。私達は私達でできるだけ早く買い出し済ませちゃおう」
「うん! 早く行っちゃお!」
駆け出したヒバリの後を追い、アスカは玄関を出た。
増えたヒバリ達に夜ご飯を提供できる分の食材の調達。それが本日の目的だった。雲ひとつない青空の中、日差しがサンサンと照らすアスファルトの上。
ふと遠くに熱気を孕んだ風に吹かれる人影のようなものを見つけ、二人は立ち止まった。
「……何だろうあれ」
人の形をした、何か。
遠目では分からなかったが、すぐ足元まで近寄ってみるに、それは……
「井氷鹿ちゃん!?」
そこには、カラッカラに干からびてミイラ同然の有様になった少女の姿があった。
完全に水分を奪われてしまったのか、皮膚はシワシワになっており、びくりとも動かない。二人顔を見合わせて言葉を失う。
そして、咄嗟に彼女の身体を抱きかかえ、慌てた様子で公園に向かった。
公園に着くや否や、すぐさま水飲み場へと走り蛇口を捻る。
バシャバシャと落ちる水を手で掬い上げ、かけ流す。みるみるうちに身体が潤い、やがて瞼が震えた。意識を取り戻したらしい。
ぼんやりとした表情のままゆっくりと起き上がり、周りを見渡した彼女は、すぐさま目の前にいるアスカとヒバリに奇異の目を向けられることに――
「……あれ。井氷鹿ちゃん? いや、でもなんか違う……」
というのも、彼女は井氷鹿ではなかった。
彼女によく似た、赤の他人。髪の色も目の色も似ていたのだが、しっぽの色や形、耳の造形が違っていた。程よく湿った耳。斑点模様の、茶色い薄い尻尾。どことなく眠たそう目つき。サンショウウオを思わせる姿。
今、目の前に居る少女は、まじまじと二人に視線を送り返していた。
「えっと、貴方は?」
今、目の前にて、まじまじと視線を送り返す居る少女に問いかける。
すると彼女は小首を傾げたかと思えば、尻尾を立ち上がらせてみせた。
「ボクは鯢大明神。皆にはハンザキって呼ばれてる。君たちのおかげで助かったよ、君たちの名前は何ていうの?」
「私はアスカ。そしてこっちは……」
「ヒバリ!」
「アスカにヒバリ、助けてくれてありがとう」
ハンザキと名乗った少女はペコリと頭を下げる。
それから、再び顔を上げた。中性的な仕草に、声。
やはり、それよりも自然に話題が向かうのは――
「歩道の真ん中で干からびてたみたいだけど……何かあったの?」
「あー、うーんとね……」
ハンザキは言葉につかえながらも語りだした。
「ボクね、悪い人達に執拗に追いかけ回されているんだ。それでなんとか逃げている内に必死になって……気づいたら、この街に。都会がコンクリートジャングルっていう訳、この身をもって痛いほど身にしみたよ。すごく、暑いんだね。ここ」
日差しが燦々と照りつけてくる空を見上げ、ため息をついた。
確かに、今日はあまりの暑さに空気も揺れている。アスファルトが放出する熱気に加え、太陽が直射してくるせいだろう。
そこで緑のカーテンの下に移動して、涼むことにした。
「追いかけ回されてる心当たりって?」
「うん。多分、ボクの身体が目的だって察しは付いてるんだ。見てて」
すると彼女は自身の指を口元で加えてみせた。
そしてそれから一拍おくと――、
「えっ!?」
何を思ったのか、彼女はその場で指を切り落としてみせたのだ。
切り落とされた指先は地面にぽとりと落ち、断面から赤くツーっと指先から血が滴る。何の脈絡もなしに自身の指を切り裂いてみせた彼女に二人は戸惑いを隠せない。
「大丈夫!? 痛くないの!? すぐに止血をしなきゃっ!!」
「止血ならもう要らないよ。ほら、よく見て」
「あれ、傷がない……?」
アスカが改めてハンザキの指先を見たとき、そこに傷跡は見当たらなかった。確かにさっきまであったはずのそれは跡形もなく消えている。
まるで始めから何もなかったかのように。
「これがボクの身体。致命傷に満たない怪我なら、ものの数秒で治っちゃうんだ」
「へー、すごい!! ……でも、痛くないの?」
「そこは、うんまあ。あ、そうだ、これをやんなくちゃ」
そう漏らすと、彼女は足元に転がっていた自身の指先を足で強く踏みにじった。
原型を留めないよう、徹底的に踏みつける。
「切り落とした一部でも、再生してもう一人のボクになっちゃったら困るからね」
「あ……うん」
顔を引きつらせ、二人は苦笑いを浮かべた。
話は進む。曰く、彼女はついこの前までは山奥の岩屋で暮らしていたとのこと。だが、ある日二人組が現れ、こうも追いかけ回される羽目になったらしい。
「追手がここまでやって来るのも時間の問題かな。ずっと同じ場所には留まれそうにないんだ。見つかって戦いになるのも懲り懲りだし」
ベンチに腰掛けたハンザキは俯く。
「それにすっごく強いんだ、ボクなんかちっとも歯が立たない。だから、ボクは君たちに迷惑をかけないうちにお別れさせてもらおうかな」
「え、もう行っちゃうの?」
「そうさせてもらうよ。こうも急になってちょっと悲しいけど。またね」
ハンザキはベンチを立つと、残された二人に手を降り、その場を後にした。
◇◇◇
これは一体なんなのだろう。
井氷鹿は腰を屈めてソレを見つめていた。夏の暑さに天日干されているこれは、どうやら道行く人の目に映っていない様子だった。
干からびたような何か。やがて彼女は興味を失わせ、引き続きルリの捜索にあたろうとする。だがその時、干からびたその身体がピクリと動いた。
「み、水ぅ」
「ミミズ……水」
一瞬、別のものの勘違いをしたものの、どうにか正解に辿り着けた彼女はたちまち辺り一帯から水を噴水のように湧き上がらせた。
暑苦しい空気に涼しげな虹がかかる。
干からびたハンザキの身体は段々と水分を含んでいき、ちょっと経った頃にはすっかり元通りになっていた。
やむを得ず、飛び散った水は周囲にいた関係の無い人まで被ることに。
ひとしきり済んでからソレに気づいた彼女は道行く人に謝罪をする。だが、彼らは迷惑に感じたどころか、目に見えぬ彼女に感謝しているようだった。
自分のことが目に見えない人達にどう謝ろうかと、暫くアタフタしていた彼女だったが、不意に背後から掛けられた声でようやく我に返った。
振り向くとそこには、ハンザキの姿があった。
「ありがとう。またもや誰かに助けられるなんて……できるだけ日に当たらないように頑張ったんだけど」
歩道でうつ伏せていたせいで顔に付着していた土を、彼女は拭いながら言う。
「私は国津神で、名を
「ボクは鯢大明神でハンザキって呼ばれてるんだー」
ありとあらゆる下書き 長宗我部芳親 @tyousogabeyoshichika
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