第06話『冬景色と凍った神』
「近ごろ、都心部で相次ぐ連続失踪事件、未だに手掛かりつかめず……か」
彼女がヒバリに出会ってから数日が経過した。
ヒナは高天原に戻って応援を要請し、人数を増やしての捜索を行ったが、結局のところ魂の発見には至らなかった。
「あ、アスカだ。おーい」
「お疲れ様、ヒバリ」
夕暮れ時、会社からの帰り道を歩くアスカを偶然見つけるや否や、ヒバリはゆったりと地面に降り立つ。
「ルリちゃんについて何か手掛かりは掴めた?」
「ううん、まだ何も。他の神様たちも一緒に探してくれているんだけど見つからなくてね。あと、毎朝いつもおにぎりとかありがとう!」
「ああ。好きでやってることだから。えっと、私もなんとかして役に立ちたいなと思って。ルリちゃんってどんな感じの子なの?」
「ヒバリと同じ隊服に、青みがかった羽毛に、あと、髪に青い羽飾りを身につけてるの。でも、もし見つけちゃったとしても、あまり近づかないね。ルリはヒバリ達と同じく人間の魂を出し入れができちゃうから」
「身体の中から魂を引っこ抜かれちゃうってことか」
「うん、ルリは今も意識を乗っ取られてるだろうから。ルリの身体を奪った魂の行方はまだ分かってないし……もしも、アスカの周りである日突然、口調や仕草が変わった人がいたら、その時はヒバリに教えて」
「うん、そうするね」
アスカはヒバリの目を見て、小さく微笑んだ。
ヒバリもそれにつられて笑う。
「ヒバリっ! 休憩が終わり次第、今度は隣町を探すぞ!」
ふと、声がかかる。
見ると、二人の上空にヒナの姿があった。
「バイバイ、また後でね」
「うん、頑張って」
ヒバリは翼を広げ、そこへ目掛けて飛んでいった。
「……この後は近くの魚屋でワカサギを買って、天ぷらにでもしようかな。たまには手の込んだ料理もやってみたいし」
コツン。
スマホを片手に魚屋への道を辿るのに夢中だった足先に、硬い何かが当たった。
鈍い音に続いて、彼女の足先に痛みが走る。
「い、痛った……。なっ、なにこれ……」
夕暮れ時の日を帯びて煌めく透明な物体。
アスカの腰の高さまであるだろう、相当な大きさ。
氷塊だった。しかも、中に何かが閉ざされているようだった。
ただ、表面が薄い氷が覆われているせいで、中はよく見えない。
アスカがしゃがみ込み、氷の表面を撫でると、そこに現れたのは──。
「か、神様!?」
紛れもない、神様の姿だった。
氷の中で瞼を深く閉じ、目覚めの時を待つように眠る女神。道端にこんなものが落ちてるなんてと、アスカは二度三度目をこすって向き合う。
助けねば。アスカにはそれを背負う以外、選択肢はない。
運動不足でなまりになまった筋力を使って氷塊を持ち上げ、背負った。
「お、重たっ……い」
ノシノシと重みが乗った足を一歩ずつ踏み込んでいく。
何があっても氷塊を落とさないよう、慎重に着実に歩を進めていった。通行人は彼女に不思議な視線を向けていたが、あいにく彼女にはそんなことを気にしている余裕などない。小回りを利かせて、やがて魚屋さんに着く。
「こんにちは」
「へいッ、ら、らっしゃい……?」
まさか大きな氷塊を背負った客がやって来るなんて。
そのせいか、店主の売りの威勢のいい声も動じて弱々しい。
「あの、例えば氷に閉ざされた魚を溶かす方法ってどういうのがありますか? ハンマーとかで叩いて割るのはやっぱ駄目です、よね」
アスカが始めに発した言葉はそれだった。
店主は引きつるように笑う。
「そ、そうねェ。ウチにもこの通り水槽があって、冬の冷え込んだ朝には魚が氷に閉ざされてることもしばしばだけど、ハンマーで叩くのヤめたほうがいいかもね。なんつっても氷を砕いた衝撃で魚の体まで砕けちゃうこともあるからねェ」
「お湯を使うのもアリですか?」
「ま、まあ大丈夫だろうけど。それで、今日はウチに何のようでェ?」
「ワカサギください」
「はあ、まいどありィ」
変わった人もいるもんだ、と店主はワカサギを指定された数だけ袋に詰め、アスカに手渡した。会計を済ませた彼女はのしのしと、時々ふらつきを見せながら、着々と自宅へ足取りを進めていった。
階段は勿論、体力的に応えるので彼女はエレベーターを使った。
その重さにエレベーターがグラついたのが彼女にとって気がかりだったが、現代の技術はすごい。彼女の住む五階フロアまで難なく到着した。
「これぐらいの大きさになると、お風呂が精一杯か」
少々、玄関扉を開けるのに手こずったものの、廊下を渡り、なんとかアスカはお風呂場に辿り着いた。スペース上の問題で、それを浴槽にドスンと置く。
シャワーは暖かくなるまでがまどろっこしい。
やがて湯気に変わったのを確認してアスカは、お湯を隈なく氷に掛けていく。
お湯でじわりじわりと氷が溶けていく。
そして中から姿を見せたのはヒバリと近い年頃の少女だった。
光沢のある蒼髪の、腰部からイルカのような尻尾を生やした少女だった。
人間ならば、耳が生えているような箇所にイルカの手?みたいなものがそれぞれ左右に生え揃っている。それがピクピクッと上下し、目を覚ます。
「私は国津神で、名を
目覚めて自己紹介フレームを言い放った少女だったが、そこに自身の状況把握が追いついてなかったことに気がつく。
自身の頭にシャワーを掛けるアスカを偶然見つけ、ぽけーっとしてたものの、後に井氷鹿はペコリとお辞儀をした。
「神職か何か……助けてくれて、ありがとう」
「いいえ。なんで氷に閉ざされてたの?」
「……少し、頼まれごとされて、遠くからやって来た。でも、寒くて」
「もしかして魂を探しに来た、とか?」
「なんで、ソレを知ってるの? じんつうりき?」
井氷鹿はブルブルブルっと身にまとった水分を払って立ち上がった。
程よく身体に潤いが残ったのは、彼女が水神だからだろうか。
「私は国津神で、名を井氷鹿……これはさっき言った。えっと名は?」
「私はアスカ。妖怪とか幽霊とか色々見えるんだ」
「助けてくれたの、ありがとう。ところで、なんで私のことを助けてくれた?」
「私の身近にも神様がいてね」
「……?」
まさか道端に氷に閉ざされた神様がいるとは理解が追いつかないアスカだったが、ヒバリと出会いを果たしたときと重なって少し親近感が湧いていたようだ。
これが直接的に助ける理由に繋がったらしい。
ガチャッ。
それとなしに答えるよう、玄関の扉が開く音がした。
タタタッと足音が近づいてくる。ヒバリだ。リビングに向かう最中、お風呂場に灯りが灯ってるのに気づいた彼女はトントンと扉をノックした。
アスカと扉越しに立ち尽くす。
「アスカ、話し声が聞こえてきたけど、お風呂に誰か居るの?」
「おかえりヒバリ。ちょっと道端で拾ってね」
「何を? もしかして猫とか?」
「いや氷」
「氷?」
ヒバリは首を傾げる。
彼女はガラッとお風呂の扉を開けて、何事もなかったようにペタペタ出てきた井氷鹿を流すように見入っていた。
「あっ」とヒバリの存在に気づいた井氷鹿はお辞儀をした。
「私は国津神で、名を井氷鹿。遠くから来た」
「ヒバリだよ! 宜しくね!」
「宜しくね」
…………。
…………。
井氷鹿は黙ってアスカの方へ視線を移す。
「とりあえず、リビングに行こっか。そろそろ夜ご飯を作らなきゃいけない時間帯だし、井氷鹿ちゃんも一緒にどう?」
「ご飯、一緒する」
井氷鹿はアスカに背中を押されてリビングに行った。
そうして、ソファの上に座る。始めてやって来た場所なのに、緊張した様子も全く見せない。少し不思議な雰囲気を放っている少女だ。
「今日の夜ご飯はなにー?」
「今日は天ぷらかなー」
「……天ぷら?」
井氷鹿はその一言を聞いて、自身の尻尾を抱きかかえた。
おそらく彼女は自身が天ぷらにされてしまうのではないか、と危惧したらしい。
スローリーな彼女が咄嗟の構えを見せたので、アスカは井氷鹿を困り果てた表情を浮かべた。
「えっと、井氷鹿ちゃんは食べないよ? ワカサギの天ぷらだから」
「……良かった」
警戒していた井氷鹿の表情が元の落ち着いた顔つきに戻った。
魚のような見た目だが、彼女は決して食用ではない。
やがて出来上がった天ぷらを皆で分け合って召し上がる。
「美味しかった。今日はありがとう」
食事中、アスカの料理を口にするごとに井氷鹿は目をパチパチさせていた。
アスカの料理を気に入ったらしい。とても満足げだった。
「じゃあ、気をつけてね!」
「また会おーね!」
「うん、バイバイ」
玄関の扉を開いて、井氷鹿は別れた。
締まった後、「また会えたらいいね」とアスカに口にしていたヒバリ。
翌朝の通勤途中、凍りついた井氷鹿を見つけ、再会を果たしたなんて言えない。
氷を溶かすのに手こずり、その日、アスカはギュウギュウの満員電車に見舞われることとなった。
◇◇◇
「あーあ、俺もアスカみたいに仕事ができる人だったらなあ。こうも残業しないで仕事終わらせて。帰れただろうになー」
「羨ましい限りですよねホント」
その日、篠木と田中さんは残業のため会社に残っていた。
マーケティング部は企業の商品開発から製造、販売までを総括している組織だ。
商品開発部のアスカとは仕事内容の差が激しい。各部署から集計したものを元にデータを作るという、根気が要の部署だ。
「東京の夜景はデートに最適ですよね。でも、その肝心の夜景は俺たちの残業からできてるって! 俺も東京の夜景を彩る側じゃなくて、彼女と夜景を見て回る側に一度なってみたいもんですよ!」
篠木は異性にモテない。
生まれてから一度たりとも異性と付き合ったことがなかった。
恋愛に関しては息を吐くように愚痴が出る。
「お酒の飲みすぎですよ、ちょっとは仕事に集中しましょう」
「そうですよねぇ……妻子持ちは羨ましい」
「妻がいても私は尻に敷かれてるだけですよ、いいもなにも……あれ?」
パスウゥゥン。
突如、室内の電気が一律に消え去った。
この会社には、長時間残業を防ぐための強制送電停止システムは設置されていない。単純にブレーカーが落ちたようだ。
だが、ここから見える街景色には先ほどと変わらず光が灯っていた。
「あんれ、停電?」
「それもここだけ……。イタズラでしょうか?」
「おーい、警備いーん」
その後、真っ暗なオフィスで叫び声が響いた。
「誰だッ? 一体何の声だ!?」
叫び声を聞きつけてやって来た、初老の警備員は懐中電灯を片手に言い放った。警棒を構えて辺りを見回す。
…………。
…………。
…………。
オフィスに人影はない。
既に篠木と田中さんは姿を消した後だった。
そして、偶然そこに足を踏み入れてしまった彼も。その後、同じく叫び声を聞きつけてやって来た警備員四人も姿を消した。
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