【新装版】Baroque ‐家出王女は藍玉を巻き込む‐

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

姫様の華麗な逃走

「サラや、お前の結婚が決まったよ」


『結婚』


 それは乙女の憧れ。生涯一度のビッグイベント。自分が主役の華々しい日。


 夢見る乙女ならば、聞いただけで心が浮き立つような言葉。


「お相手はアクアエリアの第二王子、ハイトリーリン・ミスト・フレイシス・リヴェルト・アクアエリア殿下だ。第二王子と言っても王位継承権を持つ王子。お前にとって不足はあるまい」


 おまけにお相手が王位継承権を持つ王子ときた。


 これはもう、夢見る乙女の結婚としてパーフェクトな案件なのではないだろうか。


 ……もっとも、この言葉を聞いていたのが、ただの『夢見る乙女』であったのならば、という話なのだが。


「さて、お前に似合うウエディングドレスを作らせなければなるまいな。まったく……お前ときたら胸はないわ、尻はないわの色気皆無体型で」

「お断りさせていただきます」


 軽くセクハラ発言をしながら、あれやこれやと早くもドレスのカタログをめくっていた王は、娘の発言に固まった。手の中からバサバサッとドレスカタログが落ちていく。


「……サラや。もう一度言ってはくれぬかね?」

「お断りさせていただきます」

「何をだね?」

「この流れから『結婚』以外の単語をひねり出せたとしたら、お父様の頭の中も随分とお花畑ね。譲位を考えなければならないお年頃かしら?」

「わしがセクハラ発言をしたからか?」

「どうしてそうなるのですか」

「ではウエディングドレスは白にしてほしいなぁ、と妄想しておったからか?」

「そんなことを妄想していたのですか?」

「ドレスでなくてもいいのだぞ? 東の方の衣装にあるシロムクでも……」

「ですからっ!」


 ついにしびれを切らした娘は、細い腰に両手をあてると声を荒げた。


「私は結婚そのものに反対だと言っているのです! ちなみに私の胸とお尻に脂肪がついていないのは、全体的に細いからです! 全体的に細いのです! 胸とお尻にだけお肉がないわけではありません!」

「なぜ反対なのだっ!? 肉がないならば、たくさん食べて肉を付ければいいではないか!」

「お父様に勝手に決められて押しつけられた結婚を、すんなり受け入れられるとでも思っているのですかっ!? 食べてもお肉が付かないから困っているのではありませんか!」


 もはや何について言い争っているのか分からない状態だが、当人達は至って大真面目だ。そのことを分かっている衛兵を始めとした臣下達は、今日も神妙な顔をして王と一人娘のやり取りに耳を澄ます。


 こんなくだらない言い合いを真剣にしていられるということは、親子関係が良好で国が平和である証拠だ。微笑ましいことではないか。


「昔っからお父様の言葉には振り回されてきたけれど、もうたくさん!」


 だが次の王女の言葉には、臣下達も平静を保ってはいられなかった。


「家出してやるわっ!!」


 まさかの姫、家出宣言。


『家出ではなく城出では?』とツッコミを入れた者がいたかどうかは別として。


「ま、待て、サラ! 政略結婚は王族としての義務であって、決して自分の好きなようにできるものでは……って少しは聞く素振りを見せなさい! サラァッ!!」


 必死に説得しようとする王を放置して姫はスタスタと扉に向かって歩いていく。その歩き方は素早い上に力強く、一国の王女の歩みと言うにはいささか勇ましすぎた。いっそ清々しいほどに、王の言葉なんて聞いていない。


「待ちなさい! お父さんの言葉くらい聞きなさい! 皆の衆、サラをここから出すでない!」


 対する国王は混乱しすぎて言葉遣いからしておかしくなっていた。娘との器の差が出た結果とも言えるし、キレた側とキレられた側の違いであるとも言える。


 だがそれも仕方がないと言えば仕方がない。場にいる人間は皆、キレた当人である姫を除いて全員がまさかの『姫・家出宣言』に混乱していた。


「姫っ!」

「姫様っ!」

「サラ様っ!」

「家出などおやめくださいっ!」

「思い留まってくださいっ!」

「無謀ですからっ!」

「きっと幸せになれますってっ!」


 次々と言葉が降ってくるが、サラはどの言葉も綺麗に無視した。歩みを進めるサラを阻もうと衛兵達がワラワラと扉の前に集結し始めるが、それでもサラの足は止まらない。キッと不機嫌そうに眉が吊り上がっただけだ。『フローライトのバロックパール』と讃えられる美貌に険が宿ったせいでサラがまとう迫力が三倍ほど増す。


「ひ~め~さ~ま~っ!」


 いつにない迫力に屈強な衛兵達が震え上がる。


 その瞬間、どこからともなく聞こえてきた微かな声にサラの足がピタリと止まった。


「姫様ぁ~っ! どこにおられるのですかぁ〜っ!?」


 それを好機と見た臣下達はサラを止めるべく足を前に踏み出そうとする。


 だが謁見の間にいた誰が動くよりも、その場で肩幅に足を開き、スゥッと深く息を吸い込んだサラが鋭く叫ぶ方が早かった。


「キャサリンッ!!」


『本当にこれは王女が上げている声なのだろうか』と疑いたくなる大音声が臣下達の体を突き抜けた。見事な腹式発生を讃えるかのようにビリビリと窓が震える。軍人の雄叫びよりも響く声に打たれたせいで何人かが耳を押さえたまま昏倒した。


「私はここよっ! キャサリンッ!!」

「姫様~っ!」


 そしてそれを上回る攻撃は、衛兵達の背後から突如として降り注いだ。


「……は?」


 振り返った衛兵達の目に映ったのは、自分達が背にしていた謁見の間の扉をぶち破って降ってくる巨大なハンマーだった。


「へぶぅっ!!」


 扉とハンマーに潰された衛兵達が苦しそうに悲鳴を上げる。何事だと振り返って構えた残りの兵達も、次の一撃で見事に吹き飛ばされた。


「な……っ、何者だっ!?」


 その様を玉座から見た王は、飛び上がらんばかりに驚いた。実際問題玉座から数ミリ体が浮いていたのだが、それを目敏めざとく見ていた人間はこの空間にはいない。


「ひ……姫様…っ!」


 王族二人の視線が集まる中、扉のなれの果ての上にスタンッと着地したのは、王宮メイドのお仕着せを纏った可憐な娘だった。おどおどと気弱そうに周りを見回す娘の手には、娘の体より数倍大きなハンマーが握られている。どうやら扉を突き破り、衛兵を一掃したのは彼女であったらしい。


「ひ……姫様の声が、この辺りから聞こえたような気がしたのですが………」

「ここにいるわよ。キャサリン」


 サラは満足そうな笑みをたたえて、自分付きのメイドの名を呼ぶ。その声に反応して振り返ったキャサリンの顔がぱっと輝いた。


「姫様っ! こちらにおられたのですねっ」


 笑顔のままキャサリンが駆け寄ってくる。彼女が軽快に引きずる巨大ハンマーがゴンゴンゴンッと鈍い破壊音を立てているのだが、キャサリンもサラも全く気にしていない。巨大ハンマーが跳ねることによって叩かれた石床がバキンゴキンとめくれていくのだが、気にしていてはいけない。


「陛下に謁見なさると聞きましたよ。お召し替えをなさいませんと……。そうだっ! これを機に新しいドレスをおろしましょう! この間届けられた、朱色のドレスがいいと思います。今盛りのフィロセフィーの花にぴったりですもの。髪は飾りを少なくして、フィロセフィーの生花を飾りましょう。きっと姫様の御髪おぐしに映えますわ!」

「あ~……キャサリン、あのね?」


 状況にまったくそぐわず、サラに駆け寄ったキャサリンは夢見る少女を絵に描いたような口調で言葉を紡ぐ。


 そんなキャサリンに現実を見せるのは忍びない。ただ見せないと事態が進まないのも事実なので、サラは思い切って現実を伝えることにした。


「今、まさにお父様の前にいるんだけど……」

「え?」


 キャサリンはグリンッとサラが指差す方向へ顔を向けた。そこにいるのは、玉座の上で固まっているフローライト王である。


 キャサリンが登場してから、一度も注意を向けていない、フローライト王。


 これでもこの国の王で、国民の敬愛を一身に受ける陛下であり、サラの実父でもある、フローライト王。


 つまりここはすでにフローライト王の御前であり、キャサリンはその場に巨大ハンマーを片手に乱入していて、あまつさえフローライト王の存在に気付いていなかった、ということ。


 その事実を認識したキャサリンは一瞬で石化した。ものの見事に石化した。ピシッとかいう音が聞こえたような気がしたが、大丈夫なのだろうか。


「いやぁぁぁぁぁあああああああああっ!!」


 いや、全然大丈夫ではなかった。


 頭を抱えたキャサリンが絶叫を上げる。キーンッと耳鳴りが響くほどの大音声で悲鳴を上げたキャサリンは、迷うことなく己の頭上に巨大なハンマーを振り上げた。


「ちょっ……キャサリンッ!? 何するつもりなのっ!?」

「こんな不敬な真似をするなんてっ! 死んでお詫びしますっ!」

「いや、そこまでしなくても……」


 その剣幕に思わずフローライト王まで説得に参加する。


 だが元々存在感が薄い王が参戦したところで効果が上がるわけもなく。


「消えろっ!! 自分んんん─────っ!!」


 頭上にハンマーを振り上げたキャサリンは一切躊躇ためらうことなくハンマーから手を離した。


「っ、させないっ!」


 反射的にサラは駆け出していた。重たい王宮用のドレスを物ともせずキャサリンに突進し、タックルを喰らわせるように抱きつく。予想していなかった衝撃によろけたキャサリンは、体勢を崩して前へ倒れ込んだ。その上に重なりあって倒れ込んだサラはさらに飛び込んだ勢いを利用して前へ転がっていく。その間、しっかりキャサリンを抱き込んで一緒に連れていくことも忘れない。


「よっ……と!」


 ズドーンッと重い音が背後で響き渡った時、サラとキャサリンは玉座に続く階段のすぐ下にいた。豪奢なドレスがクッションになってくれたおかげで目立ったケガもない。


「おぉっ! さすが我が娘っ!」


 思わず状況を忘れて『10.0』と書かれた札を掲げるフローライト王。


 だがサラはそんな物に視線を向けることさえしない。


「ちょっとキャサリン! キャサリンったらっ!」


 目を回しているキャサリンを揺さぶりながらサラは叫ぶ。


「起きてっ! 行くわよっ!」

「ぽ……ぽぇ~? ど、どこへですかぁ~?」

「もちろんついてきてくれるわよねっ!?」

「姫様が行くのならば~、冥府の底へでも〜、お供いたしますぅ~」

「よしっ、行くわよっ!」


 サラはキャサリンを肩に担ぎ上げると立ち上がった。


 そのまま相変わらず王女とは思えない身のこなしでキャサリンがぶち破った扉へ向かって突進していく。


「サ……サラッ! 待ちなさいっ!!」

「ひ……姫様っ!? 一体何を……っ」

「家出よっ!」

「えええええええええっ!?」


 やっとキャサリンが我に返るが、時すでに遅し。




 フローライト王の娘、アヴァルウォフリージア・サルティ・ヴォ・フローライトは、こうして堂々と家出したのであった。

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