「……私の名前は、エルザ・バレシュタイン。リーフェさんがおっしゃる通り、私の母は先のボルカヴィラ王室の姫で、現王の姉にあたるそうです」

「その事、君は前々から知って?」

「いいえ。知ったのはひと月ほど前……母が亡くなる直前のことです」


 エルザは淡々と語ると腕を首の後ろに回し、首に掛かった鎖の留め具を外した。シャラリと胸元に落ちた首飾りを片手で受け止めたエルザは、外した首飾りをそっと机の上に置く。


今際いまわきわの母に、この首飾りを託されました。この首飾りがボルカヴィラ王室至宝『炎天の狼ヴィヴィアス・ヴィル・ボルカヴィラ』であることも、母が王家の一員であったことも、その時に説明されました」


 エルザの手の下から現れたのは、金の台座にめ込まれた大粒の紅玉ルビーだった。


 力強い金細工に包み込まれた紅玉ルビーは、燃え上がる炎を内包しているかのように鮮やかで力強い。


 まさに『火の国』の至宝に相応しい豪華絢爛な一品だった。どこもかしこも細いエルザでは首に掛けているだけでさぞかし重かったことだろう。


「早くに亡くした父が近衛騎士団団長だったことも、父が母の命を守るために母とともに城から落ち延びることを選んだということも、父の死因が母と私を守るために戦って敵に討たれたからだということも、……そもそも母が元々ボルカヴィラの王位第一継承権者であったことも、実の弟に策謀にかけられて命からがら逃げ出さなければならなくなったことも、……本当に、急に伝えられて……」


 エルザの語尾が涙で揺れた。両手で顔を覆ったエルザは肩を震わせながらしゃくりあげる。


 だがそれでも事情を語るエルザの声は止まらなかった。


「母は、本当は、伝えるつもりはなくて……そのまま、秘密を抱えて、ひとり逝くつもりだったと……!」


 エルザが幼少の頃に父は出先で亡くなった。それからは母とエルザ、二人きりで生きてきた。


 ボルカヴィラの片田舎で二人、母が代筆や刺繍で生計を立て、エルザも働ける年頃になると市場の売り子や食堂の給仕などをして金子を稼いだ。


 親子二人、つつましやかながらも幸せに生きてきた。


 子供の目から見ても、母はその辺りにいる女性とはまとう雰囲気が違う人だった。


 その違いをエルザは上手く言葉にはできなかったが、ただ『容姿が整っている』『所作がどことなく美しい』だけではない何かがあったことは確かだ。


 その理由を母が語ることはなかったし、エルザも問うことはなかった。


 片田舎にいたら知る余地のない知識を母がどこで身に付けたのかも、母から身内の話や子供の頃の話を聞いたことがなかったことも、エルザは特に気にしていなかった。


 母はエルザとの慎ましやかな生活に満足しているように見えた。少なくとも、エルザの目にはそう見えていた。


 エルザも、母の来歴なんて全然気にならないくらい、母との生活に満たされていた。


 そんな日々が変わったのは、母が病がちになる数日ほど前のこと。


 エルザの耳に、不意にその場にはいない誰かの声が聞こえるようになってからだった。


「上品な、女性の声なんです。私に語りかけてくる時もあれば、独り言みたいな時も、笑い声のように聞こえる時もあって」


 声が聞こえた時に周囲を見回してみても、声の主だと思われるような人影はどこにもなかった。またその声の主がキョロキョロと周囲を見回すエルザをからかうような声を上げるのだ。


 自分の頭がおかしくなったのだろうかと、エルザは母に相談した。


 その時母が浮かべた驚愕の表情を、エルザはいまだに覚えている。きっと一生忘れることはないだろう。


「……後になって、理解しました。……あれはボルカヴィラの国守くにもりの神『炎狼ヴィヴィアス』の声なんですね」


 一瞬で顔から血の気を失った母は、エルザの両肩を掴んで詰問した。


 本当に聞こえているのかと。その声は間違いなく上品な妙齢の女性の声なのかと。


 何度も何度も確かめて、それでもエルザが首を横に振らないのを見た母は、絶対にこのことを母以外に言ってはいけないと釘を刺すとその日は話題を切り上げた。


 それからだ。母が何事かを考え込むようになったのは。


「しばらくして、母は寝込むようになりました。……私のせいだと思いました。私が、不思議な声を、聞くようになってしまったから」


 そうではない、と母が全てを説明してくれたのは、泣きながら看病を続けるエルザの心を晴らすためだったのだろうか。


 もしくはこの時点で既に母は、己の最期を覚っていたのか。


「母が本来ならばボルカヴィラの女王になるべき人物であったこと。『炎狼』の加護を得ていて、『炎狼』と言葉を交わせる間柄にあったこと。だというのに王位を狙っていた実の弟の謀略にはめられて、命を危機にさらされたこと。弟の思惑を潰すために『炎天の狼』を持ち出して亡命したこと。……その弟が我欲を貫き、己に都合がいいように儀式の様式を変え、至宝を持たずとも王になれるよう、すべてを改変してしまったこと」

「なんてこと……」


 今までずっとエルザの言葉に耳を傾けていたサラが小さく言葉を零した。思わず視線を向ければ、サラは両手で口元を押さえて小さく震えている。


「至宝がなければ、王位は継承できないわ。王位継承は、国守の神との契約の更新。人間の権力への欲と都合でどうこうできるものじゃない」


 サラの言う通りだ。


 王は、国守の神によって選ばれる。王は権力の頂点ではなく、国と神の奴隷だ。


 王当人か側近達か、とにかく画策した当人が誰であるかに関わらず、人間側が神の選択を曲げて我欲を通せば国と王家にわざわいをもたらすことになる。


「現にフローライトでは、古い歴史の中に至宝を用いることなく王位を強奪しようとした王がいるの。伝説では王位簒奪さんだつは成功したものの、数ヶ月で『詞繰ライティーディ』の力をすべて失い、命を削ってあがなうことになったというわ。その王は己の蛮行を反省して、神の意志の下正しい王を選び直し、至宝を捧げ直したから、寿命は大幅に削れたけれど死だけは何とかまぬがれたって」

「そんな話が」


 感心したように呟いた瞬間、ツンッと袖を引かれた。


 対面に座す女性陣に気付かれないようにリーフェを流し見れば、リーフェもリーフェで視線だけをハイトに向けている。そこに含まれた意図に気付いたハイトは小さく息をくと背もたれに体を預けた。


 ──『つられて余計な事を口に出すんじゃない』……ってか?


 サラは今サラリと語っていたが、こういった話は本来、王家に近しい家柄の者しか知らない話だ。


 いくら遠い時代の王の話とはいえ、何代過ぎようが恥は恥。いましめとして後世に語り継ぐにしても、語り継がれる家は限定されている。


 恐らくリーフェは、自分さえ知らないフローライト王家の機密を握っていたサラに、ある意味警戒を強めたのだろう。


 ──今も王家に近しい関係を維持してる家の姫君なら、ぜひともアヴァルウォフリージア姫についていてみたいんだがな。


 一瞬私用が首をもたげたが、もちろんそんなことを考えている場合ではない。


 誰に覚られることもなく、ハイトはさっさと思考を切り替えた。


「母も、王がそこまでやってしまうとはさすがに思っていなかったそうです。『炎狼』は怒っていると、言っていました。きっと王にはもう『焔繰ボルカヴィーディ』の力も、命そのものも、残っていないだろうって」


 それで王の命がついえるならば、それでいい。今の王家が滅亡するなら、それでいい。それが『炎狼』の意志であるならば、現王家の血を引く誰かのところに『炎狼』の次の指名が降りてもいい。


 母は、そう思っていたと語った。


 だが、その事情が変わった。


「……だからこそ、命の終わりが見えた今、己の命と己の玉座を長らえさせるために、王とその一派は何が何でもこの至宝を取り戻そうとするはずだって」


 エルザが、姿なきモノの声を聞いた。母がずっと聞いていた声と、同じ声を。『炎狼』の意志は、次代にエルザを指名した。


 王とその実子である王太子は、自分達に『炎狼』の声が聞えていない時点で『炎狼』が他の誰かを正統王位後継者に指名していると気付いたはずだ。そして現状、直系に近い血を引いていて王家が存在を把握していない人間はエルザの母から派生する血統しかない。


 長く民の不信感を権力と恐怖で押さえつけてきた王だが、その押さえつけは王の衰弱とともにジワジワと反発に変わりつつあった。王太子に玉座が移る時は決して平穏無事とはいかないと今から予想がついている。


 だから今、当代ボルカヴィラ王は動いたのだ。


「逃げなさい、と、母は言ってくれました。命が危ないならば、こんな物捨ててもいいと。病床の母も、いわくつきの宝も、全部。私の命が、何よりも大切なんだから、と」


 だがエルザには、そのどちらもができなかった。


 母が息を引き取る瞬間まで母の手を取り、母の葬儀を済ませた後、形見となった首飾りを手に住んでいた村を出た。


 かつての家が何者かに荒らされた後、火をつけられて跡形もなく燃え尽きたという話は、村を出て最初に身を寄せた町で聞いた。


 母が言っていた通り、王の手先がやってきたのだと感じたエルザは、以降日雇いの仕事で食い繋ぎながら一人で旅を続けてきた。行き先もない、あてどもない旅だ。


「ボルカヴィラ王族の血を引いていようとも、私はただの片田舎の村娘です。こんなに大それた宝を、私のような人間が持っていていいはずがないということも、本当は分かっています。……ですが」


 エルザは机の上に置いた首飾りにそっと手を伸ばすと上から手を被せるように握り込んだ。その仕草はどこか宝物にすがっているようにも見える。


「この首飾りを失えば、私は簡単に殺されてしまうでしょう。首飾りを持っていない私なんて、力がないくせにこの上なく目障りな存在でしょうから」


 ──さとい。


 その発言にハイトは内心だけで感嘆していた。


 まだ十代も半ばの少女で、まつりごとや駆け引きなどとは縁がない生活を送っていたはずなのに、エルザの判断は理論的で的確だった。


 唯一の身内である母を亡くしてまだ時が経っていないというのに、こんなに理知的な判断を降して行動できるなんて並大抵のことではない。


 自分がエルザの立場に置かれたらこんなに冷静な判断ができるだろうかと、ハイトは思わず我が身を振り返る。


「それに、……私に語りかける『声』は、今の王家に戻ることを、望んではいないから」


 同時に、思った。


 ──これだけの素質があれば、肩入れするには十分。


『火の国』であるボルカヴィラと『水の国』であるアクアエリアは、建国当初からとにかく折り合いが悪かった。


 ボルカヴィラは何かと理由を付けてはアクアエリアに争いを吹っ掛けようとしてくる。


 アクアエリアの基本姿勢は『まずは何事も和平を目指した話し合いから』なのだが、とにかくボルカヴィラには言葉が通じない。


 結果、アクアエリアは過去に何度もボルカヴィラと交戦してきたし、対ボルカヴィラ政策に代々の王は頭を悩ませてきた。


 ボルカヴィラは理由がなくてもアクアエリアに突っ掛かってくるし、アクアエリアはいつだってボルカヴィラを牽制する隙を狙っている。


 ──なるほど。リーフェの狙いはここか。


 エルザの地頭の良さは今の話し振りで十分に分かった。性格も、とにかく好戦的な当代ボルカヴィラ王や王太子よりかなりマシに見える。


 ハイト達の協力でエルザを玉座に就けて恩を売り、しかるべき後見を手配して帝王学を叩き込む。


 そんなエルザがボルカヴィラで実権を握って親アクアエリア政策を進めてくれれば、ハイト達の世代では対ボルカヴィラでかなり楽ができるだろう。


 ──後はどう切り出すか、だな。


 恐らくリーフェも策の一つや二つは用意しているだろうが、この気弱そうな娘をどうやってその気にさせるべきか。


「ごめんなさい、もう一度確認させて」


 間違える訳にはいかない選択を前にハイトは気を引き締める。


 だがそんなハイトが口を開くよりも、サラがスルリと言葉を差し込む方が早かった。


「あなたには『炎狼』の声が聞こえていて、『炎狼』は今の王家には帰りたくないって言ってるのね? エルザと一緒にいたいと、はっきりと言っているのね?」


 サラの言葉にエルザは目を丸くした。説明のために語りはしたが、こんなにあっさり信じてもらえるとは思ってもいなかったのだろう。


「私の話を……信じて、くださるんですか?」


 実際問題、ハイトもアクアエリア王族として生きてきたから信じることができるだけで、その背景がなかったらエルザの言葉を信じることができたかどうかは分からない。


 王家の実態を知らない一般人が今の話を聞いたら恐らく『何を世迷言事を』と笑い飛ばすか、『頭がおかしくなったのか』と失笑するか、とにかく頭から信じることなく切り捨てただろう。


 だというのにサラは、真剣な顔でエルザの言葉に頷いた。


「信じるわ。あなたの言葉に嘘はない」


 力強く答えたサラにエルザは無防備に目を見開いた。紫水晶アメジストの瞳が涙にうるみ、溢れた雫が頬を伝っていく。


「だから、正直に教えて。……『炎狼』は、あなたとともにあることを望んでいるのね?」


 サラの真剣な問い掛けにエルザはしばらく躊躇ためらうように視線を彷徨さわよわせた。だが最後にはサラに視線を戻し、はっきりと首を縦に振る。


 そんなエルザにさらに表情を険しくしたサラは、エルザの両肩に手を置くと真正面からエルザの瞳をのぞき込んだ。


「エルザ、よく聞いて。国守の神に指名された者は、王にならなければならないの。『なれる』じゃない。『ならなきゃいけない』なの」


 サラの表情はこの上なく険しい。だが紡がれる声は柔らかかった。エルザの心に語り掛けるような声は、大地に降り注いだ雨粒がジワリと地に染み込んでいくかのような響きを持って言葉を紡ぐ。


「それに、逃げ続けてもあなたの身の安全はいつまでたっても得られないわ。たとえ今の王家が滅亡するまで逃げ切れたとしても、他の人間が空いた玉座を狙うだけ。あなたが玉座につくまで、誰かがずっとあなたを狙い続ける」

「でも、それは……私が玉座に座ったところで、何も変わらないんじゃ……」

「それが変わるんだなぁ〜」


 サラの視線を受け続けることができなくなったエルザは力なく視線を伏せる。


 そこに場にそぐわない明るい声を割り込ませたのはリーフェだった。


「王位簒奪は、国守の神への反逆だ。神と国を結び付ける王は、国守の神によって守られる。玉座に座る者が正しく神によって指名された者で、王が正しく国を治めていれば、ね?」


 サラとエルザが揃って視線を向けた先では、膝の上に両肘を突き、さらにその上にあごを置いたリーフェがほけほけと変わることなく笑っていた。


「だから当代ボルカヴィラ王が君のお母さんを計略に掛けた時も、かなり無理矢理な強行軍で色々やったらしいよ。正式に立太子やら戴冠やらされちゃったら、どれだけ野心を燃やそうとも、はかりごとを巡らせようとも、手出しは出来ないからね」


 国守の神に指名されて正統に玉座を継承した王に手を掛ければ、最悪国ごと全てが滅びる。


 王は神とこの世界を繋ぐミコのようなものなのだ。王殺しは神を最も怒らせる蛮行であると、誰もが知っている。嘘か真か、いにしえには臣下達がはかって王を殺し、神の怒りに触れて一夜で滅んだ国があったらしい。


 ただしそれは対象者が『王』であった場合に限られる。玉座を正式に次いでいない、あくまで『次期国王候補』である間、対象者は神の絶対的な加護の外にいる。


 だから各国の玉座を巡る争いは、次期国王がまだ『候補者』である時点が一番荒れる。


 王が即位してしまえば手出しはできない。だがそれよりも前なら殺しても神の怒りには触れない。さらに言うならば託宣が誰にも降りていない時点で将来的に不都合な存在は消してしまえばいい。いくら神に愛されていようが、死んでしまったら神は生き残りに指名を鞍替えするしかないのだから。


「つまり、とりあえず君が正式に玉座に就くのが、手っ取り早く身の安全を手に入れる唯一の方法ってわけ」


 リーフェの言葉にエルザは分かりやすく青ざめた。


 当然だ。今まで何も知らず片田舎で普通に村娘として生きてきたのに、天涯孤独になった途端、王の手先に命を狙われ、果ては玉座を狙えと言われているのだから。


「で、でも……。私が、そんな主張をしたところで……」

「誰も信じないって?」


 うつむいたエルザがコクリと小さく頷く。


 そんなエルザの姿にリーフェが内心で舌舐めずりをしている様がハイトには手に取るように分かった。


「だって、私……王宮に知り合いなんていません。私の素性を知っている人は、どこにもいない。主張してみたところで、誰も信じてなんか……」

「いるじゃない? 最強の証言者」


 ここまで誘導されたら、もう誰も逃げられない。


「証言者?」

「そ! 君には『炎狼』がいるだろう?」


 弁舌をってアクアエリア第二王子を支えるロベルリン伯は、主に献上する獲物を決して逃さないのだから。


「なるべく人が集まる場所で君が『炎狼』を呼び出せば、君の素性は誰にでも理解出来る。そして人を集める方法も、同時に君は持っている」


 ピッ! とリーフェは左手の人差し指をエルザに向けた。瞳に計略を滲ませ、しかしエルザ達に見えている口元はあくまで穏やかに笑って。


「そう、君は今、ボルカヴィラ王室のお尋ね者だ。人目に触れる所に姿を現せば、勝手に騒ぎが起こる。騒ぎが起きれば勝手に人は集まるものだよ。さっきみたいにね」


 その言葉にエルザが震えを大きくした。


 ──まるで猫に追い詰められた鼠だ。


 一個人としてのハイトは、その様を哀れだと思う。だがアクアエリア第二王子としてのハイトは、そんなエルザを冷静に観察している。巧妙に逃げ道を塞ぎ、行く先を誘導するリーフェを止める気はないし、それがこの場で最善の道だとも思っている。


 ──どこまで行っても中途半端だな、俺は。


 不意に、そんな風にわずかにでも心を揺らしてしまう自分が誰よりも偽善者に思えて、わずかな嫌悪が胸の底を焦がしたような気がした。


「進める道は一つだけ。先は見えていて、手段もある」


 ──今は、こんな感情に構っている場合じゃない。


 リーフェが最後の一手の呼吸を計っているかたわらで、ハイトは静かにまぶたを降ろした。


 ──割り切れ。何がアクアエリアにとって最善であるかだけを考えろ。『ハイト』としての心は、今はいらない。


「……あなた方は」


 覚悟を固めて、瞼を開く。


 エルザが震えながらも声を上げたのは、しくも同じ瞬間タイミングだった。


「ただの、通りすがりなのに、……私に、こんなことを勧めて……なぜ、なのですか……?」

「最初に言っただろう? 『君にとっての利は、僕達にとっても利だ』って」


 エルザの問いに答えるリーフェに淀みはなかった。いっそ清々しいほどあっさりとリーフェは自分達に下心があることを認めてしまう。


「君が玉座に座ってくれると、僕達には利があるんだ。理由は説明出来ないけれど。そこは信頼してくれていい」


 策略家の笑みを、今度のリーフェは隠さなかった。下心を隠さず笑うリーフェを見詰めたエルザの体が、最後に大きく震えて止まる。


「利害関係が一致するからこそ、僕達は君を裏切らない。下手に情を理由にしない所、逆に信用出来ない?」


 初めて正面から真っ直ぐにリーフェを見詰めたエルザの瞳には、今までになかった光が宿っていた。本性のままに策略を巡らせている時のリーフェの瞳に宿る、深くて鋭い光だ。


 そんなエルザに向かって、リーフェはもう一度人差し指を向けた。


「勿論、僕達は最後まで手伝うよ? 何せ僕達の利は、君が確実に即位して国政を握ってくれないと生まれないんだ。策も、力も、僕達に出来るだけの支援をしてあげる」

「……そうやって私を玉座に座らせた後、あなた達は私に何を望むのですか?」

「さぁねぇ? 何だろ?」


 軽くはぐらかしたリーフェは一つ伸びをするとそのまま洋椅子ソファーの背に体を投げ出した。ただ視線はエルザに据えたまま一瞬たりともらさない。


「ただ、君に選択肢がないのも事実なんじゃない?」


 リーフェの言葉にエルザの方が視線を伏せた。弱気から来る逃げではなく、思考の淵に沈むためだというのが表情で分かる。


 もはやエルザに玉座から逃げるという選択肢は用意されていない。命を長らえさせるためには玉座に座るしか方法がないのだから。そしてその道はリーフェを始めとしたアクアエリア御一行様の手助けなしでは進むことが難しい。エルザならばそのことは分かっているはずだ。


 しばらく沈思したエルザは、最後にサラに視線を向けた。リーフェには強い瞳を向けたエルザだが、サラを見詰める瞳には迷いやすがるような色が見える。


 そんな視線にサラは強く頷いてみせた。


「私も協力するわ。こんな話を聞いて、黙って『はい、さよなら』なんて言えないもの」


 ね、いいでしょ? とサラはリーフェを振り返った。そんなサラにもリーフェは喰えない笑みを向ける。どうやらリーフェの中ではサラの同行申出もうしでも計算に入っていたらしい。


勿論もちろんさ! 男三人の中に年頃の娘さん一人を同行させるなんて酷だもの」


 そんな二人のやり取りにエルザの肩からホッと力が抜けた。どうやらエルザはサラに心を開いたらしい。


 逆にキャサリンはサラの言葉に身を強張らせたようだった。だがそれはほんの一瞬で、キャサリンはすぐに表情を取り繕うと気配を消す。


 ──そりゃあ護衛官としては、自ら危険に飛び込むような真似はして欲しくないわな。


 その変化をハイトはそう結論付けた。


 その瞬間、パンッとリーフェが胸の前で手を打ち鳴らす。


「さぁて! じゃあ、話は纏まったって事でいいかな?」


 そう言いながらリーフェはそれとなくハイトに視線を寄越す。ここまで独断で押し進めておいて、この段階でハイトの了承を求めているらしい。


 ──毎度の事ながら時節タイミングが遅ぇっつーの。


 ハイトは呆れながらもリーフェにだけ分かるように洋椅子ソファーの肘掛けを指先で一度だけ叩いた。『同意』や『認可』という『肯定』を示す符丁サインを見て取ったリーフェは、口元の笑みを深めると対面に座る女性陣へ視線を据え直す。


 そんなリーフェに気付いた訳ではないだろうが、エルザはスクッと立ち上がると深々と頭を下げた。


「皆様、どうか私に力を貸してください。お願い致します」

「もちろんよ! 最初に首を突っ込んだのはこっちだもの」


 真っ先にエルザの言葉に答えたのはサラだった。その琥珀の瞳は、最初に目にした時から変わらず純粋な好意と正義の光で煌めいている。


 それが少し、今のハイトにはまぶしかった。


「……そうだな」


 そんな感傷じみた感情さえ、偽善だと分かってはいるけれども。


「こちらから首を突っ込んだ責任は、きちんと果たすから安心して欲しい」


 余計な心に蓋をして、ハイトは口元に穏やかに笑みを広げてみせた。リーフェ共々警戒されるかと思ったが、エルザは存外安心したような顔でハイトのことを見詰めてくれる。どうやらエルザはリーフェ個人の底知れなさを感知しておびえていたらしい。


「それじゃあ一致団結した所で、最初の作戦に移ろっか」


 その様子に『必要な事だったとはいえ、ちょっとやり過ぎだったんじゃないか?』とあきれの視線を投げるハイトの横で、リーフェは変わることなくマイペースに話を移した。そんなリーフェにサラが首をかしげる。


「作戦?」

「そ! 現状何が問題かって、この宿がもうガッツリ包囲されちゃってる事だと思うんだよね」

「そういえば、そんなことを言っていたわね……」

「大丈夫! ちゃんと策はあるから!」


 サラが考え込む様子をみせたが、リーフェは朗らかに返すと首だけで後ろを振り返ってヴォルトを見上げた。


「ね、ヴォルト」

「お前な……。軽く言いやがったけど、ほんっと大変だったんだからな」

「いやぁ、それくらい出来るでしょ、ヴォルトなら」


 ハイトもつられるようにヴォルトを見遣れば、ヴォルトは分かりやすく渋面になっていた。どうやらリーフェはハイトが知らない間にヴォルトに何やら無理難題を吹っ掛けていたらしい。


「こんな状況になる事くらい、ちょっと考えれば分かるもの。事前に対策を練っておくくらい、当然だよね!」


 リーフェはほけほけと笑うと、もう一度パンッと手を打ち鳴らした。


「さぁて紳士淑女の皆様方、手に手を取り合って自由への逃避行を始めよっか」

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