「なっ!?」

「はぁっ!?」

「ブッ!?」

「サラ様っ!?」


 その衝撃に今度はハイト達が耐えきれなかった。


 ハイトとヴォルトの裏返った声が響き、サラに至っては飲みかけの紅茶を噴出してせ返っている。


 そんなサラの背中をさすろうとキャサリンが手を伸ばしたが、キャサリンもキャサリンで気が動転しているのか揺れるサラの背中とキャサリンの手の息が合わず、結果容赦なくキャサリンの手はバシバシとサラの背中を叩く。


「サラ様っ!? 大丈夫ですかっ!?」

「ゴッ!? ゲフッ! ゴホッゴホゴホッ!!」

「ち……違いますっ! そんな、私は……っ!」


 その混乱の中、ようやく娘が顔を上げた。激しく動揺しながらも上げられた反論の声は細く、サラとキャサリンの騒動にき消されていく。


「じゃあ、貴女あなたの御母様が王家の人間だったとか」


 だが変わらずおっとりと笑い続けるリーフェはその声を聞き逃さなかったし、娘に逃げるすきも与えなかった。天然の皮の下にうずもれている牙に早くも気付いたのか、娘はリーフェを見詰めたままカタカタと体を震わせる。


「どういう事だ、リーフェ」


 娘の身なりから言っても、まとう雰囲気から言っても、とてもじゃないが王家にゆかりがある人間には思えない。肌や髪の色艶や服装という目に見える点からの判断というよりも、所作や振る舞い、雰囲気からの判断だ。


 その人が纏う空気というものは、多かれ少なかれその人が育った環境の影響を受ける。完璧に着飾ってみても庶民が貴族の雰囲気を纏うことはできないし、また貴族が庶民の雰囲気を纏うこともできない。どうしても立ち居振る舞い、何気ない所作や視線の配り方に生まれや育ちは出てしまうものなのだ。王族として生まれついたハイトは、そのことを身に染みてよく知っている。


 だがそれは、リーフェだって同じであるはずだ。それでもリーフェはこの娘がボルカヴィラ……北の軍事大国でアクアエリアの宿敵である国の王家にゆかりのある人間だと断言した。


 ──確信がなければ、リーフェはこんな事をしない。


 リーフェはちゃらんぽらんな天然だが、ハイトの優秀な参謀だ。自分達の利になると……さらに言えばハイトの利になると確信があったからこそ行動を起こしたに違いない。そんなリーフェをハイトはよくよく知っているし、信頼もしている。


「だってこの子が持っている首飾り、ボルカヴィラ王室の至宝『炎天の狼ヴィヴィアス・ヴィル・ボルカヴィラ』だよ」


 その信頼を、今度のリーフェは裏切らなかった。


 リーフェは娘を真っ直ぐに見詰めたまま、組んだ足の上に両手を伏せて変わらずほけほけと笑い続ける。だがどれだけ口元が穏やかに笑っていようとも眼鏡の奥に隠された瞳が全く笑っていないことにハイトは気付いていた。


「最初に違和感を覚えたのは、君に絡んでた男の言葉遣い。必死に悪ぶろうとしてたけど、それにしては言葉遣いが綺麗だったんだよね。それに、この街では聞き慣れないなまりがあった。『あ』の音に重点アクセントを置く発音は、ボルカヴィラ上流貴族の典型的な癖なんだ」


 その温度差に、娘は明らかに気付いている。娘からは穏やかに微笑むリーフェの口元しか見えていないはずなのに、蒼白になった顔と浅く繰り返される呼吸は明らかに追い詰められた獲物のそれだ。


「つまりあの無頼漢は演技で、中身はボルカヴィラの上流貴族。身体付きや立ち居振る舞いから察するに、近衛兵とかじゃないかな? ……そんな人間がわざわざこんな女の子に絡んでるって時点で、もう十分に可笑しいじゃない?」


 ──確かに、リーフェの言う通りだが……


 リーフェの言葉にハイトはあの時の光景を思い出す。


 男の言葉にボルカヴィラ上流貴族の訛りがある違和感にはハイトも気付いていた。


 何をってリーフェが相手を近衛兵だと推測したかまでは分からないが、リーフェがそう言うならばそこも確かなのだろう。


 常に天然という化けの皮で己を覆い隠し他人に内心を覚らせないリーフェは、自分が演じている分人一倍他人の演技や嘘を見抜くことに長けている。


「そんな男が娘さんから紅玉ルビーを巻き上げようとしてた訳じゃない? そういえば、風の噂で聞いたことがあったなぁと思って。十五年くらい前、ボルカヴィラ王室の姫が王家の至宝である『炎天の狼』を持って駆け落ちしたっていう話を」

「待て。そんな話、俺は知らないぞ?」

「まぁ、極秘扱いだろうからねぇ。そんな醜聞さらしちゃった日には国が終わっちゃうよ!」


 ──じゃあ何でお前はそんな話を知ってるんだ!


 リーフェは軽やかに笑ったがハイトは思わず顔を引きらせた。


 王家の姫が駆け落ち。おまけに王家の至宝を持ち出しての駆け落ちときた。それが本当であるならば、ボルカヴィラという国はすでに十五年前にということになる。


 この世界では、神から特別に愛された者が神より人智を超えた力を賜り、その力で国を開くとされている。各王家に伝わる至宝は、初代が神と契約を交わした際に国守くにもりの神となった神より賜る契約の証だ。ただの宝物ほうもつではなく、王が王たる所以を示す物、国の存在証明とも言える代物である。


 各王家に伝わる至宝は、姿形は違えど皆首飾りの形をしていると言われている。


『王が神の望みにそむいて民に我欲を敷けば宝物はみずから姿を消し、神の望みに応うる者再び現れば宝物もまたおのずから姿を現す』とうたわれる品で、至宝が王家から姿を消すということは、すなわち神が王家を見限ったことを示すとされていた。


 たとえ王家の人間が存命であろうとも、至宝に選ばれなければもはや『王家』ではないのだ。同じ理屈で王の実子であろうとも、初代から血脈によって伝えられてきた『力』が発現しなければ王族を名乗ることは許されない。


 それがこの世界にける絶対の不文律ルール


 つい数百年前まで他国にいいように扱われ続けてきた一地方が『アクアエリア』という『水の国』として独立できたのも、『シェーリン』と契約を交わして『水下のシェーリン・ハラル・アクアエリア』を下賜された王が現れたからだ。逆のことがボルカヴィラで起きていたというならば、それはたとえではなく事実として『国が終わる規模レベルの不祥事』である。


「で、『もしかしたらなぁー』なんて思って気配を探ってみたら、ちょっとやそっとじゃお目に掛かれない莫大な炎の気配があるし、案の定って感じ? 娘さんの言葉もボルカヴィラ訛りだったし、でも元王女本人だとしたら年齢が合わないから、だったら駆け落ちした王女様の娘さんかなぁーってなるじゃない? 情報さえ握ってれば、なぁんにも難しい事じゃないよね!」


 そんな敵国の『絶対他国に知られてはいけない国家機密』をあっさり暴露してみせたリーフェはキューッと唇の両端を吊り上げた。両膝の上に肘を突き、顔の前で両手を合わせたリーフェは、コテリと首を傾げると王手チェックメイトを指す。


「そんな娘さんがボルカヴィラ近衛兵に追い詰められていた。いやぁ、そんな現場、見過ごす訳にはいかないじゃない、ねぇ? 何が起きてるのか、好奇心がうずいて仕方がないよ!」


 完全に退路を断たれた娘は凍り付いたようにリーフェを見詰めたまま震え続けていた。その表情は完全にリーフェの発言が正しいことを物語っている。


 ──この娘が、先のボルカヴィラ王女の娘だったとして、だ。


 この状況とリーフェの言葉、さらにはここに至るまでの流れを思い出し、ハイトは胸の内で思考を回し始める。


 リーフェが何を目的に動いたのか。リーフェがハイトに


 ──至宝はただの宝物じゃない。神の意志が宿る神器だ。そしてボルカヴィラは、女王が立つこともある国。


 その『駆け落ちした』という王女とやらが本当にボルカヴィラ王室から『炎天の狼』を持ち出し今まで保持し続けていたというならば、国守の神がそれを容認したということに他ならない。


 至宝があるべき場所は、王の首元だ。そして至宝は己の意志で掛かる首を選ぶ。『炎天の狼』は、当代のボルカヴィラ王ではなく駆け落ちしたという王女を正統王位継承者として指名していたということだ。


 ……その首飾りが今、娘の手の中にあるということは。


「ち……違い、ます……」


 ハイトが静かに思考の淵に沈む中、娘がか細く声を上げた。


「わ……私は、そんな……お、王家にゆかり、なんて……」


 視線を向け直せば、娘は今にも倒れてしまいそうなほど血の気を失いながらも必死にリーフェの言葉を否定していた。


 ──まぁ、そうなるよな。


 相手はハイト達が王家に連なる人間と王家に縁が深い人間の集まりであることを知らない。こちらが事情を知らない人間であればシラを切り通すのが一番堅実だ。何せこちらが何を意図いとして娘を助けたのか、娘は現状一切知らされていないのだから。


 ──さて、どう切り返すべきか。


「嘘ね」


 どう言葉を積み上げれば、こちらの素性を伏せたまま娘を説得できるものか。


 そう思考を転換した瞬間、思わぬ所から声が飛んできた。


「あなたの言葉、全部嘘だわ」

「サラ?」


 スパンッと小気味良く娘の言葉を切って捨てたのは、紅茶の逆襲から喉を立て直したサラだった。


 キャサリンを片手で制し、最後にもう一度だけコホンと咳をしたサラは、威儀を正すと娘に視線を据える。


「ずっと聞いていたけれど、リーフェの言葉を否定するあなたの言葉は、みんな嘘だったわ。つまり逆説的に考えると、あなたはボルカヴィラ王室の縁者ということになる」


 娘を見据える琥珀の瞳には、強い輝きをともなう理知的な光が宿っていた。どうやらサラはこの判断に絶対の自信があるらしい。


 ──どういうことだ?


 援護射撃はありがたい。だがサラが何を以ってそう判断したのかも分からない。


「隠し通そうとしても無駄ですよ」


 ハイトの困惑を覚った訳ではないだろうが、今度はキャサリンが口を開いた。


「サラ様に嘘は通じません。……リーフェ様が気配を判別することができることと同様に、サラ様は嘘を見抜くことができるのですから」


 最後にチラリとキャサリンの視線がハイトに向かって飛ぶ。どうやら今の発言は追加の援護射撃というよりもハイト達への説明のために紡がれた言葉であったらしい。


 ──……どういうことだ?


 その言葉にハイトは思わず先程も呟いた言葉を再び胸中で呟いた。


 リーフェの気配探知は『他の物に染まりやすい』という水の特性……アクアエリア王族の血に宿る『水繰アクアリーディ』の力を利用したものだ。それと同じ理屈で嘘を見抜くことができる、とキャサリンが主張しているのだとしたら。


 ──嘘を見抜く……単純に『言葉に関わる力』と考えるなら、フローライト王族の『詞繰ライティーディ』だが……


 そこまで考えてハイトは思わず己の思考に首を横へ振った。


 ──あり得ないだろ。フローライトだぞ?


 一般国民は三種類以上の言葉を操ることが出来て当たり前、王族に至っては世界中の言語を操ることができるという知識大国フローライト。そんな国を治める王族達は学が高いことに誇りを持っているせいか異常に気位が高く、嘘か本当か社交の場で下手に絡んできた他国の王族を鼻であしらったという噂まであるらしい。


 ──そんな所の姫が、こんな下町で、こんな質素な格好して、お付きの女中メイド一人だけ連れて出歩いてるなんて……天地が引っくり返ってもねぇだろ、そんなこと。


 そもそも、だ。


 ──その前に今のリーフェの姿を見てこいつがアクアエリア王族だって見抜ける人間がいる訳がない……!!


 一応後ろで一つにくくられているが、それでも気侭きままに跳ね回るボサボサの黒髪に、瞳を隠すために掛けている分厚い瓶底眼鏡。


 ハイト達と同じように旅装に身を包んでいるのにリーフェだけがなぜか浮浪者じみて見えるのは、間違いなくリーフェが纏う胡散臭い雰囲気のせいだ。


 意図してなのかはたまたいつもの天然が発動しているためなのか、とにかく挙措きょそに王族としての気品やら何やらがにじむこともないし、発言を振り返ってみてもこの短時間でリーフェがヘマを踏んだとは思えない。


 その辺りだけはリーフェに抜かりはないはずだ。


 ──やっぱり俺の考えすぎだな! うん!


「別に僕達、君を害しようと思って声を掛けた訳じゃないんだよ? いて言うならば好奇心。力になれると思うし?」


 ハイトが結論を得るのとリーフェが詰めの一手を指すのはほぼ同時だった。


「というわけで素直に事情を教えてくれないかな? ……大丈夫、君にとっての利は、僕達にとっても利だ」


 リーフェの最後の言葉に、娘の細い肩が一際大きく揺れる。震えながら何かを堪えるように顔を伏せた娘は、引きれた呼吸を数回繰り返してから細く蚊の鳴くような声を上げた。


「……私に」


 一言漏れた声は、そこで一度途切れた。


 深く息を吸う音が大きく響き、今度はゆっくりと顔が上げられる。


「もう、逃げ場はないのですね」


 その瞬間、娘が纏う空気がわずかにだが変わった。折れそうなほど細い体はまだ震えているが、何かを諦めて吹っ切った顔には、わずかにだが覚悟のようなものが垣間見える。


 ──……なるほど?


 娘は、確かに王族の血を引いているのだろう。


 そんな強さを感じさせる、決然とした顔だった。


「そうだね。今仮に僕達を振り切れたとしても、この宿は既に元から君を追ってた連中に囲まれてる。僕が把握出来ているだけでざっと十人くらい? そんなもんだよね? ヴォルト」

「まぁ、ざっと言うとな」


 リーフェの問いに背後に控えたヴォルトが軽く答える。アクアエリア屈指の武官であるヴォルトがそう言うならば確かなことだろう。


 サラは『そんなに……』と声もなく驚いているが、キャサリンは既にその状況を把握していたらしい。リーフェとヴォルトの言葉に狼狽うろたえることもなく静かな視線を据えるキャサリンは女中メイド服に身を包んでいながら護衛官の顔をしていた。


「……そう、なんですね」


 一行の空気からその言葉が嘘ではないと覚ったのだろう。


 娘は一度静かに目を閉じ、同じくらい静かにまぶたを開いた。

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