王子様、面倒事を拾う

 ──こんなヒトが相手だったら、政略結婚だって喜んで受けるんだがなぁ……


 ハイトは一人掛洋椅子ソファーの肘掛けに頬杖を突いたまま、自分の正面に座り紅茶の洋湯呑カップに口をつけるサラを眺めていた。


 リーヴェクロイツとフローライトの国境際、交易の街・ハンガ。その中心地に程近い場所に店を構えた宿屋の一室。


 ヴォルトが押さえたのは、お手頃値段で中々に快適、かつ窓から表通りを眺めることもできる二間続きの角部屋だった。過ごし心地から言っても、敵襲に備えるという点から言っても、これだけ短時間でよくこんなに申し分ない部屋を押さえられたなと感心したハイトである。


 ──伊達だてに禁軍将軍やってる訳じゃないんだな、こいつも。


 三人掛洋椅子ソファーを女性陣に、机を挟んで反対側にある二脚の一人掛洋椅子ソファーをハイトとリーフェに譲ったヴォルトは、ハイトとリーフェの後ろに控えるように立っているから、今のハイトの位置からはヴォルトの様子をうかがい知ることはできない。だから逆にハイトがしれっと失礼なことを思ったこともヴォルトには察知されていないはずだ。


 ──しかし有能なのはいことだが、いっつもこんなことしてる訳じゃないよな?


 この宿の前で待ち構えていたヴォルトと合流してこの部屋まで入ったのだが、受付カウンターの前を通る時、やたらヴォルトをとろけた目で見る女性が多かったような気がする。そんな女性達に対してヴォルトもいつも以上に決め顔を決めていたような気がする。


 恐らく、多分、いや確実に、ヴォルトは己の顔の良さと駄々漏れるれる無駄な伊達男感イケメンオーラでこの部屋を半ば無理矢理押さえたに違いない。


 ──まぁこいつのことだから、刺されるようなヘマはしてこないと思うんだが。 


 ヴォルトの無駄に良い顔にはハイトもリーフェも世話になっている。無駄に良い顔が有効活用されるのは良いことだ。だがその顔が原因で自分達が恨みを買うような事態にはなりたくない。これがハイトとリーフェの共通認識である。


 ──そう思うと、こっちは『無駄』じゃない美人さんだよな。


 ひとしきり身内に対する失礼な物思いを巡らせたハイトは、自分の前に置かれた紅茶の洋湯呑カップを取りながらさらにサラの観察を続ける。


 先程出会ったばかりの少女は、無鉄砲なまま無頼漢に啖呵たんかを切っていた娘と同一人物とは思えないほど上品な挙措で紅茶を楽しんでいた。


 後ろで一つにまとめられた髪は上品な金。黄金こがねしろがねを混ぜ合わせたらこんな色になるだろうかと思わせるような色合いだ。優美な顔立ちはまさに『美少女』と表すべきもので、スラリと華奢な体付きと気品のある所作は深窓の姫君を思わせる。そのまま瞳を伏せて微笑んでいれば月の精霊かと勘違いしそうな美しさなのだが……


「? どうかした?」


 ハイトの視線に気付いたサラが顔を上げて真っ直ぐにハイトを見上げる。意志の強さに煌めく琥珀の瞳は、出会ったばかりの男の視線を受けても一切物怖じしていない。


「……いや? 何でもないが」


 ──『真珠』やら『月の精霊』にたとえるには、ちょっと気が強すぎるんだよな。


 サラの瞳が煌めくだけで、繊細な美貌から受ける儚げな印象がガラリと変わる。強い意志と深い知性、何より好奇心に輝く瞳は、サラの中にある芯の強さを思わせた。花や宝石に喩えるには苛烈すぎる、嵐や炎を内包しているかのような美しさだ。


「悪ぃな、お嬢さん。俺達はあんまり紅茶にも、紅茶をたしなむ人にも馴染みがないから、ハイトも物珍しくて見入っちまったんだよ」


 ハイトがそんな物思いにふけっていたことを、側近二人はすでに察していたようだった。背後に立つヴォルトがそんなことをのたまい、リーフェがそのすきにハイトの脇腹に肘打ちを入れてくる。そのせいで危うく口に含んだ紅茶を噴射しかけた。


「俺達はアクアエリアの出身なんだが、アクアエリアで日常的に飲まれてるのは緑茶でな。こんなに甘い茶には縁がないんだわ」


 噴き出しそうになった紅茶を無理矢理飲み込んだせいでせ込むハイトを尻目にヴォルトの言葉は続く。そこにハイトを気遣う気配はない。もしかしたら案外先程の言葉はハイトをかばうための言葉ではなかったのだろうか。


「? 紅茶は元から甘い物ではないわ」


 一人で噎せながらそんな事を思うハイトの向こうでサラが不思議そうに小首をかしげた。対するヴォルトが後ろで目を丸くしたのが気配で分かる。


「そうなのか? でも俺が今まで飲んできた紅茶は皆……」

「そりゃあそうだよ。ヴォルトのお茶には僕がいつも砂糖を大量投入してるからね」

「はぁ!? おまっ、何でわざわざそんな事してんだよっ!?」

「え? だってヴォルト、甘い物好きでしょう?」

「限度ってもんがあるだろうがっ! 限度ってもんがっ! お前毎回俺が甘すぎる紅茶に悶絶してるの気付いてただろ絶対!」

「いやぁ、てっきり喜んでるのかと」

「確信犯だろお前っ!」


 ほけほけと笑うリーフェに思わずといった体でヴォルトは手を伸ばす。だがリーフェに掴み掛かった手はリーフェが器用にヴォルトの手を避けたせいで見事に宙を掻いた。滅気めげずにヴォルトが手を伸ばし続けるせいでソファーの背を挟んだヴォルトとリーフェの奇妙な争いが始まる。


「……お前ら」


 ハイトは思わずガックリ項垂うなだれた。『頼むから漫才は自分達しかいない時にやってくれ』というツッコミを口に出す気力も湧かない。


 その瞬間、クスッという微かな笑い声がハイトの耳朶じだくすぐった。視線を上げれば対面に座るサラが片手を口元に添えて必死に笑いを噛み殺している。


「……こいつらが騒々しくて済まない」

「いいの。フフッ、やり取りがコミカルでおかしくって」


 いまだにやり合っている二人に代わってハイトがびると、サラは笑いを噛み殺すことをやめた。『鈴を転がすような』というよりも『鈴を跳ね回らせるような』と表したい澄んだ声と元気の良さでひとしきり笑ったサラは、細い肩を震わせながら再び言葉を紡いだ。


「いつもこんな感じなの?」

「……今日はまだ、静かな方だな」

「うらやましいわ。何でも素直に言い合える間柄って」


 苦虫を噛み締めながらも正直に答えると、サラは軽やかに言葉を続けた。何の含みも感じられない、心底本音だと分かる明るい声音で紡がれた言葉に、ハイトは思わず目をしばたたかせる。


 ──そんな風にとらえてくれるのか。


 ハイトにとってリーフェとヴォルトは『御学友』や『従者』『専属護衛』という間柄を越えた存在だ。幼い頃から共にあり、もはや家族以上に『身内』と呼べる存在でもある。それこそ家出を決行した時、二人は一緒に来て当然だと信じて疑わなかった……というよりも、この二人が付いて来ないという状況を一切考えなかったくらいには。


「……まぁ、確かに、……得難えがたい存在だとは、思っている」


 出会って間もないサラに二人との関係をそう言ってもらえたことが、何だか無性に嬉しかった。


 だが。


「おいハイトっ! お前からも何か言ってやれっ!!」

「僕はヴォルトの好みを反映しただけだよ。僕って気が利くよねぇ、ハイト」


 ──いや、やっぱりうるせぇな。


 やはり漫才は時と場合を選んでやってほしい。


 思わず真顔に戻ってそう結論付けたハイトは、小さく溜め息をいてからジトッと湿気しけった視線を二人に向け直した。


「お前ら、今議論すべき所はそこじゃないだろ」

「えぇ~っ!? 重要な問題じゃない!」

「……リーフェ、お前忘れてないだろうな?」


 本気で抗議してくるリーフェに若干の不安を感じたハイトは、思わず問いを口にしていた。


 ここへはサラ達へ落ち着いて事情を説明するためにやってきたはず。


 ついでに言うと、実はハイトもあの場で無頼漢に絡まれていた娘を救わなければならなかった事情を知らない。あの騒ぎを見たリーフェが何の前触れもなくヴォルトに宿の手配を命じ、ハイトをあの場に突き飛ばしたからそう行動しただけなのだ。


 リーフェがやることならば必ず意味があるはずだと思って行動したし、サラにはそのように一旦説明をした。


 全てはリーフェを信頼しているからこそ。


 だというのにそんなハイトの前でリーフェは首を傾げる。


「え? 何を?」

「……」


 ──『何を?』じゃねぇよっ!!


 ある意味予想通りだった反応にハイトは思わず頭を抱えた。胸の内で荒れ狂う罵詈雑言を必死に噛み殺しながらも、噛み殺し切れなかった一部がポロリと口の端から漏れていく。


「こンの天然字引……っ!!」


 普通忘れるだろうか。一切説明なく主君を争い事の渦中に突き飛ばし、一言『あの助けてきて』と命じた、その理由を。『助けたら落ち着いて話がしたいから、宿押さえてきて』と専属護衛を使いっ走りにした、その理由を。


 いや、リーフェがこういう性格だということは知っている。嫌になるくらい、そりゃあもう重々承知している。何せこの天然に一番振り回されているのは自分で、こいつに『アクアエリアの天然字引』という渾名あだなを付けたのも自分なのだから。


 だが知っていても慣れないものは慣れないし、毎度頭は律儀に痛む。自分達以外の人間も巻き込んでいる今回のような場面は特に。


「ヴォルト」

「残念ながら」


 一縷いちるの望みを掛けて矛先を変えてみたが無駄だった。背後を振り返らなくてもヴォルトの目が死んでいるのが分かってしまう声音だ。どうやらヴォルトの内心もハイトに近い状態であるらしい。


「……『他国の領土で厄介事を引き起こしてでも、人助けをしなくちゃいけない理由』があったんじゃなかったの?」


 さすがのサラもこの状況には笑いも起きないようだった。じっとりと湿気しけった視線がリーフェだけではなくハイトとヴォルトにまで向けられている。キャサリンも似たような顔をしていて、唯一うつむき続ける娘だけがこちらに視線を寄越してこない。


「あることにはあった。というか、あるんだと説明されていた。だがその内容を俺達は知らない」


 仕方なくハイトは苦しまぎれの言い訳を口にした。これが間違いなく真実なのだが、胡散臭うさんくささが半端ない。サラとキャサリンの視線がさらに温度を下げたのが分かってしまう。


 ──これで本っ当に思い出せなかったら洒落シャレになんねぇぞリーフェっ!!


 完全に忘れたということはさすがにないはずだ。『アクアエリア第二王子の智慧処ちえどころ』とまで呼ばれているリーフェは、確かにアクアエリアが誇る賢者なのだから。


 ただ性格がちゃらんぽらんで重度の天然であるだけで。地頭の良さならば間違いなく才人であるはずなのに、その性格の突拍子のなさから『賢者』やら『智者』という称号から縁が断絶していると言われているくらいには。


 ──ここで理由の説明が出来なかったら、俺達三人揃って若い娘さんをだまして宿に誘い込んだただの不審者なんだからなっ!?


 ヴォルトと二人揃って『頼むからさっさと思い出せっ!!』『いいからとにかく思い出せっ!!』と殺意を載せた視線を送ること数秒。


「ああ、思い出した思い出した!」


『そろそろ胃に穴が開きそうだ』と思い始めた頃、リーフェはパッと顔を輝かせると嬉しそうにポンッと手を打った。そのままリーフェはうつむき続ける娘に視線を向ける。逃げ場を求めるかのようにソファーの端に身を寄せ、俯き続けていた娘は、リーフェの視線を敏感に感じ取ったのかビクリと体を震わせた。


 だがリーフェはそんな些末さまつな事は気にしない。


 娘のおびえにも、ハイトとヴォルトの殺気にも、サラとキャサリンの冷たい視線にも構わずのほほんと笑ったリーフェは、ようやく本題を口にする。


貴女あなた、ボルカヴィラ王室の人間だよね?」


 核心を突く、というよりも、核心を貫いて跡形もなく粉砕するような衝撃をともなう言葉で。

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